第142話 王宮魔術師の上級魔術。

「やってくれましたね……師匠」


 既に反応のない通信用魔道具を睨みつけ、自身の足元に視線を移す。

 地面に走る魔力線・・・


 巨大な魔法円が、巨獣を中心に据えて展開されていた。


 描かれた魔力線・・・11に、平均的な魔術師並の魔力が込められ、怪しく輝いている。


 そんな魔力線が幾本も複雑に絡み合うことで文様――術式を成し、師匠の望む・・・・・魔術世界を見事に形作っていた。


 しかし――


 ……雑だ。雑過ぎる。


 師匠との付き合いにおいて、何度目となるか分からない呆れと困惑が胸に到来する。


 いや、違う。

 この大規模な魔法円が雑というわけではない。

 魔法円自体は、王宮魔術師の技術が尽くされた素晴らしいものだ。


 大胆であり精緻。


 隙間を埋めるように描かれている術式が、1節の無駄もなく噛み合っている。

 それでいて、魔術の発射台ということを感じさせない美しさを持つこの魔法円には、文句の付けようがない。


 故に雑だと言いたいのは、魔法円に対してではなく――


 ……師匠――レーリン様に対してである。


 師の展開した魔法円が、俺たちの足元に存在し・・・・・・・・・・ている・・・


 それが意味する事実は単純だ。

 魔法円の効果範囲に巨獣――巨大な黒亀はおろか、俺たちすら入っているということだ。。


 ……まあ、一応のフォローをしておくと。


 その意味がないわけではない。


 魔術によってこちらに矛先を向ける魔物は間引いたとはいえ、それでも大多数残って・・・・・・・・・・いる・・


 故にあの巨大黒亀本命とその他の魔物たちを、まとめて処理してしまおうという魂胆なのだろう。多分。きっと。


 ……その方が効率もいいし、時間もかからない。


 そういう意味では悪くない。


 ……まあそれは勿論。


 人的被害が0の場合に限られるのだが。


「あの……ルング君? これは一体……」


 真剣に悩む俺に、遠慮がちな声がかけられる。


 声の出所には、輝く防壁・・・・

 聖教国に展開された『大結界シュトリッシュ』と同質の――しかし規模感は随分と縮小された結界が、半球型に展開されている。


 中には2人。


 師匠の魔術に巻き込まれた、聖女と聖騎士被害者たちである。


「これは師匠――王宮魔術師レーリン様の魔術ですよ」


 ……それもこれは――


 師匠の手持ちの中でも、最強の魔術。

 上級魔術・・・・のはずだ。


 混合属性上級魔術『世界は燃えるブレムヴェルト』。


 以前魔術学校の面接の際に、学長であるトラーシュ先生に向けて俺が放った中級魔術・・・・炎の嵐は、ブレム世界を燃やすヴェルト』。


 その原型となった上級魔術だ。


 俺の魔術は、師匠の魔術研究の手伝いついでにコッソリ組み上げたものだが――


「……全くの別物じゃないか」


 現物も見ずに天才の模倣をするのは、限界があったらしい。

 魔術として別物――別格である。


 ……師匠のことだから、火力一辺倒の魔術だと思っていたのだが。


「なあ……2人共。何が起きているんだ?

 俺には、何も感じられないんだが」


 聖女の結界内にいる聖騎士は、周囲を見回して首を傾げている。


 ……この魔術の恐るべき点はそこだ。


 現象としての火。

 魔術の結果として発現するはずの炎が、空間内に見当たらないのだ。


 それどころか――


「ごめんね、ゾーガ。

 私にも分からないわ・・・・・・・・・。ただ、凄く巨大な魔法円が足元にあるのよ」


 聖女――魔術師であるハイリン・・・・・・・・・・様すら・・・何が起きているのか理・・・・・・・・・・解できていない・・・・・・・


 だが――


「お2人共……動かない方が良いですよ?

 特にこの場で魔術と未来ツーカの使用は、控えた方が良いと思います。

 ここはもう、師匠の魔術内テリトリーですから」


 俺には見えている・・・・・・・・


 世界魔力マヴェルだ。


 師匠は魔法円上――その指定範囲内の世界魔力を制御しているのだ。


「えっ? もしかして私たち……危ないの?

 一応『主よ、思いを守り給えスパイブル』は、発動しているけど」


 聖女の結界魔術は見る限り、堅牢堅固。

 並みの攻撃なら防ぎ切るだろう。


 しかし――


「おそらくハイリン様の結界魔術でも、危ないと思います。

 ……なにせ師匠の魔術なので」


 聖女の結界空間内に存在する世界魔力。

 それらも既に、師の魔術の影響を強く受けている。


 ……結界外よりは、まだマシ・・なようだが。


「ねえ、ルング君? この魔術ってどんな――」


 ガアァァァァァァァ!


「きゃあっ⁉」


 ガバッ


 聖騎士が咆哮に驚いた聖女を、背中に庇う。


 音の出所は、静止していた巨大亀だ。

 世界魔力の塊。

 遠景にてようやく一望できる、山の様な黒の巨躯。


 1歩で国を揺らすあの怪物もまた、この場の異常に気が付いたらしい。


 あるいは世界魔力の変化に関しては、俺たち以上に敏感な可能性すらある。


「ゾーガ様、ハイリン様。この魔術はですね――」


 魔術の効果を説明しようとしたところで――


「ああ……丁度、この魔術の真髄・・・・・・・を見られそうですね」


「「えっ?」」


 上空にて巨獣と睨み合う師匠に意識を向ける。

 俺の視線に釣られて、聖騎士と聖女もまた空を見上げた。


 距離は離れている。

 辛うじて空中に人影――黒のローブが見える程度。


 勿論王宮魔術師の――師匠の顔自体は見えない。


 しかし分かる。

 長年の経験で、あの天才の生態はある程度理解している。


 ……笑っている。


 間違いなくあの魔術師は今、その顔に満面の笑みを浮かべているはずだ。

 世界を燃やし尽くす凄絶な笑みを。


 ……そしてそれは並行して――


 こちらの命の危機を意味している。


 ゴクリ


 誰のものか分からない、生唾を飲む音が響く。


 それが合図となったわけでもないだろうが、上空で魔法円が煌めいた。

 そして次の瞬間――


 ボッ


 仄かな種火が巨獣の甲・・・・・・・・・・羅に灯る・・・・


 一瞬の静寂の後に、


「ええっ⁉ どうしてあんな?」


「……そもそも甲羅だと、ダメージ入らなくないか?」


 ハイリン様とゾーガ様は仲良く首を傾げる。


 師匠の放った魔術は、火属性初級・・魔術『種火よ、爆ぜよ グルーラ

 火属性詠唱魔術において、最初に学ぶ魔術だ。


 勿論、その程度ではダメージにならない。

 あの巨獣に至っては、熱さすら感じていないかもしれない。


 だが――


「見ていれば……分かりますよ」


 ぎゅっと心臓を握られているような、致命的な感覚。

 俺が捉えている世界魔力。

 師匠。


 その全ての要素から導き出される答えは――


 ボボボボボボボ――


「きゃっ⁉」


「うおっ⁉」


 魔物に灯っていた火を見つめていた2人が、悲鳴を上げる。


 種火だったはずの火が、急激にその勢いを増したのだ。

 初級魔術最弱火力から、一足飛びに中級魔術規模に。

 魔物の体を取り巻く様に伸び始めた炎は、すぐさまその巨躯を呑み込み、広がり続ける。


 突然の猛火に苦しむ亀はのたうち回り、地団駄を踏む様に大地を揺らす。

 しかし、炎の勢いは衰えない。

 それどころか、その火力は高まり続ける。


 ……これこそが――


 王宮魔術師レーリン様のみに許された上級魔術。

 彼女の支配世界まじゅつか。


 ……化物め。

 

 心の中で舌打ちする。

 

 種火が巨獣を苦しめる程の大火へと変貌した理由は単純だ。

 世界魔力に複数の概念・・・・・が、付与されているのだ。


 発火、燃焼、滅却。


 一度灯った火を種として、生けるもの全てを灰燼に帰す絶対の概念が宿っている。


 凄まじい魔力を持った怪物といえども、それから逃れることは叶わない。

 炎の連鎖は止まる気配なく、無慈悲に繋がり続ける。


 グオォォォォ――


 巨獣の憎しみの籠った目が、師匠を見据える。

 燃え上がる怒りに満ちた、鋭く巨大な目だ。


 それを切っ掛けに、魔物に変化が生じる。


「っ⁉」


 巨獣の全身が、強い輝きを帯び始めたのだ。

 四肢から胴へ。胴から首へ。

 巨体を満たす魔力が、ゆっくりと移動していく・・・・・・


 遂に喉元から頭部に魔力が至り、魔物はその巨大な口を開ける。


 同時に内部の魔力が水気を帯びていく・・・・・・・・


「……使えるのか? 魔術を・・・


 魔物にはそういう個体もいると、聞いたことはあるが。

 あの巨獣もまたそうなのか。


 魔物の口が最大限広げられ、魔力の輝きが恒星の如き輝きを帯びた直後――


 ゴオォォォォォ!


 巨獣から轟音が響くと同時に、陽光に輝く何かが発射される。

 

 水だ。

 最早災害にも等しい水量へと至った、水の放出。

 その速度は音を背後に放置し、直進する。


 超大な魔力を以って放たれた水の勢いは、周囲に衝撃波をまき散らし、巨体の四肢の乗る大地にひびを入れる。


 ビシッ


「結界が⁉」


 その攻撃の余波に煽られた風が、聖女の結界を傷付ける。


 理不尽な暴威。

 破滅の水撃が空を駆ける。


 彗星の様に尾を引いて飛ぶその矛先が向かうのは、勿論師匠だ。


「おい、ルング! アレ大丈夫なのか? レーリン様がいくら強いからって……」


「心配ありませんよ。ウチの師匠は天才ですから」


「だが――」とここでゾーガ様の言葉が途切れた。


 理由は単純だ。


 ボボボボボボボ


 巨獣の水撃が燃え始めたのだ・・・・・・・・・

 世界魔力に付与された「燃焼」の概念。


 それによって水が・・、燃やし削られている。

 

 蒸発しているわけではない。

 状態変化をさせた蒸気にしたわけではない。

 文字通り焼失・・させられているのだ。


 物理的にはあり得ない。

 しかしそんな現象すらも、師の魔術は世界に容認させる。


 ……素晴らしい魔術だ。


 師事できることを、誇りに思う程に。


 魔物の攻撃は、届く前に燃え尽きる。


 ……このままの規模で戦闘で終わるのなら、こちらに被害はないかもしれない。


 そんな淡い望みを抱くが――


「そうはいかないか……」


 師の周囲に、巨大な魔法円が咲く。

 その魔法円が示す魔術は中級魔術『炎の槍よ、敵を貫けフラシュドゥシュ』。


 友人にして師匠の弟であるアンスの得意とする魔術だが、その展開規模は大違いだ。


 ……その上この場には現在――


「発火・燃焼・滅却」の概念が付与されている。


 そんな中、中級魔術を顕現させれば――


 ボッ


 師の巨槍が顕現した直後、彼女を中心として放射状に世界魔力が燃え広がる・・・・・


 ドクン


 世界魔力が大気中で炎の脈を打ち、その度に師匠の魔力が炎槍に流れ、巨大化していく。


 危険を察知したのか、魔物は再び師匠にその咆哮を向けるが、手遅れだ。

 

「『炎の槍よ、敵を貫けフラシュドゥシュ』」


 魔道具は繋がっていない。

 しかし師匠が、そう唱えたのを全身で感じる。


 同時に――


 魔物の水撃に勝るとも劣らない速度で、槍が射出される。

 周囲に死の炎をまき散らしながら進む、赤い流星。


 それを迎撃するかのように、再び魔物は水撃を放つ。

 しかし、師の魔術はその水の存在を許さない。


 放たれた炎の槍は水撃を焼失させながら直進し、魔物の口へと入り――


 大爆発を起こす。


 魔物の中で膨れ上がる灼熱は、その巨躯を爆散させ、師の魔術領域内に伝播する。


 ……さあ、ここからが本番だ。


 巨獣が滅びたというのに、喜ぶ暇もない。


 ……2人を守る。

 

 無事に届ける。

 それが教皇パーシュ様と躱した約束だ。


 ……それに守れなければ、稼ぐこともできないし。


 生じた炎熱は大波となり、こちらに襲い掛かる。

 

 絶対的な死の気配。

 このままいけば、俺の骨も残さないはずだ。


 ……なんで師匠あの人は、毎度毎度こうも無茶苦茶なんだ。


 あの天才にして変態は、弟子相手なら何をしても良いと思っている節がある。


自分天才の弟子なら、これくらい生き残って当然」


 あの師匠はそんなことを、本気で考えているのだ。

 

 盲目的な弟子たちへの信頼。

 天才故のズレた常識の発露。


 弟子として嬉しくもあり・・・・・・、重くもある信頼要求


 だが――


 ……応えなければ、レーリン様の弟子は名乗れない。


 天才の背中には追い付けない。


 俺は凡人だ。

 しかし俺には、約束がある。


 もう1人の天才姉さんを、決して1人にしないと。

 姉さんが先に行っても、必ず追いつくという約束が。


 だからこそ、この場をねじ伏せて、俺は前に進んで見せる。


 ……そして絶対に、あの師匠バカに目にもの見せてやる。


 決意と共に、迫りくる世界魔力と対峙する。


 灼熱はあらゆるものを呑み込みながら、俺たちの元へ駆け足でやって来る。



 そんな生と死の境界線上で、胸に抱いていたのは感謝だ。


 ……聖教国ゲルディここに来て良かった。


 正確には、光属性魔術を――「強化」のイメージを学んでおいて良かった。


 おかげで生き残ることができそうだ。


 ……師匠の魔術は同じだ・・・


 初代聖女が、植物の光合成の概念イメージを「強化」へと転用した様に。

 師匠は炎の概念を抽出し、魔術で定義したのだ。


 生存本能が、更なる記憶を呼び覚ます。


 1000年以上の時を生きるエルフ。

 勇者の友人であり、初代聖女とも面識のある、魔術学校の学長。

 白銀と黄金の魔力を持つ、歴史に名を残す大魔術師。


 トラーシュ・Zツァウベアー・ズィーヴェルヒン。


 あの人と面接手合わせした時のことを思い出す。

 

 勇者の話。

 能力フェイの話。

 魔力の話。


 多くのことを聞いた。

 話した。


 しかし最も鮮烈な記憶は――


 ……面接手合わせそのもの。


 師匠のこの上級魔術・・・・・・を基にして創り上げた中級魔術を、見事に掻き消したトラーシュ先生の魔術。


 ……あれならいけるはずだ。


 自身の直感に従い、更に記憶を掘り進める。


 トラーシュ先生はあの時、世界魔力へと呼び掛けていた。


 その結果が、俺の魔術の消失。

 そしてそれは先程の巨獣の攻撃を焼き消した・・・・・、師の上級魔術によく似ている。


 世界魔力に干渉しているという点では、同質といってもいいだろう。


 ……似た力なら、対処できるはずだ。


 自身の体内の魔力を解放する。


 ……できる。


 今の俺ならできる。


 入学時の、無知な時ならいざ知らず。

 

 この1年で、様々な経験をしてきた。

 あらゆる魔術に触れ、時に気付かされ、自身を高めて来た。


 ……だからこそできる。


 凡人の積み重ねに過ぎない。

 しかし――


 自身の努力に。

 研鑽に。

 鍛錬に。


 嘘はないから。

 

 解放した魔力が、世界魔力に干渉し始める。


 既に腹は括っている。


 理解できているのなら、再現できるのもまた必然。

 絶対の確信を以って、自身の魔力を呼び水に、世界魔力へと語りかける。


 想像イメージするのはやはり、古から生きる最強の魔術師。

 師匠レーリン様すら及ばない魔術師。


 トラーシュ・Zツァウベアー・ズィーヴェルヒン。


 彼女の絶大な詠唱言葉を借用する。


「『世界は寡黙だヴェルシュ』」


 その詠唱をなぞると同時に、師の炎波・・は一転して静まり返った。

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