第78話 喧嘩を売る。

「先生……私が魔術学校に行くつもりがないこと、言っちゃったの?」


 授業が終わり、子どもたちが帰宅した後。

 被疑者あねを問い詰めると、早々に事実であることを白状した。


「仕方ないでしょう。少なくともルングは知ってるものだと思ったんですから」


 姉のチクリとした物言いを、師はしれっと受け流す。

 悪びれる様子はない。


「クー姉……一体どうしてなんですの?」


 俺たちと共に残っていたリッチェンが、核心を突く。

 剣の様に真っ直ぐで素直な言葉に、姉は穏やかな笑みを浮かべた


「どうしてって言われても……別にいいかなーって思っただけだよ?」


 サラサラと耳に染み入る少女の声。


 ……話している様子を見る限り、嘘はなさそうだが。


 それにしても、あっけらかんとし過ぎではないか?


「でもクー姉、魔術あんなに好きですのに……」


 姉の言葉の乾いた迫力に気圧されたのか、リッチェンは尻すぼむ。

 姉はそんな赤毛の少女に優しく手を伸ばし、頭を撫でる。


「そりゃあ……魔術は好きだけど。

 でも、それとこれとはまた別じゃない?」


 にこりと微笑むと、話を続ける。


「リっちゃんは、夢ってある?」


 ……分かりきった質問だ。


 リッチェンが騎士になりたいと考えているのは、村民なら百も承知。


 それにも関わらずこの質問をするということは、姉は用意しているのだろう。


「……私の夢は勿論、村を守る騎士になることですけど」


 ……リッチェンを言いくるめるための言葉を。


「そうだよね。とってもいい夢だと思う」


 そう言うと、リッチェンの手を取る。


「私はリっちゃんの夢、大好きだよ。

 私たち村民のために頑張りたいってリっちゃんは、とっても格好良いし。

 絶対にすごい騎士になれると思う」


「あ、ありがとうございますの」


 憧れの少女に認められ、嬉しそうなリッチェンは気付けない。

 話の流れが、姉の思い通りに進んでいることに。


「でも……そんなリっちゃんが、もし騎士になれなかったらどうする?」


「えっ⁉」


 虚を突いた少女の言葉に、リッチェンはその大きな目を見開く。


「もしリっちゃんが騎士になれなかったとしたら、村は守らない? 見捨てる?」


 ……気に入らない聞き方だ。


 胸中がざわつき、口の中に広がる苦みを噛み潰す。

 

 真正直なリッチェンに、そんな言い方をすれば、答えは決まりきっている。


「そんなわけないですわ! 

 私はたとえ騎士になれなくても、村を守るつもりですの!

 それが、村長の娘として当然の責務であり、私のプライドです!」


 姉はそれを聞いて、嬉しそうに笑う。


「そうだよね! リっちゃんはそういう子だよね!

 正義感があって、一途で格好良い。


 そして私も……村のために頑張りたいって気持ちは一緒なの」


 姉はリッチェンの目を正面から見据える。


「仮にすごい魔術師になれなくても、村のために働きたいの。

 ほら、最近魔力に目覚める子も増えてるじゃない?

 先生みたいな人が常に村に居てくれればいいけど、難しいと思う。


 だから、私が子どもたちの力になってあげたい。

 村の将来を担う子たちを、支えたいの。


 それに、そうすれば魔術学校に通うよりも、ずっと早くから村のために働くことができると思わない?」


 リッチェンは身動きが取れない。


 言いたいことはあるのに。

 それを言葉にできないもどかしさが、赤毛の少女を苛んでいるように見える。


「……姉さん、それは本当に子どもたちのためになるのか?」


 故に俺は横槍の言葉を突き出す。

 すると姉の照準がこちらへと移った。


「誰も教えないよりは、なると思うけど……?」


 姉の顔は笑顔。

 しかし、本心の見えない仮面の笑顔だ。


 ……その不快な仮面を、ここで切り崩す。


「本当にそうか?

 半人前の魔術師に・・・・・・・・も満たない子ども・・・・・・・・が教えたところで、教わる子どもにとって害にしかならないんじゃないか?」


 ピキリ


 姉の顔が微かに歪む。

 亀裂の入る音が聞こえた気がする。


「うーん……でも、今もそれなりに教えられてるし。

 いないよりはマシでしょう?」


 どうにか持ち直す少女に、更なる爆弾を投下する。


「だが、魔術学校へ行って本気で魔術を学ぶ・・・・・・・・向上心すらない輩・・・・・・・・の授業なんて、子どもに悪影響しか与えないだろう?


 魔術の浅層――上辺だけ教えられても、子どもにはつまらないだろうし。

 そんな奴の授業よりは、まだ俺の授業の方が数倍マシだ」


 ……見える。


 姉の笑顔の裏にある憤怒が。


 そうだ。怒って当然なのだ。

 少女がどれだけ本気で魔術を学んでいるかなんて、両親よりも、レーリン様よりも、誰よりも俺が知っている。


 ずっと一緒に進んできたのだ。

 学んできたのだ。

 試してきたのだ。


 だからこそ、姉が自身の魔術に矜持を持っているのをよく知っている。

 彼女が魔術を愛しているのを、理解している。


 少女の人生は、見事な魔術色に染まっているのだ。


 その証拠に、姉の言葉に刃が宿る。


「どうかなあ? ルンちゃんは確かに、多少・・腕は立つかもしれないけど。

 それでも、私よりずっと弱いじゃない?

 そんな軟弱な子にそんな風に言われるのは、腑に落ちないかなあ」


 ……ほう。言ってくれるじゃないか。


 互いの煽りによって、一触即発の空気感がその場に急速に広がっていく。


 人間関係が壊滅的な師がオロオロするのはいつも通りのことだが、リッチェンも一緒になって慌てているのは珍しい。


「おいおい、俺が姉さんより弱いだって? バカを言うなよ」


「バカなことじゃないよね? 事実だもんね?」


「なら俺の方が姉さんより賢いという事実も、認めるべきだな」


 ピリ


 互いに限界が迫っている。

 姉の笑顔の仮面は剥がれかけ、小さく拳が握られている。


 ……耐えろ。


 かくいうこちらも、既に沸点は通り過ぎている。

 なんとか意志の力で、抑え込んでいるだけだ。


 姉弟の間に、遠慮などない。

 姉のことは勿論好きだが、不平も不満も互いにぶつけ合ってきた。


 ……言い換えれば。


 互いに好き勝手言える関係だからこそ、喧嘩する時はするのだ。


 だが、今はまだ開戦の時ではない。

 本格的に喧嘩を売るしかけるのは、姉が隙を見せてからだ。


 そしてその隙は、直後に訪れる。


「お姉ちゃんが魔術学校に・・・・・・行かないのは・・・・・・、そんな頭が良いだけの弱々しいルンちゃんが、村を守れるか・・・・・・心配だから・・・・・っていうのも、あるんだよ?」


 ……ここだ!


 大義名分を得る。

 俺に村を守る力がないと判断したから、魔術学校に行かない。


 それは裏を返せば――


「……ほう? ということは、村を守れるこ・・・・・・とを示せれば・・・・・・、弱い姉さんは魔術・・・・・・学校に行く・・・・・と?」


「まあ、そういうことになる・・・・・・・・・かなあ。絶対にありえないけど」


 ……言質は取った。


 当の昔に、エンジンは暖機運転を終えている。

 ならば後は発進し、加速していくだけだ。


「面白い。勝負だ姉さん。

 ボコボコにして、いつも通り泣かせてやろう」


「ルンちゃんは滅多に泣かないけど、たまには可愛い泣き顔を見てみたいな」


 姉弟で睨み合い、中心では互いから漏れた魔力が衝突する。

 軋む空間。


 その張り詰めた中に、


「ああ……またですか」


「あわあわ……どうすれば」


 師匠の諦観交じりの言葉と、リッチェンの焦燥が、快晴の中に溶けていったのだった。

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