第120話 獣人の次女は皆を守りたい
「今日もご飯、おいしいね! ヴィー姉ちゃん!」
薄暗い洞窟の中、少女――
嬉しさを表現するように、
その小さな手には、彫り抜かれた木の器と匙。
大きめの石をいくつか積んで作ったテーブルの上には、他にも木の実や焼き魚などが並んでいた。
空の器を
……まったく、可愛い妹だぜ。
「そうだな! アイ姉ちゃんのご飯は最高だな!」
そんな
しかし作った当人――
アタシたちと同色の黄色の髪。
しかしその頭上にある縞模様の両耳は、ペタリと伏せられている。
「……どうしたの? アイ姉ちゃん?」
ラーザは心配そうだ。
ご機嫌で揺れていた尾の動きが、ピタリと止まってしまっている。
……まったく。
「姉ちゃん、どうした? 寝てんのか?」
アタシの声は壁に反響し、姉を強く叩く。
すると姉は、ビクっと弾かれるように顔を上げた。
その面持ちには生気がなく、憂鬱そうだ。
「……あっ⁉ ごめん、何?」
「ラーザが、姉ちゃんの料理美味いってさ! なあ、ラーザ?」
アタシの言葉に、妹は頬を膨らませる。
「ヴィー姉ちゃん、『
「良いじゃねえか! どっちも一緒なんだし!」
「ダーメ!」
少女はペシっと尻尾で床――といっても洞窟のゴツゴツとした地面だが――を叩く。
……これは割と本気で怒ってるなあ。
耳と尾には気持ちが出る。
それにしても――
「……やべえ、アタシの妹可愛すぎ!」
衝動のままに抱き上げようとして、拒否される。
「お行儀悪いからダメ!」
食事中に抱き上げるのも、ダメなようだ。
そんな姿も最高に可愛い。
「ふふふ……」
「アイ姉ちゃんも、ヴィー姉ちゃんに注意してよ!」
お怒りのラーザを見て、姉ちゃんはようやく微笑む。
「ごめんね……ラーザ。
……姉ちゃんは笑っている。
なのに目の端はキラリと輝き、空気にはしょっぱい香りが混ざっている。
「姉ちゃんが嬉しいなら、もっとラーザを笑わせないとな!」
「ああもう! ヴィー姉ちゃん、怒るよ?」
それを誤魔化すためにラーザをくすぐろうとして、睨みつけられる。
……その姿も可愛い。
何やっても可愛いなんて、マジなんなんだよアタシの妹。
……ああ、でも――
こんな穏やかなやり取りも、久しくしていなかった。
できなかったのだ。
生活するのに、生きていくのに、いっぱいいっぱいだったから。
ふと故郷での生活を思い出す。
その国の中に、アタシたちの故郷ヴァ―ロス村は
獣極国シュティアは強者が弱者を守り、弱者は強者を支えるのが国是の国だ。
王を頂きとして、皆が自身よりも弱き者を守る。
大人は子どもを。
年長は年少を守る。
年少は年長を応援し。
子どもは大人の仕事を手伝い。
大人たちは村長の仕事を分担し。
各村や族長たちが、王を支える。
アタシたちの故郷ヴァ―ロスも同じだ。
村長は勇ましく戦い、大人たちは子どもたちを守るために戦う。
子どもたちは野を駆け、草花や土の匂いに染まりながら狩りを手伝う。
大人たちは仕留めた獲物を皆で分け合い、誰もが食っていけるように計らう。
そんな騒がしくも、のどかな村だった。
本当に良い村だったのだ。
そうしてある日――村はあっさりと
突然だった。
むせかえる様な恐ろしい
大量に村の外に生じた
迫る足音。
アタシたちよりも軽いものから、大地が揺れるように感じる轟音まで。
数は分からない――数え切れない量だった。
村の外で生まれたその大量の
「アイラン、ヴィッツン、ラーザ、逃げろ!
ザイラ! 3人を任せたぞ!」
父はそう言って、家族の後を追って来る魔物に立ち向かっていった。
「アイラン、2人を守ってね。
ヴィッツン、ラーザ。
元気でね。お姉ちゃんを支えてあげてね」
母はアタシたちの頭を撫でて、父と同様に魔物へと挑み、散っていった。
逃げる時間を稼ぐためだった。
村の多くの人々がそうして命を散らして時間を稼ぎ、そのおかげで、アタシたちは生き延びることができた。
涙も汗も拭わず、わき目もふらず。
力の限り走って、走って、走り続けて。
叫んで、喚いて、憎んで。
何処に居るのかすら、分からなくなるくらい逃げ続けて、ようやく辿り着いたのが今いる洞窟だった。
初日は3人で塊となって眠った。
死んだように寝続けた。
そうして、この洞窟での生活は始まったのだ。
最初は暗い顔をしていたラーザも、必死に生活している内に慣れ始め、今では笑顔も見せるようになっている。
……ただ――
アタシとラーザのやり取りを見て微笑んでいた姉――アイランの顔には、時折影が差している。
そしてその理由は、
「それにしても、このお野菜美味しいよね!
「ええっと、それはその――」
「ああ! 狩りに出た時に仲良くなった婆さんが、くれるんだよ!」
耳や尾でバレない様に、
音や匂いに、それが出ていないだろうか。
自分自身のことを確認するのは、難しい。
「そうなんだ! こんなに美味しいお野菜をくれるなんて、優しい人なんだね」
ラーザの嬉しそうな笑顔に、チクリと心が痛む。
妹が嬉しそうに笑えば笑う程、罪悪感がアタシの胸を苛んでいく。
……夏から秋の間は、まだ良かったのだ。
森には生命が溢れていたから。
アタシたち獣人の鼻と耳の感覚は鋭い。
それをもってすれば、森に入って獲物を捕らえるのは難しくない。
そうしてどうにか生活をしてきたのだ……
目まぐるしく時は過ぎ――寒く苦しい冬が来た。
木々の葉はすっかり落ち、生き物たちは冬越えのために巣穴から出なくなった。
狩りの成果で生きて来た私たちにとってそれは、深刻な痛手となる。
保存食は作っていない。
いや、作れなかったのだ。
母と姉が、いつも冬前に作ってくれていた保存食。
その処理には、いくつかの調味料が必要だった。
この時期の母と姉のクシャミが酷かったのは、そういう理由だったらしい。
しかし、アタシたちが今いるのは洞窟。
必要な調味料を手に入れる手段などなかった。
どうにか秋に捕らえた動物たちを、切り詰めながら食し、薄い望みを抱きながら狩りに出る日々。
動物の匂いはおろか、草花の匂いすらしない森を、アタシは必死で彷徨い続けた。
そしてある日、
……視界いっぱいに広がる、巨大な畑を。
最初は喜んだ。
でも、アタシたちの努力が実って、そんな数少ない農家の畑を見つけられたのだと思った。
柄にもなく女神様に感謝してしまう位、大喜びしてしまった。
……これで姉や妹を助けられる。
アタシはまだ子どもだ。
けれど、体力には人一倍自信があった。
農家の手伝いをして、代わりにほんの少し食料を貰えれば。
そんな期待を、持ってしまっていたのだ。
畑を遠巻きに観察していると、1人の男がやって来た。
フードの付いた、茶色の長いローブを羽織っている男だ。
背は高く、割とガッシリした体付きをしている。
だが、
……くそっ! ここは
気付いた――気付いてしまった。
アタシたちは全力で逃げ続けた結果、
これでは頼ることはできない。
そもそもの人種が違う。
アタシたち獣人に対して、彼らは耳や尾のない人間。
数百年前は、彼らと血で血を洗う争いをしていたと聞く。
その時代には、獣人が奴隷にされる事件があったとも。
……怖い。
それを知っていたからこそ、初めて見る人間が怖くて仕方なかった。
しかし、冬は始まっている。
今から帰るにしても、シュティアがどこにあるのか、どのくらい距離があるのか想像もつかない。
そんな見通しの無い状態で出発しても、生き延びることはできない。
……それに――
仮にどうにかシュティアに辿り着けたところで、魔物によって滅ぼされた故郷の誰に頼れるというのだろう。
途方に暮れ、その場で立ちすくむ。
八方塞がりだった。
もう、アタシたちに未来はないのだと。
そう宣言されたように感じて、足が動かなくなった。
しばし無為な時間を過ごした後、当てもなく歩き始める。
足は重く、みるみる目から涙が溢れてくる。
不甲斐なかった。
悔しかった。
姉ちゃんや妹の助けになれない自分自身が、何より悲しくて仕方なかった。
涙を止めるのに時間がかかり、洞窟へと戻る頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。
肌を刺す風は、ずっとアタシを責め続けている。
「ヴィッツン、どうしたの?」
涙はもう流れていないはずなのに、姉はアタシの様子に、何か気付いたようだ。
優しくも少しやつれている顔。
……知っている。
アタシたちを食べさせるために。
生き延びさせるために。
姉が自身の分の食料を少し削っているのを、アタシは知っている。
それをさせないために、アタシは今日狩りに出たというのに。
「ごめん、姉ちゃん。何も捕まえられなかった」
……情けない。
奥歯がギリリと音を立てる。
「仕方ないわよ。今は冬だし、ヴィッツンのせいじゃないわ。
それを言ったら、私だって捕まえられなかったし。
見つけられたのはこの位よ?」
姉は、か細い腕で自身のポケットをまさぐる。
中から出てきたのは、いくつかの木の実だ。
獲物が見つからなくても、少しでも皆のお腹が満たせるように。
そんな気遣いが嬉しくて、痛かった。
「……えっ⁉ ヴィッツン⁉ どうしたの?
どこか痛いの? お腹空いた?」
……歯を食いしばっても、涙は止められない。
嗚咽が漏れてしまう。
「あれ? ヴィー姉ちゃんどうしたの? 寒かった?」
洞窟の入り口で立ち尽くすアタシたちを、妹も心配したらしい。
中から出て来たかと思うと、アタシの腕を両腕で抱きかかえる。
……温かい。
けれど、とても小さく頼りない手だ。
不意にいなくなってしまいそうな。
いつ吹き消えてもおかしくない、仄かな灯だ。
……嫌だ!
叫びがアタシを満たす。
もう失うのは嫌だ。
家族が居なくなるのは……嫌なのだ。
小さな希望を抱きしめる。
「ヴィー姉ちゃん?」
胸の中で、不安そうにアタシを見上げる妹。
……守る。
絶対に守って見せる。
姉を。
妹を。
希望を。
アタシたちの未来を守ってみせる。
「ああ良かった。姉ちゃん泣き止んだね。
もう、心配させないでよ!」
ラーザは、嬉しそうにアタシの胸に顔を埋める。
「ああ……悪かったな」
腹が決まる。
……アタシたちの未来を守れるのなら、どんなことだってやってみせる。
そんなアタシを、姉は不安そうに見守っていた。
「ヴィッツン、どこ行くの?」
皆が寝静まった真夜中。
そろそろと洞窟から出て行こうとするアタシを、姉が呼び止める。
「何でもねえよ? ちょっと夜の狩りにでもさあ……」
「嘘ね。尻尾が垂れてる」
「マジか⁉」
振り向くと、いつも通りの尾。
再び姉に視線を戻すと、そこには
……やられた! 騙された!
「それで……何考えてるの? 言いなさい」
1歩1歩距離を詰めて来る。
優しい人は、怒ると怖い。
顔だけは笑っているが、酷い剣幕だ。
仕方なく、先程見たものとアタシが
「なるほどね……ヴィッツン、ありがとう。
そこまで私たちのことを、考えてくれてたんだね」
優しい声色に、思わず顔を上げる。
「っ⁉」
いつも優しい姉ちゃん。
しかしその顔は今、キリリと引き締まっている。
覚悟を決めた表情。
どこか
「ヴィッツン、
「姉ちゃん、それは断るぜ」
これはアタシの想い。
アタシの決意だ。
たとえ大好きな姉の命令だとしても、この役割は渡さない。
アタシだって、
「姉ちゃんが何と言おうと、アタシは絶対に行く」
そんなアタシの顔を見て、姉はため息を吐く。
不服そうな、それでいて嬉しそうな。
複雑な表情だ。
「……わかったわ。ただ、危ないことがあったらすぐに逃げるからね?」
「了解だぜ、姉ちゃん!」
良くないことは、わかっている。
それでもアタシたちは、生き残るために――
その夜、初めて畑から野菜を盗んだのであった。
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