第163話 騎士の目でも追えなかった

「私は『転移魔術』を、ざっくり考えてたんだよ」


 資料が積まれた場所とは別区画――実験用スペースで、魔術師の少女ことクー姉は、話の続きを語り始める。


「ざっくり?」


 首を傾げた弟――ルングに、少女は「うん」と頷く。


「『転移魔術』と『魔術化魔術』の移動を、似たようなものって考えちゃってて!

 ほら、アレって一瞬で移動するじゃない?」


 クー姉はそう告げると、流れるように魔術を発動する。


 秋も終わりの実験室。

 日暮れも近く、少し薄暗い室内を、小型の鳥が照らし出した・・・・・・


 繊細にして精緻。


 本物と勘違いしてもおかしくない程、細部の造型デザインに趣向が凝らされた鳥だ。

 生命力に溢れた、艶々と輝く翼。

 鋭く尖った嘴。

 力強い羽ばたき。


 その鳥はしかし普通の鳥とは異なり、炎の如く燃え盛っていた。


 鳥は羽ばたきの勢いのままに、クー姉の細身の肩に止まる。


 時折チロチロと火の粉は散るが、少女に熱がる様子はない。

 ひょっとすると、散っている火の粉の1片1片すら、彼女の制御下にあるのかもしれない。


「『我が雷は共にありてファーリッシ』」


 少女から言葉が紡がれた途端、火の鳥は肩から少し浮き上がり――


 バチバチバチッ!


 雷へと変換される。


 翼も嘴も、飛び上がった際に生じた火の粉すらも。

 等し並に雷へと変化し、先程よりも不安定な、しかし鮮烈な輝きが室内で明滅する。


『雷化魔術』。

「雷鳴聖女」マイーナ様が思い付き、魔術師の姉弟と協力して完成させた『魔術化魔術』だ。


「何度見ても、凄い音と光ですわね……。

 というか人だけでなく、魔術も雷に変えられるのですのね?」


「むしろ人体――質量体よりも、魔力から生じた魔術の方が『魔術化』しやすいぞ」


 そんなやり取りをする私とルングに、クー姉が声をかける。


「2人共、ここからは目を離さないでね?

 行くよ――『雷は目指すヴィーリナー』!」


 変換された鳥は少女の声を合図に、バチンという音を残して、室内を飛び始めた。


 直線的な動きだ。

 音をも超える雷速で鳥は直進し、室内の端で一瞬動きを止める。

 慣性を感じさせない挙動で鳥は即座にそこから折り返し、再びクー姉の元に帰ってくる。


 時間にすると数秒程度。

 クー姉と教室の端を、雷鳥・・は往復する。


 そこまで大きなエネルギー量は感じない。

 しかし、その飛行速度と旋回角度は脅威的だ。


 ……剣で捉えられるでしょうか?


 自身の剣の振りを、鳥の軌道に合わせられるか。

 直進するだけなら、いずれ捉えられそうな気もするが……。


 そんなことを考えていると、クー姉の視線がこちらに向けられていることに気が付く。

 少女は目が合うと「くすり」と笑い、人差し指だけ拳から軽く突き出す。


 そこに――


 パチン!


『雷化』を解除した火の鳥が、何事も無かったかのように止まった。


「では問題です! リっちゃん君、この子は何往復したでしょう?」


「丁度10回ですわね。

 ほんの少し、起動を変化させてましたが、直線軌道で行き来していましたの」


 私の言葉に、クー姉はヨヨヨと白々しく崩れ落ちる。


「ううぅぅぅ……またリっちゃんの動体視力に負けたあぁぁ」


「言ってる場合か」


 ルングの言葉に少女は「こほん」と咳払いをすると、再び語り始める。


「じゃあ、ルンちゃん!

 リっちゃんは肉眼で見えてるみたいだけど、魔術の苦手な普通の人・・・・・・・・・・は、今のがどう見えてたと思う?」


「……姉さんの手前で消えて、次に折り返し地点――実験室の端に現れてすぐ消えてを、繰り返しているように見えたんじゃないか?」


「リっちゃんにもそう見えるように・・・・・・・・、魔術で再現できる?」


 少女のいたずらっ子の様な微笑みにも、少年は淡々と告げる。


「……多分な。こんな感じだろう?」


 少年が言うや否や――


 クー姉の胸先に、先程とよく似た雷鳥が出現する。

 しかし――


「えっ⁉」


 少年の見せた光景に、戸惑いの声を上げる。

 何故なら、出現したはずの鳥が・・・・・・・・・その存在を完全に消失・・・・・・・・・・させた・・・からだ。


 けれど――


 バチンッ!


「⁉」


 音を頼りに、電撃スパークの弾けた場所――先程折り返し地点となっていた、実験室の端に目を遣るとそこには――


「いつの間に……?」


 消えたはずの雷鳥が出・・・・・・・・・・現していた・・・・・

 

 ……軌道が全く見えませんでしたの。


 絶句していると、鳥がその姿を再び消す。

 次の瞬間――


 バチンッ!


「何が起きてますの?」


 教室の端で消えたはず・・・・・・・・・・の雷鳥が・・・・クー姉の胸先に出現し・・・・・・・・・・ていた・・・


 敗北感が胸を満たす。


 先程まで鮮明に見えていたはずの鳥の移動が、全く見えなくなっていた。


 見えたのは3回。


 少女の胸先に最初に出現した時。

 教室の端で制止した時。

 そして、最後に少女の胸先に再出現した時のみだ。


「今の……移動させましたの? 全く軌道が見えませんでしたが」


 ……悔しいですの。


 そんな気持ちを知ってか知らずか、少年は滔々と答える。


「いや、飛ばしていない・・・・・・・

 常人ならこう見えるというのを、再現しただけだ。


 端的に言えば、魔術を・・・3回発動させた・・・・・・んだ。


 最初は姉さんの前に。

 それを解除すると同時に・・・・・・・・教室の端に・・・・・

 同様に解除に合わせて、再び姉さんの元に。


 魔術を移動させたんじゃない。

 移動したように見せた・・・だけだ」


「そうだったんですのね……」


 種が分かって、ほっと胸を撫でおろす。

 クー姉は私を騙しきった弟の魔術に、拍手を送る。


「うん、完璧だよ!

 これなら視力お化けのリっちゃんにも、常人の気持ちが分かるね!」


「あの……クー姉? 私も常人なんで――」


 ポン


 私の言葉を遮る様に、肩に手が置かれる。

 幼馴染の少年の手だ。


「リッチェン、諦めろ。君は変人だ」


「あなた方にだけは、言われる筋合いはありませんわ!」


 ……魔術にのめり込んだら、日常生活すらままならないくせに!


「まあまあ」と、何故か発端となったはずのクー姉が場を収める。


「リっちゃんは鳥の動きそのものを目で追えちゃってたけど、リっちゃん程の動体視力が無ければ、ルンちゃんがやったみたいに見えるはずなんだよ。


 でも魔術師私たちには、鳥の軌道がこう・・見えるの」


 少女の言葉と同時に、空中にバチバチと電撃の弾ける音・・・・・・・と共に、赤線・・が出現する。


 雷を纏った炎の線。


 そんな不可思議な存在が、少女の胸先・・から走り始めると、10度程折り返し・・・・・・少女の手元へと帰る・・・・・・・・・


 ……これって、クー姉の鳥の軌跡ですわよね。


 10往復したことといい、直線軌道といい。


『雷化魔術』を使用し、雷速で飛翔した鳥の描いた軌跡を、この線は表現しているのだ。


「魔術師には、魔術の軌跡がこう見えているってことですの?」


 私の問いに、少年は考えながら答える。


「正確には少し違うが……まあ、似たようなものが見えるな。

 飛び終わった後も、一定時間は見え続けている」


 ……そういえば――


「ザンフ様の作物を探した時も、そうでしたわね。

 尾行任務の時とか、便利そうですの」


「実際便利だよ! ルンちゃんが何してたとかもわかるし!」


「……姉さん、俺のことをいつも見張ってたりしないだろうな?」


 冷や汗を流すルング相手に、クー姉は笑顔を浮かべて、空中の線を消す。


「私のイメージする転移は、この魔力の軌跡すらない移動なの。

 そういう意味では、ルンちゃんが見せた魔術てじなに近いかな?」


「だがアレは、魔術だから多少離れた場所に発動できただけで、移動なんてできないぞ?」


「そうだね。

 でも、私が今回『転移魔術』に求めているのは、それなんだよ」


 この言葉を境に、クー姉の気配が膨れ上がる。

 先程とは全く異なる存在感。


 いつの間にか火の鳥が、少女の胸先に出現していた。


 ……違いますの・・・・・


 この圧倒的な気配は、火の鳥から生じたもの・・・・・・・・・・ではない・・・・


想像イメージするのは、始点と終点の座標変化。

 それは『雷化魔術』も『光化魔術』も変わりない」


 ぶるっ


 少女の呟きに、自然と身が震える。


 冬の寒さからくるものではない。


 クー姉の身振り。

 少女の言葉。

 魔術師の吐息。


 彼女が動き、言葉を紡ぎ、熱い吐息を零すたびに、場の何か・・・・――この空間に存在する巨大な何かが蠢く。

 

 ……怖い。


 私を害そうという気は、おおよそ感じられない。

 それなのに、クー姉が――稀代の魔術師が制御しようとしている力が、絶望的な存在感のみで私の身をすくませている。


「さあ……リっちゃん。もう1回勝負だよ。

 この鳥から、絶対に目を逸らさないでね」


 クー姉のその言葉に、臨戦態勢を取らされる。

 しかし少女の意識は、私に向いていない。


 研究者特有の、好奇心に輝く瞳は……自身の鳥へと向けられている。


 ……恐るべき集中力。


 魔術師の意識は既に研究対象に向き、場に静寂が落ちる。

 空気は張り詰め、緊張感は高まり、主導権を握る少女の合図を待つ。


「……これが今回の研究で見つけた、転移魔術の1つの答え。

 ルンちゃんとの研究と、リっちゃんの機転・・・・・・・・のおかげで、辿り着いた答え」


 ……私⁉


 名指しされたが、特別なことをした覚えはない。

 オロオロと周囲を見回すが、少女は私に微笑み、少年は室内全ての挙動をつぶさに観察している。


「本当に感謝するよ、リっちゃん! 『世界は覚えているラヴェル』!」


 クー姉の呼び掛けが世界へと響いた直後――


「えっ⁉」


 ……消えた⁉


 見逃さないようにしていたはずの火の鳥が、音もなくその姿を消したのだ。


「ど、どこに行ったんですの⁉」


「リッチェン、そこだ」


 周囲を探す私の視線を、ルングが細い指で導く。


 差されたのは、鳥が往復した折り返し地点。

 教室の端だ。


 そこでは、火の鳥が大きく羽ばたき、その火の粉を所狭しと散らしていた。


「み、見えなかったですの……」


 呆然としていた私を嘲笑うように――


「『世界は覚えているラヴェル』!」

 

 再び火の鳥が消える。


「なっ⁉」


「ふっふっふ!」


 朗らかな含み笑い。

 勝ち誇った声色の魔術師に、視線を再度向けると――


 クー姉の人差し指。

 そこには火の鳥が、優雅に止まっていたのであった。 

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