第138話 聖騎士と聖女は怪物を発見する

「何だ……アレ・・


 魔術師ルングが教皇様から呼び出され、聖堂から去った後。

 俺とハイリンは、ぽっかりと空いたスケジュールを埋めるのも兼ねて、ゲルディ北部から、魔物退治に出撃していた。


 他の聖騎士と聖女の2人1組ツーマンセルに負けないよう、討伐作業に勤しんでいたのだが――


「なんて魔力……」


 隣でハイリンが、呆然とした口調で呟く。


 ……気持ちはよく分かる。


 俺たちの視線の先。


 そこには、そびえ立つ山――ではなく。

 そう思っても仕方がない程の巨大な怪物が、佇んでいた。


「アレは……生物なのか?」


 俺たちとゲルディの間に広がる森。


 奴は――あの怪物は。

 その森の空中から、突然現れた。


 山と勘違いしかねない存在が、何もない場所から生じたのだ。

 生き物かと疑うのも、無理はないだろう。


「どうなのかしら。私にも断定できないわ。

 体中が魔力で満ちているのは、わかるんだけど……」


 聖女の自信なさそうな声と共に、場に沈黙が落ちる。


 魔物との交戦。

 その経験は何度もある。

 おそらく今、聖教国内にいる聖騎士と聖女たちの中でも、俺とハイリンは経験豊富な方のはずだ。


 死にかけたことも、少なからずある。


 しかし、それでも――


 ……突如として現れたあの化物。

 

 アレ程の存在を――魔物を見たのは初めてだ。


 明らかな別物。

 別格。


 それはわかる。

 本能で理解している。

 そんじょそこらの魔物とは、明確な格の違いを感じる。


 その証拠に――


 幼馴染に視線を向ける。


 共に修羅場を潜って来たハイリン。

 勇敢な幼馴染の顔にも、恐怖の色が見え隠れしている。


 彼女は聖女――光属性の魔術師だ。

 聖騎士おれには見えない魔力なにかが、聖女かのじょには鮮明に見えているのだろう。


 下手をすれば、実際の体高以上にあの怪物を強大に捉えているのかもしれない。


 ……それだけアレの存在は、異常なのだ。



 ズシン――ズシン

 ミシミシミシ


 俺たちが様子を窺っている間にも、大地は一定の調子で揺れ、木々が折られる音が響く。

 怪物はあの巨体にも関わらず、移動しているのだ。

 

 ただ歩くだけ。

 進むだけ。

 大地を踏むだけで、地震の如き揺れを生じさせ、美しい森を均しているのである。


 脚の本数は4本。

 1本1本が俺たちの住む家よりも遥かに巨大であり、その脚先には鋭く太い爪が5本付いている。

 その爪――あるいは指の間には、薄い膜の様なものが広がっている。


 あんな脚を振り下ろされれば、人間はおろか頑丈な建物とて、ひとたまりもないだろう。


 そんな巨大な脚に支えられるのは、それに見合う大きさの甲羅・・である。 


 遠景でなければ全容を把握できないその様は、完全に山だ。

 しかし通常の山とは異なり、各所は鋭く尖り、周囲一帯を威圧するかのように広がっている。


 おそらく質量の多くを、その甲羅が占めているのだろう。


 質量の暴力。


 そこに在るだけで、生物たちを脅かす存在感。


 初めて聖堂を見た際に抱いた「圧倒される感覚」に、ほんの少し似ているかもしれない。


 ズシン


 そんな極大の存在が、再び1歩を重ねる。


 歩む動き自体は鈍く、ゆっくりに見える。

 しかし巨躯からくる歩幅を考えれば、あの存在が恐るべき速度で進行あるいは侵攻していることが分かるだろう。


 ズズズズ


 進行方向と逆の方向には、長大な何かを引きずった跡が残っている。


 尾だ。


 異常に長い尾。

 脚よりもずっと細い、しなやかな尾が生えているのだ。


 太さを捨てた代わりにその長さは、獣の体躯の何倍も長く、時折左右に振られるだけで周囲の木々を薙ぎ倒している。


 ……歩くだけで、ここまでの破壊をもたらすのか。


 ガアァァァァァ!


「「っ⁉」」


 ビクッ!


 地の底から響くような轟音が、俺たちの身を叩く。


 この世全てを憎むかのような、低く暗い雄叫び。


 その音を発したのは、進行方向に向けて生えた頭だ。


 巨躯に相応しい太さ。

 甲羅と同じく所々が鋭く尖り、鎧を着込んだかの様に厳めしい風貌。

 叫びを上げた口からは鋭い牙が何本も見え隠れし、獲物を噛み砕きたいと言わんばかりにバクバクと開閉される。


 その目は鋭く尖り、異様に血走っていた。

 ギョロギョロと周囲を見回す様子は、やはり獲物を探しているようにしか見えない。


 怪物――魔物の相貌はいわゆる亀。

 それも真っ黒な、闇色の亀である。


 しかし亀特有の可愛らしさは鳴りを潜め、あるのは異常なまでの巨躯由来の威圧感と、その色合いに相応しい禍々しさ。


 世界に暴威と破滅を振りまく、暴力的な存在として場を完全に支配している。



「あの魔物……ゲルディに向かってる!」


 更なる数歩の揺れによって、怪物の目指す目的地が判明する。

 奴は俺たちの帰るべき場所――聖教国ゲルディへと、歩を進めていたのだ。


「ハイリン! 教皇様に至急報告を!

 ゲルディ北部にて、異常に巨大な魔物が現れたと!」


「了解!」


 少女は白ローブのポケットから、小型の金属板通信用魔道具を取り出し、教皇様と連絡を取り始める。


 ……さて、どうするか。


 退くか。

 それともあの魔物を、食い止めに行くか。


 ハイリンの守りを優先するのなら、徹底して前者を選びたい。

 だが問題は、退いたところであの化物が、ゲルディを目指しているということだ。


 ……それはつまり――


 どうにか帰ったところで、アレと対峙しなければならないことを示している。


 ……生き延びられるか?


 最早勝ち負けではない。

 あの化物を相手にして、ゲルディの民の被害をどれだけ抑えて逃げることができるか。

 そういう次元の話だ。


 ……アレが相手では――


 俺たちを倒したルングはおろか、姉のクーグルンさんも、その師匠の王宮魔術師レーリン様ですら、勝てるイメージが湧かない。


 ゲルディにも防衛機構はある・・・・・・・

 だがそれを用いたところで、陥落するのが早いか遅いかの違いでしかないように思える。


 しかし――


「教皇様! 私たちであの魔物を食・・・・・・・・・・い止めます・・・・・

 なので、他の聖騎士と聖女たちがそちらに戻り次第、大結界シュトリッシュを発動してください!

 皆を守ってあげてください!」 


 聖女の凛々しい声が一方的に捲し立てる。


 どうやらこの少女は、逃げるつもりも守られるつもりもない様だ。


「――!」


 ……通信先の教皇さまが何事か叫んでいるのを――


 ブチ


 ウチの聖女は迷いなく断ち切る。


「ハイリン……良かったのか?

 あんな風にしたら、教皇様が泣くぞ?」


 ハイリンは、何度もかかってくる連絡を切りつつ笑う。


「もう……ゾーガったら大袈裟ね。

 こんなことで、お父様が泣くわけないでしょう?」


 ……いや、こいつこそ分かっていない。


 教皇様が、どれだけ聖女たちを大切にしているのか。

 宝物のように接しているのか。


 それを一切合切理解していない。

 教皇様への愛情の理解度が、浅すぎる。


 幼少期のハイリンが転んで怪我した場所を、数日後には安全な更地に変えた親バカっぷりを忘れたのだろうか。


 おそらく今頃、ゲルディ内では大荒れごうきゅうのはずだ。


「……それで、どうしてもアレと戦うのか?」


 そびえ立つ巨躯に目を遣り、聖女に視線を戻す。


「ふふん! ゾーガにしては珍しいわね? 怖気づいたの?」


 腰に両手を添え、堂々と胸を張る姿はイラっとするが、よく見るとその身体は震えている。


 ……本当は、自分が1番怖いくせに。


 幼い頃からずっと一緒に居るからこそ、彼女のことはよく知っている。


 この少女は臆病だ。

 痛いのが嫌で、傷付くのが嫌で。

 誰よりも怖がりで泣き虫なのを、よく知っている。


「俺が? まさか……一緒にするなよ」


「わ、私が怖がるわけないじゃない!」


 モゴモゴと断言する・・・・・・・・・と、怖がりな少女はぐっと拳を握る。


「私は聖教国ゲルディの聖女の1人よ?

 女神様に尽くし、国に尽くし、民に尽くす。

 それが、私たちの役割なの。


 ……たとえどんな敵が現れようともね」


 ……怖がりだからこそ。


 臆病だからこそ。

 他の人たちに、そんな思いをさせたくない。


 それが少女の根本。

 少女の人としての在り方だ。


 青い瞳には、強い覚悟が現れている。 

 たとえ自分自身がどうなろうと、故郷を守るという強固な意志が、美しく輝いている。


 ……そんなハイリンだからこそ――


 俺は彼女を守りたいのだ。


「はあ」と軽くため息を吐く。


 ……それに、長年の経験でよく知っている。


 彼女がこの顔をしている時は、何を言っても無駄なのだ。


「仕方のない聖女様だな」


「そんな私だから、ゾーガは私の事大好きなんでしょ? 大切なんでしょ?

 分かってるんだから! もっと貴方は私への愛情を言葉にすべきよ!


 言っておくけど、意地悪な子は流行らないから注意した方がいいわ!

 私を射止めたいなら、特にね!」


 幼馴染に白けた目を送るが、胸に応えた様子はない。


「何? 話だけは聞いてあげてもいいわよ? 文句は受け付けないけど!」


 ……文句なんてないさ。


 ただ、呆れているだけだ。


 この聖女の純粋さに。

 清らかな意志に。

 美しいこころの輝きに。


 逆らえない自分に・・・呆れているだけだ。


「先に言っておくが、危ないと思ったら、直ぐに連れて帰るからな?

 その時は、お前の意志を無視するぞ?」


「そこはお任せするわ! 私の騎士様」


 にこりと微笑む少女を、抱きかかえる。


「了解だ、行くぞ――俺の聖女様」


 そう応えて俺は――俺たちは、怪物の支配する戦場に飛び出したのであった。

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