第122話 3姉妹の想い

「む――」


「ヴィッツン、起きた⁉ 大丈夫⁉」


 目を開けると、心配で耳の垂れた姉の顔がアタシを出迎える。


「姉ちゃん、ここは――」


「分からないわ。私も連れて来られたの。

 とりあえず……目覚めて良かった」


 涙を浮かべる姉を慰めるために体を起こそうとして、ようやく手枷の存在に気付く。

 体の前で両の手首が手枷によって固定され、自由が制限されていた。


 ……硬い。


 一見するとただの土だ。

 土が手枷の形をかたどっているだけで、簡単に破壊できそうに見える。


 しかしその感触は岩に近い。

 ガッチリと固められており、中々の重量を誇っている。


 ……これも魔術か?


 よく見ると、姉の腕にも同様の物が装着されている。


 重たい上半身をどうにか起こして、周囲を見回す。


 故郷では見たことないくらい、綺麗な部屋だ。


 木の匂いが香る机とテーブルに、そのテーブルを挟み込む様に、尻尾の収まりの良さそうなソファが設置されている。


 アタシが今寝ていたベッドもまた、綺麗に整えられていた。

 清潔で真っ白なシーツは触り心地も良く、寝ている者を幸せな柔らかさが包み込む。


 更に視線を移動させていくと、壁には大きな窓。

 外は未だ暗いままだが、高い天井に設置されたモノから、光が降り注いでいる。


 ……あれも魔術によるものなのだろうか?


 ガチャリ


「「っ⁉」」


 呑気に部屋の観察をしていると、この部屋唯一の扉が音を立てる。


「……ああ、起きてて良かった。これで話が聞けそうだな」


 入って来たのは、初めて畑に辿り着いた時に見た、ローブ姿の男だ。


 高い身長に、がっしりとした体格。


 そしてやはり――耳も、尻尾も生えていない。

 

 目の端は吊り上がり、その口元はへの字に引き締められている。


 ゴクリ


 警戒と緊張からか、姉が隣で生唾を飲んだ。


 ……ただ――


 男の匂い自体は、嫌ではない。

 穏やかな土の匂い。

 そして姉と少し似た、ぶきっちょの匂いがする。


 ……まあ、だからといって。


 警戒心を解く理由にはならないのだが。


 静寂が部屋に落ちる。


 男は部屋の入り口から、ゆっくりこちらベッドへと近づきながら、おもむろに口を開いた。


「何から聞くか……そうだな。2人とも、まず言葉は伝わってるか?」


 姉と顔を見合わせ、同時にコクリと頷く。

 種族の違うアタシたち相手に、一応話をする気はあるらしい。


 男はベッド横までやって来て、歩みを止める。


「悪いが、手枷はそのままで話すぞ。

 ベッドの上そこで良いから、話を聞かせてくれ。


 お前――君たちは、獣人……だよな?

 獣極国じゅうきょくこくシュティアの国民ってことで、良いのか?」 


「……はい、そうです」


 おずおずと答えた姉に、男は眉根を寄せる。


「どうしてそのシュティアの人が、この農業伯爵領に?

 もし、侵略が目的なら――」


「ち、違います! 私たちは逃げて来たんです!」


「逃げて?」


「そうだ! 故郷が魔物に襲われて、逃げて来たんだ!

 逃げ回ってたら、いつの間にか国境を越えてたんだ!」


 アタシたちの必死の弁明を、男は険しい顔・・・・で聞いている。


「じゃあ、どうして畑――ってこれは違うな。分かりきったことだ」と、男は片手で顔を隠すように覆いながら、首を振る。


「……畑に盗みに入った・・・・・・理由は、食料確保の為か?」


「……」


 言い直した男の問いを前に、無言で姉と視線を交わす。


 狩りができなくなり、八方塞がりの食糧難の末に盗みに入った。

 それは事実であり、男の言は見事に正鵠を射ている。 


 だがだからこそ、大きな問題があった。


 ……ラーザいもうとのことである。


 男を透かして、部屋を再び盗み見る。


 畑に出ていたが、部屋の様相から判断するに、男が平民の可能性は低い。

 羽織った茶色のローブの生地は艶やかで、中に着ている服も綺麗だ。


 おそらくこの男は、高貴な血を引いているのだろう。


 アタシたちの故郷における村長むらおさや、それに近い立場に当たるのかもしれない。


 そして故郷では、問題事があると村長がそれを裁いていた。


 ……つまり――


 アタシたちのやった野菜の盗難。

 それをこの男が、裁く可能性があるということだ。


 アタシと姉は、罰せられるのも覚悟してやった。

 だから、それは良い。

 できれば姉は助けて欲しいが、難しい望みだろう。

 

 しかし、この場にいないラーザは違う。

 彼女はアタシたちが盗った野菜を、ただ食べていただけだ。

 アタシたちの吐いた嘘を、純粋に信じて美味しく食べただけ。


 ……でも、それを正直に言ったとして、信じられるだろうか?


 この男の人間性なんて、勿論アタシが知る由もない。

 それならラーザの存在がバレていないことを信じて、黙っていた方が良いのではないか?


 けどそれだと、アタシたちが捕まれば、ラーザは1人で――


 切羽詰まった状況の中で、不安が支離滅裂なままに広がっていく。

 あらゆる不安は明滅し、正しい着地点がどれなのか判断できない。

 

「そうです。私が・・妹を食べさせるために盗みました!

 ここにいる妹は、無理矢理手伝わせていただけなんです!

 だから、この子は許してください!」


「なっ⁉ 姉ちゃん⁉」


 ……やられた。


 アタシが思考の迷路で迷っている間に、姉はいち早く結論を出したらしい。


 ……いや。


 ひょっとすると姉は、以前から決めていたのかもしれない。


 もし捕まったら、自分が罰を受けようと。


 ……そんなことはさせない!


「違う! 盗んだのはアタシだ!

 姉ちゃんは、アタシを庇うために言ってるだけだ!

 だから、姉ちゃんは許してやってくれ――ください! アタシが罰を受けます!」


「妹こそ、私を庇おうと嘘をついています! 信じないでください!」


「姉ちゃんこそ、嘘つくな!

 そもそも、あの畑を見つけたのは、アタシだろ!」


「そんなの関係ないわ! ヴィッツンは黙ってなさい!」


「……2人とも、一旦待ってくれ」


 男は頭痛でもするのか、こめかみを抑えながら話を続ける。


「まとめると……君たち2で、協力して野菜を盗ったってことだな?」


「「はい!」」


 ……図らずも、アタシたちの声が揃う。


 どちらが主犯かを譲る気はない。

 けれどこの一連のやり取りで、男の言質は取れた・・・・・・・・


 男は今、アタシたち2人が盗ったということを、認めてくれた。

 少なくともこれで、ラーザは守れる・・・・・・・はずだ。


 妙な安心感が、アタシと姉を包み込む。

 

「美しい姉妹愛だが……君は・・どう思う?」


 ガチャリ


 しかしその安堵は、室外から響いた淡白な・・・・・・・・・・と、乱入者・・・によって崩される。


 室内へと流れ込む空気に混じる、慣れ親しんだ匂い・・・・・・・・

 アタシたちの宝物が・・・・・・・・・、室内へ入ってくる。


「なっ⁉」


「ラーザ⁉ どうして⁉」


 1番下の妹。

 今は洞窟で寝ているはずの妹が、そこには立っていた。


 いつもの可愛らしい顔は辛そうに歪み、尾も耳も力なく垂れている。


 ……違う!


 衝動的にベッドから跳ね飛び・・・・、男の足元に縋りつく。


「違うんだ! ラーザは――妹は何もしてないんです!

 ごめんなさい、謝ります! 罪を償うために、何でもします!

 だから妹は解放してください! お願いします!」


 ……少女は、アタシたちとは違う!


「ごめんなさい! 不甲斐ない私が原因なんです!

 ラーザは何も知らないんです! 許してください!」


 姉もまた、同じ様に許しを請う。


 ……妹はアタシたちが盗ってきた野菜を、知らずに食べさせられただけなんだ。


 だから、許してください。

 お願いします。


 アタシは――アタシたちは、どうなってもいいから。

 だから、妹だけは……助けてください。


 アタシたちの叫びに構わず、ラーザの背後・・・・・・から声が響く・・・・・・


「なあ、君――ラーザ?

 君は2人の姉の妹として、何か伝えたいことはあるか?」


 顔を上げるとそこには、無表情の少年が立っていた。

 淡白で冷たい目。

 感情など意味がないとでも言いたげな、冷徹な目だ。


 少年はその目をラーザに向けると、少女の肩をアタシたちに向けて軽く押す。


 トットット


 軽い足音が室内に響き、男の隣――アタシたちの目の前までやって来た。

 妹は懇願するアタシたちに向けて、口を開く。


「アイ姉ちゃん、ヴィー姉ちゃん、あの美味しいお野菜は……盗んできたものだったの?」


「ごめん、ラーザ! 本当にごめん!」


 ……胸が痛い。


 顔が歪む。


 知られたくなかった。

 実の姉が野菜を盗み、妹にもその野菜を食べさせていただなんて。


 ……そして何より――


 知られることで優しい妹に失望され、嫌われるのが怖かった。


 言い訳が口を突いて出そうになるのを、必死に堪える。

 姉もまた似たような形相だ。


「……私のために、盗ってきたの?」


「それは違うわ! ただ食べたくて盗ってきたのよ。

 ごめんね……不甲斐ないお姉ちゃんで」


 姉は震える声で絞り出す。


「違うんだ、ラーザ。

 畑なんかを見つけた、アタシが悪かったんだ……」


 ……ああ、何度目だろう。


 頬を涙が伝う。


 弱い自分が悔しかった。

 恥ずかしかった。

 情けなかった。


 盗みこんなことをしないと、妹に食べさせてやれない自分が、不甲斐なかった。


「そう……」


 ラーザは悲しそうにアタシたちを見て、背を押した少年へと振り向く。


 ……失望させただろうか。


 不安に曇るアタシたちを庇うように・・・・・、ラーザは少年に語り始める。


「えっと、お姉ちゃんたちは、私の為に・・・・盗んでしまったみたいです。

 ごめんなさい。ですから……私が2人の分も罰を受けます」


「何言ってんだラーザ! 違う! アタシが悪い!」


「ち、違います! 罰を受けるべきは私です! 妹2人は関係ないんです!」


 そんなアタシたちの姿を見て、最初に来た男は手で顔を覆い続けている・・・・・・・・・


 そして、もう1人の少年はその姿をチラリと見て、憂鬱そうに嘆息すると、妹のラーザ――そしてその後方にいるアタシたちへと視線を戻す。


「生きるのは戦いだ。

 生きるために形振り構わないその姿勢は、嫌いではない。

 止むを得ない事情があったのは……そこの先輩も理解していることだろう」


 少年は再び男――先輩とやらに視線を向けてしばし待つと、諦めた様にこちらへとまた戻す。


「だが、罪には罰が必要だ。

 犯してしまった罪には、報い――あるいは償いがな」


 少年は、妹に手を差し出す。


「さあ、どうする?

 俺は君に罪があるとは思わない・・・・・・・・・・。勿論、君の姉妹にもな。


 生きることを優先するのは、生物として当然だ。

 そこに善も悪もない。


 だがもし君に償う意志があるのなら……この手を取るがいい」


 無表情の少年は、口元だけでニヤリと笑う。


 まるで妹を罠へと誘い込むような、不気味な笑みだ。


 その笑顔から、アタシたちを守る様に対峙する妹の背中から感じられるのは、熱い闘志。


 アタシたちの為に、時間を稼いだ両親。

 畑でアタシを逃がそうとした姉。


 彼らから感じた、覚悟の匂いだ。


「私は姉ちゃんたちを、尊敬しています!

 大好きです!


 弱い私を守るためにいつも頑張ってくれてる、自慢の姉ちゃんたちです。


 今回はちょっと間違えちゃったかもしれないけど……。

 それでも、大好きなのは変わりません。


 だから今度は……私が2人を守ります。支えます!」


 握られた拳に、凛々しい声。

 妹の決意の響きは、少年を強く叩く。


 その想いを聞いた少年の目は温かみを帯び、笑みは優しいものへと変わっていく。


 そしていつの間にか――


 アタシたちの涙もまた、温かいものへと変わっていた。


「だから私に償わせてください!

 償い方を、教えてください!」


「よろしくお願いします」と、アタシたちの少女たからものは、少年の手を取る。

 力強いその姿は最早、守られるようなか弱い・・・存在ではなかった。


「良いだろう……契約成立だ!」


 そう言うと少年は、人が変わったかのように瞳を輝かせたのであった。

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