第153話 聖女は魔術師の姉弟に問う
「ルング……
窓から入る日差しが、
それだけなら、殊更特別なことはない。
光が内部を通り抜ける氷も存在するからだ。
しかし私は今、その一般的に十分起き得る現象に、目を見張る。
私が注目していたのは、氷ではなく床だ。
透過した光の映る床。
そこが、ゆらゆらと揺らめいていたのだ。
それは今、ルングの膨大な魔力と無詠唱魔術によって、その型を世界に残しつつ、内包する物質を固体から液体――透明度の高い水へとその存在を、変化させているのである。
「触れても問題ないとは思いますが……少し待ってもらっていいですか?」
私の首肯と同時に、少年の指が輝く。
特殊属性――魔力のみを用いた、身体強化魔術。
リッチェンさんが無意識の中発動するそれで、少年は自身の指を強化すると――
ポチョ
ゆっくりと
細い少年の指を中心に、大きく広がる波紋。
彼の指をきっかけに生じた波は、氷――
「……大丈夫そうです。どうぞ、マナ先輩」
入れた時と同様に、ゆっくりとルングは自身の魔術から指を抜くと、私に手で促す。
おそるおそる表面をなぞる様に、私はその水塊にゆっくりと触れる。
……やはり水だ。
冬の寒さを象徴するかのように冷え切っていた氷は、ほんの少し暖かい水へと変化を遂げていた。
その表面は柔らかい膜に包まれている様な弾力を持っている。
不思議な感触だ。
表面を浅く撫でると、水はプルンと揺れる。
しかし、少しでも深く触れようとすると、手はその膜を突き抜け、水に濡れる。
……面白い。
そして先程のルングの言を総合するに、
手で水塊を弄びながら、ルングに尋ねる。
「『魔力で満たして、その魔力を氷ごと水に変換する』。
この魔術は、私の『
貴方はこの現象を応用して、『
少年は感心した様にコクリと頷くと「あっ」と声を上げる。
「マナ先輩。そろそろ解除しようと思うので、念の為水から手を放してください」
ルングの言葉に水から手を離すと――
ピキッ
弾力のあった水塊は、元の氷塊へとその姿を戻した。
「この戻す時に触れっぱなしにしていたら、どうなるのかも気になるな……。
あっ、すみません。話の途中でしたね。
……そうです。これは先輩の『
先輩には、このやり方で『物質を雷に変化させる』ことから
ちなみに俺が雷ではなく水属性でしているのは、得意属性で扱い易いからです。
いきなり雷属性から始めると、俺の技量では危険だと思ったので」
少年はそう言うと、これまで黙りこくっているクーグさん――少年の姉に視線を向ける。
「姉さんも、今は俺と同様に得意な属性でやってますよ」
その視線の先に居る少女に、私が目を遣ると同時に――
轟っ!
私たちの居る区画の気温が一気に上がる。
原因は炎だ。
燃え盛る炎が部屋全体に顕現したのである。
しかしその炎は、刹那の間でその規模を縮小し、背を向けた少女の元へと収束していく。
固唾を飲んで、背を向けたクーグさんに近付くと、少女の目前に奇妙なモノが出現していることに気が付いた。
あべこべな響きをもつ
矛盾を孕んでいるとしか思えない存在が、見事に顕現していたのだ。
ルングの時は、透過した光の揺れでようやく気付けるような代物だったが、今回は明らかに違う。
その
まるで自身の存在を、強調しているかのようだ。
「ふふふ……遂に私も完成したよ!
どう? ルンちゃん、マナちゃん! 私を褒めてくれて良いんだよ!」
クーグさんはようやくこちらに顔を向けると、嬉しそうに口を開く。
可愛らしい面立ちに、可憐な雰囲気。
しかしそんな少女の目前に存在する炎氷からは、ルングの時以上の魔力を感じる。
どうやら彼女はその暴力的な魔力量を以て、強引に氷を
「いや姉さん、無駄が多過ぎるだろう。
なんだ、最初に顕現した炎の量は。
どれだけ魔力を込めたら、あんな現象を起こせるんだ」
少年の淡々とした口調は、どこか呆れのニュアンスを秘めている。
クーグさんも、それを敏感に感じ取った様だ。
気まずい様子で、実の弟から目を逸らす。
「うう……し、仕方ないじゃない?
素の魔力を操るのは問題ないけど、それを物質に送った上に、魔術に変換するなんて、やったことないんだから!
最初から魔力量を、ぴったり調整できているルンちゃんの方が、変なんだよ!」
……だから私は悪くない。
少女はそう言いたげな様子で、胸を張って言葉を続ける。
「それに、これ難しくない?
少し出力を緩めようとしたら、直ぐに氷に戻ろうとするんだけど」
「確かに難しいが、姉さんがそこまで手間取るような魔術では……」
少年はそう返すと、揺れる炎氷を詳しく観察し始める。
「揺れはあるが、通常の炎の範囲内。
色合いも特に異常なし。
熱量は極めて高温。
……でも確かに。
姉さんの魔力は、珍しく難しそうにしているな」
「でしょう? だからもうそろそろ解除しても良いかな⁉」
「もう少し解析させてくれ。
お姉さんなんだから、もう少し耐えるように」
「うう、その台詞は姉の弟自身が言っていいものじゃないと思うよ……」
弟の無情な指示に、姉はしくしく泣き真似をしながらも、魔術を維持し続ける。
「……もしかして、素材と魔術の関係性か?」
少年は端的に呟くと、我慢している姉に自身の考察を述べる。
「ひょっとするとこの魔術は『素材の種類』と『変換する物質や現象』の
俺は氷から水への変化で、扱っている素材がほぼ同じだから、それ程の辛さはなかったが。
姉さんの場合は氷から火。
そんなことをルングは呟きながらも、しげしげとクーグさんの魔術を眺めつづけている。
炎と氷。
熱と
ある意味対極に位置するものへと変換したことで、難易度が極端に跳ね上がった結果が今、クーグさんを苛んでいるらしい。
「な……なるほど。そういうことだったんだねえ!
それで、もう限界なんだけど⁉ 解除していい⁉」
「いいぞ」
「やったあ!」
少年の許可に少女は力強く頷くと、魔術を瞬時に解く。
戻った氷は高まった難易度故なのか、炎の熱にあてられたのか、一部が融けてしまっていた。
「……となると、いきなり人で試すわけにはいかないね!
この魔術に対して、相性がいいかもわからないし!
色々な素材での実験が必要かな!」
新たな発見と、それによって生じた壁。
少し
クーグさん――少女の黒の瞳と言葉には希望が満ち溢れ。
ルング――少年の声色からは、好奇心が漏れ出ている。
冬の木漏れ日なんかよりも、ずっと激しく輝く姉弟。
私はそんな才気溢れる魔術師たちの姿を見て――
浅くなる呼吸。
喉はきゅっと狭まり、鼓動は全力疾走をした時の様に焦り出す。
……ただしその恐怖は――
私が本当に恐れているのは――
「ルング、クーグさん」
私の呼びかけに、姉弟が同時にこちらを向く。
顔立ちも仕草も魔力もそっくりの、仲良し姉弟。
ライトブラウンと漆黒の明暗対照的な2対の瞳は、用意された氷以上にどこまでも透き通っている。
「2人共、怖くはないのですか?」
「?」
私の問いに首を傾げる2人の魔術師に、更に細かく言葉を重ねる。
「
そんな私の言葉に、先程まで騒がしかった姉弟は嘘の様に静まり返ったのであった。
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