第121話 次女と長女は畑に足を踏み入れた
「……うっ、やっぱり臭うな」
「ラーザの安全の為だから……私も好きな訳じゃないのよ?」
ガサガサ
姉と共に、洞窟前に
切り取ってしばらく経っているため、色合いは
既に枯茶色のものが多く、その中に辛うじて黄緑から薄黄色に近いものが混じっている。
切り取った時の青臭さはもうないが、独特のツンとした臭いは未だ残っていた。
なぜこんな事をしているのかというと――
「これで魔物を追い払えるなら、安いもんじゃない?」
この植物には、
アタシたちが、魔物から逃げ隠れしていた時のことだ。
限界だったのだ。
睡眠もろくに取れず、何日も走り続けた。
その当然の結果としてアタシたちは、心身ともに限界を迎えていたのだ。
魔物が迫る中、3人で草むらにうずくまる。
……もう動けない。
誰のものとも分からない吐息の音が、草むらの中に満ちる。
3姉妹の中で、最も体力のあるアタシでさえこの様なのだ。
姉と妹も、言うまでもなく限界だった。
過酷な状況にも関わらず、弱音を吐かないラーザも。
そんな妹を心配している姉のアイランも。
アタシも。
誰も話さない。
もう、話す気力も体力も残っていないのだ。
身動きできず、後は死を待つのみ。
迫る足音と、むせ返りそうになる血の匂い。
それに怯えながら、姉妹で身を寄せ合う。
……眠い。
もう何も考えられない――考えたくない。
立ち上がる気力は湧かなかった。
……寝てはいけない。
そう理解していても、瞼は重みを増し、遂には閉じられる。
薄目で姉妹たちを見ると、彼女たちも似たような様子だ。
ズシンズシン
地響きと、おぞましい匂い。
朦朧とした意識の中で、アタシは最期を覚悟する。
……ああ、せめて――
せめて、姉と妹だけは助かって欲しい。
そんな想いと共に、アタシの意識は闇へと沈んでいった。
……結局――
アタシが目を覚ますと、姉と妹は無事隣で寝ていて、魔物の姿は影も形もなかった。
周囲が踏み荒らされている中で、アタシたちの隠れていた草むらは避けられたらしい。
注意して周囲を観察すると、同種の植物は選り分けたように生き残っていた。
……正直な話、本当に効果があるかは分からない。
しかし、アタシたちが助かったのも事実。
それ以来、その植物を発見する度に、葉っぱを何枚か収穫するようにしていたのだ。
洞窟前に
この葉以外、特に嫌な臭いはしない。
耳にも意識を集中させるが、そちらも問題はなさそうだ。
冬の夜に相応しい静けさ。
生命の息吹を感じさせない、冷たい静寂が耳に残る。
「……ヴィッツンは、やっぱり残らない?
ラーザ1人残すのは、心配だし」
姉はアタシを、心配そうに見ている。
これから再び畑に乗り込み、野菜を盗む予定だ。
それに連れて行きたくないのだろう。
……しかしその気持ちは、こちらも同じだ。
「……いや、アタシの方が姉ちゃんよりも鼻と耳が良い。
逆に姉ちゃんこそ、残った方が良いんじゃないか?」
アタシの言葉に、姉は力強く首を振る。
しばしの沈黙の後、姉が折れる。
「……わかった。
でも、無理はしないから。いざとなったら直ぐ逃げるからね?」
「ああ……早く済ませて戻って来よう。ラーザも心配だしな」
耳に
でもきっと姉ちゃんは、懲りずに何度も聞き続けるのだろう。
……そしてアタシも。
変わらない答えを、返し続けるに違いない。
「……どう?」
相変わらず広い畑を遠目に、姉と2人で周囲の様子を探る。
「人の
クンクン
畑には、土と作物の匂いが充満している。
しかし、微かにそれとは異なる匂いも残っていた。
例えば水やりの水。
まだ混ざりきっていない、撒かれた肥料。
……そして――
畑の世話や、見張りをする人間の匂いだ。
アタシの知っている匂いの中に、新しい人間の
1つは、花と金属の混ざり合ったものだ。
この畑で何度か見たことのある少女の香りとも少し似ているが、それが強い
もう1つは非常に薄い。
アタシの感覚は、他の獣人よりもずっと鋭い。
耳は遥か遠くの音を聞き分け、鼻は土や植物を細かく嗅ぎ分けることが可能だ。
この広大な畑の範囲くらいは、意識せずとも読み取れる程度に鋭敏である。
しかし、その鋭い鼻を以てしても薄い。
最小限の匂いしか、残っていなかった。
……だがそれでも、分かることはある。
「……まあ、
両方とも、アタシと同年代の人間の子どもだ。
見張りの数は、変わってないみたいだし」
「それじゃあ……」
姉と顔を見合わせて、コクリと頷く。
見張りの匂いは、未だ感じない。
ひょっとすると、今日はもう来ないのかもしれない。
「ああ、行こう! 早く済ませて、ラーザの所に帰らなきゃな」
アタシの言葉に、姉は複雑そうな表情を浮かべている。
……姉ちゃんは、真面目だ。
そういうところも、好きなのだが。
「うん……わかった。
じゃあ私が先に行くから、ヴィッツンは付いてきてね」
姉は躊躇いを振り払うと、足音を立てない様に気を付けながら、畑へと踏み入る。
足裏に伝わる土の感触。
鼻を満たす土と野菜の濃厚な香り。
作物は、どれもよく熟れている様だ。
「ねえ、ヴィッツン?
何か、
……敏感になり過ぎているのだろうか。
姉は怯えた様子で、畑を見回している。
「いや――」
クンクン
「音も匂いも感じないぞ? 気のせいじゃないか?」
「そう……?」
それでも姉は、警戒を緩めない。
……何かあるのか?
姉の態度に、少しの引っ掛かりを覚える。
……どうする? 止めるか?
だが目と鼻の先には、大きく丸々育った野菜が植わっている。
「……もう来ちゃったし、早めに取ってずらかろう」
「……そうね。もう来ちゃったもんね」
……ラーザも楽しみにしていたし、ここで引くわけにはいかない。
「ごめんなさい」と呟きながら、姉は屈む。
細腕を野菜に伸ばした直後――
「っ⁉ ヴィッツン、逃げて!」
姉の叫びに反射的に地を蹴る。
「どうした、姉ちゃ――」
……何⁉
向けた視線の先には、大きな土の塊が
アタシが先程まで立っていた位置と、姉が屈んだ位置。
2つの場所に、土の塊が現れたのだ。
「逃げなさい!」
思考が止まりそうになる中、1つの
「姉ちゃん⁉」
土塊の中に、姉の匂いがあった。
土が姉を捕らえ、拘束したのだ。
「一体何が――」
「『
くぐもった声が
すると、飛び退いたつま先を掠め、左右の土が
……これか⁉
これが姉を捕らえ、土塊を出現させたのだ!
「姉ちゃん、今助けに――」
「来ないで!」
ビクリ
警戒しながら姉の土塊へ駆け寄ろうとすると、必死の怒号によって制される。
「逃げなさい!」
ブル
感じたことのない言葉の圧力に、身が震える。
「でも――」
「でもも何もない! 私たちには守らなきゃいけないものが、あるでしょう⁉」
……そうだ。
ここでアタシも捕まってしまえば、ラーザだけを残してしまうことになる。
それは避けなければならない。
……だけど。
姉をこんな所に置いて、逃げるわけには――
「ヴィッツン、ラーザを……よろしくね」
「っ⁉」
顔は見えない。
だが覚悟を決めた声に、こちらも覚悟を決める。
「……わかった! 必ず助けに戻るから!」
「戻らなくていいから、逃げなさい!」
ダッ!
姉に背を向け、走り出す。
景色が次々と後ろに流れていく。
広大な畑を駆け抜け、あっという間に森へ。
冬の風を切って進む中、目の端から零れそうになる涙を拭う。
……泣くな! まだだ!
自身に言い聞かせる。
父も母もアタシたちを守り、遂に姉まで囚われてしまった。
……でも――姉ちゃんはまだ間に合う。
アレは確か……魔術。
獣人が苦手で、人間の得意とする技術。
……であれば、その使用者――魔術師がいるはずだ。
あの土は、姉を仕留めていなかった。
つまり、生け捕りが目的なのだろう。
……絶対に助ける!
ラーザの安全を確保した後に、魔術師を見つけ出し、姉を取り戻す!
できるできないではなく、やるのだ。
決意の下、更に足に力を入れようとした瞬間――
ドオオン――
「な、何だ⁉」
遥か後方から轟音が響き、
……これも魔術か?
分からない。
これから何が起きるのか、予想もつかない。
……嫌な感じだ。
焦りの中、足を止めず走り続ける。
しかし――
「あまり気乗りしませんわね」
「だ、誰だ⁉」
背後の声に振り向くと、そこにはドレス姿の少女。
アタシと同年代ぐらいの女の子だ。
その手足は、武骨な黒の鎧によって覆われ、腰には剣を帯びている。
それにも関わらず――
ドン!
……これか!
先程の轟音の正体は、これだったのだ。
その圧倒的な脚力に任せた踏み込み。
それによって、大地が雄叫びを上げたのだ。
……アタシが逃げきれない⁉
故郷でも、アタシに追い付けたのは一握りの大人だけだった。
魔物の大群からも、どうにか逃げきったというのに。
1歩毎に少女は加速し、こちらとの距離がみるみる詰められていく。
「くっ⁉」
そして――
ドンッ!
最後にして、最大の咆哮が轟く。
花の香りを纏った風が同心円状に吹いたかと思うと、中心にいたはずの少女の姿が
「どこだ⁉ どこに⁉」
……何が起きている⁉
アタシの視線の先には、少女によって踏み割られた大地。
……やばいやばいやばい!
混乱の中、耳に意識を集中させたアタシが、
「これもルングの指示ですの。お許しくださいな」
カク
少女の申し訳なさそうな声と同時に走る、顎への軽い衝撃だった。
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