第119話 後輩と貴族の矜持

 ザク


 土に鍬平くわびらがすんなりと刺さる。

 ほんの少し盛り上がった土。

 それを確認して後退しながらくわを手前に軽く引くと、フカフカの土があっさり掘り返された。


 ……冬の畑は良い。


 寒いからなのか、空気が澄んでいるように感じる。

 体は動かすにつれて少しずつ温まり、吐息が外気に冷やされて白を纏う。


 ……何より。


 虫が少ないというのが最高である。

 再び鍬を振りかぶり――


 ザクザクザク


 その動きを無心に繰り返す。

 数ヶ月前は触れたこともなかった鍬だが、今ではすっかり手に馴染んでいる。


 ……人間というのは不思議だ。


 重苦しい気持ち・・・・・・・も、体を動かすと、ある程度和らぐのだから。


「兄様、どうして自ら畑を耕されてるんですか?

 いつもみたいに、魔道具を使えばいいのでは?」


 声の方向に目を向けると、そこにはおさげ髪の少女が立っている。

 青みを帯びた焦げ茶の髪。

 少し鋭い目つきだが、少女の優しい性格もあって、全体的に穏やかな雰囲気を醸し出している。


 妹のフリッシだ。


「体を動かしたい気分の時もあるんだよ」


「そうなんですか?」


 フリッシは不思議そうに首を傾げるが、俺から答えがなさそうだと判断すると、直ぐに水やり作業へと戻る。


「そっちだって魔道具じゃなくて、水の魔術で水やりしてるだろ?」


「それとこれとはまた違うと思いますけど……あっ! 兄様!

 この野菜すごく大きく育っていますよ! 良かったですね!」


 冬の寒気の中にあっても、少女の笑顔は温かい。

 地面から生えた作物たちも、少女の輝きと魔術の水を浴びて、気持ちよさそうに天に向かって背伸びしている。


「……まあまあだな」


「兄様ってば、またそんなクールぶって……」


「ぶってない。俺は実際クールなんだ」


「無愛想なだけでしょう? もう仕方ないですね」


 少女はそんなことを言いながら、ご満悦の様子で作物の葉に触れている。


「それにしても……作物も大きいですけど、規模も広いですよね?

 夏季休暇は私も手伝いましたけど、大変じゃありませんでした?」


 ぐるっと見渡すと、視界一面作物だらけだ。


 育て方を教わったルングのヴァイ。

 それに加えて今が旬の葉菜ようさい類、根菜こんさい類、豆類が畑をびっしりと占拠している。


 ……ちょっとやり過ぎたか?


 混沌とした畑に対して、そう思わないでもない。


 当初はルングのヴァイ以外、何を育てるのか決めていなかった。


 そこで育てやすい作物を使用人たちに募ったところ「育てやすいもの」から「育てたいもの」へと話が波及し、気付けばこの規模まで膨れ上がってしまったのだ。


 ……その分、手を貸してもらえたのだが。


「ありがたいことに、使用人の皆も領民たちも手伝ってくれたからな。

 どうにかギリギリ育てられている。皆に感謝だな」


 ……だからこそ・・・・・色々と気が重い・・・・・・・のだが。


「……もしかして俺たちって、先輩たちの手伝いをさせられるんですか?」


「まあまあ。得意なんだから、それはそれで良いじゃないですの」


 兄妹の会話に割って入る2種類の声。


 振り向くとそこには、黒髪無表情の少年と腰に剣を指した鎧ドレス・・・・の少女が、畑作業をする俺たちを、見つめていたのであった。




「ルング君! それにリッチェンさん! ようこそ! ランダヴィル領へ!」


 妹が笑顔で少年と少女を出迎える。


「は、初めましてですの!

 急なお願いでしたが、聞いていただき、ありがとうございますですの!」 


 それに対し、少女は緊張の響きを伴った謝意を述べる。


 おっかなびっくりの台詞と比べて、その動きは機敏かつ丁寧だ。

 頭を下げるその立ち姿は小柄ながら、既に一端の騎士。

 妹と話していると、いよいよ貴族令嬢と護衛の騎士にしか見えない。


 妹たちの初々しいやり取りを、微笑ましく眺めていると――


「もし俺に雑用させようというのなら、考えがありますよ」


 ゾッ


 囁かれた言葉に、肌が粟立つ。


「魔力を断って気配を消すな。

 俺の後ろに立つな。

 声にドスを聞かせるな!


 久しぶりの先輩にとんだご挨拶だな、この野郎!」


 ……先程まで少女騎士の隣にいた少年は、気付けば俺の背後に回り込んでいる。


 こういうところは、あの・・王宮魔術師レーリン様の弟子ということなのだろう。


 この後輩は研究畑出身に見えるが、案外実践――実戦派なのだ。


「それは失礼しました」と、少年はゆっくり背後から視界の中へと戻ってくる。


 共同研究を終えて、早数ヶ月。

 ほんの少し見ない内に、背が伸びただろうか。

 漆黒に染まる髪と、整った顔立ちに収まる茶の瞳。


 ……しかし、中々人気のありそうなその容貌に対して――


 全てを台無しにする圧倒的な無表情っぷりも、また健在である。


「ちなみに雑用をさせた場合、どうなるんだ?」


「厳密な時間計算の下、給与を請求します」


 ……なんだ。


 てっきり、恐ろしい報復でもあるのかと思っていたのだが。


「思ったよりもふつ――」


「ちなみに俺の時給は金貨1枚です」


「払えるかそんな額!

 ウチの使用人の年収・・が金貨6,7枚だぞ⁉」


 ……危なかった。


 流れで雑草の1本でも抜かせていたら、その相場で給料を請求されていたのかと思うと、冷や汗が流れ落ちる。


「……冗談ですよ先輩。俺と先輩の仲じゃないですか。

 精々、俺の仕事・・・・に付き合ってもらうくらいですよ」


「事実のトーンで冗談を言うな。怖いだろ。

 ……まあ、俺の相談事を解決してくれるんなら、いくらでも付き合ってやるよ」


 ……俺の気持ちを軽くしてくれるなら。


 仕事の手伝いなんて安いものだ。


「では、契約成立ということで。

 ……ちなみに先輩は、結婚相手や婚約者はいませんよね?」


「ああ、まだいないが……それはどういう意図の確認だ?」


「他意はないです」


 ……早まった気が、しないでもない。


「さて先輩。では相談の畑まで案内してください」


 脂汗の止まらない俺をよそに、少年は粛々と歩を進め始めた。




「父上とは会ったのか?」


「ええ。最近の伯爵領の事情とか、色々お聞きしました。

 先輩たちの今日の居場所も、伯爵様から伺ったんですよ。

 作物を育て過ぎたせいで、人手が足りないってことも――」


 妹と騎士の少女は仲良く水やりを始めたので放っておき、ルングと共に畑の中を歩く。


 キョロキョロ


 少年は目を細めながら・・・・・・・、畑を忙しなく見回している。


 ……眩しいのだろうか?


 日差しは出ているが、夏場と比べるとずっと弱いはずだが。


 しかし見難そうに顔をしかめながらも、その歩みに迷いはない。


「……この辺りですかね?」


「よく分かったな……野菜は無いのに。俺は最初、気付けなかったぞ?」


 ……この後輩にだけ見える、畑の何かがあるのだろうか。


 少年は盛り上がった・・・・・・土の部分・・・・――うねの前で、立ち止まっている。


 静かに見据えているのは、土に植えられた野菜と野菜の間・・・・・・・の空間・・・だ。

 

「野菜と魔力が密集しているから、分かり辛いのかもしれませんね。

 でも少し欠けがある・・・・・・・ので、何とか見つかりました。

 これは、先輩が埋め直・・・・・・したんですか・・・・・・?」


 ルングの見つめる空間には、先日までもう1本野菜が存在していた。

 しかしその野菜は、いつの間にか行方をくらましていたのだ。


「いや、俺は埋め直していない。

 野菜が減っていると気付いた時には、もうその状態だった」


 ルングは以前作物の在った場所に屈み、その土を観察し始める。


 綺麗に整えられた土。

 しかしその土は作物を掘り返した後、何者かに埋め直された・・・・・・・・・・である。


「……こんな風に、土を埋め直す動物や魔物っていると思うか?」


 俺の期待を込めた・・・・・・問いを、少年はバッサリ切り裂く。


「いないと思います。

 踏み荒らされたような跡もなかったんですよね?」


「ああ。掘り出した跡どころか、足跡も残ってなかったな」


 後輩は畑から俺に顔を向けると――


「掘り出した跡を埋め直す。

 足跡も残らないように細工する。


 そんな害獣はいませんよ。

 仮に埋め直すとしても、もっと雑でしょうし。


 それは先輩も・・・分か・・っていたことでしょう・・・・・・・・・・

 明らかにこれは人為的なものですよ」


 俺が考えたくなかった・・・・・・・・真実・・を、少年は淡々と告げる。


「……やっぱお前も・・・・・・そう思うか?」


「はい」


 少年の短い言葉に、苦い気持ちが広がる。


 人為的ということはつまり、誰かが抜いた――盗んだということだ。


 ふうぅぅぅはあぁぁぁぁ。


 大きく息を吸って、吐く。


 ……この畑から盗ったとなると、犯人は領内の者で確定だろう。


アンファング村じもとだと、子どものイタズラだったりってことも結構ありますけど、いたりします?」


「そこまで多くはないが、いるな。

 ただ無くなったのが判明してからは、畑に見張りも付けてみたんだが」


「それで被害は止まったんですか?」


「いいや。見張りのいない時機タイミングが分かっているかのように、いつの間にか無くなってるんだ」


「それなら、犯人が普通の子どもの可能性は薄いですね。

 見張りのいない時間がバレているとなると……」


 少年は考え込む様に腕組みする。

 整った顔立ちに真剣な瞳は、一種の絵画の様に美しい。


 そして――


 ……この無愛想な少年は今、俺に配慮している。


 言葉を途中で止めたのが、その証拠だ。


 何をどこまで話せばいいのか。

 言葉にしてもいいのか。

 嬉しいことに・・・・・・、迷ってくれているのだろう。


 この少年もまた、俺と同様の考えに辿り着いたのだ。


 見張りのいないタイミングを見計ることのできる存在。

 それは領民――それも、俺の身近な人物である可能性が高いことに。


 ……不器用な奴だな。


 研究や実験では、遠慮なく鋭い物言いをするくせに。

 こんな時は、妙な思いやりを見せる。


 ……不器用なのは、俺も同じか。


 人の心の機微に疎い少年が、そんな気遣いをしてくれていることはとても嬉しく、そして心苦しかった。


「俺の身近な人が、犯人だと思うか?」


 故に俺は、自身で敢えて明言する。

 後輩は一瞬だけ俺を見て、再び視線を土に戻す。


「そうですね……可能性はあると思います。ただ――」


「ただ?」


 言葉の先が気になったが、ルングはそれに答えない。


「最初に盗られたのはいつで、それから何本盗られてるんですか?」


「妹からお前に伝言を頼む丁度1週間前に気付いて、それから週1本ペースで抜かれてるから……そこに生えてたのも合わせて4本のはずだ」


「変じゃないですか?」


 少年は畑を見回す。


「何が?」


「これだけ野菜があるのに、盗った数が少な過ぎると思うんです。

 売り払うなら1本ずつだと足りないでしょうし、自分で食べるにしても何度も盗みに来るより、1回で大量に盗ってしまえばいいと思うんですよ」


「発覚させたくなかったんじゃないのか?」


「確かにそうかもしれませんが、複数回盗みに入る方が危険リスクがあるのでは?

 初回以降、見張りが居るんですよね?」


「だが犯人が身内なら、見張りのいないタイミングが分かるだろう?」


「それはそうですけど……」


 ルングはしばし考えると、再び口を開く。


「先輩、直近で盗られた野菜は、ここのもので合ってますか?」


 少年は目前の畝を指差す。


「そうだが……そんなことまでわかるのか?」


「ここは他と比べると、まだ濃い・・ですから。ちなみに何日前ですか?」


「2日前だな」


 ……濃い?


「なるほど……」


 少年は顔を上げて立ち上がると、俺に正面から対峙する。

 何を考えているのか読めない双眸。


 しかし数ヶ月の付き合いで、彼のことはほんの少し分かっているつもりだ。


 ……おそらくだが。


 この後輩は、自身の考えをまとめ終えたのだろう。


 少年はゆっくりと口を開く。


「先輩、お聞きしたいんですけど、宜しいでしょうか?」


「何だ、そんな改まった口調で」


「もし俺が犯人を捕らえたとして、先輩は貴族としてどうしますか?

 処刑ですか?」


 ……バカなことを。


 そんなの決まっている。


こんなこと・・・・・で処刑なんてするもんか。


 貴族おれたちは領民から、税を受け取って生活している。


 俺の着る服も、この土地も、家も。

 全て民の血税によって賄われたものだ。


 だからこそ、貴族とは領民たちを守らなければならない。

 民を簡単に処刑する者など、それは貴族ではない。


 ……無論、説教くらいはするつもりだが。

 だが、まずは事情を聞く。話はそれからだ。


 それに――」


 畑作りの際、手伝ってくれた領民たちの顔が浮かぶ。


 鍬の振るい方を。

 水のやり方を。

 雑草の抜き方を。


 ルングから教わったことも、教わらなかったことも。


 彼らは親切に教えてくれたのだ。


 ……だから俺は、彼らを信じたい。


 彼らが仮に作物を盗っていたのだとしても、そこには何らかの事情があったのだと信じたいのだ。


 少年はまるで俺を見透かすかのように、真っ直ぐに見つめる。

 そして満足そうに頷くと、


「では、少しお時間を頂きます。

 確認したいことも・・・・・・・・ありますので・・・・・・


 俺を安心させる無表情で、そう告げたのであった。

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