第69話 師弟関係。

「そういえば先生、そようのもう1つって、何だったの?」


「ああ……そう言えばそうでしたね! すっかり忘れていました」 


 レーリン様は拳で軽く掌を打つと、再び人差し指を立てる。


 詠唱魔術――魔法円展開魔術。


 それを学ぶために必要な素養。


 1つ目は理解すること。

 魔法円や魔術に関する見識を深めること。

 それができなければ、魔術は発動しないという話だったが――


 ……そういえば、残りの1つを忘れていたな。


 無詠唱魔術や平民と貴族、魔術適正の話に熱中して、残り1つを聞きそびれていた。


「といっても……あなた達姉弟は、もうその素養を持っているって分かりきっているんですけどね。


 ……言わなくても良いですか?」


 レーリン様は「面倒なんで」とでも言いたげな様子だ。


 ……それは流石に駄目だろう。


(忘れてはいたが)こんなにも知りたがっているというのに。


「先生! 先生なんだから、説明しないのはダメだよ! ズルいよ!」


 姉も同感だったようで、レーリン様に詰め寄る。


「どうしましょうかねー。私も忙しいですしー」


 勿体ぶる王宮魔術師。


 ……仕方ない。


 訓練中の村長とリッチェンのいる方向に、抗議を投げる。


「村長! レーリン様の上役に、家庭教師の仕事をサボっていると――」


 もがもが


 一瞬の内に、口を塞がれる。


「ふう……危ない危ない。全く、油断も隙もありませんね」


 勿論、俺を黙らせたのは、不正を揉み消そうとしている王宮魔術師だ。


 そんなレーリン様は、向けられる2対の視線に屈したのか、


「もう……分かった! 分かりましたよ!」


 そう言うと、俺をあっさりと解放する。


 解放の際の「総任、怒らせたら怖いんですよ……」という呟きを聞く限り、レーリン様には総任という上司がいるようだ。


「少し勿体ぶりましたけど、別に普通のことですよ?

 残りの1つは……やる気――意欲です。以上」


 王宮魔術師はそう言って、人差し指をあっさり畳む。


「……それだけなのか?」


「ええぇぇ⁉ それだけなの⁉」


 漏れた不満の言葉を、レーリン様は受け付けない。


「言っておきますけど、やる気って滅茶苦茶大事ですからね?


 難解な魔法円を起動できなかったり、頭に描いた現象を魔法円の術式に落とし込んだり、実験結果を面倒なレポートにまとめたりする時。

 

 そんな心の折れそうな時を、やる気で乗り切るのです!」


「……レポートに関しては、完全にレーリン様限定だと――」


「お黙りなさい!」


「今の先生、お嬢様みたいだねえ!」


 姉弟の茶々を、レーリン様は受け流す。


「精神論になってしまうかもしれませんが、実はそれこそが魔術において肝だと、私は考えています。


 何があっても諦めず、自分ならできると確信すること。

 魔術は自身の理解した現象イメージを、この世界に顕現させるものですから、魔術師の心の影響をもろに受けます。


 だからこそ、揺るがないやる気や意欲が大事なのです!」


 レーリン様の言葉に、ふと世界の魔力を初めて使用した時のことを思い出す。


 魔物に傷つけられた父を治した時。

 自身の実力では治せないはずの傷を、己の身を顧みず必死に治療し続けたことで、初めて世界の魔力に触れたのだ。


 ……確かにそういう意味で、心の持ちようは魔術において重要だと言えるのかもしれない。


 そしてそれは――


 こっそりと姉を見ようとして、当の本人と視線が交錯する。


「どうしたの? ルンちゃん!」


「……やっぱり姉さんは、格好良いなと」


「そんなに褒めても、ハグしかしないよ⁉」


 いつものように、抱きかかえられる。


 ……姉さんの存在こそが、心の在り方の重要性を証明しているのかもしれない。


 魔力を振り絞り、父たちを探し出し、強大な魔術で魔物を滅ぼした。


 その仕留めた魔物のために、涙を流した心優しき少女。


 どんな時も前を向いて歩いてきた姉を、俺は心から尊敬する。


 ……そして、そんな姉さんの心の在り方が――


 魔力――世界の魔力も含めて――の覚醒を促したのかもしれない。



「それにしても、どうしてあなた達は、そんなに意欲があるんですかね?」


 姉弟の団欒を眺めていたレーリン様が不意に呟く。


「だって、クーグルンさんはまだ8歳。ルング君に至っては、5歳ですよ?

 まだまだ、遊びたい盛りでしょうに」


「先生も、まだまだだね! 

 そんなことも分からないなんて!」


 先程の意趣返しだろうか。

 今度は姉が勿体ぶる。


 ニヤニヤと笑う少女の姿は、身内目線だと可愛らしく見える。


 しかし人によっては――


「なんですか、お子ちゃまのくせに。

 大人をからかってないで、早く言いなさい」


 憎たらしく見えても仕方ない。


 レーリン様の両手が姉の顔に伸び、柔らかそうなほっぺを弄ぶ。


「……レーリン様、姉さんは魔術が1番の遊びなんですよ。

 つまり、魔術そのものが楽しくて、やりたい事なんです」


「なんだ、そういうことですか」


 レーリン様は得心がいったようで、すぐに姉を解放する。


「もうルンちゃん! もっと仕返ししたかったのに!」


 ぽこぽこ


 柔らかく握った拳で、背中を軽く叩かれる。


「悪かった、悪かったって」


「謝る必要はないと思いますよ? 焦らしたクーグルンさんが悪いと思います」


 それを言うなら、最初に俺たちを冷やかしたレーリン様こそ、謝るべきだと思うが、口にはしない。


 長い物には巻かれろ。


 それがいつの世も、長生きできる秘訣・・・・・・・・だ。


「……それで、ルング君はどうしてそんなに意欲があるんですか?」


 俺に向いた問いに、何故だか姉が答える。


「はいはいはーい! 私、知ってるよ!

 ルンちゃんも、楽しいから!」


「……そうなんですか?」


「ああ! 先生酷い! 信じてない!」


 俺に水を向けたレーリン様の言葉が、脳内を駆け巡る。


 ……なぜやる気が――意欲があるのか。


 姉の答えも、間違いではない。


 魔術は確かに楽しい。

 なぜなら魔術は真摯だからだ。


 俺の努力に・・・・・必ず応えてくれる・・・・・・・・


 理に適った努力であれば、大きな変化をもたらしてくれる。

 それがたまらなく気持ちがいい。


 そして、進む方向が逸れていれば、沈黙を貫くこともある。

 不変かつ不動のままのことも多い。


 だが、それもまた楽しい・・・・・・・・のだ。


 それは、変化しないという返事だから。


「この方向は難しい」と。

 魔術が、そう教えてくれているように感じるのだ。


 ズレていることも、変わったことも、予想に反したことも。


 全て間違いではない・・・・・・・

 危険なことはあっても、間違いという結果は、魔術に存在しない。


 それが、魔術を楽しくさせるのだろう。


 ……だが、姉さんのように魔術を楽しんでいるか。


 そう問われると、話は変わる。


 魔術は楽しい。

 それは認めるが、同時に俺にとっては手段なのだ。


 あくまで過程であり、目的そのものではない。


 つまり、俺に意欲のある理由は――


「力が手に入るからです。世界を支配するほどの」


「危険思想! 私の教え子が反逆の芽に⁉」


「陛下に報告すべきでしょうか」と頭を抱えるレーリン様に、姉が笑顔で告げる。


「先生、嘘だよ! ルンちゃん笑ってるもん!」


「え……本当ですか?」


 レーリン様は恐る恐る俺の顔を覗き込み、


「……ただの仏頂面にしか見えませんけど?」


 物凄く失礼なことを宣う。


「目が垂れてるし、口元も少し動いてるし、笑ってるよ!

 ねえ、ルンちゃん?」


 姉の言葉に頷く。


「はい。力は欲しいですが、世界は必要ありません。邪魔なので」


「ほら!」


「……それはそれで、恐ろしい事を言っている気がしますけど」


 レーリン様は苦笑いだ。


 魔術に対して、やる気がある理由は単純シンプルだ。


 力が欲しい。

 少なくとも、家族や村――身近な人たちを護れる力が。


 それだけだ。


「そういうわけで、レーリン様。

 俺が力を手に入れるために、是非詠唱魔術を教えてください」


「そうだよ先生! 早く私たちに魔術教えてよ!」


「私……急に気乗りしなくなってきたんですけど」


 そんなことを言いながらも、レーリン様は微笑みながら語り出す。


「では、最初に『そよ風よ、吹けブレーゼ』から――」


「私、もっと派手なのがいいな!」


「『そよ風よ、吹けブレーゼ』を弄って遊べばいいんじゃないか?」


「こら! 話を聞きなさい!」


 こうして、初めての師弟関係が始まったのであった。

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