新たな婚約者は釣った魚に餌を与え過ぎて窒息死させてくるタイプでした

本編

ヘレーナの婚約

 ローゼン伯爵家長女のヘレーナは目の前の状況にため息をつく。

「俺が愛してるのはティルダだけだ」

「まあ、嬉しいですわ」

 ヘレーナの婚約者である、栗毛色の髪にアンバーの目のヴェーデル子爵家長男のスヴァンテが、彼女の目の前で堂々と浮気をしているのだ。

「でもスヴァンテ様……ヘレーナ様はどうなさいますの?」

 浮気相手のルーメル男爵令嬢ティルダはチラリとヘレーナに対して見下したような笑みを向けた後、スヴァンテにしなだれかかる。ブロンドの髪にマラカイトのような緑の目の令嬢である。

「あんな傾いたローゼン伯爵家の女なんか使用人として雑用を押し付けたら良いさ。ローゼン伯爵家を我がヴェーデル子爵家が支援する。で、多額の金と引き換えにヘレーナが嫁に来る。要はあいつは金で買った奴隷だよ」

 スヴァンテはあからさまにヘレーナに蔑んだ笑みを向けた後、ティルダの腰を抱く。

「まあ、奴隷だなんて。ヘレーナ様が可哀想ですわ」

 可哀想と言いながらもヘレーナに勝ち誇ったような笑みを向けるティルダ。

 ヘレーナは俯き、ぎゅっと拳を握った。

「ローゼン伯爵家はうちの援助がないと持ち直せないだろう。ヘレーナがどんな扱いを受けようと、本人も伯爵家も何も言えないさ」

「きゃっ、ちょっと、スヴァンテ様」

 もはやスヴァンテはヘレーナに視線すら送らず、ティルダの唇を奪う。

 ヘレーナは何も考えず、ひたすら時が過ぎるのを待つだけだった。


「まあ、ご覧になって。スヴァンテ様とティルダ様がまたやっているわ。ヘレーナ様、婚約者の浮気に対して何も言わずに情けないわね」

「あら? でも仕方がないのでは? ローゼン伯爵家って今傾いているのでしょう? ヴェーデル子爵家の援助がなければ立て直すのは無理よ。それに、身なりに気を使っていたとしても、あんな流行遅れなドレスを着ていたら侮ってくれと言っているようなものじゃない」

「確かにそうですわね。ある意味自業自得ですわ」

「歴史あるローゼン伯爵家も終わりが見えていますわね」

 周囲の令嬢達からも嘲笑されるヘレーナ。


(大丈夫。わたくしさえ我慢したら……)

 ヘレーナは俯いたままギュッと口を結び堪えていた。






−−−−−−−−−−−−−−






 ヘレーナ・シェスティン・フォン・ローゼンは、ローゼン伯爵家の長女として生まれた。

 ストロベリーブロンドの真っ直ぐ伸びた髪に、タンザナイトのような紫の目。小振りな花のように楚々とした、今年十七歳になる令嬢である。

 ローゼン伯爵家はこのセドウェン王国の中でも歴史ある家系だ。

 しかし、二年前の猛吹雪による災害でローゼン伯爵領は大打撃を受けた。

 セドウェン王国は北の方にあるので冬の寒さや雪が厳しいのである。

 ヘレーナの父であり、ローゼン伯爵家当主ハルステンは家宝などを売って領地の復興予算に充てるが、それでもまだ足りないのである。

 傾いたローゼン伯爵家に救いの手を差し出したのはヴェーデル子爵家。

 ヴェーデル子爵家は商売で成功した新興貴族だ。子爵家が営むヴェーデル商会の売り上げは今やセドウェン王国一である。

 しかし、新興貴族ということで侮られてしまう面がある。

 そこで、ローゼン伯爵家の支援と引き換えにヘレーナをヴェーデル子爵家の嫁に迎え、歴史あるローゼン伯爵家と繋がりを持とうとしたのである。

 要するに政略結婚である。

 ヴェーデル子爵家はヘレーナとスヴァンテの結婚に当たり、莫大な結納金のうち半額を事前にローゼン伯爵家に支払った。それにより、ローゼン伯爵家及びローゼン領の状況はかなり改善した。しかし、まだ完全ではなかった。

 最初はスヴァンテもヘレーナが婚約者になったことを大層喜んでいた。しかし、次第にヘレーナと結婚する未来が当たり前だと思うようになり、彼女を邪険に扱い始めたのだ。

 要は釣った魚に餌を与えないタイプだったのである。

 両親や兄はヘレーナのことを心配して他にローゼン伯爵家を支援してくれる者を探していたのだが、ヴェーデル子爵家よりも良い条件や、ヴェーデル子爵家に及ばなくてもローゼン伯爵家を何とか立て直せるような条件の相手はいなかった。

 ヘレーナは家族が自分のことを考えて行動してくれているのが分かり、申し訳なくなった。そして家族の為なら我慢するのも苦ではないと感じたヘレーナ。彼女はスヴァンテに浮気されたりどれほど邪険に扱われても、彼との婚約を続行することにしたのだ。

 しかし、スヴァンテと結婚したら奴隷のように扱われるのは目に見えている。自分で決めたこととはいえ、憂鬱になるヘレーナであった。






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 そんなある日、ローゼン伯爵家に激震が走った。

「ヘレーナ、落ち着いて聞きなさい。……ヴェーデル子爵家が……破産して没落したようだ」

 父ハルステンが何とも言えないような表情である。


 ストロベリーブロンドの髪に、アクアマリンのような青い目のハルステン。ヘレーナの髪色は父親譲りである。


「え……?」

 ヘレーナは突然のことにタンザナイトの目を丸くした。

「子爵家が営んでいた商会も潰れてしまって、もう爵位を返上するしかない状況らしい」

「父上、それはヴェーデル子爵家の方々は平民になるということですか?」

 ヘレーナの兄ラグナルは冷静な様子だ。


 ヘレーナと同じストロベリーブロンドの髪に、タンザナイトのような紫の目の、今年十九歳になる青年だ。


「ああ、ラグナルの言う通りだ。……この国ではどんな事情があろうと貴族と平民の貴賤結婚は許されていない。当然、ヘレーナとスヴァンテの婚約も白紙になった。結納金は返さなくても良いそうだ」

「まあ。では、とりあえずヘレーナを蔑ろにしてくるような人の所には行かなくて良いのね」

 母シェスティンは少し安心したような表情である。


 アッシュブロンドの髪に、タンザナイトのような紫の目のシェスティン。ヘレーナとラグナルの目の色はシェスティン譲りである。


「ですが、それではローゼン伯爵家や領地はどうなってしまうのですか?」

 ヘレーナは心配そうである。

「ヘレーナ、こんな時でも家のことを考えるなんて、貴女は優しい子ね。確かにローゼン伯爵家はまだ大変だけれど、ヘレーナも自分のことを考えて良いのよ。貴女は色々と我慢してしまう性格なのは知っているけれど、自分が幸せになることも考えてちょうだい」

 シェスティンはそっとヘレーナを抱きしめた。

「ああ、それが……実はヘレーナに新たな縁談が来ていてな。ローゼン伯爵家や領地の支援もヴェーデル家以上にしてくれるそうだ。売り払った家宝も取り戻してくれるらしい。相手はアーレンシュトルプ侯爵家長男で次期当主のエリオット殿だ」

「アーレンシュトルプ侯爵家ですって!?」

「領地に金山と銀山だけでなく、ダイヤモンド鉱山もあって、セドウェン王国一の資産を持つと言われている、由緒正しいアーレンシュトルプ侯爵家……! ローゼン伯爵家も歴史ある家ではありますが、わざわざアーレンシュトルプ侯爵家が縁を結びたいと思える程では……! それに、エリオット殿といえば、数ヶ月前にアーレンシュトルプ商会を立ち上げ、今飛ぶ鳥落とす勢いでどんどん売り上げを伸ばしていますよ!」

 シェスティンとラグナルは目が飛び出る程に大きく見開いて驚愕していた。

「アーレンシュトルプ侯爵家のご子息が……」

 急な婚約の白紙から次の縁談と、色々情報が多過ぎてヘレーナは一周回って冷静になっていた。

「アーレンシュトルプ侯爵家からの条件はエリオット殿とヘレーナの婚姻と、ローゼン伯爵領の港を使わせて欲しいとのことだ。何でも、エリオット殿が貿易の新たなルートを探しているそうでな。ただ、エリオット殿は婚約を結ぶ前に、まずヘレーナと顔を合わせたいと言っている。もしヘレーナが嫌ならば無理に婚約はしないとも言ってくれている」

「ヘレーナ、嫌ならば嫌と言ってもいいのよ。ヴェーデル家との縁談で貴女は大変だったのだから」

「そうだぞ、ヘレーナ。ローゼン伯爵家や領地を立て直す手段なら、俺も何とかする。だから我慢する必要はない」

 ハルステン、シェスティン、ラグナルは真っ直ぐヘレーナを見ている。

「ありがとうございます」

 ヘレーナは少し表情を綻ばせた。

 これだけ家族が自分のこと思ってくれている。ヘレーナにとってはそれだけで十分じゅうぶんだった。

「ですが、せっかくですのでお会いしてみようと思います。決して無理をしているわけではありませんわ」

 ふわりと微笑むヘレーナ。

 タンザナイトの目に迷いはなかった。

 こうして、ヘレーナはエリオットと顔合わせをすることになったのだ。






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「初めまして、ヘレーナ嬢。僕はアーレンシュトルプ侯爵家長男、エリオット・マティアス・フォン・アーレンシュトルプ。今日は君に会うことが出来て光栄だよ」

 プラチナブロンドの髪、ムーンストーンのようなグレーの目。女性なら誰もが振り返るような甘い顔立ちの青年だ。ヘレーナより一つ年上の十八歳である。

 物腰柔らかい態度で、好感が持てる。

「ローゼン伯爵家長女、ヘレーナ・シェスティン・フォン・ローゼンでございます。ローゼン伯爵家へのご支援の件、感謝申し上げます」

 ヘレーナは少し緊張していた。

「礼には及ばないさ。ただ、僕は個人的に君と関係を持ちたかっただけなんだ、ヘレーナ嬢」

 エリオットは真っ直ぐヘレーナを見つめている。

「それは……どういう意味でしょうか?」

 少し戸惑うヘレーナ。

「いきなりでこんなことを言ってしまうとヘレーナ嬢を困らせるかもしれない。だけど、正直に言っておきたいんだ。僕はね、君に一目惚れしたんだよ」

 エリオットのムーンストーンの目は、真剣にヘレーナのタンザナイトの目を見つめていた。

「え……?」

 初対面の相手にいきなりそう告げられ、ヘレーナはただ戸惑うばかりであった。

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