第164話 騎士はいつまでも魔術師の姉弟と共に在る

 ……軌道が一切見えませんでしたの。


 驚愕だった。

 光速は厳しいかもしれないが、雷速程度なら先程の様に見極める自信があった。


 しかし――


 チラリとクー姉の人差し指に止まる、優雅な鳥に目を遣る。


 今あの鳥は、光どころか雷にすら変じていない。

 燃え盛る炎のままだ。


 すなわちあの鳥は、光や雷への変換無しに、私の目に映らない移動を遂げたことになる。


 ……何が起きたんですの?


 さすがにルングの魔術てじなみたいなことは、していないはずだが。


 そう考えたところで、ふと幼馴染の少年が気にかかった。


 私は騎士だ。

 当然ながら、魔術師ではない。


 故に好奇心に任せた行動をすることは、基本的にない。

 そんな私ですら、この魔術については気になるのだ。


 それならば――


 ……幼馴染の魔術師ルングは、どんな顔をしているのでしょう?

 

 興味がある。

 ひょっとすると、私が見たことのない表情を浮かべているかもしれない。


 期待を込めて、幼馴染の顔を見ると――


世界魔力マヴェルか?

 世界魔力を利用して、火の鳥の移動過程を・・・・・飛ばした・・・・のか?」


 ……あっ。


 ドキッと鼓動が高鳴る。


 期待通り。

 否、期待以上の朗らかな笑顔だ。

 私でも初めて見る、輝く笑顔がそこにはあった。


「流石だね、ルンちゃん! その通り!

 世界魔力には、あらゆることが記録されているよね?


『火の鳥が魔術で出現した・・

『鳥を雷に変換した・・

『目にも止まらない速度で飛翔した・・

『実験室の端へと移動した・・


 みたいな感じ?

 本当はもっと複雑だけどね!


 今回はその中で『鳥を雷に変換した』『目にも止まらない速度で飛翔した』って2つの過程を省略させて・・・・・もらったよ」


「ふふん」と胸を張る姉に、弟は重ねて問う。


現実を世界魔力で書き・・・・・・・・・・換えた・・・のか?」


「うーん、書き換えというより、省くが感覚としてはやっぱり近いかな!

『実験室の端に移動した』って事象は、最初に鳥を10往復させたことで、既出だったじゃない?


 だから、そこに至る過程を記録した世界魔・・・・・・・・・・力を・・省いたの・・・・


 そうすれば、移動する一連の流れには『火の鳥が出現した最初』と『実験室の端に移動した最後』だけが残るでしょう?


 その世界魔力の流れに従って、発動する魔術。

 それが私の考えた『転移魔術』なの!」


「そんな手段で……」


 ルングはそう呟くと、手を口元に置いて自身の世界に入り込む。

 クー姉はそんな弟に微笑みかけて、火の鳥を解除すると、何故か・・・私の元へと駆け寄って来た。


「でもこの発想は、リっちゃんのおかげ・・・・・・・・・で生まれたんだよ!」


 クー姉はそう言って、勢いよく私の手を取る。


「リッチェンの……」


「わ、私ですの⁉」


 魔術師クー姉魔術師ルングの話の内容を、騎士は半分も理解できなかった。


 ……そんな私が、一体何をしたって言うんですの⁉


「うん! リっちゃんのおかげ!」


 クー姉の満面の笑顔に、私の思考は真っ白になる。


「リっちゃんの料理の手際・・・・・だよ!

 リっちゃんは調理場の貸借や調理工程を、事前準備によって・・・・・・・・省略した・・・・でしょ?


 最初から作れば時間のかかる料理を、短時間で私たちに出してくれたよね?


 それと同じ・・・・・考え方をしただけ。


 事前準備をしておけば・・・・・・・・・移動も省略できる・・・・・・・・んじゃないかって考えたんだよ!

 料理みたいにね!」


 パチンとクー姉は、至近距離でウインクする。


「お、お役に立てたのなら、嬉しいですわ」


 口から言葉は出てくる。


 しかし頭の中はパニックだった。


 ……全く分かりませんの!


 少女の告げた理屈が――考え方が、さっぱり理解できない。


 けれど少女の語り口には、得体の知れない確信が満ちている。

 それが魔術師だけが抱ける確信なのか。

 クー姉だからこそ抱ける確信なのかはわからない。


 ……ひょっとすると、これが――


 クー姉が特別だという証なのかもしれない。

 

 私とは異なる世界・・・・・・・・異なる理屈・・・・・で生きて・・・・いる・・


 無邪気に笑う少女の姿は、それを嫌でも感じさせる。


 ……ルングは、どうですの?


 私にはよく分からない理屈を、もう1人の魔術師は理解できているのだろうか?


 目の前で起きた現象について、彼はどう考えているのだろうか。


 少年を盗み見ると――


「……やはり姉さんは天才だな」


 少年は眩しいものを見るように目を細め、笑みを浮かべていたのであった。




「結局、クー姉の『転移魔術』って何なんですの?」


「つまりだ。

 姉さんは、この前の・・・・君の料理からこんな発想を得たわけだ。

『事前準備さえあれば、料理の手順も省略できるように、移動も省略できるんじゃないか』とな」


 魔術学校屋外実験場に、少年の声が響く。


「算術――数学の公式や、計算過程もそう。

 組手での立会もそうだろう。

 既知の手順を省略するというのは、なんら珍しくない」


 寒さに身を震わせながら少年――ルングの話を聞いていると、魔術の風らしきものが吹き始め、外気に晒されている実験場が温かさに包まれた。


 どうやら彼は、私の震えに気付いたらしい。


「……ありがとうございますの」


「勿論有料だぞ?」


「最低! 最低ですの!」

 

 ……名誉のために言っておくと――


 こんなやり取りをしているが、彼からお金を取られたことはない。


「ルンちゃん、ありがとう!」


 そんな場を物理的に温めた少年に、遠くから天真爛漫な声が届く。


 柔らかく波打つ髪が、美しいライトブラウンに輝く少女だ。


 真っ黒な瞳と同色のローブ。

 王宮魔術師の弟子であり、少年の姉。

 今回の主役である魔術師。


 クー姉である。


 彼女が実験室で『転移魔術』を発動して約1ヶ月。

 今日はいよいよ、完成した『転移魔術』をお披露目してくれるとのことなのだが――


「ところでルング?

 クー姉が今、実験場を歩き回ってい・・・・・・・・・・のは何故ですの?」


事前準備・・・・だな。

『自身がこの場所に居』あるいは『この場所を捉え』という事実を作っている・・・・・・・・んだ。

 場に存在する世界魔力が『姉さんがこの場に存在した』というのを、自然と記録している。

 その情報を下地として――」


 事前に事実を作る。

 世界魔力はそれを記録している。


 少年は懸命に言葉を尽くしてくれているが、私は未だその真意を掴めていない。


 ……どうして私は、分からないんですの?


「……リッチェン」


 ルングは私のそんな苦悩を察したのか、温かい言葉で語り始める。


「そんな難しい顔はしなくていい。


 分かるのなら、それは良い。

 だが分からなくても、良いんだ。


 魔術師おれ騎士きみは違う。

 価値観も、世界の見え方もな。


 それで良いんだ。

 それが良いんだ。


 違うからこそ、世界は複雑で楽しいんだ」


 少年の顔には常の無表情は無く、代わりに私を安心させるかの様な穏やかな笑みが浮かんでいる。


 ……まったくもって、ズルい人ですの。

 

 少年の言葉に顔の強張りがとれる。


 私の表情の変化にルングは頷くと、茶化す様に話を続ける。


「ほら、アンファング村付近の森にもあったろう?

 獣や、魔物のマーキングの跡が」


「……木を削ったり、臭いを付けたりみたいなアレですわよね?」


「そうだ。姉さんがやっているのは、アレと同じことだ。

 自分の移動場所や移動過程を、世界魔力に覚えさせマーキングしているんだ。


 その場所に『転移する』飛ぶためにな」


「……自分の縄張りを作っているってことですの?」


「そんなところだ。獣と同じ――」


「ちょっとルンちゃん、リっちゃん! 

 こんな可愛いお姉ちゃんを、野生動物みたいに扱うのはノーなんだよ!」


 クー姉は話を聞いていたのか、不満顔で抗議する。

 しかし、うろうろと実験場を歩く姿は、野生動物に見えなくもない。


「ふふふ」


 クー姉のそんな姿と、単純な自分に・・・・・・思わず笑う。


 未だ魔術を完全に理解できたわけではないのに。


 それでも、違ってていいとルングが言ってくれて。

 私にも分かる様にと、努力してくれていることが、嬉しかった。



「もう!」


 クー姉は口調だけは講義をしながら、私たちの元へとやって来る。


 しかしその顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

 なぜなら――


「準備完了!

 楽しい楽しい、実験の時間だよ!」


 これからが楽しい本番だからだ。


「ようやく本格的な実験だな。

 体調等は大丈夫か? 姉さん」


「万事問題なし!」


「魔力は?」


「絶好調だよ!」


「よし」


 確認を終えると、ルングは温風を止める。


「今回は魔術特性上『一部だけを転移』みたいなことはできないから、少しでも危険だと判断すれば止めるように」


「はい、了解です、ルンちゃん先生!」


「よし」


 いつも通りのやり取りだが、姉弟の間には緊張感が溢れている……気がする。


「……じゃあ、始めるか」


「……うん。ルンちゃんたちは、少し離れてて!」


 クー姉は実験場の中心に立つと、一度周囲を見回し、目を瞑る。


 ズシン


 同時にこの空間に存在する圧が、その密度を高める。


 ……おそらくこの見えない何かが――


 彼らの言うところの、世界魔力マヴェルなのだろう。


『転移魔術』を初めて成功させた時の圧力。

 それを超える力を感じる。


「それにしても……良かったんですの?」


「何が?」


 集中しているクー姉から少し離れ、ルングに尋ねる。


「何がじゃありませんわよ。

 ルングが『転移魔術』を発動しなくて、良かったんですの?

 いつも新魔術を開発したら、自分を最初に実験台にしますのに」


 ルングは、少しでも危険だと判断した実験は、自身で試すことが多い。

 

 早く魔術を発動させたいのか、他者が心配だからなのかは分からないが。

 そして今回の『転移魔術』は、2人の念の入りようから考えるに、トップクラスに危険な魔術のはずだ。


 それにも関わらず、クー姉が魔術の発動者なのが、少し意外だった。


 私の問いに、少年は珍しく苦々しそうな顔をする。


「……出来なかったんだ」


「え?」


俺には発動出来なかっ・・・・・・・・・・たんだ・・・


 少年の発言に、目を見開く。


「ルング貴方……出来ないことなんてあったんですの⁉」 


「そんなもの、いくらでもあるさ」


 彼は自嘲するように言って、続ける。


「だが、これは『出来ない』の中でも特別だ。


 理解していても・・・・・・・呑み込めないんだ・・・・・・・・


「……どういうことですの?」


 幼馴染の言いたいことが、全く伝わってこない。


「魔術の仕組みは、理解できているつもりだ。

 現象としてどんなことが起きているのかもな。


 だが、頭の中で――理性の部分で、こう認識してしまっている。

『そんな事が起きるのはおかしい』と。


 だって、変だろう?


『1度行った場所だから、過程を省略して・・・・・・・、目的地に着ける』だなんて発想は。


 リッチェン、君は普段騎士学校に通っているよな? 徒歩で」


 私の首肯を見て、少年は続ける。


「『騎士学校に徒歩で行き、到着した』。

 これは良いな?

 では次回から『徒歩通学』を――『通学するために移動する』という事象を省くことは可能か?」


「……無理ですわね。

『徒歩』という手段を変更することは、可能かもしれませんが『移動』そのものを省くのは不可能ですの。

 それをしてしまえば、そもそも学校に着かないでしょう?」


 ……何となくですが。


 まだ問答の途中だが、少しずつ彼の言いたいことが掴めてきた気がする。


「そうだ。それが常識だ。


『何らかの方法で移動』しなければ、目的地には辿り着かない。

 子どもでもわかる理屈のはずなんだよ。


 姉さんもそれは重々理解している。


 でも、姉さんは並行してこう考えたんだ。


常識それを世界魔力ならねじ伏せられる』と」


 少年はその視線を、私からクー姉に移す。

 その小さな背に向けられたのは、憧れの眼差しだろうか。


「……常識普通を、自身の理想魔術で塗りつぶす。


 普通を当然とせず、常に最善を目指し続ける。

 姉さんは、魔術師の鑑だよ。


 今回ばかりは姉さんに、完全に1本取られた。

 俺の中には無かった答えだ」


 ルングの声にあったのは、敗北感だ。

 少年にとって最も近しい魔術師。

 そして、最も並び立ちたい魔術師であるクー姉。

 

 そんな少女に後れを取った気持ちが、少年の声に現れているのだろう。

 しかし――

 

「……そういう割には、嬉しそうですわね・・・・・・・・


 声は――言葉は多少落ち込んでいても。

 少年の顔に浮かんでいるのは、不敵な笑みだ。


 私の言葉に少年は目を丸くすると、大きく笑う・・・・・


「ああ……嬉しいな。

 楽しいな。


 ようやく追い付けたと思っていたが、まだまだ姉さんは高みにいる。


 俺にはまだ出来ない。

 だが、いつかは必ず。

 絶対に追いついてみせる。


 ……魔術には、失敗も不可能もない。

 後退はないんだからな」


 少年のブラウンの瞳には、強い決意が灯っている。


 ……今日という日に、立ち合えて良かったですの。


 この幼馴染の――無表情な少年の、色々な顔が見られる日なんて貴重だ。

 

 ……それにまあ――悪くない顔をしていますし?


 まじまじとその顔を見詰めていると、ルングの目が見開かれる。


「リッチェン、見逃すなよ? 始まるぞ」


 彼の言葉に弾かれるように、クー姉へと視線を向ける。



 ……静寂の中に――


 少女は立っていた。


 屋外なのに、不思議なことに物音はしない。

 まるで世界が少女に注目するように、ピタリと全てのものが動きを止めている。


 限界まで満ちた力は、今にも破裂してしまいそうだ。


 そんなヒリヒリとした緊張感の中、少女は告げる。


「転移魔術――『世界は覚えているラヴェル』発動!」


「っ⁉」


 直後に、少女の存在が消失する。

 先程の沈黙が嘘の様に、外界からの音が届く。


 世界は少女の存在を忘れてしまったかのように、動き始めた。


「せ、成功したんですの? でも、クー姉はどちらに?」


 ルングに尋ねるが、返事はない。

 彼の意識が今、クー姉の魔術へと集中していることが分かる。


 ……どうしましょう? クー姉を探すために動いていいんですの? 


 ルングに確認を取ろうとした時に――


「やったね! 大成功!」


「きゃあぁぁぁぁぁぁ⁉」


 警戒の薄かった背後からの大声に、その場で崩れ落ちる。


「あれ? リっちゃん大丈夫?」


 そんな私を心配するように、少女――クー姉はこちらを覗き込む。


「って、大丈夫じゃありませんのよ⁉

 なんでわざわざ、こちらの背後に出現するんですの⁉」


「リっちゃん、驚かせようと思って」


「てへへ」と笑う少女に、隣のルングは告げる。


狙い通り・・・・驚かせたな。

 リッチェンが反撃に出なかったのは、予想外だったが」


 ……今の物言いだと――


「ルング?」


 まさかという思考を抱きながら、少年に尋ねる。


「まさかとは思いますが……貴方、クー姉がどこに出現するか知ってたわけじゃありませんわよね?」


 私の問いに、少年は悪びれることなく答える。


「勿論、知っていたぞ・・・・・・

 ただ予定していた座標より、1歩半ズレが生じていたな」


「このあたりは、まだまだ試行回数が必要だね!

 世界魔力をいじったからなのかな?」


「これが常に生まれる誤差なのか、発動環境にもよるのか検証も必要だな」


「じゃあさ――」


 ……ワナワナと震える私を差し置いて――


 少女と少年魔術師たちの会話は続いていく。


 ……何も成長が感じられませんの。


 背が伸びても。

 性格が(多少)落ち着いたように見えても。

 声が大人びたように聞こえても。

 魔術の難易度が上がっても。


 彼らはきっと、そのままの日常いつもを過ごして。

 そしてきっと、私もまたそこに巻き込まれるのだろう。


 ……嫌ではないですけども。


 けれど、言わねばならないことはある。

 幼馴染だからこそ、この常識知らずの姉弟を、私が矯正していかなければ。


「――リッチェン、どうした? 寒いのか?」


「あっ! 今度は私が温めてあげるね!」


「違いますわよ! もう、あなたたちときたら! もっと反省なさいな!」  


「む、リッチェンが怒った」


「ルンちゃん! 逃げるよ!」


「こら、待ちなさい! 大人しくお説教されなさいな!」


 こうして騎士は、逃げ出す魔術師姉弟を追いかけるために、立ち上がったのであった。

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