第92話 少年の挑戦
いつも、魔術や剣術の訓練をしている庭。
指定された時間帯に合わせて、そこで父上たちを待っていると、話を終えたらしい人影がこちらへと向かってきた。
「アンス様! 楽しみですねえ!」
メイドのメーシェンがご機嫌の調子で呟く。
……楽しみ? 何が?
いつも明るく朗らかな使用人相手に、ほんの少し気持ちがささくれ立つ。
同年代の天才。
姉上――王宮魔術師に認められ、父上と母上に将来を
……ああ、嫌だな。
何が嫌って、こんな風に考えてしまう自身の了見の狭さが嫌だ。
すぐにこの場所から逃げ出したかった。
父上の「会ってみろ」という言葉さえなかったら、私は今日この場に来ることすらなかったかもしれない。
「……アンス様? 疲れてます? 大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫……元気だよ」
無言の私を心配したメイドからの気遣いも、今回ばかりは苦しい。
……早くこの時間が終わりますように。
ひたすらそう願っている私にとっては。
「アンス! 久しぶりですね! 元気にしてましたか?」
屋敷から出てきた影の内の1つ。
黒ローブを羽織った、桜色の麗しき女性が私に呼び掛ける。
威厳ある父上と並び立っても尚、輝く存在感。
国を、陛下を、国民を守る頂点たる王宮魔術師が1人。
レーリン・フォン・アオスビルドゥング。
憧憬の対象たるその人――姉上に話しかけられて、私の心臓が跳ね上がる。
「お久しぶりです、姉上! 私は元気です!
姉上こそ、お元気でしたか?」
「ええ。私は王宮魔術師としての仕事をちゃんとやりつつ、元気でしたとも」
姉上が明後日の方向を見ると、その桜色の髪がさらりと揺れる。
艶のある髪に、柔らかそうなもち肌。
……さすが姉上。
激務にも関わらず、自身の健康管理は怠っていないみたいだ。
「ああ……それで――」
そんな姉上が、隣へと桜色の視線を向ける。
「こちらが私の教え子で、ルングです。
ルング、この子が私の弟のアンスカイトです」
紹介されたのなら、私もその少年に目を向けなければならなくなる。
……氷のような少年。
私がその子を一目見て抱いた印象だ。
着込まれた膝丈のシャツとショートパンツに、ウエストコート。
背丈は私よりも小さく、寝癖が少しはねた頭。
土汚れの目立つシンプルな靴。
しかし、そんなことが気にならないくらい、その少年の面立ちは強烈だ。
どこまでも深い黒の髪に、透き通るような茶色の瞳。
整った顔立ちではあるのだろうが、それを台無しにする
……何を考えているのだろう?
彼と比べれば、更にその隣の父上の方がずっと分かりやすい。
世界の全てに興味がないかのように淡白な表情――無表情だ。
感情を排除したその顔は、正に冷徹。
元々感情という機能がないといわれても、違和感はない。
恐るべき無機質さ。
子どもらしさなど、かなぐり捨てている。
その異常な仏頂面が、整った顔の少年の印象を氷点下未満まで冷やしているのだ。
そして――
……どうして?
そう思ってしまった。
厭世的とも見える無表情。
向上心など備わってなさそうな顔。
……魔術にこだわりなんてなさそうな少年。
……
理不尽な憤りであるのは分かっている。
非才の私の醜い嫉妬であるのも。
領主の息子が、領民に対して
それでも――
「ルング君、私と魔術で手合わせをしてくれないか?」
挑まずにはいられなかった私を、どうか許して欲しい。
「では、互いに準備はいいですか?」
「はい!」
「……はい」
私は正面から無表情の少年と対峙していた。
私の「手合わせをしたい」という提案は、思っていたよりもすんなりと受け入れられた。
隣にいたメイドは「えっ⁉」と(当然だが)驚いた声を上げたのだが、挑まれた本人であるルング君は即答で私の挑戦を受けた。
……心底意外だったのは。
父上と姉上がすんなり認めたことだ。
特別家庭教師枠の魔術の天才といえども、領民であることに変わりない。
そんな
故に、両名の叱責を覚悟していたのだが――
「2人とも問題ないのなら良いだろう。心ゆくまでやってみなさい」
「いいんじゃないですか?
向けられたのは、穏やかな声色だった。
むしろ――
……少し嬉しそうにしていたのは、何故だろう?
そんな2人にも、少年は無反応だった。
最初の調子を変えず淡々と、彼は私を見続けている。
その魔力の流れは自然で穏やかだ。
私の挑戦に逸ることも、昂ることもない。
無為自然。
ただそこに在るだけの自然体。
少年はそれを体現していて、
魂――心や感情と魔力は繋がっている。
私の魔力は嬉しい時に膨れ上がり、悲しい時には萎む。
心が動けば、魔力も動く。
しかし彼は今、普通の――自然体のままだ。
これから魔術戦が始まるというのに、あるがままの魔力。
それは即ち、魔力を完全な制御下に置いているということだ。
視線を姉上に向ける。
そんな風にも言われる高等技術を、少年は齢10歳にして実現しているのだ。
ぶるっ
ここでようやく、自身が震えていることに気が付いた。
……怖い。
勢いのままに、向かい合ってしまった。
心臓が痛い。
彼との立ち合いで、結果が出てしまうのが怖い。
……
そう考えたところで、自身の傲慢に思わず笑う。
相手は姉上に匹敵する……あるいはそれを超える魔術師。
酷い驕りだ。思考を止めた怠慢だ。
その気付きをきっかけに、無駄な力みが抜ける。
……そうだ。駄目で元々なのだ。
たとえ絶望的な差があったとしても。
それで私と
腹が据わる。
覚悟を決める。
負けるのが決定的だとしても、全力を尽くすことを誓う。
……それが、私の挑戦を認めてくれた彼への礼儀のはずだ。
「それでは、互いに死なない程度に頑張ってください。
死にそうになった場合は、ルングが治療ということで」
姉上の仕切りで話は進み、私たちはコクリと頷く。
「では、よーい……始め!」
その合図に身構えるが、少年は動かない。
私の出方を無感情の瞳で見つめている。
……それなら――
出し惜しみなどしない。
初手で……決める!
放つのは全開の魔術。
私の扱える魔術の中で、最大威力の手札を切る。
「『
大気すらも燃やし尽くしそうな、炎の大剣が顕現する。
描く軌道は横薙ぎ。
右から左へと振るわれる
しかし、敵を薙ぎ払い、焼き斬る中級攻撃魔術を前にしても――
「……」
ルング君は動かない。
だが――
……違う!
先程までの無愛想無感情が嘘の様に、
それは魔力の輝きでもあり、知的好奇心の輝きでもあった。
彼は動かず、ただじっと
……何故だ?
浮かぶ疑問符。
何故彼は、
彼の視線の先にあったの私。
あるいは――
……私の魔法円を見ているのか?
展開した中級攻撃魔術の魔法円。
それを彼はつぶさに、
私の魔術が彼を焼き斬ろうとした刹那――彼の口元が下弦の三日月を作る。
……笑った⁉
直後に発動されるのは――
「『
初級防御魔術だ。
本来なら、中級攻撃魔術を受けられるような出力はない、小振りな火の盾。
しかし、その魔術の担い手と魔法円は、それまでの静けさとは打って変わって、常軌を逸した輝きを秘めている。
「何⁉」
直後の結果の衝撃。
少年を捉えたはずの剣身――その中心部分――が、
巨剣はぽっかりと中身が削られ、
……私の『
こんな防ぎ方があるなんて⁉
でも――
「まだだ! 『
……私はまだ負けていない!
知り得る魔術を叩き込む!
そんな私の決意に、少年はもう……無愛想ではなかった。
弾けるような笑み。
眩く輝く瞳。
同性の私ですら、クラリとする程の魅力的な姿。
「『
ルング君もまた、私と同じ魔術で対抗する。
私の火の槍の穂先は余さず彼の槍に迎撃され、音を立ててその姿を消失する。
「『
自身の持ち得る
……強い、強すぎる!
当然だ。
特別家庭教師枠。
あの姉上と同じ立場であり、姉上に教わることができる実力者なのだから。
私の放つ魔術を、初撃以外は全て同じ魔術で迎撃される。
……力の差は、もう明らかだった。
なんならそれは初手で気付いていた。
中級魔術を初級魔術で防がれた段階で、彼我の腕前の差は明白。
しかし、何故だろう。
……楽しい。
あんなに怖かったのに。
今のこの戦いに、私は高揚していた。
その理由は対峙する少年――その瞳。
ルング君は明らかに格下の私に対して、未だに輝く瞳を向け続けている。
何が無愛想だ。
何が無表情だ。
……自身の見る目の無さに、笑えてくる。
少年に対して、淡々とした冷徹な印象はもうない。
「もっと、もっと、もっと魔術を見たい! 戦いたい!」
彼の輝く瞳は、そう訴えかけてくる。
……まるで、おねだりをする幼子みたいだ。
そんな輝くような瞳で見られたら。
楽しそうな笑顔を向けられたら――応えないわけにはいかない。
だって彼は――
「アンス様! 頑張ってください!」
思考の途中で、
私の身を案じながらも、信じる声。
「ふふ……」
魔術の飛び交う戦場で、自然と頬が緩む。
……この場には、応えなければならない相手が2人。
アオスビルドゥング公爵領に住む者たち。
それはすなわち――
……私の領民たちだ。
その想いに応えなければ嘘だ。
振り絞れ!
燃やし尽くせ!
私は自身に鞭を打つ。
魔力は残り少ない。
……それでも。
この充実した時間をずっと続けるために……私は魔術を放ち続けた。
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