第159話 騎士は魔術師たちに呆れている

「リッチェン……ありがとう。今回ばかりは助かったぞ」


「ありがとリっちゃん! ビックリしたねえ!

 本気で死ぬかと思ったよ! 危なかったあ!」


「今回ばかりと言いますが、毎度のこと! 毎度のことですのよ!

 あなた方の脳内に、反省という言葉はないんですの?

 どうして、寝食を忘れて研究に没頭できますの!」


 モグモグ


 茶髪黒目と黒髪茶目。

 対称的な色合いながら、顔立ちのよく似た少女と少年が私の目前に座っている。


 王宮魔術師レーリン様からプレゼントされたお揃いの黒ローブは、2人の幼さを覆い隠し、外見だけは「落ち着いた魔術師」という様相を取り繕っていた。


 ……非常に気に食わないですの。


 何が気に食わないって、彼らの食事風景が少し上品に見えることだ。

 優雅な手つきで食事をするその姿は、貴族と言われても通用するかもしれない。


 ……先程まで資料に埋もれて死にかけていたとは、とても思えませんの。



 動けなかった姉弟をどうにか保護し、資料に溢れた室内で甲斐甲斐しくお世話をすること約1時間。


 つい先程まで2人のその小さな口に、無理矢理ヴァイ粥を流し込んでいた甲斐もあってか、無事自力で食事をとれるくらいにまで、彼らは回復していた。


 真っ青だった姉弟の顔には今、すっかり赤みが差している。


「決して寝食を忘れているわけではないぞ」


 黒髪の少年――ルングは無表情のまま、口元に匙を運ぶ。


 感情の見えない口調は、淡々と事実のみを述べているように聞こえるが――


 ……しかし私はよく分かっている。


 この間の取り方。

 呼吸の仕方。

 声色と視線。


 間違いなくこの少年は今から――ろくでもないことを言うつもりだ。


「睡眠に関しては、ちゃんと取っているぞ。

 人間とは凄いな。自動睡眠機能・・・・・・が付いているのだから」


「予想通りアホなことを言い出しましたわ⁉

 人はそれを、気絶と言うんですの!

 それを睡眠と言うのは、おかしいでしょうに!」


 私の至極尤もなはずの指摘に、少年は「睡眠を取るという結果は同じなのでは?」と、彼の姉に視線を向ける。


「もう、ルンちゃん……リっちゃんは真面目なんだから、揶揄っちゃ駄目だよ?」


「クー姉……話が通じる人がいて、良かったですわ!」


 いつもは少年と同じ位、常識や良識を凌駕する少女――クー姉も、今回ばかりは私に賛成してくれる様だ。


 少女は「うんうん」と頷いて続ける。


「だからお姉ちゃんは言ったでしょう? 仮眠は取るべきだって・・・・・・・・・・


 普通だ。

 クー姉にしては平々凡々のまともな意見。

 

 ……そのはずなのに、どうしてですの?


 長年の勘が、ルングと同様に彼女の発言の胡散臭さも感じ取っている。


「ちなみに……クー姉?

 その仮眠とやらの時間を教えていただいても?」


 少女は笑顔で左手を広げ、同時に右手の人差し指を立てる。


 5と1。

 合わせると6だ。


「ああ、良かった。ちゃんと寝ていましたのね。

 しかし睡眠時間6時間は、子どもには足りないと思いますの。

 加えてそれは仮眠ではなく、睡眠と言うべきでは――」


「60分!」


「1時間と言いなさいな!」


 ……そんなんだから、倒れるんですのよ!


 そんな私の心中を知ってか知らずか、少女はあっけらかんと笑う。


「これでも増やした方なんだけどね……。

 あっ、そうだ! ルンちゃん!

 次からは、私たちの必須睡眠時間の検証もしようよ!


 1日の研究の進捗度から、最大パフォーマンスを発揮するのに必要な睡眠時間を割り出すのとか、面白そうじゃない?」


「興味はあるが……個体差――個人差があって難しいんじゃないか?

 研究状況の進捗も、段階によって難易度が違うだろうし。

 そもそもそれは、魔術実験ではないだろう?」


「別に魔術の実験じゃなくても良いんだよ!

 知りたいことを追求する権利は、誰にだってあるの!

 

 それにこの研究に関しては、睡眠の個体差を気にしなくて良いんじゃない?

 それこそ論文として発表するわけでもないし、私たちのだけ明らかにできればいいんだから」


「ああ……それもそうだな。

 別に一般化する必要はないものな」


 姉弟の会話を聞いている限り「倒れないように研究を控える」という選択肢は、徹頭徹尾存在しないらしい。

 むしろその睡眠時間すら、彼らの研究対象となる様だ。


 ……まあ、いいですの。


 この2人を止められないことは昔から――それこそ彼らと出会った時から、分かっていたことだ。


「それで……今回はどんな魔術を研究しているんですの?

 『雷化魔術』マイーナ様との研究の時も、似たような状態に陥っていましたけど」


 この2人が研究に没頭している場合、大抵難度の高い魔術――あるいは新魔術の開発をしていることが多いと、彼らの師である王宮魔術師レーリン様から、聞いたことがある。


『雷化魔術』の研究の際にも、一時期その状態に陥っていた。


 それどころか、その没頭状態を2ヶ月近く・・・・ 継続していたことを考えると、あの研究の難易度は彼らの人生の中でも――まあ、クー姉の魔術学校での研究は知らないのも多いのだが――相当上位に位置するはずだ。


 ……しかし、そんな『雷化魔術』の研究でも――


 開始時点から没頭して・・・・・・・・・・いたわけではない・・・・・・・・


 ルングとマイーナ様が2人きり(私的には不本意である)で研究していた時は、そんなことはなかったらしい。

 実際その時期のルングは、まだちゃんと帰宅していたし、私との組手もしていたはずだ。


 没頭状態に入ったのは、私たちも参戦し、研究が大詰めになってから。


『雷化魔術』の開発を終え、派生した『光化魔術』を開発するまでの間、彼らの没頭――過集中状態は継続していたのである。


 故に実験期間約7ヶ月の内の終盤2ヶ月が没頭状態。

 割合的には、半分にも満たない。 


 ……しかし今回の実験では――


 姉弟は既に、その状態に入っている。

 研究期間から推察するに、まだ研究段階としては入口に過ぎないはずだ。

 それにも関わらず、既に彼らは圧倒的な集中力を駆使し、研究を進めているのだ。


 ……それはつまり。


 今回研究している魔術が、前回以上に難度が高いことを意味するのではないだろうか。


 ……無茶するのはいつものことですが。


 それでも、心配なものは心配なのである。


「今回の研究だが――」とルングは許可を求める様に、茶の瞳をクー姉に向ける。


 クー姉はそれを見て頷くと、私の問いには答えずに話し出す。


「今回の研究は、私が昔からしたかった研究なんだよ!

 前回は私がルンちゃんたちの研究を手伝ったから、今回はルンちゃんに手伝ってもらおうと思ったの」


 ……なるほど。


 クー姉はどうやら、ルングとマイーナ様の共同研究への参加を交換条件として、ルングに自身の研究の手伝いを申し出たらしい。


 このあたりの貸し借りの感覚は、姉弟の仲の良さを考えると意外にドライだ。


 ……ちなみにかく言う私も、実験参加分の給料を貰っていたりする。


「それで……今回はね。

 ある魔術・・・・の開発を、一緒にする予定なんだよ」


 いつもと同じ口調。

 いつもと同じ身振り手振り。


 柔らかく、太陽の様に温かい少女の笑顔は、しかし何故だろう。


 どこか寂しそうに感じる。


「えっと……そのある魔術について、私は聞いても良いんですの?」


 不思議な雰囲気を漂わせているクー姉に、答えるのを断られるかとも思ったが、予想に反して少女はコクリと首肯する。


 一瞬の間。

 刹那の静寂。


 少女は目を閉じると、何か・・決意を固めたかのようにゆっくりと開ける。


「私のずっと研究したかった魔術。

 ルンちゃんたちとの共同研究で、目途が立ちそうだと判断した魔術。

 それは――『転移魔術・・・・』だよ」


 少女の真剣な声色は、私の鼓膜を重く震わせたのであった。

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