第133話 聖騎士と聖女は魔術師の恐ろしさを知る
ダッ!
……体が軽い。まるで羽の様だ。
風が頬を叩き、靴裏が大地を踏みしめる。
体の軽さに対して、大地の返す手応え――踏み応えは強い。
しかし、変じる視界の中心には、常に1人の少年が存在していた。
黒髪黒ローブの魔術師。
少年と青年の丁度中間の時期の、顔立ち。
可愛らしさと格好良さの混ざった顔に張り付く、絶望的な無表情。
クーグルンさんの弟にして、王宮魔術師レーリン様の弟子――ルングだ。
たった1人で俺たちに挑み、ハイリンを脱落させた少年は、こちらの挙動に木剣で照準を合わせて、
「随分と楽しそうだな! ルング!」
いくらかの打ち込みに対して、少年はどうにかこうにか付いてきていた。
「楽しいですよ。ハイリン様のその光属性魔術が興味深いです。
それにこのままいけば……俺が勝ちますし」
……気付いていたか。
今俺にかけられている『
しかしその分、効果の継続時間は短い。
故にもう――遊んでいる時間はない。
グッ
強く踏み込み、少年の懐に全開で飛び込む。
「はああぁぁぁぁ!」
放つのは逆袈裟切り。
少年の脇腹から肩口を抜ける様に、木剣を力強く切り上げる。
「っ⁉」
少年は脇腹の前――こちらの木剣の軌道上に自身の木剣を立て、剣身に手を添える。
おそらく、俺の剣を受け止めるつもりなのだろう。
しかし、
「合わせられたからといって、受けられるとは限らないぞ!」
「む、どういう――」
ハイリンによる最高の強化魔術。
そして素の身体能力の差。
……これだけの要素が揃えば、力負けする謂れはない!
木剣同士が衝突すると、乾いた音を立てて
これまで俺の剣戟に対応できていた少年も、この強化の程は想定外だったのかもしれない。
……ここだ!
これまでの攻防で、少年の対応力はよく理解している。
この機会を逃せば、すぐさま俺の動きに適応するだろう。
その上こちらの強化は、これが天井。
ハイリンはもう動けない以上、ここで叩かなければ勝機はない!
「うおおぉぉぉぉ!」
少年に向かって駆ける。
狙うは宙にいる少年。
必殺の1撃を以って勝負を決める!
ドンッ!
最大の踏み込みにより、矢のように飛び出す。
風に身を晒しながら、少年との距離がみるみる詰まる。
交錯するのは一瞬。
引き出すのは最速。
反応される前に、敵を穿つ!
最大の危機にも関わらず、少年の目に焦りはない。
未だ好奇心を秘めた目で、俺を見据えている。
……その危機感の無さこそが、こちらにとっての好機だ!
少年を剣の間合いで捉えたところで――
「
最大の切り札――
ハイリンによる強化の限界。
それを更に
体は意識の制御から羽ばたき、これまでを遥かに上回る最高効率で
……本当はこの訓練で、使う気など無かった。
「ツーカはあくまで未来の前借」
そう言った教皇パーシュ様の言葉は正しい。
俺が鍛錬すればするほど、俺の剣はツーカが示す剣へと近付いていくからだ。
では、ツーカを頼りに鍛錬をしないかといったら、そんなことはない。
ツーカは言うまでもなく便利だ。
何も考えずとも、身体が勝手に最高の剣を繰り出すのだから。
自動化された剣。
鍛錬のいらない剣。
時にはそれを、羨まれることがある。
しかし俺は、この力が好きではない。
なぜなら、鍛錬の積み重ねがいらないということは、実感や達成感もまた存在しないのだから。
人の意志など関係なく、信念など不要。
そんな剣は、ただの獣となんら変わらない。
いや、むしろ獣には生きようという意志がある分、まだそちらの方がマシとすら思える。
……俺は、剣を振るうのなら――
自身で振るいたい。
自身の意志でハイリンを、教皇様を、この国を守りたいのだ。
故に
しかしそれでもその使用を認める時は……
……すまないな、ルング。
形振りなど構わない。
俺はただ、
自身の木剣を持つ腕が、ルングとの接触に合わせて引かれていく。
集中は限界を超え、自身の動きが遅々として見える。
腕は聖女の輝きで満たされ、目一杯引き絞られた。
……この動き。
放たれるのは、おそらく最高速の突きだ。
ルングの反応すら許さず、木剣は彼を突き砕くに違いない。
しかし次の瞬間――
「何⁉」
衝撃に目を見開く。
突きを放つために、限界まで引かれた木剣。
その剣先。
そこに既に、
「読んだのか⁉ 俺のツーカの動きを!」
……どうやって⁉
……だが、まだ甘い。
確かに腕が曲がり切った状態での突きは、最速ではないかもしれない。
しかしそれでも、ハイリンとツーカの強化が重なっている俺の方が、身体能力は上のはず。
合わされたルングの木剣を突き割れば、勝てるはずだ。
しかし、俺の思考が読まれているかのように、更に少年の口は動く。
「『
直後に起きたのは、光属性魔術の白光だ。
……物体強化魔術か⁉ マズい、止まれ!
しかし、俺の動きは止まらない。
既に世界魔力の制御下にある体は、俺の判断で動きを変えることはない。
俺の木剣は、少年の輝く剣先へと押し込まれていく。
ピシリ
そうなれば砕けるのは……強化魔術のかかっていないこちらの方だ。
……ここまでやったのに――
負けるというのか⁉
しかし、取り返しのつかない切札を切ってしまった今、自身の敗北を傍観することしかできない。
……すまない、ハイリ――
「『
負けを覚悟した刹那――声が響く。
激励するように高らかに伸びゆく声は空に届き、
……ハイリンだ。
俺の幼馴染。
俺の相棒。
俺のほんの少し気になる子。
俺の聖女様だ。
彼女の声に押され、俺の体は輝く木剣を突き入れる。
……今度は。
一方的に砕けることはない。
強化された木剣たちは、互いに勝利を譲らず――
バキッ
2本とも砕けたのであった。
「……
それまでの蓄積もあったんでしょうが、『
「面白かった」と、少年は訓練場の端で呟く。
……危うかった。
俺の
ハイリンの土壇場の強化魔術が無ければ、確実に敗北していただろう。
ちなみに魔力切れ寸前まで追い込まれながらも、最後に魔術を発動した聖女様は――
「うう……苦いよお。青臭いよおぉぉぉ。
ルング君、魔力は回復したけど、これ何なのおぉぉ」
「やっぱり、不味いですよね。もう少し、実験が必要だな……。
ハイリン様、次もよろしくお願いしますね?」
「嫌だよおおぉぉぉぉ。不味いよおぉぉぉぉ」
「まあ、ハイリンは置いておくとして……どうして俺のツーカの動きを、読めたんだ?
何か、未来予知みたいな魔術でもあるのか?」
俺の言葉に少年は、ニヤリと笑う。
「そんな便利な魔術は見つけてませんよ、まだね。
正確には逆です。
……ツーカだからこそ?
「どういう意味だ?」
「そうですね……ツーカって、
世界魔力を身体に宿すことで、そのエネルギーが自身の未来の動きを再現する。
現在の実力を超えた挙動すら可能とする。
ただしその代償として、自身の意志で身体制御できなくなる。
そうですよね?」
「……ああ、そうだ」
少年は満足そうに頷く。
「
世界魔力を解析できれば、ゾーガ様の体の動きを先読みできると思ったんですよ。
予想通り、無事成功しましたね」
……ということは何だ。
「お前はあの一瞬――
流石にそれは無理だろう?」
俺の言葉に少年は頷く。
「そうですね、流石に無理です。
だから
「……それはそれでおかしいだろう?
お前の言葉が正しければ、お前は俺を最初からツーカ持ちと知っていたみたいじゃないか?」
……教皇様から聞いていたのか?
俺の問いに、少年は自身の目を指差す。
「
ゾーガ様、貴方の魔力は明らかに魔術師のものではない。
であれば、ツーカを持っているのだろうなと判断しました。
訓練相手に貴方を指名した理由は、それですよ?
ツーカが見られると思って」
……なるほど。
そういう事だったのだ。
初めから彼には分かっていたのだ。
俺がツーカを保有していることを。
迷いなく指名した理由が、正にツーカだったのだ。
「や……やっぱり、ルング君はゾーガが目的だったのね!」
ようやく幼馴染が、復帰する。
それでも顔をしかめ続けているあたり、口の中にあの丸薬の味は残っているらしい。
……どれだけ不味いんだ?
「これはもう少し、実験台が必要だな……後でゾーガ様にも頼むか」
「遠慮なく断るぞ、俺は」
少年の恐ろしい言葉に、先手を打っておく。
「それは残念です」と少年は然程残念ではなさそうな声で呟くと、ハイリンへと向き直る。
「そうですね……後はハイリン様の光属性魔術も見てみたかったですし。
そういう意味で、ゾーガ様とハイリン様目的だったのは否定できませんね」
ハイリンはそれを聞いて、ドヤ顔で胸を張る。
「ふふん! やっぱり私が大正解だったわね!
ゾーガ、聞いた? 私の聡明さを実感できたわね?
今後貴方は私をもっと敬い、媚びへつらうべきよ!」
「断る。その時間があるなら、教皇様をお助けしたい」
「大丈夫! お父様はゾーガに助けられる程やわじゃないわ!」
「それはお前が決めることではないだろ⁉」
……まったく、この聖女は。
調子が戻ったら、直ぐこれである。
俺たちの気の置けないやり取りを、ルングは淡々と、しかしどこか楽しそうに感じる無表情で見ている。
……クーグルンさんに喫した以来の、久しぶりの敗北。
いや今回の結果は、一応引き分けだったか?
しかし、気持ちの上では惨敗である。
年下相手に2対1。
ツーカも使わされた上、この少年は戦闘スタイルをこちらに合わせていた様に思う。
彼はあのレーリン様の弟子。
本来なら、もっと魔術を使用するはずだ。
しかし今回彼が使用した魔術は、自身の身体強化と
舐められていたのか、それこそ丸薬の様に実験台にされていたのか。
……俺たちが勝っていれば、文句の1つでも言えたのに。
引き分け――それもほぼ負け同然の引き分けである。
……末恐ろしい子どもだ。
「さて……ゾーガ様、ハイリン様」
その子ども――ルングの表情が
「俺は言いましたよね?
『俺が
「……そういえば、そうだったな」
「でももう、ルング君は教えてくれたよね?
ゾーガの
「ええ、その通りです。
お2人が覚えてくれていて、助かります」
少年の輝きはどこか、獲物を捕らえた捕食者の様な達成感に満ちている。
……寒気が止まらない。
調子に乗った時の、ハイリンを見ているかのような。
なにかバカなことに巻き込まれそうな、嫌な予感。
「でも、今回の結果は――」
「引き分け……だね」
ハイリンも、この異常な空気を読み取ったのか挙動不審だ。
「さて、どうしましょうか?
結果は『引き分け』なのに、お2人の勝利報酬である『指名理由』を教えました。
それなら、お2人も
少年は、ニョロニョロと這うように詰め寄ってくる。
……速い。
そして怖い。
「どうしよう、ゾーガ! 私、払えるお金ないよお⁉」
「安心しろ、俺もない」
……埋め合わせというのは、何をさせられるのだろうか。
少年はやはり口元だけで、ニヤリと笑う。
……笑顔のつもりなのだろうか。
せめて目元も笑うとか、声を出すとかしろよ。
取り繕っている分、恐怖が増すんだよ。
「金がないなら仕方ありませんね。
では、お2人の身体で支払ってもらいましょう」
悪魔の様な少年は、
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