第66話 姉の感性。

「姉さん、昨日の今日でリッチェンの真似は無理だって。

 まだほとんど、練習していないだろう?」


 頭から土へと突っ込んだダイブした姉に手を貸す。


 流れる様な魔力操作。

 アレは完全に、リッチェンの打撃を模倣した挙動だろう。


 ……見よう見真似で、よくあそこまで再現できるな。


 やはりうちの姉は、抜群の天才であり――


「だって……先生の魔術を近くで見たかったんだもん」


 狂おしいほど愛らしい。


 少女は呟きながら、俺の手を借りて立ち上がる。


 どうやら、レーリン様の元へ急ぎたいがあまり、やってしまったらしい。


 ……レーリン様に、不意打ちを仕掛けたかったわけではないのか。


 安心した様な、残念な様な。

 とりあえず、姉が戦闘狂でなくて何よりだ。


 ……それにしても、恐ろしいな。


 姉の踏み――蹴り跡を見る。

 均された美しい大地は見事に抉られており、衝撃によって吹き飛ばされた土は、未だ宙に散っている。


「まったく……土だらけだぞ?」


 そしてそんな惨事を引き起こした姉もまた、体中土に塗れ、残念な状態になっていた。


「ルンちゃん、洗って―」


 少女の口調に、甘えの色が混ざる。

 ニコリと浮かぶ野花のような笑顔。


 ……あざとい。


 そう理解しているのに、何故だろう。

 この笑顔には、勝てたためしがない。


「仕方ないな……」


 水の魔術で、少女の小さな顔と同サイズの水を作り出す。


 ぷかぷかと宙に浮いたそれを、少女の顔の前に置いて、


「はい、息吸って――ストップ」


 息を止めさせる。


 頬がぷくりと膨らんだ姿すら、愛らしい。

 いずれ、この愛らしさを活かした商売をするのも、ありかもしれない。


 ……アイドルはどうだろう?


 この世界にその概念が存在するのかは置いておくとして――。


 思考と並行して、用意した水の魔術が小顔を包み込み、土を洗い流していく。


 顔を洗うのが面倒な時、よくお世話になる洗顔用・・・魔術だ。

 汚れもすっきり、肌も艶々モチモチに。

 怠惰と洗濯魔術開発の副産物だが、今では母も毎日俺たちに頼むほどの魔術はつめいとなっている。


「これでよし。次は――」と、水を蒸発させて、風の魔術で匂い付けをしようとしたところで――


「あ! それは私がやるよ! 新しい匂い好き!」


 そう言って姉は、風の魔術を自身に吹かせ始めた。

 水自体は完全に蒸発させたため、乾燥よりも香り付けの意が強い魔術だが――


 ……姉さん、いつの間に柑橘系の匂いを。


 つい最近、開発したというのに。


「もう、覚えたのか……早いな」


「でしょう! えっへっへ」


 自身の手柄を自慢する姿には、全くと言っていいほど嫌味がない。


 生来の人柄――愛嬌も含めて――だろうか。

 ほんの少しだけ、それが羨ましい。


 姉が匂いに耽溺している間に、服や手足の僅かな汚れもついでに落として、同じ匂いのする風を少女に浴びせていく。


「私のと同じくらい良い香り! ありがとう、ルンちゃん!」


「どういたしまして」


「……まあ、同じくらいもなにも、同じ匂いだから」と続けようとして、思い止まる。


 俺たちの魔術に、レーリン様のそれの様な再現性は、ほぼない。

 互いが互いの魔術を見て、自身の感覚のままに・・・・・・・・・魔術を発動真似している。

 それが姉弟にとっての魔術だ。


 つまり――


 ……俺の感覚が、姉さんと同じとは限らない。


 同じ匂いと感じているのは俺だけで、姉からすれば異なるかもしれないのだ。


「むふふ!」


 ぼふっ


 風が止まると、姉は爽やかな匂いを纏ったまま、俺へと抱き付く。


 いつも通りとはいえ、王宮魔術師というお偉いさんの前。


 恥ずかしいし、止めて欲しいのだが。


 しかし、それにしても――


 ……我ながら、本当に良い匂いだと思う。




「へ⁉」


 私は驚愕のあまり、目を見開きます。


 ……いえ、違いますよ?


 幼い姉弟の可愛らしいやり取りに、妙なテンションになったわけではなく。

 2人の扱った魔術に、驚いたのです。


 無詠唱魔術なのも、本当は驚くべきことなのですが……。


 少女――クーグルンさんは、身体強化魔術と風の魔術を。

 少年――ルング君は、水の魔術と風の魔術を。


(少女は多少失敗していましたが)呼吸するかのように、扱っていました。


 姉弟が未だにほのぼのとしたやり取りをしているのは、おそらく普段通り。

 何も知らなければ、ただの微笑ましい光景です。


 しかし、その平和な景色とは対照的に、私の心中は大荒れでした。


 総任から貰った書類――眉唾物だと判断した情報を思い出します。


 姉弟の扱える魔術の種類は、少なくとも4属性以上。


 王宮魔術師である私や総任ですら、4属性は扱えないことから、話が盛られていると断じたわけですが……。


 少女が今のところ使用したのは、火と風、それに特殊属性身体強化魔術

 少年が使用したのは、土、水、風。


 2人とも、あと1属性リーチでした。

 そしてより恐ろしいのは、姉弟がそれを何とも思っていない・・・・・・・・・ところでしょうか。


 ……やはり逸材。


 そして初見でそれを見抜いた私も、さすがだと言わざるを得ません。

 総任に報告して、給料を上げてもらいましょう。


 同時に、姉弟の他の情報も思い出します。

 

 魔力を宿したヴァイの開発。

 魔物の討伐。


 ……これ程の腕前があるのならば。


 魔力に満ちた水源などなくとも、道中に存在したヴァイの管理くらい、朝飯前のはずです。


 ……魔物を討てるかは、少し疑問の余地がありますが。


 私に仕掛けた魔術程度の威力では、魔物を傷付けることはできても、仕留めることはできないはず。


 ……村長ブーガにも手伝ってもらったんですかね?


 村長――元騎士ブーガ。

 我が家に仕えてくれていた、腕利きの騎士でした。

 彼の腕前なら、魔物を討つのも可能だと思いますが……。


 ……あるいは。


 この姉弟にも・・、奥の手があるのかもしれません。

 秘密兵器って格好良いですから。


 ちらりと視線を、2人に向けます。


 嫌がる少年から、決して離れようとしない少女。


 もう私には、あの2人がダイヤモンドの原石にしか見えませんでした。


 この子たちが、どんな魔術師人生を歩むのか。

 どれほど面白い――あるいは変な――魔術を発見したり、開発したりするのか。

 どこまでの高みに昇れるのか。


 姉弟の未来に思いを馳せると、こうなんというか……昂ります。


「よし! 行くよ!」と少女が、今度は魔力を使わずに、私の元へと駆けてきました。

 後ろには、少年も付き従っています。


 知的探求心に燃える瞳。

 魔術師らしい瞳です。


 そんな姉弟から、期待通りの言葉をいただきます。


「先生! 先生が使ってた魔術を教えてください! 今すぐ!」


「レーリン様、あの2種類の魔術は、どうやったんですか?」


「2人とも落ち着いてください。ちゃん説明しますから」


 ……まったく、仕方ありませんね。


 2人の勢いに流されながら、魔術の説明をしようとして――


 ……ああ、なるほど。そういうこと・・・・・・ですか。


 才溢れる2人を前に、ようやく私は得心が行きました。


 ……きっと、おそらく、多分ですが。



「代わりに私も、先程クーグルンさんが受けていた、水と風の魔術を体験したいのですが」


「もちろん良いよ!」


「料金取っても良いですか?」



 ……私を担当した総任も、こんな気持ちだったのでしょう。

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