第141話 教皇との約束と師匠の魔術。

「それで……ルング君。あの魔物はどうするつもりなのかしら?」


 俺たちを狙う小型の魔物の殲滅を果たし、その魔石を回収していると、一緒にそれを手伝ってくれている聖女ハイリン様が尋ねる。


 今にも倒れそうだった先程と比べると、ある程度回復したらしい。

 顔色も良くなっていた。


「安心してください。担当者がいるので・・・・・・・・


 チラリと巨大亀に目を遣る。

 未だあの魔物は動きを止め、聖教国上空・・・・・にその頭を向けていた。


 ……あの亀は――


 ひょっとすると、気付いているのかもし・・・・・・・・・・れない・・・


 教皇から受け取った通信用魔道具を取り出す。


 すると取り出した直後、タイミングよくその魔道具は輝き始めた。


「『受風テアルト』。師匠、ゾーガ様とハイリン様を確保しました。

 現在は魔石回収作業中です」


 開口一番に、成果を発表する。


「さっきの魔力は、やっぱりルングのでしたか。

 結構大きい気がしましたが、そんなに強敵だったんですか?」


 可愛らしい、口調だけは・・・・・落ち着いた声。

 師匠――王宮魔術師レーリン様である。


「はい……特別手当が必要なくらいの強敵でした。

 なので、現在実験中の水属性魔術による、同時狙撃を試してみました」


「『なので』の使い方、間違ってません?

 なんで強敵相手に、実験してるんですか⁉」


「……勿論、冗談ですよ。安心してください。

 強敵なら、十全の準備をして倒しますから。

 今回は強敵……というより数が多かったので、試しにやってみました」


「……良いデータは取れました?」


「はい。後で報告書に書く予定なので、欲しいならそちらで。

 内容確認も兼ねてお願いします」


 最後の魔石を摘まみ上げ、袋にしまう。


 ……これでよし。


 ぐるりと周囲を世界魔力マヴェルで知覚し、師匠に告げる。


「他の聖騎士と聖女たちも、無事退避は完了したみたいですね。

 この辺はもう、俺たちと魔物だけみたいです」


 魔物との交戦中にはまだ感じていた、ゾーガ様とハイリン様以外の聖騎士と聖女の魔力気配は、既に戦場にはない。

 全員、聖教国内に避難することができた様だ。


 そのことに一安心しながら尋ねる。


「それでゾーガ様とハイリン様は、どう退避させたらいいですか?

 あの木偶の坊のせいで、動き辛いのですが」


 侵攻が止まったのは好都合だが、魔物の姿は既に聖教国ゲルディの防壁に割と近い場所にある。

 2人を退避させるには、危険な状況と言えるだろう。


「まあルングがいますし・・・・・・・・、そこは大丈夫でしょう。

 ちょっと待っててください」


 ガサゴソ


 師匠はなにやら物音を立てている。

 しばしの時間、それが聞こえた後に――


「『送風フォニヴィ』。あっ、教皇――か?

 ルングが――『大結界シュトリッシュ』を――。ええ……すぐに――」


 所々聞こえ難いが、魔道具からこんな声が届く。

 どうやら、また異なる連絡用魔道具で、教皇パーシュ様と連絡を取ったらしい。


 それと同時に、聖教国――とはいっても、壁に覆われていないだけで、ここも国内らしいが――で、魔力が動く。


 瞠目すべき魔力だ。

 大きさもさることながら、異質な魔力である。


 まるで何人もの魔力を、1つに束ねたかの様な。

 統一感のない魔力である。


 その点においては、ある意味・・・・あの亀の発する魔力にもどこか似通っていた。


 そんな不思議な魔力を燃料として、魔術が発動する。


「お父様の大結界シュトリッシュ……」


 顕現したのは、国を丸ごと覆うかの様に強大な不可視の結界・・だ。


「大結界?」


 俺の疑問に、聖女ではなくその隣にやって来た聖騎士が答える。


「聖教国ゲルディ最大にして最強の守り。

 ゲルディの防壁を境界とした防御魔術だよ」


 聖騎士は誇らしげに語る。


 ……素晴らしい。


 自身の知覚を、全力で聖教国――それを防御する結界へと向ける。


 ……美しい魔術だ。


 先程の感覚・・・・・は、どうやら間違いではなかったらしい。

 防壁内に点在する人々の魔力・・・・・が、聖教国内のある・・1に集中し、そこから都市全体を対象とした魔法円が展開されている。


 その広大な魔法円外縁を基準線として、発動される光属性防御魔術の結界だ。


 この大結界の中心点――魔力を纏め上げる中心人物と、魔力を送る住人たちには、感動すら覚える。


 全と一。一と全。


 全員が1人を信じて魔力を託し、その1人もまた住人――国民たちの意志に応えることで成り立つ、堅牢な魔術だ。


 集団魔術とでも言うのだろうか。


 ……そして先程のハイリン様の言葉から察するに、魔力を託された人物は――


「お父様の――教皇の祈りを中心として展開される、広範囲防御魔術。

 教皇祈権きけん大結界シュトリッシュ』よ! すごいでしょう?」


 聖女もまた、聖騎士と同様に胸を張る。


 ……やはり教皇が、あの魔術の中心か。


 パーシュ様が子どもたちを大切に思うように、聖騎士と聖女子どもたちもまた、彼を慕っているらしい。

 この強固な信頼関係こそが、あの魔術の根幹を成しているのだろう。


「はい、素晴らしい魔術――祈りですね。

 可能なら、内部からも見てみたかった……」


 ……ひょっとすると――


 未だこの場に漂う、どす黒い魔力に意識を向ける。


 巨大亀の出現に使用されたせいか、かなり魔力濃度は低下しているが。


 この魔力が、聖教国に侵入していなかったのは、あの魔術大結界の影響もあるのかもしれない。


「それにしても――」と聖女は頷く。


「ようやくお父様も、発動に踏み切ってくれたのね。

 さっき、『大結界』を早く使うように伝えた甲斐があったわ」


 ……さっき?


「ハイリン様たちは『大結界』を使うように教皇様に伝えていたのですか?」


「ええ! 『私たちが足止めするから、早く発動して』って伝えたわ!」


「……それはいつの話ですか?」


「いつって、私たちがあの魔物を発見した時だから――」


「丁度30分前くらいだな」


 ……何故だ?


 とある疑問・・・・・が湧いてくる。


 再び『大結界』と亀、そして聖教国上空に存在する・・・・・・・・・・、恐るべき魔力の持ち主――師匠へと意識を向ける。


『大結界』の発動に亀はほんの少し反応した後、再び停止している。

 中空を見つめるその構図はまるで、師匠と睨み合っているかのようだ。


 しかし、俺の思考は現在、そこにはない。


 ……何故、『大結界』を発動した? 


 俺の抱いた疑問はこれだ。


 2人の言が正しいのなら、30分前に発動しなかった理由は分かる。


 あの結界は分析する限り、外部からの侵入を完全に断つものだ。

 つまり、教皇パーシュ様と国民たちは、ゾーガ様とハイリン様この2人の帰還を待っていたのだろう。


 自身の子どもたち――あるいは国民全員を守るために、ギリギリまで発動させる気が無かったのだ。


 それは教皇の人柄や『大結界』の構造から理解できる。


 しかし――


 ……まだ2人は、聖教国に帰っていないここにいる


 それはつまり、未だ安全は確保できていないに等しい。

 

 それなのに『大結界』を発動したのは何故だ?


「『送風フォニヴィ』。師匠、パーシュ様に何を言いましたか?」


 魔道具を起動させて、その原因と思しき魔術師と連絡を取る。


 ……先刻の、師匠からパーシュ様への連絡。

 

 それを切っ掛けとして『大結界』は発動した。


 そういえば、微かに聞こえて来た会話には『大結界』という単語が入っていた気もするし。


 十中八九『大結界』発動の犯人は、この人だろう。


「何って、大したことは言ってませんよ?」


 急に何を言い出したんだと、本気で疑問に思っている声色で、師は続ける。


「ただ私は『ルングが2人の安全を確保したので、安心して大結界を発動してください』と伝えただけです」


「何か問題でもあります?」と言いたげな口調である。


 普通なら問題はない。

 俺が2人を確保したのは事実なのだから。


 しかし――


 ……この人は、普通ではない。


 王宮魔術師レーリン・フォン・アオスビルドゥング。

 姉弟の師匠にして、最年少で王宮魔術師の仲間入りをした天才。


 そして、姉弟を最も危険に晒してきた外道である。


 その思考回路は、常人に理解できるものではない。

 常識で測ってはいけない、正真正銘の怪物なのである。


「師匠、ちょっとお聞きしたいのですが」


「何ですか? 私、今ちょっと集中してるんですけど」


 ……だろうな。


 師が集中しているのが分かる。分かってしまう・・・・・・・


「師匠、どうしてそんなに・・・・・・・・魔力を練っているんで・・・・・・・・・・すか・・?」


 ……何故なら彼女は上空で――


 先程まで抑えていた、尋常ならざる量の魔力を、解放し始めていたからだ。


「どうしてって、分かりきったことでしょう? 忘れてるんですか?」


 子どもに言い聞かせるかのように、優しい師匠の声。

 こんな時程、覚悟しておかなければならない。


 ……自身の命の危機を。


「……仕方ないですね。

 貴方に尊敬される私が、懇切丁寧に説明してあげましょう。


 私は教皇様と約束しましたよね?

『聖女と聖騎士に危険がない状況であれば、全力でやっていい』と」


 ……していた。


 パーシュ様に挨拶をした日。

 聖教国ゲルディを訪れた初日のことである。


 故にその話は、よく覚えている。


 だが今は――


「師匠。今、聖女ハイリン様聖騎士ゾーガ様は戦場に出ているんですよ?

 そのパーシュ様との約束の条件を、満たしていないと――」


「いいえ、危険ではない状況であればいいんですよね?

 じゃあ・・・満たしてるじゃありま・・・・・・・・・・せんか・・・

 だって今、聖女と聖騎士の隣には――貴方がいるんですから・・・・・・・・・・

 ほら……安全でしょう?」


 ゾクリ


 無邪気な師匠の声色が響き、彼女の魔力輝きが、煌々と空を満たす。


「それに丁度いい機会じゃないですか……ルング。

 私の全力は、いい勉強になると思いますよ?

 まあ、辺り一帯は吹き飛ぶかもしれませんが、それくらいは許容してください。


 貴方なら問題ないでしょうし」


 確信に満ちた声で、王宮魔術師はあっけらかんと断言する。


「問題大有りですよ⁉ 国際問題になりますよ?

 ちょっと、師匠? 聞いてます?」


 俺の言葉に返事はない。

 返事はないくせに、空に存在する魔力はここら一帯を覆わんと、広がり続けている。


 ……その魔力量は――


 とうに個人の枠を超えている。


 なにせ聖教国内に満ちる魔力・・・・・・・・・・よりも・・・多いくらいだ・・・・・・


「ハイリン様! 俺はいいので、ゾーガ様を結界魔術で守ってください!」


「えっ? えっ?」


「早く! 大至急!」


「おい、どうしたんだ、ルング」


 俺の鋭い声に困惑している2人。

 しかし彼らの生存確率を上げるためにも、早く行動してもらわなければ困る。


 そんな俺たちの足元に――大規模魔法円が展開される。


 現在、聖教国で展開されているものほど、巨大ではない、

 しかしそれでも、この辺り一帯を全て呑み込む規模の大魔法円。

 その上くだんの魔術師は、これを1人で維持し続けている。


 ……来る。


 周囲の緊張感と共に、魔法円に満ちる魔力もまた頂点に達すると、次の瞬間――


「ではルング……健闘を祈ります。『世界は燃えるブレムヴェルト』」


 師匠あくまの詠唱と同時に魔法円は起動し――


 世界は師匠の魔力によって塗りつぶされた。

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