第144話 魔王という存在は。

 巨大な魔物――黒い亀を師匠が滅ぼして、約2ヶ月。


「ぐすっ。ルング君……元気でね! 私の事、忘れないでね!」


 いよいよ、アーバイツ王国に帰国する日がやって来た。


 目前で泣きじゃくっているのは金髪碧眼、白ローブの聖女――ハイリン様だ。

 美しい青の瞳から、ボロボロと大粒の涙が流れる。


 聖教国ゲルディを輝かせる強い日差しは、彼女の美しい涙も同様に彩り、聖女の豊かな心根を照らし出している。


 ……これ程、寂しがってくれるとは。


 そんな聖女の素直な反応は嬉しくもあり、少し毛恥ずかしくもあった。


「ハイリン、そんなに泣くと、ルングが困るだろ?」


 聖女の隣には聖騎士――ゾーガ様。

 陽光を呑み込む黒髪と、反射する白鎧。

 モノトーンの騎士は、相棒に言い聞かせるように声をかける。


 ……こんな風に落ち着き払ったことを言っているが――


 聖騎士の目元もまた赤く染まり、その声はくぐもった鼻声である。


「ハイリン様にゾーガ様。

 俺が居なくなるのが寂しいからって、そんなに泣かないでください」


「ううぅぅ……寂しいよお」


「いや、俺は泣いてないんだが⁉

 こいつと一緒にするな! 寂しくなんかないし!」


 ぐすりとどちらのものともつかない、鼻を啜る音が聞こえる。


 対照的な反応にも関わらず、心が温かくなる。


 聖教国ここで何組か聖騎士と聖女のペアに協力したが、死線を潜り抜けたこの2人が、最も共闘することの多い2人だった。


「ルング君」


 素直過ぎる聖女とツンデレ聖騎士を眺めていると、この数ヶ月で随分と聞き慣れた穏やかな声が場に響く。


「お父様!」


「教皇様」


 聖女と聖騎士の上役。

 聖教国ゲルディの代表。

 教皇――パーシュ様だ。


「パーシュ様も、わざわざお見送りありがとうございます」


 現在俺たちがいるのは、聖教国ゲルディの出入り口。

大結界シュトリッシュ』の境界線を作る城壁の下である。


「いいや……お世話になったからね。これ位は当然だよ」


 教皇は温かく微笑む。


「いえ、こちらこそお世話になりました。


 師匠あんぽんたんがやらかしたのに、その後始末までしてもらって」


「あっはっは。

 大変だったけど以前よりはマシだし、ルング君の責任ではないからね……」


 教皇はどこか遠くを見る目をする。


 師匠の上位魔術『世界は燃えるブレムヴェルト』は巨大亀を爆発四散させ、その脅威から無事聖教国を守り切った。

 加えて周囲にあった魔物の群れをも焼き滅ぼし、見事任務を果たしたのだが――


「でもまさか、北部の森を全て焼き払・・・・・・・・・・とはね……」


「すみません、うちの師匠が。

 もし抗議するのなら、王宮魔術師総任宛にお願いします」


 しかしその火力の代償として、魔術は聖教国北部の森を蹂躙したのであった。


 ……正直差し引きで考えると、ギリギリだったと思う。


 人的被害がなく、魔物を討ったからこそ何とか許されたものの、下手をすれば処罰の対象となりかねないくらいの無法な振る舞いだった。


 ……いや、ひょっとすると。


 この処罰までいかないあたりが、師匠の生存戦略……高度な政治能力なのかもしれない。


 魔術による他国領地の広域焼却。

 聖女及び聖騎士の殺害未遂。

 弟子に対するパワーハラスメント。


 これらをどうにか相殺できたと考えると、凄まじい成果だったともいえる。


 ……まあ、間違いなく始末書確定だが。


 仮に師が隠し通そうとしても、確実に総任シャイテル様に密告して、始末書は書かせるつもりだ。


 やはり人間、反省が無ければ成長できない。

 師匠に反省という概念が存在しているかについては、疑問の余地があるが、始末書という形で残しておくことには、大きな意味がある。


 ……今後の師匠への脅迫材料として、使える可能性があるのだ。


 ちなみにその当人――あるいは犯人である師匠は、先にパーシュ様に挨拶した後、他の聖女や聖騎士たちに挨拶しに行った様だ。


 ……時折怒号と爆発音が響き、魔力が輝いているのは、気のせいだと思いたい。


 これ以上問題を起こすのなら、見捨てていく所存である。


 パーシュ様は苦笑しながら告げる。


「まあ、一応恩人だからね……今回も止めておくよ。2人も助けてもらったしね」


 聖女と聖騎士子どもたちを、教皇は愛おしそうに見つめる。


 ……話によると。


 聖騎士ゾーガ様から慕われ、聖女ハイリン様から「お父様」と呼ばれている教皇だが、彼らと血の繋がりがあるわけではないらしい。


 2人は孤児院の出身で、パーシュ様は教皇になる以前から、その孤児院の責任者をしていたとのことだ。


 ……血の繋がりなどなくても存在する、確かな繋がり。 


 それは温かく、穏やかで、美しい。


「それで……ルング君」


 教皇は2人から視線を外し、こちらに向き直ると――


「君は私に、聞きたいことがあるんじゃないかな?」


 確信をもって、そう言い放ったのであった。




 ……ある。


 確かに俺は、教皇パーシュ様に尋ねたいことがある。


 そしてそれは、巨大亀が出現したあの日、俺が聞き損ねたことでもあった。


 ただし――


 チラリ


 ……この質問を聖騎士と聖女2人の前で、してもいいものか。


 俺の目線に教皇は目敏く気付く。


「ルング君、大丈夫だよ。

 2人は子どもたちの中でも特別優秀だし、口も固いからね。

 君がどんな質問をするかわからないけれど、きっと大丈夫」


 教皇の言葉に、2人は誇らしげに胸を張る。


「そうよ! お父様の言う通り私のお口、固々なのよ!」


「いや、お前はそうでもないだろ……」


「まあ、ゾーガってば、ひどーい!」


 ……パーシュ様がそう言うのなら、良いか。


 じゃれついている2人を無視して、パーシュ様に尋ねる。


「では、遠慮なく。

 パーシュ様、魔王は・・・……異世界転移者ですか・・・・・・・・・?」


 俺の言葉に、3人が同時に目を見張る。


 ……巨獣の出現に邪魔をされたが、俺があの時聞きたかったこと。


 教皇パーシュ様はあの時、こんな話をしていた。


「強者として有名な者は、未来ツーカ持ち――異世界転移者が多い」と。


 光属性魔術に「強化」の概念を付与した初代聖女に、『転生』の能力フェイ――贈物ゲッシェを持つ勇者。


 その2人が異世界転移者だということは、以前聞いた。

 その強さも、感覚的には理解しているつもりだ。


 なにせ2人と同格に語られるのは、あのトラーシュ先生。

 悠久の時を生き続ける、エルフの魔術師なのだから。


 ……間違いなく怪物の類だろう。


 そう考えた時に、ふと疑問に思ったのだ。


 ……その3人と戦えた魔王は、どんな存在なのだろう。


 強者に対することができるのは、強者のみ。


 そこから考え付いたのが「魔王もまた異世界転移者だったのではないか」という考察だったのだが――


 俺の発した問いに、教皇は首を左右に・・・ゆっくり振る。


未来ツーカ――スキル・・・を持っていたことは分かっているが、それ判明していないね」


 聖騎士と聖女は口を挟まない。

 ただ教皇の言葉に、耳を澄ませている。


「では、人間ですか?」


 ……異世界問わず。


 俺の言葉をパーシュ様は咀嚼するかのように頷く。


「そうだ。君の言う通り、魔王と呼ばれる存在は・・・・・・・・・・人間だ・・・

 少なくともゲルディでは代々、そう伝わっている」


 教皇はそう言うと、城壁の外にその目を向ける。

 その瞳には世界魔力マヴェルの輝きが宿っていた。


「レーリン殿や君の活躍のお陰で大分薄れたが、この辺りに未だ漂っている妙な魔力があるだろう?

 アレは約500年前、1人の人間の――魔王のスキルが切っ掛・・・・・・・・・・けで・・生じたとされている魔・・・・・・・・・・力だ・・


 君は見ていたんだよね? あの魔力がどうなったのか」


 教皇の問いに頷く。


 2ヶ月前の出来事を思い出す。

 確かに俺は見ていた。

 捉えていた。


 あの薄気味悪い魔力が集まり、あの黒亀――巨大な魔物が出現したのを。


「君が見ていた通り、あの魔力が魔物の元……と言っていいのかな?

 まあ、そうなっているらしい。


 つまりこの世界に魔物が誕生した理由は、魔王にあるというわけだ。

 そして魔王由来で生まれた存在だからなのか、魔物は魔王の指示だけは聞くらしい。


 だから人間なのに、魔物たちの王。

 魔王と呼称されたみたいだ」


 教皇としての知識が、また1つ俺の疑問を埋める。


「どうしてあの魔力は、隣国――ウバダラン王国でしたっけ?

 そちらに集中しているんですか?」


 折角の機会なので、気になることは全て聞くつもりで、パーシュ様に問いを投げかける。


「ゲルディにないのは『大結界』のおかげだけど……さて、どうしてだろうね?


 ウバダラン王国は鎖国中だから、調査の手が回っていないんだ。

 まだ原因は残念ながら、分かっていない」


 ……嘘だ。


 教皇は今、嘘を吐いた。

 強大な魔力の揺らぎが、俺の瞳には見えている。


 しかし――


 ……たとえ魔力の揺らぎが見えなくとも。


 教皇の困ったような表情から、嘘だということは看破できたであろう。


 魔王は人間。

 そのスキルであの禍々しい魔力が生まれる。


 それらの話を総合すると、ウバダランにあの魔力が集中している理由は、自然と見えてくる。


 ……魔王は――


 ウバダラン王国――あるいはその前身国で誕生したのであろう。

 あのおぞましい魔力は、名残だ。


 魔王が幾度もスキルを使用してしまった名残。

 その代償として、500年間もあの黒々とした魔力は残り続けているのだ。


 ……それを言わない理由はおそらく――


 話を傾注して聞いている2人を見つめる。


 俺や聖騎士と聖女子どもたちに、無用な偏見――差別意識を植え付けさせないようにするためだと思う。


 世界を混乱に陥れた魔王が生まれた国。

 それを聞くだけでも、現ウバダラン王国を見る目には、偏見が生まれる。

 バイアスがかかる。


 あの国は危険だという意識が生まれ、かの国を迫害する可能性は十分にある。


 この教皇はそれをさせたくないのだろう。


 自分の子どもたちにも、俺にも。


 自身の目で国とそこに住まう人を見て、判断して欲しいのだ。


 こちらに来て以来、終始教皇パーシュ様は変わらない。


 ……優しい人である。


「……分からないのなら、仕方ありませんね」


 教皇の口車に乗ると、彼は俺に感謝するように続ける。


「ああ……長々と話してしまって、申し訳ないね

 そろそろ、出発時間が近づいているというのに」


 まだ聞きたいことは、いくつも残っている。

 その中でも優先順位の高いものを、最後に尋ねる。


「パーシュ様、代わりと言ってはなんですが、最後に聞いても良いですか?」


「うん……何だい?」


「魔王のスキルは、パーシュ様やゾーガ様の未来ツーカの様に、判明しているんですか?」


 先程の質問の様に、答えてくれないかもしれないという俺の危惧とは裏腹に、パーシュ様は拍子抜けするほどあっさりと答えた。


「うん、それは判明しているよ。魔王のスキルは……『召喚ハール』。

 ――自身以外の何かを、召喚することのできる能力だ」

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