第93話 とある貴族の少年の気付き

 ボンッ


 私の最後の魔術が、同種の魔術によって撃ち落とされる。


 全身が気怠い。

 最早、体を動かすのもやっとの状態だ。


 対峙する少年――ルング君は、未だに私を期待に輝く瞳で見つめている。


 ……ごめんよ。期待に応えきれなくて。


「……私の負けです」


 右手で頭を圧迫しながら宣言する。


 ……頭が割れるように痛い。


 魔力切れによる弊害だ。


 少年とメイドの応援に応えるために振り絞った結果、魔力は尽きてしまった。


 揺れる視界。

 胃からすえた匂いがせり上がるのを、深い呼吸で沈める。


 ……あっ。


 足から急に力が抜け、倒れそうになった時――


 タッタッタ――


 聞こえてきたのは、軽快な足音。

 ふわりと香る優しい匂い。


「メイドキャッチ!」


 使用人――メイドのメーシェンが、私を文字通り捕まえ、支える。


 チカチカと明滅を繰り返す視界の中で、


「だいじょ――」


「大丈夫じゃありません!

 頑固な主人の命令は聞かなくていいと、メイド道で決まっています!」


 決して少女は私から離れない。

 メーシェンは私をゆっくりと座らせると、後ろから抱える様に少女も座り込む。


「……大丈夫ですか?」


 満身創痍の私の真上から、不思議な声色が響く。


 子ども特有の高い声。

 にも関わらず、ぶっきらぼうな口調。


 明るさと冷静がブレンドされた、奇妙な声。


 ルング君だ。


 眩い探求心は収まり、彼は既に無表情を取り戻している。


 ……先程の顔も魅力的だったのに。


 魔術を扱っている時しか、あの表情が見られないとなると少し残念だ。 


 ゴソゴソ


 彼は無表情でそのまま、懐から何かを取り出す。


 ……草?


 少年がその手に持っていたのは草の塊……のようなもの。


 すると彼は、その草を解き始める。


「どうぞ、食べてください」


 どうやら食べ物を、草の葉で包んでいたらしい。


 差し出されたのは、穀物の塊だ。

 その小さい手で握ったのか、1口で頬張れそうな大きさ。


 この料理を食べたことはないと断言できる。


 こんな風に、大量の魔力に・・・・・・溢れた料理・・・・・なんて初めて見るから。


 ……今は食べられる状態ではない。


 そう判断し、断ろうとして……気が変わる。

 

 差し出された穀物の香り。

 その香りを嗅いだだけで、頭痛が少し引いたからだ。


「ありがとう……いただくよ」


 ……素手で食べていいのだろうか。


 そんなことを思いつつ、おそるおそる手を伸ばす。

 料理としては冷めているはずなのに、魔力の密度故か温かく感じる。


 並んでいた3つほどの塊の内、1つを手に取り口に含む。


「っ⁉」


 本日何度目になるか分からない衝撃が走る。


 咀嚼し嚥下した途端、体に魔力が満ちた・・・・・・・・のだ。


「これは……魔力ヴァイかい?

 初めて食べたけど、凄い効果だね! それに美味しい……」


 ……一気に頭痛が吹き飛んでしまった。

 

 そして頭痛が無くなってしまえば、口に残っているのは芳醇な香りに濃厚な味。

 疲労した身体と頭に、食材の旨味が染み渡っていく。


「むむ……私の料理と、どっちが美味しいですか⁉」


「いや、メーシェンはメイドで、料理人じゃないでしょ」


 背後の少女にそう言って、


色々と・・・ありがとう……ルング君」


 少年に礼を伝える。


 私の挑戦を受けてくれたこと。

 私の全力を、正面から迎え撃ってくれたこと。


 そして何よりも、楽しそうに戦ってくれたこと。


 彼の本気を引き出せなかったことは残念だったが、それもまた1つの成果だ。


 ……まだまだ、私は足りない。


 それを学べただけでも、この手合わせには価値があったに違いない。


 ルング君は、私の含意には気付かず、言葉を素直に受け取る。


「いえ、お口に合ったなら良かったです。

 よく俺も魔力・・・・・・切れになる・・・・・ので、持ち歩いているのですよ」


 衝撃が上塗りされる。


 ……私の魔術を防ぎ切ったこの少年が、よく魔力切れをするのか⁉


「……そんなに頻繁に魔力を使い切るのかい?」


 少年を怖々見上げるが、彼は涼しい顔をして答える。


「はい。

 レーリン様や実の姉と、実験や喧嘩をする時に頻繁に。

 面白そうな魔術を発見すると、色々と試したくなりまして」


 話していくうちに、声と目に再び輝きが宿り始める。


 ……本当に魔術が好きなんだな。


 手合わせの時もそうだったが、魔術に触れると少年に感情の火が灯るらしい。


 魔術の魅力を、矢継ぎ早に語ろうとする少年を遮る。


「……私の相手をしてもらって悪かったね。

 知っている魔術ばかりで、つまらなかったろう?」


 少し意地悪な物言いだと我ながら思ったが……思わずポロリと零れてしまった。


 ……姉上と並び立つ天才。


 もう、認めざるを得ない。

 きっと彼は、将来王宮魔術師に至る逸材だ。


 そんな人の時間を、私の様な凡人のために使わせてしまった申し訳なさ。

 それも私の個人的な感情――妬み嫉みのために、彼の貴重な時間を奪ってしまった罪悪感。


 ……ああ、きっと――


 特別家庭教師枠を得ることができなかったのは、私がそんなつまらない存在だったからなのだろう。


 王宮魔術師の興味を惹けるような、段階レベルではなかった。


 それだけなのかもしれない。


 しかしそんな情けない自嘲を、少年は宿る煌めきで吹き飛ばす。


「何を言ってるんですか! アンスカイト様!

 貴方の魔術は素晴らしいですよ!」


 彼の瞳にあるのは、探求の輝き。

 人生の全てが魔術に染まった者の発する、命の輝きだ。


貴方の魔法・・・・・円は美しい・・・・・

 あんなに美しく整った円型は、初めて見ました!


 俺どころか、姉や師匠を超える魔法円の美しさ。

 それを誤差なく詠唱と結びつけ、かなりの速度で放つことができている。


 これは、才能……というより、圧倒的な努力ですね・・・・・・・・・

 何百、何千ひょっとすると、何万もの積み重ねで至った極地ですよね?」


 ……私が何度も練習していることを。

 

 努力していることを――


「わ、分かるのか?」


 彼は見抜いていた。


 ……胸が苦しい。


 視界がゆがむ・・・・・・

 震える私を、背後のメイドが優しく抱きしめる。


 少年は私の言葉に顔をしかめた。


「バカにしてもらっては困ります。

 そんなの、分かるに決まっていますよ。


 魔力切れ寸前でも・・・・・・・・貴方の魔法円は美し・・・・・・・・・いままでした・・・・・・


 常日頃から限界まで魔術を使っていなければ、あの美しい魔法円は維持できません。

 才能なんかだけでは、足りないと断言できます」


 少年は誇らしそうに言うと、更に続ける。


「……だから、貴方の言葉は否定しましょう。


 アンスカイト様。

 貴方の魔術は美しく素晴らしかった! 面白かった! 楽しかった!


 つまらないものでは、ありませんでした! 最高でした!


 ……だから貴方との手合わせは、かけがえのない思い出になりました」


「ありがとうございます」と述べる少年の、驚くほど可愛らしい笑顔。


 ……ああ、きっと。


 この言葉はきっと本音だ。


 だって、あんな無愛想で冷たい顔をしていた少年が、こんなにも顔を上気させて、熱く語っているのだから。

 

 魔術で競った時と、同様の笑顔を浮かべているのだから。


 ぽん


 頭の上に背後から柔らかい手が置かれ、ゆっくりと撫でられる。


 優しく温かい手だ。


 ……私は本当にバカだな。


 ここにきて、ようやく気付く。

 

 魔術の先生もメーシェンも。

 皆が私に、少年と同じ言葉をかけていたというのに。


「アンスカイトは頑張っている、努力している」と。


 彼女らは心配していたのだ。

 それでも、支えてくれていたのだ。


 私の努力を……見ていてくれたのだ。


 ……まさか、そんな大切なことを――


 初対面の少年に教わるなんて、思いもしなかった。

 

「そうか。私の魔術は……素晴らしかったか」


「ええ。感謝を述べたいくらいには。


 ……それはそれとして、反省会をしましょう!

 魔術戦においての魔法円というのは――」 


 温かい言葉と、手と、背中。


 ……もう、我慢の限界だった。


「ありがとう」


 たった一言、彼に言いたかったのに。

 感謝を伝えたかったのに。


 地面に、汗とは異なる液体が零れ落ちる。


 グスグスと鳴る鼻。

 勝手に濡れる頬。

 喉がギュッと絞られて――


 ……残念ながら私の感謝は、言葉にならなかった。

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