第152話 聖女は実験室を訪れた。
聖女マイーナ先輩の
弾ける雷光。
轟く雷鳴。
先輩が雷を纏ったみたいだと、それを見た時に思ったものだが――
その理解は、未だ浅かったらしい。
聖女は「雷を纏った」のではなく。
実際に、雷そのものへとその存在を変えていたのだ。
気付いてみれば、単純なことだった。
本気のツーカを発動した時に、彼女が白く輝くのも。
バチバチと時折
尖った場所――聖女により近い位置に、彼女の着地点が誘導されたのも。
マナ先輩自身が、雷へと変化していたからだったのだ。
姉と俺はそれに気付かず、聖女のツーカを速度、音、光と要素ごとに分類し、その1要素である速度のみを再現しようとしていた。
その方が、手早く簡単に魔術化できると考えたからだ。
彼女がツーカを発動した際に生じる轟音と眩い閃光。
そこから感じる膨大なエネルギーに、俺たちはこう考えたのだ。
「音と光は省いた方が、魔力効率が良くなるだろう」と。
その判断を基に速度のみを俎上にあげ、再現しようとしていた。
しかしそれらはあくまで雷が、空間内に存在することで生まれた副産物に過ぎなかったのだ。
……人が雷そのものに転じるなど。
考えてすらいなかったのだ。
……面白い。
最高だ。
前世でも見たことのない現象に、俺の心は好奇心と歓喜に満たされる。
まだまだこの世界について俺――俺たちの知らないことは多い。
恐らくこの先も、俺の常識を覆す様な出来事が、いくらでも起こるに違いない。
……楽しみだ。
「あの……ルング、
そんなことを考えながら実験をしていると、件の聖女――マナ先輩から声をかけられる。
聖女のツーカの正体が発覚してからというもの、俺たちの実験生活は輪をかけて忙しくなった。
窓の外では雪の見える日も多くなり、今日の空もまた冬の到来を知らせている。
「何をって……マナ先輩のツーカを魔術に落とし込むための実験ですよ」
聖女のツーカの分析を終えた以上、後はそれを魔術へと落とし込む必要がある。
今俺たちは、その方法を模索している真っ最中なのだ。
「ルング……それは『発動者を雷化する魔術』のことですよね?」
少女の確認するかのような問いに、素直に頷く。
「勿論そうです。あの移動速度を出すには、それが必須ですから」
俺の言葉に、聖女は目を瞑る。
……何故だろう。
いつも通りの淡々とした無表情の中に、理解に苦しむような色が浮かんている気がする。
「わかりました。それでは、もう1つ尋ねましょう。
……貴方の目の前にある、その
理解不能な存在に対する困惑。
淡白なはずの聖女の言葉には、それがふんだんに込められていたのであった。
……わからない。
刺すような冷たい空気の漂う廊下を歩いて、実験室――私とルングとクーグさんの連名で学校から借りた部屋だ――の扉を開く。
鍵はかかっていなかった。
室内は設置された魔道具によって、既に温められている。
感じるのは、特徴的な2種類の魔力。
……2人共私より先んじて、既に何かしらの実験を始めている様だ。
研究熱心である。
あるいは彼らのことだから、泊まったのかもしれない。
先んじたのではなく、最初から居たのかも。
もし宿泊していたのなら、これで何日目になるのだろう。
5日目あたりで数えるのを止めたのだが、少し彼らの健康状態が心配になる。
温かい室内は、巨大な両面棚を仕切りの様に中心に設置することで、大きく2つの区画に分けられていた。
1つは書類と紙束だらけの区画だ。
大きいテーブルが1台と、椅子が4脚。
そのテーブルの上には棚から溢れた
……というか。
紙束の領域は、最早机上に収まっていない。
紙たちは床まで浸食し、更にその領域――紙の海を広げ続けている。
……ある意味、実験中の魔術師らしい区画。
足の踏み場のほぼ存在しない、控えめに言って荒れ果てた区画である。
……しかしそこには今、姉弟の姿はないので、目を逸らすとしよう。
私はもう片方の区画――姉弟の居るであろう区画へと足を運ぶ。
そこは小型の机と椅子以外何も置かれていない、スッキリとした空間となっていた。
隣の紙の海となっている空間とは、魔術でも物理的に仕切られ――驚くことに、光属性防御魔術を使っている――ちょっとした実験場の様になっている。
屋外で行う規模の実験はできないが、それでもある程度の魔術実験は可能な空間だ。
そこで姉弟は、背中を合わせる様に
「この氷は……そうですね。
言ってしまえば、
少年は無表情で、意味の分からないことを言い放つ。
元々思考が飛んでいるとは思っていたが、遂にこんな域まで行き着いてしまったのだろうか。
徹夜のし過ぎかもしれない。
憐れむ私の視線にも、少年は気付いていない様子だ。
「えっと……どういうことですか?」
「まあ……見ててください」
私たちのやり取りの間も、背を向けたクーグさんからの反応はない。
少年もまたそんな身内の存在を気にせず、こちらが思わず身を竦める様な濃厚な魔力を、氷に籠め始める。
「先輩の『
どうやって人体を雷に変換しているんだろうって」
口を動かしながらも、視線はその氷から離さない。
魔力に物理的な影響力はない。
そのはずなのに、氷が内から破裂するんじゃないかと感じる程、魔力が氷の中で密度を増し始めている。
「そこでふと思い出したのが、
先輩が『
ジュッ
水の蒸発するような音が、氷塊から聞こえる。
しかし、氷の外観に変化はない。
「……でもそれは、
「ええ。でも、
そう言うと少年は、目を細める。
過去を懐かしむ様な、ルングにしては柔らかい表情だ。
「その時は、ただ魔術を使っただけでした。
身体に満ちた膨大な魔力を、体外に魔術として顕現させたんです。
何でも実現できそうなあの万能感は、一生忘れられないでしょう。
でも先輩の『
少年は言葉を区切る。
張り詰めた静寂。
嵐の前の静けさ。
私の全感覚が氷に――その内を満たす少年の魔力に注がれる。
「……もし、あの時の様に溢れんばかりの魔力で、身体を満たせたのなら――
ゾクリ
温かいはずの室内で、肌が粟立つ。
……変わる。
直感的に、その現象を感知する。
……氷だ。
少年が魔力を込めた氷。
その内部で、魔力が凄まじい速度で変換され始めたのだ。
「……すごい」
その魔力量もさることながら。
魔力制御能力が、群を抜いている。
姉弟の無詠唱魔術の噂は聞いたことがあったが、普段は詠唱魔術を用いることが多いからこそ、その繊細なコントロールに目を見張る。
白の光輝はみるみる書き換えられ、青の――水の魔術へとその姿を変えていく。
「っ⁉」
完全に全ての魔力が書き換えられた時になって、ようやく私は気付く。
氷の塊。
その形はそのままだ。
しかし――
「水に……なっている?」
その内部が、ゆらゆらと揺らいでいるのだ。
氷が融けた――融解して水になったわけではない。
「どうやら、成功したみたいですね」
少年は淡々とした口調の中に、ほんの少しの興奮を滲ませながら、ほっと胸を撫でおろしたのであった。
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