身分を越えて


(アルマ……!)


 またしても、自分を助けるために囮となり、恐ろしく強大な敵と戦う選択を選んだアルマを見て、ユースティアは恐怖に屈してしまいそうな心を叱咤して立ち上がる。

 脳裏によぎるのは、今再び戦ってくれている小柄で華奢な勇者が言ってくれた言葉。


(今こそ動かなければ……! 私は二度と彼女に顔向けできなくなる……!)


 どんなに怖くて不安でも、最初の一歩を踏み出せる勇気のある人だと、こんな頼りなくて情けない自分にアルマは言ってくれた。

 それが本当なのか、まだ自覚は持てていない。しかしアルマの言葉を嘘にはしたくない……ユースティアはアルマが稼いでくれた時間を有効活用するために、辺りを見渡しながら自分にできることを冷静に見極める。


「ひぃ、ひぃいっ!? 逃げ、逃げないと……うぐあっ……!? い、痛いぃいいいい……!」


 そうしていると、まるで芋虫のようにこの場から逃げようとしているエドモンの姿が見えた。

 どうやら暴れ狂う異形のゾンビに恐れをなして逃げ出そうとしているが、手足を縛られているのと、股間に受けた傷のせいでまともに動けていない。ユースティアはエドモンの方に歩み寄り、みっともなく地面を這っている、自分を犯そうとしていた男を見下ろした。


「待ってください、オリバール子爵。貴方には聞かなければならない事があります」

「は……? はぁっ!? な、何をバカなことを!? 今そんな事を言っている場合か!? 今逃げなくてどうするというんだ!?」


 彼からすれば、自分が逃げようとしているのをユースティアに止められているようにしか見えないだろう。もはや慇懃無礼な態度すら保つことができず、エドモンは唾を飛ばしながらユースティアに怒鳴りつける。


「下らんことで私を止めようとするんじゃない! さっさと――――」


 そこを退け……そうエドモンは言い終わることができなかった。ユースティアの手に、自分の股間を撃ち抜いたアルマの武器である、魔導拳銃が握られていて、その銃口がエドモンの頭に向けられているからだ。

 エドモン自身、魔導拳銃に関する知識はないが、この魔道具の威力は身を以て知っている。その恐怖と痛みを思い起こされて、エドモンは震えて黙るしかなかった。


「誤解しないでください、子爵。選択肢を突きつけているのはこちらです。そして貴方には私が提示する選択肢のどちらかを選ぶ他ない」

「で、殿下……っ」

「難しい話ではありません。私の質問に答えるか答えないか。答えない、または嘘を吐くことを選べば、私に殺されるにしろ、極刑を受けるにしろ、ゾンビや魔物に殺されるにしろ、貴方の命はありません」


 この事態にあっても尚、ユースティアの口調は穏やかなままだったが、それと同時に氷のように冷たかった。

 その表情も眼差しも温度を一切感じさせず、つい数時間前まで見せていて、年相応に怯える少女の面影は一切感じさせない。


「ですが、ここで私の質問に素直に答えれば話は少し変わります。今回の一件について私は全てを話すことになりますし、貴方の罪を帳消しにすることはできませんが、最後には自らの行いを深く反省し、自分から私たちに協力をしたとなれば、情状酌量の余地はあるとして、命だけは助かるかもしれません」


 ユースティアがエドモンに突き付けた選択肢は、どちらを選んでも破滅が免れないものだった。ならばそんな選択肢に意味などないかもしれないが、ここでユースティアに協力することを選べば、僅かだが命だけは助かる可能性があるのは事実。


(嫌だ……死にたくない……っ!)


 エドモンには矜持がない。だから手負いの敵から背を向けて逃げるし、災いから少しでも自信を遠ざけようとする、良くも悪くも保身に走る傾向にある事を、ユースティアは見逃さなかった。

 そうなれば、彼の中にある天秤がどちらに傾くかは明白。選択肢を突きつけると言っておきながら、実質的には一択しか存在していないのだ。


(何だ……何なんだ……!? これは、本当にユースティア殿下なのか……!?)


 こちらを見下ろす口調にも表情にも険しさがないのに、震えが止まらないくらいの冷たい威圧感がエドモンを支配する。

 自分が知っている気弱なユースティアとは明らかに違う、まるで冷酷で苛烈な暴君が乗り移ったのではないかと錯覚してしまいそうなほどだ。少なくとも、今のユースティアはそのくらいはやってのけるという気迫を感じさせた。

 もちろん、それはエドモンの錯覚でしかない。実際のところ、ユースティアは内心では演技を保ち続けることに必死だった。


(大丈夫……! 焦らず、冷静に……聞くべき情報を聞き取る。不安を顔に出さない……!)


 交渉は侮られた時点で負ける。内心が気弱な姫のままだと知られれば、エドモンは威勢を取り戻してしまうだろう。そうならないよう、ユースティアは必死に表情筋を操り、「意に添わない者は容赦なく殺す冷酷な人物」の仮面を作り上げ、自身に張り付けた。

 王族としての教育の一環として、表情や声色で相手に与える自分の印象を操作する人心掌握術がある。これまでは、生来の気質から上手くできなかったが、この土壇場にきてユースティアの中に培われてきた努力が実を結んだのだ。


「それでは聞きましょう。あのゾンビはなぜ頭を貫かれたにも拘らず動けるのですか? その心当たりがあるならどのような些細な事でも構いまないので答えなさい。……もし私の意に背くというのであれば、仕方ありません……その時は体の端から胸に向かって、少しずつ撃ち抜いていましょう」

「ひぃっ!? やめ、やめてください! 言います、言いますから!」


 伝え聞いた拷問の手法を口にして脅しにかけると、すっかり怯え切ったエドモンは早々に降参した。苦しみながら死ぬよりも、僅かにでも生き残る可能性に賭けた方がマシだと思わせることに成功したのだ。


「で、でも、その……詳しいことは分からなくて……複数の死体を合成して生み出されたから、他のゾンビとは違うんじゃないかってことくらいしか……」


 ほぼ役に立たない情報を聞いて少し逡巡したユースティアは、ふとある事に気が付く。あの異形のゾンビが複数の死体を合成して生み出されたなら、脳も1つとは限らないのではないかと。

 ユースティアは国に挙げられるゾンビに関する調査報告に目を通し、ゾンビは死体に残された脳に何らかの作用が働いて誕生しているのではないかという仮説が立てられていることは知っていた。


(そして今回事件で、その何らかの作用が魔術によるものだという可能性が極めて高いことが判明した……だからゾンビは頭が弱点だったのですね)

 死体の脳を媒介にした魔術によってゾンビが生み出されたなら、その媒介を破壊してしまえば動きが止まるのが道理だが、あの異形のゾンビを見ていると、自分が打ち立てた仮説も間違いではないのかと思わせる要素がある。


(普通の人間に腕を2本付け加えたとして、あんなにも自由自在に操れるとは考えにくい)


 両手を同時に操るだけでも馴れが必要なのだ。人間の脳1つだけでは、あんな動かし方はできない。しかし脳が複数あれば話は違ってくるのではないか?

 素人の浅知恵と言われたらそれまでかも知れないが、ユースティアの仮説を裏付けるかのように、異形のゾンビの頭は脳が複数詰まっていると言われても不思議じゃないくらいに大きい。


(アルマの魔導銃……貫通力が高く、最低限の破壊で標的を射殺できるこの武器だからこそ、複数ある脳の1つだけを破壊できたと考えれば……)


 動く死体を操るための術式の一部だけが破損した状態になり、暴走してリックの命令を聞かなるのも辻褄が合う。

 だとすると、狙うべきは引き続き頭だ。そして暴れ狂うゾンビの頭を破壊できるのはアルマしかいないのだが、彼女はすでに満身創痍。

 ユースティアに心配を掛けさせないためか、何でもないかのように振舞っていたものの、今もこうして戦えている事自体が不思議なくらいボロボロなことくらい分かる。先の戦いと見比べても、まともに反撃できていないのは火を見るより明らかだ。


(その上で、今私にできることは……)


 瞳を閉じ、両手に力を籠めるユースティア。その右手には、魔導銃の堅い感触が跳ね返ってきていた。


   =====


 まるで竜巻のように荒れ狂う連撃が、徐々に私を追い詰めていく。

 詳しい原因は分からないけど、今対峙している異形のゾンビは完全に暴走していて、良い意味でも悪い意味で先ほどの戦いの時とは明らかな違いがある。


「アアアアアアアアアアアッ!」

「くうぅっ……!?」


 悪い変化は、明らかにスピードとパワーが上がっていることだ。暴走が原因でリミッターが外れたのか何なのかは分からないけど、攻撃の速度と重さが段違いになっている。

 直撃したら終わりという意味では変わりはないけど、避けれない攻撃を受け流すみたいな真似もできなくなったのは辛すぎる……!


(ただその代わりというか、私の位置を完璧には捉えられなくなっている……!)


 リックへの攻撃を外した時点で怪しいとは感じていたけど、頭を撃ち抜かれた影響からか、認識能力が明らかに低下しているのだ。

 目も耳もないから、恐らく魔力感知とかで獲物の位置を把握していたんだろうけど、それが満足にできなくなった。おかげで何とか躱し続けることができているけど、反撃もできていなかった。


(脇腹が……泣きたくなるくらい痛い……!)


 握力の無い左手も問題だけど、一番不味いのは脇腹の鈍痛。走る度に激痛となって肺に響き、呼吸が乱されてしまう……!

 それでも足を止めないのは完全にやせ我慢だ。一瞬でも足を止めてしまえば瞬殺されるのが分かっているから。

 加えて、少ない隙を狙って右手の魔導銃から魔力弾を撃っても、右目が開けられない状態だから満足に当てられない状態だ。せめて左に持ち替えたいけど、肝心の左手の握力が戻っていない。


(魔力をケチって頭に1発しか撃たなかったの、完全にミスった……!)


 まさか確実に脳が破壊された状態から動くとは思わなかった……なんていうのは言い訳だ。完膚なきまで脳を破壊しなかったのは私のミスと言える。

 でも今は反省している場合じゃない。頭だけ守りがガチガチだったことや、頭を撃ち抜いたら暴走したことから察するに、弱点は頭にあるのは間違いないはず。何とかもう一度当てないと……そう考えた瞬間、私は突然バランスを崩して地面に転がった。

 これまで蓄積された痛みと疲労が足にきたんだ……そう理解した瞬間、物凄い衝撃が私の体を襲う。


「シャアアアアアアアアアアアッ!」

「が……っ!?」


 異形のゾンビに思いっきり蹴り飛ばされたのだ。筋肉質で丸太みたいに太い足をしているだけあって、その一撃は重く、私の体は地面を数回バウンドしてようやく止まる。

 とはいっても、斬撃じゃなかっただけまだマシ。まだ根性で起き上がって動けそうだけど、そんな隙を与えてくれるほど甘い相手じゃない。

 即座に追撃を仕掛けてくる異形のゾンビからの攻撃を何とか凌ごうとした……その時、何発もの魔力弾が異形のゾンビの側面から掃射され、その内の1発が奴の脇腹に直撃した。

 こんな事をできるとすればただ1人……魔力弾が掃射されたであろう方向に視線を向けると、そこにはやっぱり、私の魔導拳銃を両手で構えたユースティア殿下がいた。


「殿下、何で……!?」


 私はこれまで、どこにでも良いから異形のゾンビに攻撃を当て続けることで注意を惹き、殿下を戦いに巻き込まないようにしていた。

 そこに横やりを入れればどうなるかは火を見るより明らか。私の予想は裏切られる事なく、攻撃を中断した異形のゾンビはユースティア殿下の方に向かって走り出す。

 私は慌てて魔導拳銃の照準を合わせようとした、その瞬間。


「ガアアアッ!?」


 異形のゾンビが盛大に顔から地面に転んだ。一体何が起こったのかと思い、よく見てみると、異形のゾンビの足元に棒状の結界が展開されているのが見えた。


(結界で足を引っかけて転ばせた……!?)


 しかもそれだけじゃない。今度は起き上がろうとした異形のゾンビの背中を押さえつけるように結界を張り、動きを封じ始めたのだ。

 これには怪力を誇る異形のゾンビも簡単には抜け出せないみたいだけど……もしかして、これも全部計算して魔導拳銃を……!


「アルマ! 早く頭を! 長くはもちませんっ!」


 必要最低限過ぎる端的な言葉だけど、何が言いたいのかを直感で理解した私は、全身の痛みを無視して立ち上がり、異形のゾンビを押さえつける結界の上へと跳び乗って、魔導拳銃の照準を合わせる。


「今度こそ終わりだ……! 怪物!」


 今思えば、元々は罪のない人の死体だったのかもしれない。それがどこの誰の仕業か知らないけど、こんな化け物に作り替えられてしまった。

 だから今度こそ本当に眠らせるために、私はありったけの魔力を魔導拳銃に注ぎ込み……。


「来世に期待して、往生せぇやあああああああああああああっ!」


 異形のゾンビの頭に、原形が無くなるまで魔力弾を叩きこみまくった。 

 しばらくの間は、魔力弾が頭に当たる度にビクンビクンと痙攣していた異形のゾンビだったけど、私の魔力が尽きた頃には今度の今度こそ動かなくなる。

 ここまでやっておけば、もう復活なんてあり得ないだろう……今にも倒れそうな体を気力だけで支え、地面に下りた私はゆっくりとユースティア殿下の元に歩み寄り、殆ど力の入らない表情筋を動かして笑みを浮かべた。


「まさか2回もあんな援護を入れてくるなんて、やっぱり大した人ですよ、殿下は。…………また助けられちゃいましたね」


 最初こそ私が助けるつもりだったんだけど、実際は逆だったかもしれない。課題は山積みだと再確認させられる戦いだった。

 そう私が言うと、ユースティア殿下は瞳に涙を滲ませながら微笑んで、ゆっくりと首を左右に振る。


「いいえ……私はただ、貴女がくれた言葉を嘘にしたくなかった……それだけなのです」

「そっか……そりゃ、光栄ですね」

 

 その事に私はなんだかテンションが上がって、無意識の内に右手を軽く上げていた。


「あの……それは……?」

「え? ……あー、これはその、ハイタッチって奴でして、色々上手くいった時にこう、手と手を叩き合うんですけど……」


 そんな私の行動に首を傾げていた殿下に、ハイタッチが何なのかを軽く説明する。どうやら王侯貴族の世界には無い風習らしい。


「すみません、王女様相手にこんな友達のノリみたいなこと、やるもんじゃなかったですね」


 ここまで色々あったから、1日も経っていないのに親近感が湧いてたけど、私たちは王族と平民だ。身分差っていうのがある。

 そう言って私が手を下げると、ユースティア殿下は恥ずかしそうに指を捏ねながら、勇気を振り絞るように震える唇を開いた。

 

「あ、あの! と、友達では、駄目でしょうか……!?」

「殿下? 駄目って、何が……?」

「その、私はデビュタントもまだで、友達の何たるかがよく分かっていないのですが……ハイタッチなるものは、友人同士でするものなのですよね……?」

「まぁ、はい。友達同士になると、結構やる事ではありますね」


 むしろそのくらい親しい間柄でもないとまずやらない事だ。職場で比較的話す程度の間柄で、「うぇーい」って言いながらハイタッチするのは、まずないと思うし。


「ア、アルマのように凄い人にとって、私などでは不足かもしれません。……強制もできませんし、嫌なら断られても仕方ないのですが……! ……私では、その……駄目、でしょうか……?」

「う……っ」


 ちょっとちょっと……強制しないとか言いながら、その表情は反則でしょ。そんな見捨てられる寸前の小動物みたいな潤んだ目で見られたら、すっごい断りにくいじゃん。

 

(……と言っても、これに関しては特に悩むような事でもないんだけどね)


 殿下のお願いに応じることがどういう事かなんて分かっているし、身分差があるとは言ったけど、双方合意の上なら咎められるようなもんじゃないと思う。だったら私の答えなんて、最初から決まっている、


「じゃあ……やってみます? ハイタッチ」


 私が再び右手を上げると、なぜか殿下は驚いたような表情を浮かべた。


「よ、よろしいのですか……? 自分で言っておいてなんですが……嘘だったりしませんよね……!?」

「こんなことで嘘なんて言いませんって。大体そんな嘘吐いたら、人の純真を弄ぶ最低女みたいじゃないですか」

「そ、それでは……っ」


 おずおずと上げられた殿下の右手と自分の右手を打ち合わせると、パアンッ! という思ったより小気味の良い音が鳴る。

 その音が合図だったかのように、戦闘の余波で空いた大穴から聖騎士団の紋章が刻まれた鎧を着た集団が砦内に入ってきた。


「総員急げ! 怪我人がいるとのことだ!」

「な、なんという数のゾンビだ……! これを本当に年端もいかない少女が1人で……!?」

「王女殿下! ご無事ですか!?」


 どうやらようやく迎えが来てくれたらしい。事情やら経緯やらの説明とかもしないとだし、疲れに身を任せて眠れるのはまだ先みたいだ。

 最後のもうひと踏ん張りだと思い、疲れ果てた体に鞭を打って歩き出したところで、早速バランスを崩して倒れそうになった私を、殿下が慌てて支えてくれた。


「帰りましょう、王都へ……私とアルマ、それぞれの家へ」


 そう私に微笑みかけた殿下の肩を借りながら、私たちは並んで聖騎士団の元へと向かっていった。

 ……拝啓、前世の弟よ、羨ましがれ。お姉ちゃんはこの度、お前の好きそうなハーレム作品の世界で、超絶美少女な王女様と友達になりました。


――――――――――

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

よろしければフォロー登録、☆☆☆から評価をお願いします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る