番外編

エリオットの初恋は恐ろしい

 アーレンシュトルプ侯爵家長男で次期当主のエリオットは、見聞を広める為に様々な国を回り、セドウェン王国に帰国した。

 エリオットの帰国は丁度セドウェン王国の社交シーズンが始まる頃だったので、先に領地ではなく王都の屋敷タウンハウスに向かった。

「おお、エリオット。今日帰国したのか」

 父であり、アーレンシュトルプ侯爵家現当主のマティアスは、エリオットの姿を見るなり安心した表情になる。それは父親としての表情だ。


 アッシュブロンドの髪に、ムーンストーンのようなグレーの目のマティアス。エリオットの目は父親譲りである。


「ええ。ただいま戻りました、父上。母上もお元気そうですか?」

「ああ。イェシカもいつも通りだ。今日はクレイツ侯爵夫人とオーケストラを見に行っている。そろそろ帰って来るだろう」

「そうですか。父上も母上もお変わりないようで安心しました」

 エリオットはフッと穏やかに笑った。

「ああ、エリオット。それから、お前がいない間にも各家から釣書が届いている。アーレンシュトルプ侯爵家を途絶えさせない為にも、そろそろエリオットには結婚について考えていて欲しい」

 マティアスの表情は、アーレンシュトルプ侯爵家当主としてのものだった。

「まあ、家同士の繋がりとお前の気持ち、双方が納得する形になれば一番良いが」

 今度は父親としての表情のマティアスだ。

「ええ、父上。考えておきます」

 エリオットは頷き、そのまま王都の屋敷タウンハウスの自室へ向かった。


(結婚……か。アーレンシュトルプ侯爵家の長男に生まれた以上、避けては通れない道ではあるが……)

 ソファに座り、何通もの釣書を見ながら呆れたようにため息をつくエリオット。

(どの女性もまるで興味が湧かない)

 エリオットは釣書の令嬢や、今まで見てきた令嬢達を思い出す。

 自身に媚びるような態度の者達ばかりで辟易としていた。

 ため息をつき、この日は釣書を見るのをやめるエリオットだった。






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 数日後、エリオットは帰国後初となる夜会に出席していた。

 セドウェン王国王太子ヨアキムの誕生祭なので、基本的に国内の貴族は全員参加の夜会である。

「王太子殿下、本日はおめでとうございます。今後も王太子殿下のお力になれるよう、精進して参ります」

 エリオットはヨアキムにそう挨拶をした。

「期待している、エリオット」

 ヨアキムは力強く笑う。


 ヨアキム・イクセル・フォン・ヘッセン。今日十八歳の誕生日を迎えた王太子だ。エリオットと同い年なのである。

 ヨアキムは星の光に染まったようなアッシュブロンドの髪に、ペリドットのような緑の目である。これはヘッセン王家の特徴なのだ。


「そうだ、エリオット。君は最近まで他国を回っていたと聞いている。他国に関する君の見解を聞きたい。特に、私の妻となるマリーさんの国……ナルフェック王国についてな。あの国は近隣諸国の中で一番発展しているみたいだが、エリオットの目にはどう見えた?」

 ヨアキムのペリドットの目は興味津々と言った感じでたある。

「そうですね、これはあくまで僕個人の見解ですが……」

 エリオットはゆっくりと話し始めた。






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(少し話し過ぎて喉が乾いたな)

 ヨアキムとの会話が思ったよりも弾み、充実感とほんの少しの疲れを感じるエリオット。

 会場の給仕係からブルーベリーソーダをもらい、喉を潤していた。

 その時、エリオットのムーンストーンの目に、一人の令嬢の姿が飛び込んでくる。


 花束のようにサイドにまとめられたストロベリーブロンドの髪、ほんの少し憂いを帯びたタンザナイトのような紫の目。

 バルコニーに佇むその令嬢の姿は、どこか儚げであった。


(あの令嬢は……!)

 一目でエリオットは彼女に心を奪われてしまった。

 それはまるで、乾き切った灼熱の砂漠でオアシスを見つけたような感覚である。

(彼女こそ、生涯僕の隣にいるべき令嬢だ! 彼女を手放してなるものか!)

 一気に湧き上がる彼女への欲望は、とどまることを知らない。

 エリオットは彼女に話しかけようとしたが、丁度その時ダンスの曲が始まってしまい、動きにくくなってしまった。

(仕方がない。帰ったらすぐに彼女について調べよう)

 エリオットはそう決意し、この日の夜会後すぐに彼女について調べ始めた。






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 その令嬢についての情報はすぐに集まった。

(ヘレーナ・シェスティン・フォン・ローゼン嬢。歴史あるローゼン伯爵家の長女で家族構成は父ハルステン、母シェスティン、兄ラグナル。ローゼン伯爵領は二年前の猛吹雪により被害を受けて復興中。そのせいでローゼン伯爵家は少し傾いている。ローゼン伯爵家及び領地の建て直しの為にヘレーナ嬢は新興貴族ヴェーデル子爵令息スヴァンテと婚約している……)

 エリオットはその令嬢−−ヘレーナに婚約者がいると知り、グシャリと報告書を握りつぶした。

(ならば僕がヘレーナ嬢の婚約者になって、ローゼン伯爵家の建て直しに協力しよう。ヴェーデル子爵家なんて、すぐに握り潰せる)

 エリオットはニヤリと口角を上げた。

(それに、ヘレーナ嬢はスヴァンテから邪険にされているし、スヴァンテは堂々と新興のルーメル男爵家の奴と浮気をしている。僕の方がヘレーナ嬢に相応しい)

 ムーンストーンの目は仄暗く、ヘレーナを絶対に手に入れる強い意志を感じた。


 そこからエリオットの行動は早かった。

 ヴェーデル子爵家が経営するヴェーデル商会を潰す為にアーレンシュトルプ商会を立ち上げた。そして狡猾で恐ろしい手段を用い、ヴェーデル商会の顧客を奪う。更にヴェーデル商会の不祥事をでっち上げ、ヴェーデル商会の倒産及びヴェーデル子爵家を破産に追い込んだ。これにより、爵位返上しか道はなくなり、スヴァンテは平民にならざるを得ない。そうなれば、ヘレーナとの婚約も解消される。

 しかしエリオットはヘレーナを邪険に扱っていたスヴァンテを許すことが出来ず、直接脅しをかけた。

 今後ヘレーナと接触しようものなら、劣悪な見世物小屋送りにすると。

 スヴァンテは完全に怯えながらそれに同意した。


 その後、エリオットはローゼン伯爵家に援助及びヘレーナとの婚約を提案した。

 一応ヘレーナの意思も確認したかったので、強制的に婚約を結ぼうとはしなかったエリオット。

 それが功を奏したのか、ヘレーナと出かけた時に婚約の了承を得た。

 エリオットは天にも昇るような心地だった。


 エリオットがやったのはそれだけではない。

 スヴァンテの浮気相手のティルダ、そして夜会などでヘレーナを嘲笑した令嬢達も破滅に追いやった。

 その際、幼馴染のダーナラ公爵令嬢リネーアやその他の令嬢令息達にも協力してもらった。

 いや、軽く脅して協力させたと言っても過言ではない。


「この本、実に興味深い内容だね。男同士の肉体関係がこれ程濃密に書かれているとはね。これはリネーア嬢が書いたのかな?」

 エリオットは比較的薄めの本のようになったものをじっくり見る。

「エリオット様……何故なぜわたくしの秘密の本を……!?」

 リネーアは青ざめている。

「それにしてもこの本に登場する人物は……王太子殿下や君の兄君をモデルにしたのかな? まさかリネーア嬢は実の兄に女装をさせて王太子殿下と肉体か」

「口に出さないでちょうだい!」

 リネーアは顔を真っ赤にし、その手でエリオットの口を塞ぐ。

「リネーア嬢、もしこれを僕が社交界全体にばら撒いたらどうなるだろうね?」

 ニヤリと口角を上げるエリオット。

「その界隈内だけなら良いけれど、社交界全体だなんて……!」

 再びリネーアは青ざめる。赤くなったり青くなったりと、リネーアの表情は大忙しだ。

「リネーア嬢、君が書いたこの本を社交界全体にばら撒かれたくなかったら、僕に協力して欲しい」

 冷たい笑みのエリオット。

「……分かったわ、エリオット様」

 リネーアは完全に怯えた表情だった。


 こうしてエリオットはリネーア達から得た情報を元に、ティルダをルーメル男爵家ごと破滅に追いやったり、ヘレーナを嘲笑した令嬢達の醜聞をでっち上げて社交界から追放した。


 エリオットはヘレーナと順調に仲を深めていた。しかし、ある日二人がデート中、王都の広い庭園を見ていた時のこと。

 エリオットがヘレーナの為に花冠を買いに行っていた時、スヴァンテがヘレーナと接触していた。

 柵越しとはいえそれを見た瞬間、エリオットは頭のてっぺんから足のつま先までどす黒い嫉妬と怒りに染まってしまった。

「僕のヘレーナに何をしている?」

 エリオットは感情に任せてそう口にしていた。

「エリオット様……?」

 ヘレーナがそれに少し怯えてピクリと肩を震わせたので、エリオットは少し冷静になれた。

「ヘレーナ、こんな奴の言葉なんか聞く必要ないよ」

 エリオットはヘレーナの前でのいつもの態度に戻り、彼女に耳栓をして抱きしめて視界を塞いだ。

 ヘレーナに自分の側がいかに安全かを認識してもらうように。

 そしてエリオットはスヴァンテに目を向ける。ムーンストーンの目は絶対零度よりも冷たい。

「お前はそんなに見世物小屋に送りにされたいということか」

 低く凍てつくような声のエリオット。

「ち、違います! これはわざとではなく単なる偶然なんです!」

 絶望を帯びた表情で必死に言い訳をするスヴァンテ。

 しかしエリオットは容赦なかった。

「関係ない。ヘレーナの目にお前が映ったことが問題だ。明日、お前の元に見世物小屋の迎えが来る。逃げても無駄だぞ」

 ニヤリと口角を上げ、エリオットは冷たくそう言い放った。

 スヴァンテは完全に表情を失い、フラフラとその場を立ち去るのであった。

(ヘレーナの目に映るのは僕だけで良いんだ)

 エリオットはヘレーナを抱きしめる力を強めた。






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 リネーアが主催するお茶会にて、二人きりになれる休憩室に案内されたエリオットとヘレーナ。

 エリオットは当たり前のように膝にヘレーナを乗せてクッキーを食べさせる。

 タンザナイトの目を潤ませ、頬を真っ赤に染めるヘレーナの姿。

 エリオットはもう今すぐヘレーナを襲ってしまいたい気分になった。

(いや……でもそれは結婚するまでの我慢だ……!)

 エリオットはヘレーナを強く抱きしめ、何とか理性を保っていた。

(だけど、ヘレーナがこのまま僕なしでは生きられなくなれば良いのに……)

 湧き上がる仄暗い欲望。

 エリオットの本性を知っても、変わらず側にいてくれるヘレーナ。そんな彼女に対し、狂おしい程の愛を注ぐエリオットである。

「ヘレーナ、愛してるよ」

 エリオットはこの上なく甘く仄暗い表情でヘレーナを見つめる。

 それに対し、ヘレーナもふふっと微笑む。

わたくしも愛しておりますわ、エリオット様」

 タンザナイトの目は、真っ直ぐエリオットを見つめていた。

 それはエリオットの乾いた心を潤すには十分じゅうぶん過ぎる程だった。

 エリオットはヘレーナを捕食するかのようにキスをした。

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