第103話 魔術師からの教え。
……さて、どうする。
ザッザッ
「はっ、はっ」
木々の間を駆ける。
視線の先にはトラ先生――出会った中で最強の魔術師。
彼女を
気配を殺しているつもりなのだが、当然の様に件の魔術師の目は、俺に向いている。
その口元には愉快そうな笑み。
こちらの動向――俺がどう足掻くのかを、魔術師は楽しみにしているようだ。
それにしても――
……中級魔術を防がれたか。
放った火の中級魔術3連発。
それを防がれるのは予想通りだ。
……しかし、防いだ魔術の仕組みも分からないとは。
走りながら、牽制
「通じないか……」
当然、魔術師には通じない。
全て届かず
問題はそこだ。
種も仕掛けも分からない。
魔力の動きから、何らかの魔術が行使されていることは理解できるが、具体的な魔術の特定はおろか、顕現した現象の目視すらできないのだ。
……これが実力差。
格の違いといってもいいかもしれない。
戦う前から理解していたことだが、知識も経験も魔力の質も違い過ぎる。
その最たるものが
つまり魔術戦中でも、広大な森を守り通す余裕が、この魔術師にはあるのだ。
「ちっ……いっその事、全部爆発させて――」
「
全て防がせてもらうぞ」
時折こうして、声が魔力に乗って飛んでくる。
……聞き覚えのある言葉?
小柄な少女は、銀髪を風に晒しながら、淡々と俺を見つめている。
この相手に、そんなことを仕掛けそうな人となると――
……師匠だろうな、間違いなく。
「さっさと本気を出せ。時間が勿体ないだろう」
魔術師から、催促の言葉が届く。
悪意のない言葉だが、
あの中級魔術は、本気だった。
全力で放ったのだ。
……トラ先生――少女からすれば、種火に等しいものだったとしても。
それを本気ではないと断じられるのは、納得いかない。
……それなら、
丁度1周。
少女を中心とした、森の中の周回が終わる。
「よし」
潜伏するために、抑えていた魔力を解放する。
「来るか?」
……その魔力を見ても、魔術師から届くのは余裕の声だ。
自身と比較して小さい魔力。
故に、警戒には値しないと考えているのだろう。
……その油断が、俺の勝機だ。
吹き出す魔力を、自身の身体に集中させる。
外気に曝された魔力が、体内に収まり、身体が白光を宿す。
発動したのは、身体強化魔術。
リッチェンや姉の扱える、自身の身体能力を強化する魔術だ、
その強化を以って――
ドッ
「ほう?」
木々の合間から、瞬間の加速により、
「魔術は凄くても、体術はどうなんですか?」
問いの答えは待たない。
踏み込みの勢いが、腰の回転を加速させ、体の連動の始点となる。
腰――肩――肘――腕。
各部位の連動に、腕の捻りを加え、放つのは魔力を乗せた拳。
リッチェン直伝の右
……魔術師は接近戦闘が苦手な者も多い。
それを活かした策略。
強力な魔術師の意表を突く、肉弾戦の1手。
……もらった!
魔術師に動きはない。
確実に白ローブを捉えた拳はしかし、
「私が、何年生きていると思っている」
「……身体強化魔術に、体術もできるなんて、聞いてませんが?
卑怯では? 反則では?」
握られた拳が熱い。
拳を受けるために、莫大な量の魔力が集められている。
そんな俺の負け惜しみに、
「聞かれなかったからな」
魔術師はしれっと答えた後に――
ぐるん
握った拳を楔に、俺の腕を取る。
「なっ⁉」
白ローブがバサリと躍動し、俺に施されたのは投げ技だ。
身体が重力に逆らい、
強化された肉体による投げ技は、常識の枠を遥かに踏み超え、恐怖すら覚える速度で俺を空中へと投げ
「体術も駄目なのか……」
……追撃はない。
あくまで入学試験の一環。
故にトラ先生から、攻撃を仕掛ける気はないのだろう。
上昇の勢いは、重力によって削られていき、ある高所で遂に0になる。
……ここだ。
「『
魔術で、身体を
地上で俺を見上げる魔術師は、次の魔術を今か今かと待っている。
余裕の面持ちに変化はない。
彼女からすれば、俺の魔術も子どもの遊びと大差ないのだろう。
……天と地ほどの差。
少女の行使している魔術で、俺の知っているものは、ほぼない。
その事実だけでも、彼女が遥か高みにいる魔術師なのは明白なのだ。
……だが、そんな魔術師が相手とはいえ。
子ども扱いされるのは、好きではない。
姉や両親に村長やリッチェン、師匠やアンスたちと積み上げてきた俺の人生。
それが侮られているように感じるからだ。
だからこそ俺は、あの楽しい日々に嘘はなく、積み上げてきた研鑽は常に本気だったことを、証明しなければならない。
身体強化魔術を解く。
代わりに俺の魔力が、
そして空中の仕込みは、
……せめて、あの少女の顔色が変わる魔術を。
「
魔力が燃え上がり、
「『
詠唱と同時に、正面に展開する極大の魔法円。
狙いは地上にいる最強の魔術師だ。
魔力によって天地5つの魔法円が輝くと同時に、森を上下から炎の海が満たす。
一帯の空間を燃え盛る炎で上塗りする魔術。
師匠――王宮魔術師レーリン様が開発していた
それを
この魔術は、教わったものではない。
「上級魔術は自分で辿り着きなさい」
それが、師匠――レーリン様の教育方針だ。
故にこれはあくまで模倣。
師の研究を手伝う中で、試行錯誤を重ね、隠れて編み出した魔術。
模倣から生まれた、上級魔術の紛い物
師の上級魔術に及ばない、劣化魔術。
しかしそれでも、手持ちの詠唱魔術の中では、最大威力を誇る魔術である。
火と風の混合魔術『
だが、俺の魔法円に囚われて尚、最強の魔術師は、金色の瞳でこちらを見据えている。
「仕方のない奴め」
慈愛に満ちた魔術師のそんな言葉が、聞こえてくるようだ。
魔術師は顕現した劫火を確認すると、ポツリと呟く。
大した声量でもないはずなのに、その言葉は確かに俺の耳に届いた。
「『
次の瞬間――
世界に訪れたのは、絶大の静寂。
時が止まったかのような、沈黙が来訪したかと思うと――
「はあ⁉」
森を燃やし尽くそうとしていた、
それも、痕跡すら残さずに。
俺の魔力を大幅に消費した1撃を、少女は何事も無かったかのように消し去ったのだ。
……師匠から借りた魔術でも、通用しないのか。
だが、見ていた。
今回は、確かに見えていた。
何をしているかのすら、分からなかった少女の魔術。
それが今、俺の瞳には焼き付いていた。
……世界の魔力だ。
あの魔術師は、世界の魔力を扱っていたのだ。
姉と俺とはまた異なる運用方法。
魔術師は魔力を身体に取り込むのではなく、
魔術師の詠唱に世界の魔力が応え、俺の炎を掻き消したのだ。
……そんな魔術があるのか。
使い方があるのか。
知らなかった。
……この世界は、未だ知らないことだらけだ。
ゆっくりと下降し、再び魔術師と対峙する。
先程までの
目が離せない。
この魔術師――トラ先生と今日出会えたこと。
手合わせができたこと。
きっとそれは、この上なく幸福なのだと漸く悟る。
地上に降り立った俺に、魔術師は語りかける。
「その魔術……
よく真似できたなと褒めてやりたいが……残念ながらまだ不完全か?」
1度見ただけの俺の魔術を、彼女はもう看破したらしい。
「ええ、残念ながら。
でも褒めていただいてもいいのでは?
なんなら、俺の質問に答えてくれても――」
「答えると思うのか?
魔術師は子どもに諭すように、優しい微笑みを浮かべる。
「まだ私は、お前の
魔術師にとって魔術は世界であり、心でもある。
私もお前も、魔術の中で生き、魔術で自己を表現する生き物だ」
「だから」と最高の魔術師は続ける。
「だから早く、お前の
それこそが、お前を
簡単なようで、難しく。
分からないようで分かる。
魔術を扱う者にとって天からの導きにも等しい話が、至高の魔術師の口から紡がれる。
「
そうだ。
奥の手としていつも持っていて、常に身近にあって。
……
知っていたのに。
姉と共に父を救ったあの日に、初めて気付いたのに。
自然過ぎるが故に。
存在して当然だと、思っていたが故に。
失念していたことがある。
……
それを自覚した途端に、
否、あの時――初めて世界の魔力に目覚めた時の感覚が、
目の前の魔術師。
その背景の森。
青天に太陽。
俺の認識は視覚を超え、
「
歓喜の呟きが、耳に届く。
五感と魔力――持ち得る感覚の総てを、声を発した最強の魔術師に向ける。
……綺麗だ。
ここで初めて気が付く。
魔術師の魔力は、黄金と白銀に輝いていたのだ。
歩んできた歴史の重み。
魔術に生涯を費やし続ける献身。
強弱で測れる次元には、もういない魔術師。
彼女の長い生涯が、その魔力に詰まっている。
「まったく、私を焦らすなんて中々のものだぞ?」
「……すみません」
口では責めるようなことを言っていても、魔術師の顔は満面の笑顔のままだ。
「少し長かったが……やっとだ。そのお前を見たかった!
さあ、
意志、野望、宿願、理想。
お前の魔術には、お前がいる。
お前は
魔術師の語りにあるのは期待感。
未知の魔術――新たな魔術への渇望だ。
……正直。
この魔術師の期待に応えられるかは、わからない。
世界の魔力の一端に触れて尚、この魔術師の実力は遥か彼方にある。
だが、安心感はあった。
……この人なら。
期待は超えられなくとも、全霊であることは理解してくれるだろうと。
「いきますよ?」
スッ
突き出すのは、自身の右腕……その掌。
狙いは勿論、黄金と白銀の美しい魔術師だ。
「いいぞ。良い子だ」
魔術師は爛々と輝く瞳を、こちらに向けている。
吸収した膨大な魔力。
それを、右腕に集めつつ――
「『
「『
『
重ねた魔術――小型の魔法円が7つ。
俺の掌から前方に――魔術師に向かうように展開される。
その様はまるで砲塔。
その根元にある魔力を内包した右腕は、既に解放の時を待っている。
「トラ先生、お願いがあります」
「何だ? まだ質問には答えないぞ?」
「いいえ、そんなんじゃなくて」
……聞きたいことは多々ある。
だが今、この魔術師にお願いしたいのはそういうことではなく――
「死なないでくださいね?
死んだら、俺の質問にも答えられないので」
挑発にもよく似た言葉に、魔術師もまた応える。
「小僧が……不敬だぞ? 私が何年生きていると思っている。
だがそうだな……やれるものならやってみろ!」
生死がかかっているはずの魔術師は、最高の笑みを浮かべた。
「それじゃあ――」
……お言葉に甘えて。
掌から魔術を解放する。
放つのは
顕現した莫大な水はしかし、
体積が圧縮され、細く小さく。
発射速度に速さが更に加算され――
高密度・高出力・高速の不可避の一撃へと変貌する。
ジュッ
発射されると同時に耳に付く音と、水の
「!」
対する魔術師の刹那の動きは的確だった。
水の着弾位置を、魔力の流れと魔法円から推定し、防御の魔術を展開する。
その防御魔術と衝突する、鋭さを持った水。
バギンッ
しばしの拮抗の後、初めて聞く轟音と共に、防御魔術が割れ――
俺の魔術は魔術師の
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