薔薇愛好会

 セドウェン王国の公爵令嬢リネーア・シーヴ・フォン・ダーナラが主催するサロン『薔薇愛好会』は謎に包まれたサロンである。

 極秘の条件をクリアした者しか参加出来ず、おまけにサロンで何をするかも極秘であった。






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 ダーナラ公爵家に生まれたリネーアは少し変わった令嬢だった。

「ハンネス、中々腕を上げたな」

「王太子殿下こそ、手強くなりましたね」

 リネーアより二つ上の兄ハンネスと、リネーアと同い年の王太子ヨアキムのやり取りを柱に隠れて聞いているリネーア。

(お兄様と王太子殿下のやり取り……見ているだけで眼福ね……)

 ハンネスとヨアキムの様子を見ては柱に隠れてふふっと微笑むリネーア。ハラリと耳にかかったふわふわとボリュームのあるダークブロンドの髪をかき上げる。

(あのお二人のやり取りは特にときめくのよね)

 まだ十三歳のリネーアは、こうして兄と王太子や他の令息達とのやり取りを見るのが趣味になっていた。

「こら、リネーア。またそんな所で王太子殿下とハンネスを見ているのね」

 不意に背後からそんな声が聞こえ、リネーアはギクリと青ざめる。

「お母様……」

 ゆっくり声の方へ振り返ると、そこにはリネーアの母でダーナラ公爵夫人であるシーヴがいた。

「全く、部屋にいないと思ったら。そんなに気になるのなら会話に入れてもらえば良いのでは?」

 軽くため息をつくシーヴ。彼女の声は割と響いたようで、当然ハンネスとヨアキムもリネーアの存在に気付いた。

「リネーア、俺達の剣の稽古が気になるなら堂々と見学したらどうだ?」

「でも、万が一リネーア嬢の方に剣が飛んだら大変だ」

 ハンネスとヨアキムはリネーアが自分達の剣の稽古に興味があると思っているみたいだ。

「えっと……」

 リネーアは口ごもってしまう。

 兄達の様子を陰に隠れてこっそり見ることが至福のリネーア。決して兄達の間に入りたいというわけではないので答えに困ってしまった。


 そうしているうちに、ハンネスはヨアキムをダーナラ公爵城の自室に連れて行ってしまう。

(お兄様達はお部屋で何をなさっているのかしら?)

 リネーアは自室に戻り、兄達の様子を妄想する。

(例えばもしもお兄様と王太子殿下が男同士の禁断の愛に目覚めたとしたら……)

 そんな妄想を始めたら止まらないリネーア。ヘーゼルの目は輝く。

(禁断の愛、素敵過ぎるわ……!)

 リネーアの胸はときめき、頬は緩みっぱなしになっていた。

(でも、このセドウェン王国では同性同士の恋愛はあまり良しとされていない。……だからこそ……だからこそお兄様達の男同士の関係を色々と考えてしまうのよ……!)

 リネーアは頬に手を当て、ワクワクと微笑んでいた。

 人間、やってはいけないと言われたことを無性にやってみたいと思ってしまうことがあるのだ。

 リネーアは紙とペンを取り出し、ハンネスとヨアキムが何をしているのかひたすら妄想を書き殴る。それはいつの間にか男性同士の恋愛を描いた小説になっていた。

(この趣味はきっと知られてはいけないわよね)

 リネーアは書いた小説を棚に隠すのであった。


 ハンネスとヨアキムだけでなく、ハンネスの友人達の関係性もあれこれ妄想して書いていた。よってリネーアが書いた秘密の小説の数はどんどん増えていた。

 しかし、一人だけ妄想出来ない人物がいた。

「こんにちは、リネーア嬢」

「ご機嫌よう、エリオット様」

 侯爵令息エリオット・マティアス・フォン・アーレンシュトルプ。

 プラチナブロンドの髪にムーンストーンのようなグレーの目。誰もが見惚れるほどの顔立ち。

 リネーアと同い年の幼馴染である。

 それぞれ親同士の仲が良く、ダーナラ公爵家とアーレンシュトルプ侯爵家は家族ぐるみでの付き合いだ。

 リネーアは特に何かをされたわけではないが、目の前にいるエリオットが幼い頃から少し怖いと感じていた。

 動物的な勘である。

 そしてリネーアはエリオットに対しては格段に自分の趣味が知られないように気を付けていた。






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 二年後、リネーアは十五歳を迎え、成人デビュタントし社交界デビューを果たした。

 成人デビュタントを迎えると、夜会やお茶会に出席することが可能になる。

 リネーアはそこで多くの令嬢や婦人達と話すが、自身の趣味については本当のことを言えずにいた。


 そんなある日のこと。

 リネーアは親しくなった令嬢達を呼んでお茶会を開いていた時、招待した令嬢の中の一人に趣味で書いた兄とその友人達とのやり取りに関する小説を見られてしまった。

「リネーア様、これは……!」

「それは……その……」

 頭が真っ白になり青ざめるリネーア。

 しかし、その令嬢からの反応は予想外のものであった。

「素敵過ぎますわ! 男同士のやり取り、何て素晴らしいのでしょう!」

 彼女はうっとりとした表情だった。奇しくもリネーアと同じ趣味を持っていたのだ。

 こうして、同じ趣味の仲間を見つけたリネーア。せっかくなので二人で社交界の中に同じ趣味の仲間がもっといないかを密かに見つけ出す行動に移ると、意外と見つかったのだ。


「リネーア様、この集まりは社交界には知られてはいけない秘密の集まりですわ。周囲を欺く為にも普通のサロンとして名前を付けませんこと?」

 一人の令嬢からそう提案されたリネーア。

「確かに、カモフラージュする必要がありますわね」

 リネーアは少し考える素振りをする。

「……『薔薇愛好会』なんていかがでしょう?」

 リネーアはふふっと微笑む。

「まあ! 素敵な名前ですわ! わたくし達の趣味はこのセドウェン王国でも前衛的過ぎるくらいですから、『薔薇愛好会』という名前ならば上手くカモフラージュ出来ますわ」

「いつか時代がわたくし達に追いつくことを願いながら活動いたしましょう」

 令嬢達からは歓喜の声が上がった。

 リネーア主催の極秘サロン『薔薇愛好会』はこうして発足した。

 定期的にリネーアは『薔薇愛好会』を開き、それぞれが書いた男同士の恋愛小説や、誰と誰のやり取りが萌える、どんなシチュエーションが好みかなどを語っていたのだ。

 十八歳を迎えたリネーアはいよいよ過激なものまで書くようになっていた。それは『薔薇愛好会』でも十八歳を超えているメンバーにのみに見せていた。






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「リネーア様は幼馴染のエリオット様に関しては色々と妄想なさらないのですね。あの見目麗しいお方こそ、色々と妄想したら楽しいですのに」

 ある時の『薔薇愛好会』の集まりにて、良からぬ妄想で頬が緩みっぱなしの令嬢からそう言われた。

「ええ。エリオット様は……何と言うか、色々と怖いと思ってしまいますの。あの方は昔から何を考えているのか分からなくて……」

 リネーアは幼少期からのエリオットを思い出す。

 ムーンストーンの目は常に冷たく、エリオットがいる時の空気はどこか息苦しかったのだ。

「その得体の知れない感じが恐ろしくて……正直あまり妄想したいとも関わりたいとも思えませんの……」

 リネーアは改めてエリオットのことを思い出して苦笑した。

「ああ……リネーア様が仰りたいことは何となく分かる気がしますわ。確かにあの方が身にまとう空気は……怖いですわね」

 リネーアと同意見の令嬢も、エリオットを思い出して困ったように微笑んでいた。

「そうなのですの……? あんなに紳士的で物腰柔らかな方ですのに」

 エリオットの話を切り出した令嬢が不思議そうに首を傾げていた。

 現在エリオットは見聞を広める為に近隣諸国を回っている。エリオットと顔を合わせずに済むのでリネーアにとって今はまるで安息の地を手に入れたような感覚だった。






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 そしてある日、リネーアにとって恐れていたことが起こってしまう。

「エリオット様……どうしてわたくしの部屋に……?」

 ダーナラ公爵家の王都の屋敷タウンハウスのリネーアの自室にエリオットがいたので、リネーアはゾッとした。

「いやあ、この前帰国したから、付き合いのある家に挨拶していたんだ」

 紳士的な笑みのエリオットだが、ムーンストーンの目は冷たい。

 幼馴染のエリオットがセドウェン王国に帰国し、ダーナラ公爵家の王都の屋敷タウンハウスに顔を出していたのだ。

 リネーアが何よりも気になったのは、エリオットがてにしている薄い本。

(エリオット様が持っている本はまさか……!)

 リネーアの顔が真っ青になる。

「あの……エリオット様、その本は……?」

 恐る恐る聞いてみるリネーア。願わくば自身の予想とは違う答えが聞きたいと思ってしまう。

「この本、実に興味深い内容だね。男同士の肉体関係がこれ程濃密に書かれているとはね。これはリネーア嬢が書いたのかな?」

 エリオットは比較的薄めの本のようになったものをじっくり見ていた。

 それはリネーアが書いた趣味の本。『薔薇愛好会』でメンバーに見てもらおうと気合を入れて書いたものだ。

 リネーアはエリオットがそれを呼んでいることに更に青ざめる。心拍数が上がり、冷や汗が止まらない状況だ。

「エリオット様……何故なぜ私わたくしの秘密の本を……!?」

「それにしてもこの本に登場する人物は……王太子殿下や君の兄君をモデルにしたのかな? まさかリネーア嬢は実の兄に女装をさせて王太子殿下と肉体か」

「口に出さないでちょうだい!」

 リネーアは顔を真っ赤にし、その手でエリオットの口を塞ぐ。

「リネーア嬢、もしこれを僕が社交界全体にばら撒いたらどうなるだろうね?」

 ニヤリと口角を上げるエリオット。その表情は美しくも恐ろしかった。リネーアは青ざめて震えが止まらなくなる。

「その界隈内だけなら良いけれど、社交界全体だなんて……!」

「リネーア嬢、君が書いたこの本を社交界全体にばら撒かれたくなかったら、僕に協力して欲しい」

 冷たい笑みのエリオット。弱みを握られた以上、断ることは不可能。

「……分かったわ、エリオット様」

 リネーアは完全に怯えながら頷くことしか出来なかった。






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「皆様……恐れていたことが起きてしまいましたわ……!」

 その後の『薔薇愛好会』にて、リネーアは涙を流しながらエリオットとの一連の出来事を話した。

「そんな……エリオット様にリネーア様の趣味が……」

「大変なことになりましたわね」

「もしリネーア様の作品が社交界にばら撒かれてしまったら、芋蔓式でわたくし達のことも社交界に知れ渡りますわ……!」

「何としてもリネーア様をお守りしないといけませんわね。わたくし達は一心同体、世間がわたくし達に追いつくまで諦めてはなりませんもの」

 リネーアと同じ趣味を持つ仲間達は彼女を守る為に、エリオットに協力することを決めたのだ。

「皆様……ありがとうございます……」

 リネーアは少し安堵しながら皆にお礼を言う。

「それでリネーア様、エリオット様からはどのようなことを要求されましたの?」

「それが……」

 リネーアはエリオットから協力して欲しいと言われたことを思い出す。


『リネーア嬢、僕はね、結婚したい相手が出来たんだ。彼女の名はヘレーナ・シェスティン・フォン・ローゼン嬢。ローゼン伯爵家の長女だ。リネーア嬢には、彼女を蔑んだり悪く言う奴らについての情報を僕に教えて欲しい。ヘレーナ嬢を傷付ける奴らはこの世界に必要ないからね。ダーナラ公爵家に生まれた君なら簡単だろう? これさえやってくれたら君の秘密は社交界にはバラさないさ』

 そう言ったエリオットのムーンストーンの目は恍惚としており、リネーアにとっては一番恐ろしく感じた。


「まあ……そのヘレーナ様というお方を蔑んだり悪く言う方々の情報を教えることでエリオット様は秘密を守ってくださるのですね。それ程難しいことではなく安心ですわね」

 一人の令嬢が安心したように微笑む。

「確かに、それでわたくし達の秘密が守られるのなら是非やりましょう」

「皆様……本当にありがとうございます」

 ヘーゼルの目から涙をこぼしながら仲間の優しさを実感したリネーアだった。


 こうしてリネーア達は秘密の趣味と自分達の安寧の為に、社交界でヘレーナを蔑んだり悪く言う者達の情報を集めてエリオットに渡した。

 その後、リネーア達が調べた令嬢や令息達に関する醜聞が新聞記事になり、彼らは全員社交界から退場せざるを得なくなった。

 間違いなくエリオットの仕業だと、リネーアは背筋を凍らせた。

 その後、エリオットの婚約者になったヘレーナに挨拶をしたリネーア。


 ストロベリーブロンドの長い髪を花束のようなシニョンにした、タンザナイトのような紫の目の小振りの花ような楚々とした令嬢。

 そんな彼女に優しい目を向けるエリオット。


(ああ、このお方がヘレーナ様。お優しそうな方だわ。だけど……あの恐ろしいエリオット様の婚約者になられたのね……。恐らくエリオット様はヘレーナ様次第だわ)

 リネーアはヘレーナに対し、懇願と哀れみの感情を向けていた。






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「ひとまず、わたくし達に平穏が戻りましたわ。皆様、ご協力本当にありがとうございます」

 リネーアは再び『薔薇愛好会』で心底安心したように仲間にお礼を言う。

「いいえ、困った時はお互い様ですわ」

「その通りですわよ、リネーア様」

「とにかくこの先もヘレーナ様に何もないことを祈りましょう。ヘレーナ様さえ無事ならば、エリオット様も恐ろしくなることはないと分かりましたし」

「そうだ、わたくし新作を書きましたの」

「まあ、早く読ませてくださいな」

 ようやく平穏が訪れた『薔薇愛好会』一同。彼女達はヘレーナに何もないことを祈りつつ、趣味を楽しむのであった。

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