第154話 聖女の気持ち

 ……ああ、聞いてしまった。


 ピタリと動きを止めた魔術師2人の姿を見て「しまった」と思う。


 この共同研究が始まって数ヶ月。

 姉弟やリッチェンさんと共に研究を進める中で、私にはとある感情・・・・・が芽生えたのだ。


 ……それは協力する楽しさ。


 議論し、学び合い、時にぶつかりながら研究するのは、楽しい。

 そういう不要で――無用な感情が芽生えたのである。


 私にも決して多くはないが、友人くらいはいる。


 しかし、魔術属性――あるいは特性の都合上、共同研究をする機会には恵まれなかった。


 私にとっての研究とは、常に1人で粛々と行うもの。

 淡々と向き合うもの。


 そういうものでしかなく、そこに感情を抱く余地はなかった。


 上手くいけば純粋に利益が得られ、いかなければ徒労に終わる。

 魔術研究とは、たったそれだけのものに過ぎなかったのだ。


 暗中模索。

 孤独の中、淡白に進むその時間はモノクロで、しかしある意味それは気楽な・・・・・・・・・・日々でもあったのだ・・・・・・・・・


 なにせ――


 ……失敗しても、特に問題はないのだから。


 その責任は、私にしかないのだから。


 しかしそんな日々は、私がルングを尋ねたことですっかり過去のものとなった。




 ……最初はお試しのつもりだった。


 軽い気持ちだったと言っても良い。

ダナッツ』の研究で行き詰まり、藁にも縋る思いで、妹たちから優秀と聞いていたルングを尋ねてみただけ。


 しかし、お試しだったはずのルングとの研究の日々は、楽しくて仕方なかった。


 少年は、雷属性魔術を教えれば教えるだけ全て吸収し、上達していく。


 私の考える通りに。

 あるいは私の想像をはるかに超えて。

 少年自身の好奇心を原動力に、魔術を次々と自身のモノにしていく。


 そんな才能ある魔術師との研究が、面白くないわけがない。


 そしてそれは彼の姉のクーグさんや、騎士のリッチェンさんが参加しても変わらなかった。


 しかし私は、楽しくも難しい共同研究の中で、ふと考えてしまったのだ。


 ……もし。


 もしも、これだけの才能を持つ人たちに協力を仰いでおいて、何も成果が得られなかったらどうしよう。


 才ある彼らの時間の価値は高い。

 彼らの1時間は金銀財宝に匹敵するだろう。


 そんな才ある者の時間を、湯水の様に消費して、それでも何も得られなかったら。


 私たちのこれまで過ごした輝く日々が、無駄に――無意味に終わってしまったら。


 その可能性は、十分あり得る。

 そもそも行き詰っていたからこそ、私はルングに協力を求めたのだから。


 そんな可能性が頭に過ぎった時、怖くなったのだ。

 実験が進む程に、成果が得られなかった時のことを恐れるようになったのだ。




 私の初めて経験する感情おそれ

 その吐露に姉弟はどちらも動きを止め、美しい瞳をこちらに向けている。


 彼らのその期待に輝く瞳が、失望の色に染まるのが、怖くて仕方なかった。


 ……胸が痛い。


 静寂の中、私の胸は緊張のあまりその拍動を速めている。


 そんな私を見て――


「もう、マナちゃんたら、何言ってるの?」


 クーグさんは、春の日差しの様に温かい微笑みを浮かべ、


 ポンポン


 彼女の細く綺麗な手が、私の肩を軽く叩く。


 ローブ越しでも、その手の優しさと柔らかさが伝わる。


「魔術研究で結果が出ないことなんて、よくあることなんだから。

 怖がる必要はないんだよ? ねえ、ルンちゃん?」


「そうだな。

 俺たちだって何年も前に始めて、未だに終えていない研究は沢山あるもんな」


 姉とは対照的にどこまでも無表情の少年も、少女の言葉に同意する。


「仮に結果が出ないのならば、また別方向に研究を進めればいいだけだからな。

 それは今までと、なんら変わらない。


 ……だから、先輩がそれを恐れる必要はありませんよ」


「大体――」と平坦な言葉は滔々と続く。


「今回の共同研究は成功すると、俺たちは確信しています」


「……何故確信できるのですか?」


 少年の根拠のない言葉に、思わず尋ねる。


 ……クーグさんが今言ったばかりではないか。


「魔術研究で結果が出ない」なんて、よくあることだと。

 地道に研究は進んでいるとはいえ、未だ『ダナッツ』の魔術化まで関門も多い。


 それなのに、どうして彼らはそんな確信できるのだろうか。


 少年はさらりと言い放つ。


「だって……マナ先輩が『できる』と思ったことですから」


「えっ……?」


 戸惑う私に少年魔術師は続ける。


「魔術師は、自身の想像力や直感に縛られる生き物です。

 優秀な魔術師であれば・・・・・・・・・・ある程・・・思い通りにそうなります。

 だからこそ・・・・・、マナ先輩が俺に――俺たちにこの共同研究を申し出て、『可能性がある』と考えた段階で、もう勝ったも同然なんですよ。


 だって貴女は優秀な魔術師ですから。

 結果がわかっているのなら、後はその道筋を探し当てるだけです」


「楽ですね」と、少年は全然楽そうではない表情で告げる。


 そんな弟の言葉を受けて、姉もまた続く。


「私の場合は、もっと簡単に決断できたけどね! 

 だって、マナちゃんとルンちゃんが研究してる――『できる』って思ってるんだから!」


 純粋な信頼。

 無垢の信仰。


 2人の言葉には1点の曇りもなく、窓から差す光は彼らの背後で輝き、まるで後光が差しているかのようだ。


 そして――


「あれっ⁉ マナちゃん、大丈夫⁉」


 彼らから向けられた絶大の信頼に。

 その温かさに。


 一筋の涙が、思わず頬を伝う。


 共同研究の仲間たち。

 才気煥発の魔術師たち。


 そんな彼らに認められたということが嬉しくて。

 飛び跳ねたくなるくらい、幸せで。


 胸が一杯になる。


「どこか痛い? 治癒魔術かける?」


「いえ……大丈夫です」


「……もし、マナ先輩が『成果が出ないこと』が心配なら、個人的にオススメの考え方がありますよ」


 私の涙を見て、少しズレた解釈をしている2人に、ほんの少し頬が緩む。


 それを見て、私を心配していた少女は胸を撫でおろし、少年は目を細める。


 パシャリ


 どこからともなく稼働する魔道具の音と、温かい空気が場に満ちる中、少年に言葉の続きを促す。


「ルング、それでオススメの考え方とは、どんな考え方ですか?」


「……単純ですよ。

 俺たちの様な優秀な魔術師が3人で取り組んで、結果が出なかったのなら、それはつまり俺たち以外に原因があるのです。

 要は――」


 少年は勿体ぶるように、たっぷり間を置く。


「俺たち3人ではなく、リッチェンに原因があると――」


「何てこと言ってくれてるんですの⁉」


 少年の言葉に、いつの間にか入室していた騎士の少女の叫びツッコミが響く。


「ちょっとルング⁉

 全ての責任を私に押し付けるって、どういうつもりですの⁉」


「どうもこうも、頼りになるのはリッチェンだけってことだ。

 誇りに思うと良い」


「ああ、そうなんですの?

 それは仕方ありませんわね……ってなると思ってますの⁉」


「リっちゃんなら、なる可能性は十分あるよ! 頑張ろう!」


「それを頑張るって、おかしいですわよね⁉ 意味わかりませんものね!

 その結果、私に責任の所在があることになるのはおかしいでしょう⁉」


 姉弟の攻撃を処理していく少女の手には、4人分の食事を乗せたトレー。


 実験協力の出番がない時、騎士の少女は甲斐甲斐しく姉弟の――今回の共同研究中は私もだが――面倒を見てくれていた。

 どうやら今日は、ご飯を持ってきたらしい。


 ぐうぅぅぅぅ


 トレーから漂う香ばしい匂いに、誰からともなく私たちのお腹の虫が鳴き、実験室には笑顔が溢れる。


「……まったく、仕方ありませんわね。

 とりあえず、ご飯の時間と致しましょう。

 ルング! お茶を入れるのを手伝ってくださいな」


「了解した。姉さんとマナ先輩は、机の準備をお願いします」


「ふふふふふ! 私のお掃除魔術を見せちゃう時が来たね!

 マナちゃんは椅子の準備をよろしく!」


「わかりました。心を込めて椅子を準備します」


「……心を込めた椅子の準備って、一体何なんですの?」


 ワイワイと。

 ガヤガヤと。


 私たちの食事の準備は、着々と進んでいく。


 そうして皆で食事の席に着く頃には――すっかり恐怖の気持ちは無くなっていたのであった。

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