第114話 息抜きと魔道具。
ガサガサ、シャッ、ペラ
紙とペンの音が室内に響く。
性別による可不可の関連性無し。
身長を用いた絞り込み不可。
体重は男子のみの情報だが、大きな差異無し。
紙を
簡単にメモできる前世の携帯電話やパソコンの便利さが、今は心から恋しい。
性格情報における共通点・相違点、共に無数有り。
魔力の大小との関連性は不明。
しかし、魔力量最大のリッチェンが起動に能わず。
その他の情報は――
「――ん! ルンちゃん!」
「む……」
身体を揺すられて、研究から意識が帰ってくる。
暗い室内に満ちる濃厚な魔力。
「どうした、姉さん」
魔力の発生源に目を向けると、茶髪を輝かせた美少女が満面の笑みで立っていた。
「……ってあれ、ザンフ先輩は?」
先輩も朝からここに来て、共に魔道具の使用条件の考察を深めていたはずだが。
「ザン君? 私が帰った時にはいなかったよ?」
ふと机上を見ると、端に焼き菓子とメモ。
メモには「俺は帰るが、絶対に食えよ!」と、整った字で綴られている。
どうやら先輩はもう、帰宅したらしい。
リッチェンと騎士学校の学生たちに、協力を仰いで早数日。
未だ魔道具の使用条件の手がかりはない。
「……もしかして、俺が夕食当番だったか?」
……今日は、姉さんの日だと思っていたが。
外を見ると、すっかり夜だ。
ついさっき、先輩が来たと思っていたのに。
……熱中していると、時の経過が早い。
「ううん! 今日はこの私! クーグルン様の日だよ!」
「いつから様の付く立場に……」
「お姉ちゃんは様でいいの!
むしろルンちゃんは、お姉ちゃん以外に様を付けちゃダメ!」
……また訳の分からないことを。
「じゃあ、
「え? レーちゃんとトラちゃんでいいんじゃない?」
「公爵様は?」
「こうちゃん!」
……怒られるぞ?
そう思わなくもないが、この姉なら何故か受け入れられる気もする。
実際誰が相手であろうと、未だにタメ口だし。
「それで姉さ――お姉ちゃん様は、何か用か?」
俺の言葉に、少女は満足そうに頷く。
「ルンちゃん、様を付けたからには私の言うことを聞かなきゃいけないの!
わかる?」
濡れ羽色の瞳は、俺を捉えて離さない。
おそらく俺が頷かなければ、この状態がずっと続くのだろう。
「……ああ」
「よし!」
根気に負けて頷くと、姉はひったくるように俺の手を取る。
「じゃあ、今から息抜きするよ! レッツゴー!」
「おい――」
「問答無用!」
こうして俺は、姉の勢いのままに連れ出されたのであった。
……そうは言っても、俺たちはまだまだ子ども。
夜の街を遊び歩くわけもなく――
「あっ! ルング!」
連れ出されたのは、俺たちの家――といっても公爵様が用意してくれた家だが――の庭だ。
声を上げたのは、馴染みの少女リッチェン。
どうやら彼女と共に、何かするつもりらしい。
「研究は落ち着いたんですの?」
「いや、まだだな。
よく分からんが、姉さんに連れて来られたんだ」
「そうなんですの……」
少女の表情が少し曇る。
彼女への感謝は先日伝えたものの、心配なのは変わらないみたいだ。
「大丈夫だ、心配するな。
研究はあらゆる可能性を想定し、潰していくものだからな。
時間も当然かかる。村にいた時も、そうだっただろう?」
「そうですけど……」
こちらの様子――というよりは顔色か?――を窺う仕草。
どれだけ俺が言葉を繕っても、研究が落ち着くまで彼女は心配を止めてくれないのかもしれない。
「……」
少女と無言で見つめ合う。
そんな居心地の悪い沈黙を――
「ルンちゃん、お姉ちゃんの教えを忘れたね?」
静観していた姉が両断する。
「教え?」
姉はやれやれと首を振ると、ビシッと俺を指差す。
「考えても仕方ない時は、身体を動かして気分転換!
行き詰まったら、リっちゃんと組手って教えたでしょ?」
「……ああ、そのことか」
確か旅立つ前に、そんなことを言ってた気もする。
「偶にルングが、私を組手に誘ったのって――」
「そうだ。研究の気分転換だ」
「体術に目覚めたわけでは、無かったのですのね……」
いつも姿勢の良い友人の姿が、煤けて見える。
「……感謝はしてるんだぞ?
リッチェンの体術は格好良いし、流れる様な身体強化は綺麗だしな。
見ているだけで勉強になる」
「そ、そうですの」
少女は、嬉しそうに身体をもじもじさせる。
身体操作と身体強化の見事な調和。
騎士リッチェンとの組手は、相手をしているだけで楽しい。
そんな俺たちのやり取りを、姉は愉快そうに見ている。
「思い出したなら良いよ! 許してしんぜよう」
「何様だ……お姉ちゃん様か」
「そう! その調子だよ!
やっぱりそのぼやきが、ルンちゃんらしいよ!」
「……そんなに褒められると照れる」
「いや、絶対褒めてませんわよ⁉」
……久しぶりだな。
研究が始まると、俺も姉もそれにかかりきりになる。
リッチェンは騎士団業務で忙しい。
故に、こんな調子で3人で話すのは、割と久しい。
姉と幼馴染との慣れ親しんだやり取り。
それを楽しむ余裕が、最近は無かったように思う。
「……ふう」
……少し急ぎ過ぎていたのかもしれない。
姉は感覚派。
森羅万象全てを楽しむタイプだ。
自身の感覚に従って動き、正しいと思ったことには全力を尽くす。
そんな姉が、俺に息抜きが必要だと感じたのなら、それは正しいのだろう。
「……やるか、リッチェン」
「ルング、受けて立ちますの!」
俺の言葉に、幼馴染は不敵に笑う。
「姉さん、
持ってきていた魔道具。
開発して以来、常に持ち歩いていたそれを、姉に手渡す。
「おお! これがルンちゃんたちの……でも、私が持ってていいの?」
「大丈夫だ。先輩から許可は貰っている。
量産の時には、手伝ってもらうかもしれないしな。
何より壊すわけにはいかない」
「おっけー!」
受け取るや否や、姉は邪魔にならない様に、生えている木の陰へと移動する。
……これから始まるのは真剣勝負。
それを彼女は、理解しているのだ。
リッチェンはそんな姉を見て満足そうに頷くと、一足飛びに離れる。
ふわりと舞うドレス。
重そうな生地の割に、着地の音は立たない。
「ルング――」
スッ
少女は腰を落とし、静かに構える。
「研究は兎も角、今は私から目を離さないことを、お勧めしますわ!」
ドンッ!
大地を踏みしめる音と、輝きを放つ魔力。
「安心しろ、俺は一途だ!」
迫る少女に合わせる拳。
……今日こそは、この幼馴染に勝つために全力を注ぐ。
ここ1ヶ月程、頭から離れなかった魔道具研究。
しかしこの時ばかりは、俺の頭を幼馴染の少女が占めるのであった。
「どう、ルンちゃん! スッキリしたでしょ?」
「ルング、少しは気分転換になりましたか?」
2人の少女が、俺の視界に入る。
……眩しい。
月よりも眩い、輝く魔力と笑顔。
「気分転換にはなったが、手加減してくれても良かったんじゃないか?
姉さんなんて、不意打ちで参戦なんて反則だ。断固抗議する」
……ちなみに俺は、仰向けに大の字で寝ている。
久しぶりの組手だ。
身体は思った様に動かず、敵は獣の如き速度で動き回る2人。
強化していたとはいえ、人間に勝てるはずもなかった。
「ふふふ……お姉ちゃんを放って、研究に明け暮れてるからこうなるの!
ルンちゃんは、もっと私に構うべき! 私、大正義!」
「姉さんだって、研究に打ち込んだらこうなるくせに……」
「私は研究に打ち込んでも、負けないもーん」
……ああ言えばこう言う。子どもか。
と思ったが、姉は15歳。
魔術の申し子とはいえ、まだまだ子どもだった。
「……リッチェンも、本気でやってくれたな。
むしろ、俺の分まで姉さんを倒してくれても良かったんだぞ?」
もう1人の少女を責める。
「私は手を抜かない性分ですの。
そもそも貴方とクー姉相手に、手を抜けるはずもありませんし」
動けない俺よりも、幾分か余裕のありそうなリッチェンだったが、よく見ると彼女も結構汗をかいている。
「ほら、立ちなさいな」
「ルンちゃん、起立!」
2人が差し出してくれた手を取り、勢い良く起き上がる。
暗い空を彩る月と星が、目に飛び込んでくる。
「どう? これでまた研究に打ち込めそう?」
「……ああ、大丈夫そうだ」
……不思議なことに。
少女たちにボコボコにはされたが、気分は晴れやかだった。
フルボッコだったが。
悲惨なボロ負けを喫したが。
「そういえば姉さん、魔道具はどこだ?」
姉は参戦時に、預けた魔道具を置いてきている。
さすがの少女も、魔道具を所持しながら戦う自信はなかったらしい。
「安心して! 向こうに置いてあるから!」
指で示した先には、最初に姉が避難した木。
確かにその根元付近から、魔石の魔力が見えている。
「……仕方ありませんわね。私が取ってきますわ」
リッチェンはチラリと俺を見ると、直ぐに動き出す。
こちらの残りの体力を、慮ってくれたらしい。
……素晴らしいな。
優しく、美しく、実力もある。
数年もすれば、おそらくモテモテだろう。
……姉と同じように、婚約者
俺の期待を背負った赤毛の少女は、銅貨を揺らしながら軽やかに走り、魔道具を拾うと折り返して帰ってくる。
1つ1つの動作が洗練されているのは、騎士学校での成果だろうか。
リッチェンはこちらに戻ってくると、
「はい、どうぞですわ」
そう言って魔道具を差し――
「何⁉」
「きゃっ⁉」
思わず出た声に、差し出した少女が驚く。
「どうしたの、ルンちゃん?」
同様に、驚いた姉の声。
……しかし、今は――
彼女たちを気にしている場合じゃない。
「……何故だ」
……何が起きた。
「何故、
リッチェンに握られている魔道具。
「リッチェン……動かないでくれ」
……どうする?
一刻も早く、魔道具の今の状態を解析したい。
しかし、
……考えろ。
驚愕と混乱の渦の中で、自身の思考をどうにか働かせる。
……俺が今すべきことは――
「……発動だ」
「えっ?」
少女の握っている魔道具から、目を離さずに告げる。
「魔術を発動させよう、リッチェン」
魔法円の輝きはいつも通り。
しかし、今にも消えそうに見えるのは、俺の心情故だろうか。
……その前に――
この輝きが消えてしまう前に、検証しなければならない。
その探求心と同時に。
魔道具を起動できなかったリッチェン。
魔術を発動できなくて、落ち込んでいた少女の姿が頭に過ぎる。
……この少女が。
心の優しい幼馴染が、初めて魔術を発動する姿をどうしても見たかった。
「えっと……どうすれば?」
「ピタってやるんだよ!」
「余計に分かりませんわ⁉」
姉のアドバイスで、少女は余計混乱している。
……仕方ない。
「動くなよ、リッチェン」
魔道具から目を離さずに、少女の空いている手――その手首を握る。
……良かった。
魔法円の輝きに変化はない。
……ゆっくり。ゆっくりだ。
魔道具の真上に、少女の手を誘導する。
「よし、魔法円に向けて手を開くんだ」
「こ、こうですの?」
月光がリッチェンの手によって遮られ、魔道具に影を落とす。
「そのまま魔道具――魔法円に手を下ろすんだ」
「り、了解ですわ」
俺の手の導きに従い、少女の華奢な手が少しずつ下降を始める。
魔道具にかかる影はみるみる濃くなり、最後は手によって完全に覆われた。
「姉さん、魔力を抑えてくれ」
「了の解だよ!」
姉の練度の高い魔力が、緩やかに閉じられていく。
蛇口をゆっくりと捻る様に、魔力は徐々に絞られ、気配もなく途切れた。
魔道具への干渉を最低限に抑える超絶技巧。
姉弟の
リッチェンと魔道具。
ここには今、1人と1つしかなかった。
……いけるのか?
未だに魔法円は、輝きを帯びている。
自身の額の汗の感覚が気持ち悪い。
「……ルング?」
少女の呼びかけに、魔道具から少女へと目を移す。
俺に手首を握られた少女は、真っ直ぐな瞳でこちらを眺めていた。
俺に全て任せている瞳。
心底、人を信じきった瞳だ。
……いけるな。
リッチェンなら――俺の自慢の騎士様なら、絶対にできる。
「リッチェン、復唱してくれ」
「了解ですわ!」
「『
「バ、『
少女の声が庭を満たし、その直後に――
魔法円が、俺たちの周囲に展開する。
「よし! よくやった! リッチェン!」
「や、やりましたの……?」
「やったあ! 大成功!」
三者三様の喝采が生まれると同時に――
「む……」
「きゃああぁ⁉」
「あっはっは! びしょびしょ!」
俺たちを、温かい雨が打ち濡らしたのであった。
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