第70話 まばらな作物。
「先生、面白かったねえ!」
「レーリン様は、少し変わった人だったな」
畑に姉弟の総括が響く。
話し合いの後、レーリン様に教わりながら、夢中になって詠唱魔術の練習をしていると、気付けば日が暮れていた。
「ルング! クーねえ! もうくらくなるわよ?」
「レーリン様?
事前にお約束した時間を、随分と越えている気がするのですが……」
リッチェンと村長に声をかけられなければ、そのまま続けていたかもしれない。
「ええ⁉ もうそんな時間ですか⁉ 嘘⁉
どうして、もっと早く教えてくれなかったんですか!」
そんなレーリン様の悲痛な叫びも、
「レーリン様、もう立派な王宮魔術師なんですから、それは自己責任です」
村長に一刀両断されていた。
「ヤバい……今、帰って報告したとしても、総任にどやされますね。
かといって、帰らずそのまま村に泊まり――潜伏すれば、お父様に報告」
王宮魔術師は、俺たちの魔術を受け止めた時の威厳が嘘の様に、小刻みに震えている。
「先生、大丈夫? 寒いの?」
見るに見かねて姉が気遣うと、レーリン様は笑う。
壮絶な笑顔。
死を覚悟した戦士の強がりだ。
その証拠に、魔術師の背景は
「クーグルンさん、ルング君。
私、この戦いを乗り越えて、あなた達にまた会いに来ます。
総任の野郎をボコボコにして、必ずまた明日来ますから。
だからお2人も、私の勝利を祈って……待っていてくださいね」
「レーリン様、それって死亡フラ――」
ガシ
台詞を遮る様に、姉が俺の腕を掴んで首を左右に振る。
「ルンちゃん、邪魔したら駄目だよ。先生は今から……戦場に行くの」
その黒色の美しい瞳は、何故か涙で潤んでいる。
「……では、行って参ります」
『
レーリン様はまだ知らない詠唱魔術を発動すると、ふわりと浮き上がり、みるみる村から遠ざかっていく。
結局俺たちは、憐れな後ろ姿が豆粒になるまで、空を見上げていたのであった。
それなのに、あんなに熱心になって詠唱魔術を教えてくれたのだからありがたい。
……できれば次は、帰宅時に使用した空を飛ぶ魔術を教えて欲しい。
まあ……レーリン様が無事生きていればの話だが。
帰りの遅かった俺たちを心配していた両親は、王宮魔術師の先生と仲良くなったことを伝えると、自分のことの様に喜んでくれていた。
「お父さんとお母さん、頑張ってくれたんだねえ……」
普段からしている水やりや雑草取りは、日が出ている内に両親がしてくれたらしい。
ヴァイの並んでいる土は湿り気を帯び、薄い月光を水玉が反射して、
「後で、礼を言わなきゃな……」
「うん!」
朝は俺たちを快く送り出し、夜は心配しながらも、帰りを待ってくれている。
そんな温かい家に生まれることができた幸せを、じんわりと噛みしめる。
「残ってる作業は……魔力に関するのくらいかな?」
「そうだな。大気を魔力で満たすぐらいだ」
ヴァイを育てる水や土ではなく、空気中の――大気の魔力量を調節することで、魔力を宿したヴァイが育つかどうかの実験。
2週間以上前から続けている実験だが、結果は興味深いものとなっている。
つまりそれは、ヴァイに個体差が出ているということだ。
……そのまま生育が進んでいけば、どうなるのだろうか。
最終的に全てのヴァイが、魔力を宿すことになるのか。
それとも現状のまま、魔力を宿さないヴァイも残るのか。
魔術の水や土で育てたヴァイの畑と比べると、この畑の輝きは歪でまばらだ。
しかしその輝きが不均等であればある程、ヴァイの未来に多様性が感じられて、楽しみでもある。
「……ねえ、ルンちゃん?
姉の瞳が、冒険心と魔力による白光で輝く。
……アレ。
指示語でも十分伝わる程度に、
しかし――
「姉さん。気持ちはわかるが、今は実験の真っ最中だ。
途中で
「うっ⁉」
撃たれた様に、大袈裟に胸を抑える少女。
「それじゃあ……仕方ないね。やりたかったけど、残念だね……」
肩を落としてトボトボと姉は歩き始めるが、
その場で足踏みしている。
おそらく落ち込んでいる姿を、俺にアピールしたいのだろうが――
「お姉ちゃん……悲しい。チラチラ……チラリ」
本気でそう思っているのなら、擬態語を言葉にするのは止めた方が良いと思う。
「はあぁぁ……」
チラリ
……全く、姉さんは。
姉はうちの家族どころか、村中の人たちから愛されている人気者だ。
一緒に散歩に出れば、直ぐに貢物で腕が埋まる。
姉が中央広場にいるだけで、俺たちより小さな子どもたちが集まって来る。
……当然といえば当然だ。
愛嬌もあり、容姿端麗。
教導園で受ける授業は苦手なようだが、賢くて優しい。
そりゃあ人気になるのも、当然だろうという話である。
そんな少女の可愛らしい要求。
……それに応えないなんてことが、あるだろうか。
更に言ってしまえば。
せっかくの
「……よし。実験中のヴァイの畑を、更に2区画に分けよう。
片方はこれまで通り進めよう。もう一方は新しい魔術で――」
「やったあ! ありがとうルンちゃん!」
力強い抱擁。
おそらく少女は今、勝利の美酒に酔っているはずだ。
それでも――
……仕方ないなあ。
そう思えるのだから、我ながら不思議だ。
従来通りに育てると決めた区画を魔力で満たし終え、いよいよ新しい魔術で育てる区画の番となる。
「ルンちゃん! 準備は良い?」
「いつでもいいぞ」
薄い月明りにも関わらず、姉が期待に胸を膨らませているのが透けて見える。
そしてひょっとすると――
……俺も姉さんに、
あんなに分かりやすく?
だとすると、少し恥ずかしい。
「じゃあ……やるよ! せーのっ!」
姉の言葉に合わせて、
今日教わりたて故に、レーリン様程の速度ではまだ発動できない。
しかし今日何度も見たことで、
『
『
姉弟の声が揃い、同時に美しい魔力の花が2輪、ヴァイの畑に向けて咲いたのであった。
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