第5話 彼女はきたかい?

 さて、どうしたものか。彼女がこの街にいるかどうか。僕が知りたいのはそれだけ。とりあえず、探してみるか。僕は帽子をさらに目深く被って、こっそりと街を歩いた。


 誰も彼もが嬉しそうに物語を語っている。ある者は歌いながら、ある者は踊りながら。誰も彼もが物語を紡いでいる。その物語は誰のため?聞いている人など誰もいない。ただただ自分の物語を語るだけ。この街はカラフルで、でも空っぽだ。嘘の街より、ある意味寂しい街かもしれない。誰もが語ることに夢中で、目を合わさない。手を繋いでいるものがいない。


 この街にも真実なんてないんだ。


 いくらか歩くと、僕は暗い空のところまで来てしまった。こちらでも、皆物語を語っている。とん、と僕は誰かの背中に当たってしまった。


「やあ」


 そう痩せて緑色の服を着た青年にそう言われたので、僕はすかさず聞いた。


「ここで、アイリスの花を抱えた人を見なかったかい?」


 彼女がいなくなった時、彼女が育てていたアイリスの花がなくなっていた。きっと彼女が持っていったに違いない。


「ああ、見ましたよ。それは朝と夜の間のところでした。白いワンピースを着て、アイリスの花を抱えた人がまるでその花の香りをそのまま体現したように、柔らかく今にも消えてしまいそうなはかなげに歩いていました。その人は目に涙を浮かべて僕にこう聞きました。『この街に真実はありますか?』僕は答えた。『ここには物語しかありません。ここは物語の街。皆見た花よりも、聞いた音楽よりも、素晴らしい味の食べ物よりも美しい物語を語ることに夢中です。さあ、君も素晴らしい僕の物語に花よりも音楽よりも食べ物よりも味わっていかれませんか』僕がとっておきの物語を語ろうとしたその時に、すかさず彼女は言った。『物語とは真実ですか?』僕はその言葉にまるで朝と夜をぶつけられたように混乱しました。『真実とはなんですか?それは素晴らしい物語なのでしょうか?』今度は彼女が混乱する番です。『真実とは物語とは違うものだと思うのです』僕ははは、と笑いました。『物語よりも素晴らしいものなどここにはありませんよ。貴方のいう真実とは何か僕にはわかりませんが、それはきっと物語よりも劣るものでしょう』そういうとその人ははかなげに目を揺らしてこう答えました。『私は真実こそが素晴らしい物語になるのだと思っています。真実のない物語など、誰の心を震わせるのでしょう』僕は憤慨しました。『貴方は本当の物語を知らないようだね。さて、本当の物語を僕が聞かせて見せましょう』その人は初めて、持っているアイリスの薄い花弁が振り落ちそうなほど首を振って言いました。『いいえ、いいえ。ここには私の求めるものはきっとどこにもありません。緑の服の青年さん。教えてくださってありがとう』そう言って、かの人はふわりとまた夜の方へと消えて行ってしまいました。」


 その素晴らしい語り口に物語が頭からつま先まで流れていった。つかの間酔ったようにすべてを物語に任せたくなる衝動に捕われたが、僕も慌てて首を振った。


「今の物語は真実かい?」


「物語は物語だよ。君はまだまだ物語の美しさを知らないね。さあ、もっととっておきの話を聞かせよう」


「結構。ありがとう」


 僕はそう言って足早に青年の元を離れた。彼の物語は嘘か真実か。ああ、この街も嘘の街のようだ。僕は足早に物語の渦をかき分けた。

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