第166話 魔術師は少女と出会う。
「……何だ? この魔力は」
バチンと『雷化魔術』が途切れる。
山を覆わんとする、膨大かつ広大な魔力。
眼下に広がるそれを見て、何故だか
トラーシュ・
古より生き続ける
黄金と白銀の少女。
魔術学校学長にして、勇者と共に戦った歴戦の魔術師。
……あり得ない。
自身の想像を、胸中で否定する。
そもそもの前提として、トラーシュ先生は、何の因果か魔術学校から移動することはない。
何かを待ち続けるかのように、あの場所から動かないのだ。
まあ、面白そうな魔術実験をしていれば、いつの間にかそこに乱入しているなんてことはあり得るのだが。
それもまた、魔術学校内限定である。
そんなトラーシュ先生が、直々に
もし姉や俺に用があるのなら、誰か――例えば師匠とか――を通じて、連絡すればいいだけだ。
なんなら彼女なら、魔術で
……加えて――
この魔力からは、
魔力量に展開規模、そして密度は、凄まじいものがある。
出力だけなら確かに、あの長命種の魔術師にも匹敵するかもしれない。
……しかし、
鍛錬も研鑽も錬磨も。
この魔力からは感じられない。
地上に顕現した太陽の様な、あの煌々とした輝きが、この魔力にはないのだ。
ひどく歪で、不安定な魔力。
生まれたての赤子の様に、何にも染まっていない真っ新な魔力なのである。
……
だからこそ、胸中に生まれる疑問があった。
……何故俺は、この魔力からトラーシュ先生を思い浮かべたんだ?
理性では「有り得ない」と判断している。
それにも関わらず、どうして
更に疑問は重なる。
そんな
初めて接する魔力のはず。
しかしその
……総任か? 師匠か? 姉さんか?
自身の出会いの中から、巨大な魔力の持ち主を思い浮かべては、否定していく。
「……とりあえず、行ってみるか」
このまま観察していても埒が明かないと考え、自身を空中に固定するために用いていた風の魔術を、推力へと変える。
ふわっ
ゆっくりと進み始める身体。
前進しながらも、魔力の概観を掴むために、つぶさに観察し続ける。
魔力は山肌に、ほぼ半球状に展開されていた。
しかしよくよく見ると、半球の中心に近付くにつれて、その濃度が高まっているのがわかる。
……すなわち――
この凄まじい魔力の中心に、この事態を引き起こした元凶――原因が存在するのだろう。
「……視るか」
呟いて自身の魔力を解放すると、
森羅万象全ての魔力を、力を解放した俺の目が捉える。
視界は世界魔力に乗って拡張され、あらゆるものへの解像度が上昇する。
空、山、川、村。
見慣れたあらゆる情報を処理しながら、半球状に展開された魔力内部を視る。
「む?」
そこには、2つの影が存在していた。
1つは巨躯だ。
鋭く黒々と輝く巨大な爪。
不気味に輝く白い牙。
その体は、針の様に尖った黒い毛によって覆われている。
……あれは――
驚愕に目を見開く。
見たことがある。
かつて父に傷を負わせ、姉が初めて討った熊型の魔物だ。
しかし――
もう1つの影に意識を向けて、それ以上の驚愕に襲われる。
……人。
女の子だ。
女の子が、魔物と対峙しているのだ。
「『
『
状況を把握した直後、再び『雷化魔術』によって移動を開始し、対峙する1人と1体の直上に
……
しかしそれは、
黒髪のショートカット。
相貌は青白く、食事をしているのか心配になるほど華奢で弱々しい。
少女は自身の生存を訴える様に息を荒げ、大きく肩を上下させている。
驚いたのはそんな
黒の上下――長袖に、折り目の多いプリーツスカート。
スカートから伸びる色白の脚は、黒の靴下によってふくらはぎまで覆われている。
首元から肩口まで大きく広がる襟――
いわゆる
「こっちだ」
睨み合う少女と魔物が、
少女は真面目そうな顔立ちをしているが、まだ幼い。
年の頃はおそらく、リッチェンと同じくらいだろうか。
しかしその瞳には、そんな幼さに似つかわしくない、何かしらの強い覚悟が宿っているように見える。
「『
空中で俺がそう唱えた直後、魔法円が一瞬咲き誇り――
ズウゥゥゥン!
胸元――魔石の存在した位置に穴を開けた魔物が、倒れる。
少女は魔物の倒れる音に弾かれた様に顔を向け、大きく目を見開く。
敵の死を見て安堵したのか、少女の顔から強張りが解けたと同時に――
ドサ
彼女は意識を失い、その場に倒れ込んだ。
そして――
展開されていた強大な魔力は、痕跡すら残さず消失したのであった。
「ルング……貴方!
いつかやると思っていましたが、遂にやらかしましたわね⁉」
少女を風の魔術で浮遊させながら、アンファング村まで運ぶと、赤毛の騎士に開口一番でそんなことを言われる。
その隣では姉が、こちらを食い入るように見つめている。
どうやら彼女たちは、俺が飛び立った後、きちんと子どもたちを家まで送り届けたらしい。
「……何のことだ? まるで人を罪人みたいに」
俺の言葉に、騎士はふよふよ浮遊している少女を、勢いよく指差す。
「いくら魔術の研究の為だからって、野生の人を捕まえて、人体実験をしようとするだなんて!
やって良いことと、悪いことを考えなさいな!」
……呆れたことに。
どうやらリッチェンは、俺が制服少女を人体実験のために拾ってきたのだと考えているようだ。
「……リッチェン。
君との付き合いも長くなるが、流石にその言葉は傷付くぞ?
俺が誰かに迷惑をかけたことなんてあったか?」
騎士は胡乱な目を俺に向ける。
「少なくとも私は、苦い薬を盛られたり、『君の婚約者候補だ』などと言って男女十数名を紹介された覚えがありますけど⁉」
「迷惑だったのか?」
「迷惑でなければ、何と言えば?」
「……素直じゃないな。
純粋に『ルング、ありがとうございますの!』と言ってくれて良いんだぞ?」
「とりあえず、その物真似は一生しないで欲しいですの!」
……折角風の魔術で、声帯模写までしたのに。
俺の真似は、騎士のお気に召さなかったらしい。
「まあ……しかしアレだ。
君はもう、俺にとって身内みたいなものだ。
多少迷惑をかけるのも、仕方ないだろう」
「胸を張って言うことでは、ないんですのよ?」
騎士の茶々を無視して続ける。
「だがそんな俺でも、初対面の人間を実験台にしたりは――」
スッ
俺の言葉を遮る様に、少女騎士の人差し指が、俺――ではなく、浮かんでいる少女――でもなく。
いつの間にか、少女の近くに移動していた姉に向けられる。
「ルンちゃん! どこで拾ってきたの⁉ 可愛いね!
それにすごい魔力! さっきの気配はこの子の? ちょっと解析していい?
ホントにちょっとだけだから! ちょっと魔石に集めるぐらいでいいから!
っていうか、この子の格好も可愛くない?
どんな素材で出来てるんだろう? 触っても良いよね?
うわ、ほっぺた柔らかい!」
「信じられると思いますの?」
「……無理だな。
とりあえず姉さん、本人の許可がないから、魔力解析はちょっと待て。
俺だって、まだやっていないんだぞ?
それとお触りもダメだ。ハラスメントにあたるかもしれないからな。
慰謝料は金がかかるから避けたい。
どうしても柔肌に触れたいのなら、リッチェンのにしなさい」
「それなら仕方ないね! じゃあ、リっちゃん、覚悟!」
「ちょ、ちょっとクー姉⁉ 止めてくださいな!」
こうして俺たちは、森で遭遇した制服姿の少女を、村の診療所まで運んだのであった。
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