第71話 月下の不意打ち。
輝く魔力が円と文様――魔法円を形作るために、瞬間的に体外へと放出される。
普段の魔術――無詠唱魔術では、魔力を現象として顕現させるには思考が伴う。
どの属性を扱うのか。
どんな現象を引き起こすのか。
そして魔力を変換した後は、どのように制御するか。
しかし今、発動している魔術には
思考の伴わない軽さが、少し心許なくもあり。
思考の不在によって、視野が広く確保できている。
正面に形成された魔法円は、いよいよ魔力の輝きを宿すと――
王宮魔術師レーリン様から初めて教えてもらった、記念すべき魔術が発動する。
……これが俺たちの今日の成果。
初級魔術『
「大成功!
凄く楽だよね! 詠唱魔術!」
ブイっと成功を喜ぶ姉の声色も、いつも以上に明るい。
詠唱魔術は魔法円内部の文様によって、魔術の軌道や規模、出力や発動時間まで設定されており、その通りに魔術が動く。
無詠唱魔術を全て自身で制御する
術師が処理する情報量は、詠唱魔術の方が圧倒的に少ない。
……だからこその発動速度の差か。
ただし――
「あれっ! 間違えた⁉」
不便なこともある。
1度放ってしまった魔術は、制御できないという点だ。
実際に今、魔法円の制御を誤った姉の風は、ヴァイの畑ではなく明後日の方向へと放出されている。
「うわわわ! こっちこっち!」
その風を呼び戻すかのように、姉は両腕をバタバタと上から下に振り下ろす。
「……楽しそうだな」
「楽しいよ!
それに、もしこれで風向きが変わったら面白いよね?」
勿論その動きで、風の向きが変わるなんてことにはならないわけだが。
月夜の中、畑の真ん中で一生懸命に手を振る姉の姿は、少しシュールで可愛らしい。
そんな姉のことはさて置き。
放った魔術を制御できないのは、大きな欠点――欠陥ともいえる。
なぜなら誤って他者に向けて発動した場合、取り返しがつかないことを意味するからだ。
今回の『
風を浴びるだけで済む。
しかし、これが攻撃魔術だとしたら。
それを考えるだけでも恐ろしい。
例えば俺たちの攻撃を無力化した、レーリン様の詠唱魔術であればどうなるだろう。
姉の炎をかき消し、俺の土の槍を破壊した威力。
人間がまともにアレを食らえば、ただでは済まないはずだ。
その制御を誤れば、敵味方どころか自身の命すらも危険に晒す、諸刃の刃となるだろう。
……魔術への理解を深め、使用する状況とタイミングを考えないとな。
気を引き締める。
詠唱魔術――魔法円展開魔術。
利便性が非常に高く、咄嗟の場面でも間に合う速度を持つ魔術でもあり。
俺たちの魔術――無詠唱魔術以上に、細心の注意を払って取り扱うべき魔術。
そんな印象を受ける。
……だが――
詠唱魔術以上に、俺が注意を払わなければいけない相手は――
「ふふふ……良いこと考えた! 『
綺麗な顔には今、怪しい笑みを浮かべている。
……絶対に何か企んでいる。
そしてそれは、間違いなくろくでもない事だ。
姉の魔法円が展開し、
……しかし、油断してはいけない。
長年の経験が、自身の危機を告げている。
「さあ、曲がれ!」
姉は言葉と共に、
すると――
「やはりか! やってくれる!」
思わず漏れ出る声。
姉の振り下ろしに合わせるかのように、風が空中で
「応用が早すぎるだろ……姉さん!」
……まだ
腕の振りで詠唱魔術――制御できないはずの魔術――を操ったわけではなく、
「あれ? 軌道の部分いじったの、バレてた?」
後は、タイミングを合わせて腕を振り、それが風を曲げたように見せている。
最初から、俺を驚かせるつもりだったのだろう。
魔法円の展開角度を変更することで、俺に風を直撃させるつもりなのだ。
絶対に何か仕掛けてくるという読みと。
姉の展開した魔法円に違和感を覚えたことで、不意打ちに当たりを付けられたのが幸いだった。
「『
……絶対にやり返して、ぎゃふんと言わせてやる。
その復讐心の元、姉の詠唱魔術に
上空から
「うわっ⁉ 危なっ!」
声と共に姉の身体が魔力によって輝き、地を踏んで高く跳ぶ。
……ちっ! 仕留め損ねたか!
「ルンちゃんこそ、抜け目ないね!
私の『
準備しておいた無詠唱魔術で姉の詠唱魔術を迎撃し、自身の『
……というか今、さらっとレーリン様の前で失敗した身体強化で、俺の『
いつの間にものにしたんだ、この化物は。
互いに睨み合う姉弟。
油断できない時間が、このまま続くかと思われたが――
「ふふふふふ! やっぱり魔術は面白いね! 最高だね!」
姉が朗らかに笑いだす。
その笑みに、警戒を解く。
「……同感だが、不意打ちは勘弁してくれ。
少なくとも、他人にやっちゃダメだぞ?」
姉も重々承知しているとは思うが、魔術によっては被害者が出る可能性もある。
釘は刺しておかねば。
「大丈夫! ルンちゃんと後は……先生くらいにしかやらないし!
危ない魔術なら、誰にもしないから安心して!」
被害者の中に当然の様に俺が含まれているのは、いつものこととして、
「まあ……レーリン様なら大丈夫か。王宮魔術師だしな」
俺たちの無詠唱魔術を同時に捌いたあの王宮魔術師なら、姉の不意打ちくらい華麗に処理してしまうに違いない。
「ねえ、ルンちゃん」
姉は一通り笑い終えると、珍しく凛々しい顔で俺を呼ぶ。
「なんだ、姉さん」
「
月を背景にした、少女の真っ直ぐな願い。
その瞳は、俺の奥底まで見通す様に輝いている。
……だが、残念ながら。
その言は、的外れも良いところだ。
……姉さんは凄い人だ。
今日覚えた魔術――魔法円を、望み通りの軌道を描く様に書き換え、1度失敗した見様見真似の身体強化を、この場であっさりと使い熟すくらいには。
それが魔術師の中で、どの程度のレベルなのかは分からない。
しかし少なくとも、今の俺には真似できない。
……このままなら、置いていかれるのは俺の方だ。
そのはずなのに――少女の表情や言葉は、真に迫るものがあった。
……分からない。
思考の海にどれほど深く沈んでも、姉がそんなことを言う理由が分からない。
少女の整った顔を見つめる。
その目元は薄く輝いている。
あの輝きは、決して月光や魔力のものではない。
……理由は分からない。だがそれでも――
姉さんを悲しませたくない。
そんな自身の想いだけは、唯一分かっているから。
「俺が姉さんを置いていくなんて、あり得ないと思うが……。
もし置いていくのなら、それは姉さんなら追いつくと信じているからだ。
万が一の時は、必ず追いついてくれ。待っている」
……これは、姉さんの望んでいる答えなのか?
それも分からない。
でも、自身の想いを伝えるのは止めない。
「反対に、姉さんが俺の先に行くのなら、待たなくていい。
足手まといになるなんてごめんだ。気にせず全力で進め。
だが安心していい。それでも俺は……姉さんに必ず追いつくから」
その言葉に、姉は顔を上げる。
……この
大言壮語もいいところだが、それができるのは俺くらいしかいないだろう。
なぜなら――
「……弟は姉に付いていくものだからな」
「うん、そうだね……そうだよね!」
姉の顔に、ようやくいつも通りの笑みが戻る。
どうやら元気が出たようだ。
……良かった。笑ってくれて本当に良かった。
少女にはその持ち前の笑顔のまま、全速力で進んで欲しい。
そうじゃなきゃ、張り合いがない。
そうやって、抜きつ抜かれつを繰り返し、姉弟で鎬を削り合って高め合っていけば――きっといつか
王宮魔術師レーリン様にも伝えなかった、もう1つの魔術を学ぶ動機。
今のところ、その手がかりすら見つからない、霞のようなもの。
俺が
……俺が転生した理由に、辿り着けると思うのだ。
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