交流の始まり

「エリオット様がわたくしに一目惚れ……何かのご冗談ですよね?」

 ヘレーナは戸惑いながら微笑んだ。

 しかし、戸惑いつつも心臓が高鳴ったのは確かである。

「やっぱり困らせてしまったか。申し訳ない。でも、冗談ではないんだよ」

 エリオットのムーンストーンの目は、どこまでも真っ直ぐである。

「ヘレーナ嬢、僕は見聞を広げる為に他国を回っていて、最近セドウェン王国に帰国したんだ。帰国してから初めて参加した夜会が、王太子殿下の誕生祭だった。君も参加していただろう?」

「はい。王家主催でしたので」

 ヘレーナは頷く。


 セドウェン王国を治めるヘッセン王家主催の夜会には、基本的に全貴族参加する。


「その時、バルコニーに佇む君を見つけてね……僕は一瞬で心奪われたんだ」

 ムーンストーンの目はその時を思い出し、恍惚としていた。

「でも当時のヘレーナ嬢には婚約者がいたから、変に話しかけたりして君を困らせたり君の立場を危うくはしたくなかった。だから我慢していたんだ」

 エリオットは一呼吸置き、言葉を続ける。

「だけど、今回のヴェーデル子爵家の破産のことがあって、正直これはチャンスかもしれないと思ったんだ。是非ともローゼン伯爵家に援助を持ちかけて君との婚約を取り付けたいって思った。ただ、知っての通り僕達貴族の婚姻は双方に何らかのメリットがないといけない。それで目を付けたのがローゼン伯爵領の港だ。立地から考えて、北にある島国から輸出入がしやすいし、アーレンシュトルプ侯爵家にも利益が出る。これなら父上達や周囲も納得させることが出来る」

 エリオットは嬉しそうに微笑んだ後に、真剣な表情でヘレーナを見つめる。

「だけど、ヘレーナ嬢の意思も大事だと思ったんだ。恐らく君は、ローゼン伯爵家の為に僕と婚約するつもりだろう? 自分の意思は関係なく、家を助ける為に動くだろう?」

「……はい」

 ヘレーナはコクリと頷く。

 やはりローゼン伯爵家の為に動こうとしていたのだ。

「僕はヘレーナ嬢に一目惚れして、本気で君が欲しいと思った。だけど、ヘレーナ嬢にはローゼン伯爵家の為に無理に婚約者になって欲しいとは思わない。君が色々と納得してから決めて欲しいと思ってる」

 ムーンストーンの目はヘレーナを真っ直ぐ見つめている。

 ヘレーナは少し考える。

(正直、わたくしに一目惚れをしただなんて、信じられないけれど……この人はスヴァンテ様とは大違いだわ)

 そして自身を大切にしてくれる家族の顔が脳裏に浮かぶ。

(わたくしはローゼン伯爵家や領地を守りたい。でも、きっと我慢したらお父様達が少し悲しむわね)

 ヘレーナは真っ直ぐエリオットを見て微笑む。

「エリオット様、貴方の想いやローゼン伯爵家へのご支援は嬉しく存じます。ですが、わたくしはエリオット様のことをよく知りません。なので、今後はこうしてお会いしたりして、貴方のことを知ってから決めたいと存じます」

 それが今のヘレーナの精一杯の答えである。

「もちろんだよ、ヘレーナ嬢。ゆっくりと僕のことを知ってもらいたい。とりあえず、これからよろしく頼むよ」

 エリオットはそっと手を差し出した。

「はい。よろしくお願いします」

 ヘレーナは彼の手を握った。

 こうして、二人の交流が始まるのである。






−−−−−−−−−−−−−−






 数日後。

 ローゼン伯爵家の王都の屋敷タウンハウスにて。

「あの、エリオット様、これは一体どういうことでしょう?」

 エリオットからこの日はローゼン伯爵家の王都の屋敷タウンハウスに来るという連絡はあったが、まさか商人や仕立て屋まで連れて来るとは思っていなかった。

「僕が立ち上げた商会の商人と、アーレンシュトルプ家が世話になってる仕立て屋の者だよ。今日はヘレーナ嬢に是非、ドレスをプレゼントしたいと思ったんだ。商人には生地をたくさん持って来てもらっている」

 甘くとろけるような笑みでエリオットはヘレーナを見つめていた。

「でも、それではエリオット様に負担がかかってしまいますわ」

 ヘレーナは申し訳なさそうな表情だ。

「負担だなんて。僕は君の為なら何だってするさ」

 エリオットはこの上なく優しい様子でヘレーナを見つめていた。

「……ありがとうございます」

 ヘレーナの心臓が少し跳ねた。

(あんな表情で見つめられたら、何も言えないじゃない)

 ヘレーナは頬をほんのり赤く染め、エリオットから目を逸らした。

「……そう、何だってね」

 ポツリと小さく呟くエリオット。一瞬、ムーンストーンの目が仄暗くなる。しかしヘレーナはそれに気付かなかった。


 この日はヘレーナのドレスを数着仕立てることが決まった。

「エリオット様、ありがとうございます。ですが、こんなにたくさんのドレス……何だか申し訳ないです」

 ヘレーナは少し恐縮していた。

「だったら十日後、出来上がったドレスを着て僕とデートしてくれないか?」

 紅茶一口飲んでコップを置いたエリオット。この上なく甘いムーンストーンの目がヘレーナを捕らえるように見つめていた。

「エリオット様とデート……でございますか?」

 ヘレーナの頬がほんのり赤く染まる。

(どうしよう……エリオット様に見つめられると、何だかドキドキして正常な判断が出来なくなりそうだわ)

 ヘレーナは視線を下にやり、ブルーベリージャムクッキーを口にする。

 サクサクとした食感、そして甘さが口の中に広がる。何故なぜかいつもより格段と甘く感じた。

「駄目かな?」

 エリオットのムーンストーンの目は切なげである。

「いえ……駄目ではないです」

 ヘレーナはその言葉しか出て来なかった。

「良かった。じゃあ、十日後、君を迎えに行くよ。それで良いかな?」

 エリオットはホッとした様子で、甘い笑みをヘレーナに向ける。

「……はい」

 ヘレーナは少しドキドキしながらも頷いた。

(何だか魅了にかかってしまったみたいだわ……)

 ヘレーナはエリオットを直視出来なかった。

 正面からは、サクサクとクッキーの咀嚼音が聞こえる。

「あ……このクッキー、美味しいね。ブルーベリージャムが入ってる」

 エリオットはクッキーを口にして表情を綻ばせていた。

「お口に合ったようで何よりです」

 ヘレーナはようやくエリオットを見ることが出来た。

「うん。僕、ブルーベリージャムが好物なんだ。例えば、ブルーベリージャムを塩分少なめのクリームチーズに付けて食べたら最高だよ。レアチーズケーキに添えても美味しいよね」

 楽しそうに笑うエリオット。その笑みには無邪気さがあった。

 ヘレーナはその表情を見て、自然に口元を綻ばせる。

「確かに、仰る通りですわね」

 ほんの少し、緊張が和らぐヘレーナだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る