第94話 新たな友人。

 ……マズい、どうする。


 俺の視線の先には、座り込む貴族――公爵家長男のアンスカイト様と、それを後ろから抱きかかえるメイド。


 その光景自体は、微笑ましいものだ。

 小柄な少年を、年上の使用人が背後から抱きしめ、頭を撫でてあやす。


 紅と銀が陽光を浴びて戯れる姿は、美しくそして愛らしい。


 ……まあ、それは良いのだ。


 そこは問題ない。

 ひょっとしたら、いつものことかもしれないし。


 今一番の問題は――


 ……貴族の少年が泣いていること。


 アンスカイト様が、ボロボロと涙を流していることである。

 幸いなのは、少年が声を上げていないことぐらいか。


 ……何か失礼なことをしてしまっただろうか。


 冷や汗を垂れ流しながら、思考を全力で加速させる。


 俺がしたことといえば、挑戦を受け、勝利し、ヴァイをあげ、話をしたぐらい。


 ……悔しかったのだろうか。


 なんとなくだが、違う気がする。

 それなら、降参した段階で泣きだしていないとおかしい。

 しかし彼に、そんな様子はなかった……ように思う。


 ……ヴァイが不味かったのか?


 脳内で即座にそれも否定する。

 ヴァイの味に関して、少年は「美味しい」と言ってくれていたはずだ。


 ……では、勝った俺が彼の魔術について語ったのが、気に食わなかったのか?


 あり得る。


 というか、そのやり取りの後に泣き出したのだから、原因は間違いなくそれだろう。


 ……勿論、悪気があったわけではない。


 ただ本心が、勢いよく出てしまっただけなのだ。

 事故といってもいい。


 彼の魔術――魔法円が美しく整理されていて、綺麗だったから。

 詠唱と魔法円に、彼の血のにじむ努力が読み取れたから。


 それが嬉しくて、楽しくて、幸せで。

 

 それが感想として、飛び出てしまっただけなのだ。


 ……しかし、人の価値観は千差万別。


 俺の発言が気に障った可能性は大いにある。


 なんなら「平民から褒められるのは侮辱に値する」みたいな、貴族特有の理不尽ルールがないとも言い切れない。


 居心地の悪い静寂が広がる中、声を殺して大粒の涙を流すアンスカイト様を、メイドはひたすら優しく撫で続ける。


 ……せめて何か言って欲しい。


 そして俺を安心させて欲しい。


 公爵令息の機嫌を損ねたとなると……どうなるのだろう?


 処刑はないと思いたいが……貴族文化に明るくない以上、0ではない。


 ……逃げるか。


 今の俺は、予断を許さない状況の中にあると言っていい。

 ならば悩んでいる暇などない。


 決断して魔術を発動しようとしたところで――


「ああ! ルング! 貴方、アンスを泣かせましたね⁉」


 無駄に目敏い王宮魔術師に見つかる。


 ……ちっ、厄介な!


「『風よ、運べヴィントラーゲン』」


 即座に魔法円を展開し、俺の体が浮かび上がると同時に――


「逃がしてたまりますか! 『風よ、落ちよヴィファールン』!」


 下降気流が上から俺を抑えつける。


 ……動けないだと?


「師匠。弟子の魔術を妨害するなんて、それが師匠のやることですか?」


 風によって身体全体が押しつぶされる感覚に抗いながら、師を睨みつける。


「師匠の弟を泣かせておいてトンズラするなんて、弟子以前に人としてやっていいことですか?」


 互いの視線と魔力がぶつかり、火花を散らす。


 ……この師匠本気だ。


 本気で俺を逃がさない――場合によっては仕留める――気だ。


 残念ながら、彼女との立ち合いにおける勝率は未だ低い。


 ……ならば。


「師匠だって、俺や姉さんを何度も泣かせたことがあるくせに」


 ……師匠の悪行を晒すまでだ。


 俺の発言を聞いて、王宮魔術師はせせら笑う。


「ルング? 私を動揺させて、逃げようとしても無駄ですよ?」


 ……それは嫌という程知っている。


 狂人相手に精神的な揺さぶりをかけたところで、狂った理屈――屁理屈と言ってもいい――で返されるだけだ。


 だから俺の言葉は、師に宛てたも・・・・・・のではない・・・・・


 俺は風で動けない中、首をどうにか動かす。

 まるで背後を振り向く様に・・・・・・・・・


「?」


 師は俺が逃げられないと判断して、動きにつられて背後をチラリと……見てしまった。

 彼女の背後に佇む、公爵様ちちおやを。


「レーリン? ルング君たちを泣かせたと聞こえたが?」


「あえ⁉ ……ない! ないですよ⁉ そんなことあるわけないじゃないですか!

 だからお父様、そんな怖い顔で睨まないでください!」


 ……よし、今だ!


 師匠が公爵様に気を取られているうちに、抜け出せないかと、もがいていると――


「ふふふ」


 晴れやかかつ慎ましやかな笑い声が響く。


 泣いていたはずの少年――アンスカイト様からだ。


 陽光に紅の髪と涙が照らされ、宝石の様に笑顔が輝いている。


 年相応の無垢な笑顔。

 今回の手合わせは終始真剣な表情ばかりだったので、新鮮だ。


「姉上、私は大丈夫です。

 だから、魔術を解除してあげてください」


 少年は爽やかな声で、彼の姉ししょうに語りかける。


 その呼び声に公爵様もお説教を一時的に止め、


「……仕方ありませんね」


 師匠は下降気流を霧散させる。


 ……ほっ。

 

 俺は胸を撫でおろす。


 アンスカイト様の朗らかな様子を見る限り、酷い目に遭うことはないだろう。


「ふうまったく……師匠め」


「ルング! 解除してあげたんですから、こっちを助けなさい!

 私のフォローを……ち、違いますよ、お父様?

 これはパワハラなどではなく――」


 再開した公爵様のお説教と、師の命乞いいいわけを背景に、泣き止んだ公爵令息と向かい合う。


「色々とすっきりしたよ。ありがとう……ルング君」


 憑き物が落ちたように、貴族の少年は軽やかに立ち上がり、へいみんへと手を差し出す。


 少年の燃え上がる様な魔力が、紅の髪と瞳と重なり合う。


 ……神々しい姿だ。


 そして握手1つとっても、煌びやかで優雅だ。


 ……鼻の頭と頬は真っ赤ではあるが。


 そんな上品な少年の顔には、未だ泣いた跡が残っている。


 気品と子どもらしさ。


 その2つが見事に少年の中で融合し、不思議な魅力を放っていた。


「アンスカイト様のストレス解消ができたのなら、良かったです」


 言葉と共に、差し出された手を握る。


 ……硬いな。


 少年の掌は、意外なことに硬い。


 父母や姉、村長やリッチェンとはまた硬さの種類は異なるが。


 だが、この硬さは間違いなく努力している人の手。

 俺が好きな手だ。


 この少年はきっと……魔術意外にも様々な努力を重ねているのだろう。


 ……ひょっとすると――


 俺の立場では理解できないプレッシャーや負担。

 それらが彼の涙の根源には、あったのかもしれない。


 握手した手を離すと、


「ルング君。私と君は同い年で……その……」


 それまでの堂々とした態度が嘘の様に、少年は口ごもる。


 何か言いたいことはあるが、それを言えないもどかしさ。

 じれったい気持ちになるが、抑えて少年の言葉を待つ。


 すると――


「ルング様、アンス様は貴方とお友だちになりたいんですよ!」


 先程少年を背後から抱きしめていた銀髪のメイドが立ち上がり、口を挟む。


「メーシェン⁉ ちょ――」


「でも、アンス様は生真面目過ぎて、お友だちのなり方が分からないのです」


 よよよと泣き真似をするメイド相手に、少年は顔を真っ赤にしながら両手を振り上げて抗議するが、片手で頭を抑えられていて届かない。


 顔を真っ赤にして猛抗議する主人と、それを愛おしそうに眺める従者。


 上下関係はともかく、主従の仲は極めて良好らしい。


 抗議が届かないとみるや、紅の少年は「コホン」と咳払いをして仕切り直す。


「そ、そういうわけで、ルング君!

 私と……その、えっと、友だちになってくれないか⁉」


 挙動不審だ。

 挙動不審過ぎて、洗練された上品さが打ち消されてしまっている。


 緊張しているのか、つぶらな紅の目はぎゅっと閉じられていた。


 そんな不器用な申し込みに、俺の鼓動が早まる。


 生真面目で努力家。

 その上容姿も整っていて、公爵家の長男。


 そんな人が勇気を振り絞って「友だちになりたい」と言ってくれているのだ。


 ……嬉しいに決まっている。


 思わず口元が緩む。


 断る要素は皆無だった。


「……もちろんです。

 むしろ俺の方こそ、是非お願いしたいくらいです」


 次はこちらから手を差し出し、


「ありがとう!」


 紅の少年はその手を取る。


 ……我ながら少し照れくさい。


 手汗とか大丈夫だろうか。

 そもそも、こんな風に貴族と友だちになるのは、不敬だったりしないだろうか。


 そんな懸念はあるものの、少年の輝く笑顔と、控えるメイドの嬉しそうな顔を見る限り、問題はなさそうだ。


「……それなら早速だがルング君、敬語は止めてくれないか?

 後、呼び方はアンスで良いよ! 仲が良い人は、皆そう呼ぶ」


「分かった。よろしく……アンス。俺もルングで良い」


「ああ。よろしく! ルング!」


 心から幸せそうな少年を見て、胸の奥で温かいものが広がる。


 10歳らしからぬキリリとした真剣な顔も、今の溌溂とした顔も。

 この少年はきっと、どんな顔でも魅力的なのだろう。



「……話はまとまりましたかねえ?」


 そんなほんわか空間に、濁った低い声が響く。


 アンスの手を離して、声の元凶に振り返ると――


 そこには公爵様に追い詰められ、ぐったりと疲弊した桜色の魔術師が、亡者の様相で立っていたのであった。

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