デート

 あっという間に十日経ち、ついに迎えたエリオットとのデートの日。

 エリオットが迎えに来るまでの間、ヘレーナはローゼン伯爵家の王都の屋敷タウンハウスの厨房を借りて何かを作っていた。

(エリオット様へのお礼になるかは分からないけれど……)

 丁寧にラッピングされた小振りの袋。中にはブルーベリージャムとクリームチーズを使ったクッキーが入っていた。ヘレーナの手作りである。

「ヘレーナお嬢様、そろそろお支度をなさった方がよろしいかと存じます」

「そうね。今行くわ」

 侍女の声を聞き、ヘレーナはエリオットへのプレゼントを大事そうに抱えて厨房を後にするのであった。






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「ヘレーナ嬢、よく似合っているよ」

 ローゼン伯爵家の王都の屋敷タウンハウスまで迎えに来たエリオット。

 ヘレーナの姿を見てムーンストーンの目を輝かせていた。

「ありがとうございます」

 ヘレーナは頬をほんのり赤く染める。

 今着ている淡いピンク色のAラインのドレスはもちろんエリオットがプレゼントしたもの。軽く肌触りが良いので着る者の負担にならないドレスだった。

 ストロベリーブロンドの髪は小振りの花が咲いているかのようなハーフアップにアレンジされている。

「本当に……可憐な妖精のようだ」

 エリオットのムーンストーンの目は、この上なく甘くとろけるようにヘレーナに釘付けになっていた。

「さあ、行こうか、お姫様」

 エリオットはそっと手を差し出した。

「……本日はよろしくお願いします」

 ヘレーナは少しドキドキしながらも、エリオットの手を取った。


 アーレンシュトルプ侯爵家の馬車に乗り込んだ二人。

「ところでヘレーナ嬢、君が持っているその小さなバスケットは何だい?」

 エリオットは興味ありげにヘレーナが持って来た小振りのバスケットを見ている。

 そのバスケットにはヘレーナが作ったクッキーが入っているのだ。

「これは……後程エリオット様にお渡ししたいと存じております。今だと荷物になってしまうので」

 ヘレーナはバスケットを抱きかかえた。

「そっか。じゃあその時を楽しみにしているよ」

 エリオットは嬉しそうに微笑んでいた。

「あの、エリオット様、本日はどこで何をする予定なのでしょうか?」

 ヘレーナはおずおずと聞いてみる。

 するとエリオットはクスッと笑う。

「着いてからのお楽しみだよ」

 エリオットの甘い表情に、ヘレーナの胸は高鳴った。






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 二人がやって来たのは、セドウェン王国王都ゾックスロムにある大きな劇場。

「ヘレーナ嬢はオペラは好きかな?」

「はい。成人デビュタントしたばかりの一昨年はよく見に行っておりました」

「そっか、良かった。今日見る演目はこれなんだけど……」

 エリオットに演目を示されてヘレーナはタンザナイトの目を大きく見開いた。

「これ、ずっと見たいと思っていたものです」

 タンザナイトの目がキラキラと輝く。


 二年前の猛吹雪の災害により、領地が打撃を受けて以降、ヘレーナはオペラを見ることが出来ていなかった。

 ローゼン伯爵家が大変な時にオペラを見るのは申し訳なく思っていたようだ。


「ヘレーナ嬢が喜んでくれて良かったよ。三階の特等席を取ってある」

「まあ、三階の……!」

 ヘレーナはタンザナイトの目を大きく見開いた。


 三階の特等席は王族専用席を除いた中では一番良い席である。

 ヘレーナのような伯爵家の人間は特等席より少しグレードが低い一等席、ローゼン伯爵家が傾いている今はせいぜい二等席に座れるくらいなのだ。


「さあ、ヘレーナ嬢、行こうか」

 エリオットはそっとヘレーナに手を差し出す。

「ありがとうございます」

 ヘレーナはワクワクしながらその手を取り、エリオットにエスコートされながら三階の特等席へ向かうのであった。


 今回の演目の特徴は演者が全員女性であること。男性の役を演じる女性もいるのだ。

 男役を演じるスラリとした長身の女優が、艶のあるアルトの歌声を響かせる。

 それが何とも色っぽくて、ヘレーナはタンザナイトの目をうっとりとさせていた。

 王子役の女優、騎士役の女優と魅力溢れる男役の女優が多く出演しており、オペラを見に来ていた女性客はうっとりと頬を染めていた。

 美しく色っぽい男役達に心を奪われる女性も少なくはない。


「ヘレーナ嬢、どうだったかい?」

 演目が終わり、エリオットは優しく微笑む。

「はい……。とても素晴らしかったです。王子役の繊細だけど真っ直ぐなアルトの歌声、そして騎士役の力強いアルトの歌声……どちらも魅力的でずっと聴いていたいと思ってしまう程でございます。もちろん、今回の主役である隣国の姫君を演じた女優の方も、美しいソプラノの歌声と可愛らしい演技で素敵でしたわ」

 ヘレーナはオペラの余韻に浸っている。タンザナイトの目はうっとりとしていた。

「そっか、気に入ってくれて嬉しいよ。でも、舞台女優にばかり気を取られてしまうと、僕も嫉妬してしまうな」

 困ったように微笑むエリオット。

「あ……申し訳ございません。わたくし、一人で少しはしゃぎ過ぎておりましたわね」

 申し訳なさそうに肩をすくめるヘレーナ。

「冗談だよ、ヘレーナ嬢」

 エリオットは悪戯っぽい表情である。そして、甘い笑みを浮かべる。

「ヘレーナ嬢が心から楽しんでくれたようで僕も嬉しいよ。君を誘って良かったと思ってる」

 甘い声がヘレーナの心に染み渡る。

 まるで蜂蜜をたっぷり入れた香り高い紅茶を口にしたような感覚である。

 エリオットはそのまま言葉を続ける。

「ところでヘレーナ嬢、そろそろお腹が空いてくる頃じゃないかい?」

「あ……確かに、お昼時でございますから、少し空腹になってきましたわ」

 ヘレーナは自身の腹部に触れた。

「じゃあお昼を食べに行こう。ヘッセン王家御用達のレストランに予約を取ってあるんだ」

「ヘッセン王家御用達……! 最高級のレストランではありませんか……! 公爵家の方ですら予約が取りにくいとも言われておりますわ……!」

 ヘレーナはタンザナイトの目を大きく見開いた。

「偶然予約が取れたんだよ。ヘレーナ嬢、さあ行こう」

 ヘレーナはエリオットに手を取られ、そのまま馬車でレストランへ向かうのであった。







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 レストランにて。

 流石は王家御用達ということで、高級感に溢れていた。

 おまけにマナーの良い客ばかりである。

 ヘレーナとエリオットは個室に案内された。

 前菜のグラヴラックスという新鮮なサーモンを塩、砂糖、ディルでマリネした料理。そしてロブスタースープを堪能した後、メインのトナカイの肉を使用したレインディアーステーキが運ばれて来た。

「ヘレーナ嬢、口に合うかい?」

「はい。赤みのお肉なのにも関わらず、とても柔らかいです。ベリーのソースとも良く合って、非常に食べやすいですわ」

 ヘレーナは自身のステーキを一口食べて表情を綻ばせた。

「そう言ってもらえて安心したよ」

 ホッとしたようにエリオットもステーキを食べた。

(まだ交流を始めて少ししか経っていないけれど……エリオット様はわたくしのことを考えてくださっているのが分かるわ)

 ヘレーナはステーキを食べながら、チラリとエリオットを見る。

(エリオット様を信じてみても良いかもしれないわ。それに、わたくし自身も、エリオット様に好意を抱いているのは確かなこと。もし彼と婚約した後、元婚約者のスヴァンテ様のように邪険にされてしまっても……後悔はないかもしれないわ。ローゼン伯爵家の為でもあるけれど、エリオット様となら……)

 ヘレーナが決心した頃、ステーキの皿が下げられてデザートのクラウドベリーパイが運ばれて来た。


 クラウドベリーとは、セドウェン王国の特産品である。寒冷な地域でしか育たず、セドウェン王国は南側に位置するガーメニー王国、ナルフェック王国、ネンガルド王国、アリティー王国などにクラウドベリーを輸出しているのだ。

 琥珀色の実で癖のない甘さが特徴のベリーである。


 ヘレーナは少し深呼吸をし、クラウドベリーのパイを口にする。

 口の中にふわりと甘さが広がった。

 その甘さはまるでヘレーナを勇気付けてくれるようなものであった。

 そして、クラウドベリーのパイの皿が空になり食後の紅茶が運ばれて来た時、ヘレーナはゆっくりと口を開く。

「エリオット様、本日はありがとうございました。とても楽しい時間を過ごせましたわ」

 ヘレーナは少し緊張しながらも、柔らかく微笑む。

「僕の方こそ、君と過ごせて楽しかったよ、ヘレーナ嬢」

 エリオットはムーンストーンの目を優しく細めた。

「まず、エリオット様にこちらをお渡しいたします。お口に合うとよろしいのですが」

 ヘレーナはバスケットから丁寧にラッピングされた袋を取り出し、エリオットに渡した。

「これは……クッキーだね。もしかして、ヘレーナ嬢の手作りだったりするかな?」

 エリオットは嬉しそうにムーンストーンの目を輝かせる。

「はい。もし不要ならば捨ててもらっても構いません」

「不要なものか。ヘレーナ嬢の手作りのクッキーがもらえるだなんて、嬉しいよ。本当にありがとう。今食べても構わないかい?」

 若干前のめりなエリオットである。

「ええ、どうぞ」

 ヘレーナが頷くと、エリオットは一枚クッキーを口にした。サクサクと咀嚼音が聞こえる。

「これ……! ブルーベリージャムとクリームチーズが入っているね。僕の好物だし、本当に美味しい。今まで食べたどんなものよりも美味しいよ……!」

 恍惚とした表情のエリオットである。

「そんな大袈裟な……。ですが、お口に合ったようで安心いたしました」

 ヘレーナはホッとしていた。

 そして深呼吸をする。

 ここからが本題である。

「婚約の件でございますが……わたくしでよろしければ、お受けしようと存じます。わたくしも、エリオット様のことは、好ましく思いましたわ」

 ヘレーナのタンザナイトの目は、真っ直ぐエリオットのムーンストーンの目を見ていた。

「ヘレーナ嬢……!」

 エリオットは感激したような表情になる。

「嬉しい……! 嬉し過ぎる……! まるで天にも昇るような気分だよ……!」

 ムーンストーンの目が今までにない程キラキラと輝いている。

「ヘレーナ嬢、ありがとう。愛してるよ。では、早速婚約の手続きを進めよう」

 エリオットは前のめりになり、テーブルの上でヘレーナの手を握った。


 こうして、晴れてヘレーナとエリオットは婚約者同士になったのである。

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