第77話 姉の考えが読めない。
領主用邸宅に、簡単な無詠唱魔術が飛び交い、魔力が満ちていく。
温かみのある白光が積雪のように広がる光景は、神秘的で美しい。
その中を駆け回る姉と子どもたちは、天使のようで。
……こういうのを、理想郷というのだろうか。
そう言われても思わず納得してしまうような、幸せな眺望だ。
「師匠……姉さんはどんな人になるんだろうな」
優しく、天真爛漫な性格。
その華奢な体になみなみと注がれた好奇心。
卓越した魔術。
天は二物を与えずとはよく聞く言い回しだが、「二物でなければいい」と言わんばかりに、才で溢れている少女。
彼女はどう成長するのだろう。
どんな大人になって、何を成し遂げるのだろう。
輝きの強さ故に、それに見合った期待をしてしまう。
……けれど――
姉がどの道を選んでも、良いのだとも思う。
世界を股にかける魔術師になっても。
その容姿を活かして、大貴族に嫁いでも。
父や母と共に、農家を継いでも。
どうなろうと、俺は心から喜べる自信がある。
本人が望むように生きてくれれば。
全力で駆け抜けてくれれば。
幸せになってくれれば。
弟として、言うことはないのだ。
「個人的には、男女問わず振り回す傾国の美女になって欲しいですね。面白そうですし」
そんな無責任なことを言いながら、師はようやく立ち上がる。
「それ、国が滅びてるけど良いんですか?」
……王に仕える王宮魔術師として、アウトな発言じゃないのか。
そこに思い至ってなかったのか「えっ⁉ わっ⁉ 今の発言無し! 撤回!」と、慌てた様に否定すると、
「……まあ、少なくとも一角の人物にはなるんじゃないですか?
そう続ける。
「そうですか。魔術学校に行かなくても――」
……うん?
僅かな引っ掛かりを覚えて、
「……ああ。そういう比喩ですよね?」
すぐに自己完結する。
才気煥発の姉だからこそ、魔術学校に行かずとも成功を収める。
師匠はきっとそう言いたかったのだろう。
そんな俺の結論を、
「え? ルング、
師はその一言で不安の谷へと叩き落とす。
「……何をですか?」
……嫌な前置きだ。
凶兆。
虫の知らせ。
この前、実験数が足りないと夜通し実験に付き合わされた記憶が蘇る。
……師匠がこんな物言いをする時は、大抵ろくでもないことが起きる。
経験則が、警鐘を鳴らす。
そして今の話の流れは――
「
「……はあ?」
予想のついた流れだが、それでも言葉の衝撃に頭が真っ白になる。
……どういうことだ?
理屈に合わない。
意味が分からない。
「師匠、それって――」
「本当ですの?」
俺の声に重なり、
視線を上に向けるとそこには、1人の少女が木の枝に腰をかけている。
フリル付きのドレス。
燃える様な赤い髪。
腰には剣を携え、ほっそりとした首には、銅貨のネックレスが赤銅色に輝いている。
「……リッチェン」
「はい、私ですわ!」
村長の娘にして、騎士を目指す少女リッチェンだ。
少女は枝から飛び降りると、くるりと宙で身を回し、俺の隣にふわりと着地する。
「……俺の授業をサボったな?」
「そ、それは仕方なかったのですわ!
おと――父上の手伝いと、訓練がありましたし!」
授業中に居なかったことを責めると、事前に用意したかのように型にはまった答えが返ってくる。
睨め付けると顔を背けるあたり、サボった罪悪感はあるらしい。
「そんなことより――」と少女は、話題を姉へと引き戻す。
「クー姉が魔術学校に行かないというのは、どういうことですの?」
「てっきり、皆さんには話していると思っていたのですけど……」
ちらりと師は、魔術を教えている姉に目を遣って、
「アンファング村に残って、魔術を教えたいとのことでして。
おかげで私、諸々のお偉いさんから滅茶苦茶言われてるんですよ……」
ため息を吐きながら、深刻そうに言い放つ。
師が上役たちに指導あるいは説教されるのは、別にいいのだが――
……何だ? 何が起きている?
リッチェンと共に姉を見ると、俺たちの視線に気づいたのか、少女は楽しそうに手を振る。
「クー姉、どうしたのでしょう……」
隣に控える少女の表情は、文字通り複雑だ。
魔術学校に行かないことで、姉が村に居てくれる喜びと、魔術に傾倒した少女がそれを選ばない不自然さ。
その2つが、赤毛の少女の心をひどく揺らし、どんな表情をすればいいのか分からないようだ。
それにしても――
……やはり、どう考えても変だ。
姉がアンファング村で魔術を教えたがる。
少女は子どもが好きだ。
それは行われている授業風景からも見て取れる。
そして村の子どもたちも、少女のことを慕っている。
そんな姉が、彼らの面倒をみたいと考えるのは、理解できる。
……だが。
俺たちは――特に俺は、知っている。
彼女が子どもと同じくらい……否。
それ以上に、魔術に固執していることを知っている。
故に、魔術学校に行かないというのはおかしい。
そもそも、実際にアンファング村で魔術の先生をするにしても、魔術学校に行かない理由にはならないだろう。
むしろ、人に教えたいのであれば尚更行くべきだともいえる。
姉弟の師匠――レーリン様は王宮魔術師だけあって、レベルの高い魔術師だ。
学ぶべき所は未だに多い。
けれど、
例えば火と風以外の属性詠唱魔術。
魔法円の構造分析学。
詠唱魔術の創作理論。
魔術理論の歴史。
その他倫理観や諸々。
王宮魔術師といえども万能ではない。
故に、俺たちの
「魔術学校は、魔術が青春であり、世界が魔術に染まる」とは師の言葉であり、その至言に姉は強く目を輝かせていたというのに。
……何故だ?
不可解さが、胸中に引っかかり続ける。
魔術が好きなのに、どうして魔術学校に行かない?
研究しようとしない?
選択肢を広げようとしない?
……どうしてこうも早く、アンファング村に身を埋めようとしている?
俺の心の問いに、勿論答えはなく。
俺たちは、こちらの心情も知らず微笑んでいる姉を、見つめることしかできなかった。
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