ライバルはまさかの……!?

 ヘレーナがエリオットと婚約した翌年の春。晴れて二人は結婚し、ヘレーナはアーレンシュトルプ次期侯爵夫人となった。

 エリオットがヘレーナをこの上なく愛していることは、社交界でも既に有名な話である。


 ヘレーナがエリオットと結婚した少し後、今年十九歳になるセドウェン王国の王太子ヨアキムの結婚式が盛大におこなわれた。ヨアキムの結婚相手はナルフェック王国の第三王女マリー。彼女は今年十八歳になる。

 この日ヘレーナとエリオットが出席するヘッセン王家主催の夜会で改めてヨアキムとマリーのお披露目をするのだ。


「あのお方が王太子妃殿下なのですね……!」

 ヘレーナは王太子妃となったマリーの姿を見てタンザナイトの目を大きく見開いていた。

「そうだね。王太子妃殿下は斬新なドレスを着ているね」

 エリオットはチラリと王太子妃マリーを見た後、ムーンストーンの目をヘレーナに向ける。

「ええ。とても動きやすそうですわね」

 ヘレーナはまじまじとマリーが着用しているドレスに着目した。

 マリーは結婚式ではAラインの純白のウェディングドレスを着ていた。しかし、現在はネイビーのパンツドレスを身にまとっている。

 ヘレーナ以外の婦人や令嬢達も、マリーのドレスにハッと目を見開いていた。

「ヘレーナもああいったドレスを着てみたいかい? それはそれで似合うと思うけど」

 エリオットはヘレーナがパンツドレスを着用した姿を想像して楽しそうに微笑んだ。

「今着ているようなドレスしか着たことがなかったので、興味がありますわ」

 ヘレーナは自身のドレスとマリーのドレスを交互に見てワクワクとしていた。

「そうか。じゃあアーレンシュトルプ商会でも取り扱ってみるとするよ。それに、王太子妃殿下が着用しているということは、きっとこの先セドウェン王国の中でああいったドレスが流行るかもしれない」


 王族の人間は国を治めるだけでなく、流行を作り出す役割もあるのだ。


「ヘレーナのお陰で良いアイディアを思い付くことが出来たよ。ありがとう」

 エリオットは甘い笑みを浮かべ、そっとヘレーナの額にキスを落とした。

「もう、エリオット様、他の方々が見ておりますわよ」

 ヘレーナは困ったように微笑むのであった。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






 賑やかな夜会も中盤に差しかかった頃。

 ヘレーナはエリオットとダンスをした後、少しだけ疲れてしまったようだ。

 エリオットはそれに気付き、ヘレーナに渡す飲み物を給仕係から受け取る為、一時的にヘレーナから離れた。

(さっきのダンス、テンポが速いステップだったから体が少し熱いわね。バルコニーで夜風に当たろうかしら)

 ヘレーナは少し乱れた呼吸を落ち着かせ、近くのバルコニーに向かう。

 すると、バルコニーには先客がいた。

 スラリとした長身。月の光に染まったようなプラチナブロンドのサラサラとした髪に、サファイアのような青い目。中性的な顔立ちで、まるで美術品のような人だった。

「おや、貴女も夜風に当たりに来たのかな?」

 ずっと聞いていたくなるような落ち着いた声である。その人物はサファイアの目を優しく細めた。

(このお方は……!)

 ヘレーナはゆっくりとカーテシーで礼をる。

「おっと、今は私も休憩中なんだ。楽にしてくれて構わないよ」

 頭上から落ち着いた優しい声が聞こえたので、ヘレーナはゆっくりと体勢を戻す。

「ありがとうございます」

「貴女は……アーレンシュトルプ次期侯爵夫人ヘレーナだね?」

 その人物は少し考える素振りをした後、見事にヘレーナの名前を言い当てた。

「はい。ヘレーナ・シェスティン・フォン・アーレンシュトルプでございます。覚えていただけて大変光栄でございます」

 ヘレーナは少し緊張しながら微笑んだ。

「アーレンシュトルプ商会は今一番勢いがあると聞いている。期待しているよ」

 その人物はフッと優しげな笑みを浮かべた。

「はい。夫と共に盛り立てて参りますわ」

 ヘレーナは嬉しそうにタンザナイトの目を細めた。

 その時、背後から冷たい声が聞こえる。

「一体僕の妻と何を話しているのです?」

 エリオットである。

 エリオットはヘレーナと話している人物を鋭く睨んでいる。ムーンストーンの目からは敵意が感じられた。

 一応目の前の人物が自身よりも身分が高いことは感じていたようだ。

「エリオット様、落ち着いてください。このお方は」

「まさか僕の最愛の妻を誑かそうとでも?」

 慌てて止めようとするヘレーナだがエリオットは聞く耳を持たず、その人物に詰め寄る。

 その人物は一緒驚いてサファイアの目を見開くが、すぐに落ち着いた笑みを浮かべる。

「貴方はアーレンシュトルプ侯爵家次期当主、エリオットだね」

 穏やかで余裕そうな声だ。しかし、その態度が癪に障るエリオットだ。

「そうですが、そちらは名乗りもしないのですね。僕よりも身分が上というだけでその態度ですか」

 エリオットの言葉にヘレーナは青ざめ慌てて止める。

「エリオット様、お願いですから落ち着いてください。このお方は、殿でございますわ」

「え……?」

 ヘレーナの言葉に、エリオットのムーンストーンの目は点になる。

 そして恐る恐るその人物−−王太子妃に目を向ける。


 エリオットと同じくらいの背丈、ジャケットにパンツスタイルの姿。中性的な顔立ち。低めの落ち着いたハスキーボイス。そして月の光に染まったようなサラサラとしたプラチナブロンドの髪は後ろで束ねられている。

 一見男性のように見えるこの人物が王太子妃マリーなのだ。


「いかにも。私がマリー・ルイース・ルナ・シャルロッタ・フォン・ヘッセン。つい先日ヨアキム様の妻になった者だよ」

 マリーは面白そうにクスッと笑う。

「序盤に着ていたパンツドレスから着替えてみたのだが、やはりこの服装だと男性に間違われるみたいだね。安心して欲しい。エリオットよりも前に複数名同じように勘違いした者達がいる。おまけに髪型も変えているから私の正体に気付かない者もいたよ」

 あっけらかんと笑うマリー。

「王太子妃殿下とは気付かず、無礼な態度を取ってしまい申し訳ございません」

 エリオットは落ち着いて先程の態度を真摯に詫びた。

「別に気にしていない。よくあることだよ。私は十三歳頃までヘレーナと同じくらいの身長だったけど、それ以降かなり伸びてしまってね。祖国のナルフェック王国でもたまに男性と間違われたことがある」

 どこか懐かしげな表情のマリー。

「アーレンシュトルプ侯爵家や商会には期待しているんだ」

 さっぱりとしており、サファイアの目は真っ直ぐである。

「それは身に余る光栄でございます。先程のご無礼を挽回出来るように精進いたします」

 エリオットは少し安心したように微笑んだ。

「楽しみにしているよ。さて、私はそろそろ戻るとしよう。二人共、今宵の夜会を楽しんで」

 マリーはウインクをし、颯爽とテラスから去るのであった。

 ヘレーナもエリオット、しばらくマリーの後ろ姿を見ていた。

「……ヘレーナ、僕の早とちりで慌てさせてごめんね」

 エリオットは申し訳なさそうな表情だ。

「いえ、王太子妃殿下も気にすることはないと仰っておりましたわ」

 ヘレーナはクスッと笑う。

「とりあえず、飲み物を持って来たよ」

 エリオットはヘレーナにノンアルコールのクラウドベリーカクテルを渡す。

「ありがとうございます、エリオット様」

 ヘレーナは飲み物を受け取り、一口飲む。

 ひんやりと冷たく、程良い甘さが口の中に広がった。

「それにしても、王太子妃殿下はまるでオペラの男役のようで素敵でしたわね」

 ヘレーナは会場中央にいるマリーをうっとりとした表情で見ていた。

 マリーは婦人や令嬢達に囲まれていた。マリーを囲んでいる女性達は皆ヘレーナのようにうっとりとした表情である。

 既にマリーのファンは増えつつあるのだ。

「確かにあの時のオペラの女優と似ているけど……何か複雑だな」

 エリオットは悩ましげに苦笑した。

「エリオット様、ご安心ください。わたくしにとってはエリオット様が一番でございますわ。王太子妃殿下に関しましては、オペラの男役に憧れてしまうような感覚ですので」

 ふふっと笑うヘレーナ。

 エリオットはヘレーナから一番だと言ってもらえたことで満足はしたが、やはりヘレーナの視線を奪う王太子妃マリーには少し複雑な気持ちを抱いた。

(まさか王太子妃殿下がライバルになるとはね……)

 エリオットは軽くため息をつき、ヘレーナを抱きしめた。

(まあライバルが誰であっても、僕はヘレーナを手放すつもりはないけど)

 エリオットはフッと笑うのであった。

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