第91話 少年の嫉妬

「アンス様、素晴らしい魔術です!

 日に日に完成度が上がっていますね!」


「ありがとうございます……先生」


 貴族教育や剣術の授業をこなし、本日最後の魔術の授業も終える。


 ……先生は褒めてくれるのだが。

 

 残念ながら私の耳には、それが社交辞令にしか聞こえない。

 

 だって――


 ……姉上なら、こんなものではないはずだから。


 姉上――レーリン・フォン・アオスビルドゥング。


 アオスビルドゥング公爵家に生まれた天才。


 私と同じ年の頃には特別家庭教師枠を得て、王宮魔術師の頂点であるシャイテル・ドライエック様から教えを受け、王宮魔術師の一員となることを確実視されていた俊英。


 魔術学校に入学後、火と風属性の混合魔術の分野において凄まじい実績を残し、挫折を知らずに最難関ルートを歩み続ける怪物だ。 


 その姉上ならと考えてしまうと、私への称賛の言葉など、空虚なものでしかない。


「アンス様、貴方は本当に凄いんですよ?

 王宮魔術師にだってなれるかもしれません!」


 その言葉がチクリと胸に刺さる。


 ……私が王宮魔術師になれる器かどうか。


 答えは分かりきっている。


 ……無理だ。


 その根拠となるのが、先述した特別家庭教師枠。

 姉上の受けていた「特別」の証明。


 私が10歳になる年――つまり今年――に合わせて申請したそれの結果は、未だに届いていない・・・・・・・・・


 年度の始まる春が過ぎ、早数ヶ月。


 返事が来ないということは、そういう・・・・ことなのだろう。 


「先生、それ・・は置いておいて……もっと強力な魔術を覚えたいのですが」


 ……そんな浅学非才の身であるからこそ、這い上がらなければならない。


 父上の期待に応えるために。

 そして、姉上に追い縋るために。


 不甲斐ない・・・・・私のために・・・・・次期公爵の座・・・・・・を譲った姉と・・・・・・それを認めた父・・・・・・・への恩にせめて・・・・・・・報いるために・・・・・・


 急いている私の要望を、先生は今日も断る。


「アンス様……向上心は素晴らしい事ですが、急ぎ過ぎるのは良くありません。

 まずは今、貴方が扱える魔術を完璧にすることが、最優先だと私は思います。

 何度仰られても、私のその方針は変わりません」


 先生の言いたいことは分かる。


 新しい魔術は魔法円を覚えることから始まる。


 しかし既習の魔法円をものにできていなければ、新しく学ぶ魔法円と混ざることが多く、魔術が発動しないどころか、想定外の事象を引き起こしたりすることがあるのだ。


 少し火傷するくらいならまだマシ。

 命に関わる怪我をする者も少なくないと聞く。


 先生は、私の身を案じて止めているのだ。


 ……だが姉上は。


 私の年齢で既に、風と火の魔術で学べるものは、すべて学び終えていたはずだ。

 

「ですが――」


「ですがも何もありません。

 私は大切な教え子に、危険な真似などさせません。


 アンス様が傷つけば、私は絶対に悲しみます。号泣しますから。

 アンス様は、私に悲しい思いをさせませんよね?

 させるわけないですよね?」


 先生の笑顔と言葉には、有無を言わせない圧力が込められている。


 ……結局。

 

 こういう物言いをされてしまえば、引かざるを得ない。

 

 ……ただの私の我儘にしか過ぎないと、分かっているからだ。


「分かりました……」


 渋々頷く私に向かって、先生は微笑む。


「アンス様――次期アオスビルドゥング公爵様。


 貴方なら絶対立派な魔術師になれます。為政者になれます。

 貴方の努力や苦労を全て推し測ることはできませんが、それでも貴方の周囲の人は皆、貴方のその姿を見ています。

 

 だからこそ貴方のことが好きで、心配になるのです」

 

 ……でも、領民たちのことを思うのなら。


「姉上が公爵の座を継ぐべきではないのか」という考えが、私にはどうしても捨てきれない。


 頭脳も、魔術の才覚も、人格も。

 何もかもが素晴らしい姉上が継ぐべきだと。


「……先生、ありがとうございます。

 先生や皆さんの期待に応えられるよう、もっと頑張ります」


 自身の想いを呑み込み、どうにか言葉を絞り出す。


「……無理はし過ぎないように。いいですね?」


 先生の確認の言葉を、


「はい」


 嘘で埋める。


 ……私の顔は今、ちゃんと笑えているだろうか。


 私の笑顔に先生が騙されてくれていると良いなと、純粋にそう思った。




「アンス、明日レーリンが帰って来るからね」


 そう父上から聞いたのは、夕食を両親と共にとっている時のことだ。


「本当ですか⁉」


 胸が弾む。

 

 ……姉上が久しぶりに帰って来る!


 王宮魔術師の姉上は忙しい。

 基本的に公爵邸にいることはない。

 

 どうやら、王宮を拠点として各地を飛び回っているらしい。


 そんな多忙の姉上が帰って来る。


 ……であれば。


 お願いしたいことは多々ある。


 魔術を教わりたい。

 私の腕前を見て欲しい。

 なんなら、手合わせでもいい。


 そうすることによって――


 ……天才の姉上に、少しでも私は追いついているのか。


 私は進めているのか。


 それを確認したい。


「うん。朝から来るらしいよ、2人で・・・


 ……2人?


 私の疑問は顔に出ていたらしい。

 父上と隣り合って座る母上が、私に語りかける。


男の子みたいよ・・・・・・・


 心底嬉しそうな母の様子。


 これはひょっとして――


「遂にですか⁉」


 父上と母上は、両名共に優しく寛大だ。


 領民や国民――平民たちの間で自由恋愛が広まっていく中、未だ貴族間では政略結婚が多い。

 貴族に子弟が生まれた段階で、既に結婚相手は決まっているなんて当然の様にある。


 そんな中、私の両親は子どもたちの自由恋愛を許可してくれていた。


 ……まあ、あくまで許可でしかないわけだが。


 両親は自由恋愛を許可する代わりに、見合いや婚約相手を薦めてくるのだ。


 尊敬する両親ではあるのだが、それだけはほんの少し困っている。


 ……訓練時間を少しでも減らしたくはないのだ。


 でも、父母の思いやりにはできる限り応えたい。

 そんな思いから、私も既に何人か婚約者候補との会合や見合いを経験している。

 

 しかし、姉上は違った。


 両親があらゆる相手を薦め続けて幾星霜。


 書類段階で断ったり、実際にお見合いの場に出向いては魔術を炸裂させてぶち壊したり、優しい2人の配慮を鋼の意志で断り続けていたのが姉上だ。


 そんな腕っぷしの強い姉上が遂に、自ら結婚相手を連れてきたのだろうか。


 ……となると、明日来るのは未来の義兄あに上?


 そんな人とお会いするとなると、さすがに緊張する。


「それで、どんな――」


「マターバ、アンス。期待させてしまって申し訳ないが……」


 盛り上がりつつあった母上と私の会話を、父上が遮る。


 少し間を置くと、父上はおもむろに告げる。


「そんな艶のある話ではないよ……残念ながらね。

 来るのはレーリンの教え子・・・・・・・・だ」


 ……姉上の教え子?


 それはつまり――


「ああ、特別家庭教師枠・・・・・・・の子なのね!

 確か……ブーガの村の2人姉弟の子たちよね?

 来るのはじゃあ、弟君1人かしら?」


「姉の方はもう魔術学校の大位クラスに通っていて、忙しいみたいだからね。

 明日は、まだ村に残っている弟――ルング君が来るらしいよ」


「その子が直接貴方に会いにくるの? 弟君は、アンスと同い年よね?

 ……貴方に文句でもあるのかしら?」


「……怖いことを言わないでくれ。おそらく村の守りのことだと思うよ?

 同様のことを、ブーガからも相談されたしね。

 それに多分、レーリンが――」


 父上と母上の話が進んでいく。


 けれどもう、私の耳には何も入らなかった。


 ……姉上の教え子――特別家庭教師を受けられた・・・・・子ども。


 それも平民ながら魔力に目覚め、齢5歳から姉上の教えを受けている天賦の才の持ち主。


 ……私とは比べものにならない才能。


 暗い感情が胸に灯る。


 分かっている。

 そんな天才と己を比べるのは、愚かなことだと分かっている。


 ましてやその子どもは、アオスビルドゥング公爵領の民なのだ。


 自領の民。


 領民にこんな感情・・・・・を抱くのは、間違っている。


 ……それでも。


 姉上から教えを受けられることが。


 その子の来訪を、父上が心から喜んでいるのが。


 母上が嬉しそうに話しているのが。


 悔しくて、羨ましくて、妬ましくて。


 そんな私自身の浅はかさが恥ずかしくなる。


 ……食事の味がしない。


 公爵家の料理人が、心を込めて作ってくれた美味しい料理。

 いつも頬が落ちそうなくらい美味しくて、先程まで確かに美味しかったのに。


 もう、味がしない。 


 真っ白になった私の中に、夕食の時間でただ残ったのは、


「アンス。明日君も彼と会うといい」


 父上のその言葉と、私の胸に灯った暗い輝きだけだった。

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