第41話 バイトの説明は難しい。

「ねえ! ルング! どうしてにげようとするの!」


 結局俺は赤毛の少女――村長の娘――を振り切れず、纏わりつかれていた。


 ちなみに、逃げようとした理由だが――


 ……単純に、苦手だからだ。


 ただでさえ、前世で女性と話す機会は少なかったのに、その上相手は子ども。

 

 話し難い相手に、話し難い相手が重なることで、最早どう対応していいのかすら分からない。

 大混乱だ。パニックと言ってもいい。


 ……数学の負の数同士の掛け算みたいに、得意正の数になってくれればいいものを。


「ちょっと、ルング!」


「はあ……何だ? 村長の娘」


「だから、リッチェン――ってなにそれ⁉」


 少女からの逃走を諦め、俺がウォーミングアップ・・・・・・・・・を始めたところで、赤毛の少女の視線は俺の手元に注がれ始める。

 

 ……なるほど。


 こういうの・・・・・には、興味を示すらしい。


「ああ……これは、魔術だ」


 俺の掌の上には、回転する水の球・・・・・・・とその周囲を取り巻く風の渦・・・

 水と風を同時に扱う魔術だ。


 その魔術を、興味深そうに観察する少女。


「へええ! きれい! それに、いいにおい!」


 風の渦が時折水を削り、飛び散った水が陽光に照らされて輝く。


 その事象に負けないくらい目を輝かせる少女は、年相応に可愛らしい。


「ああ……鋭いな。水の魔術を回転させながら、風の魔術で匂いをつけてるんだ」


 中心の球体へと吹いている風の一部を、少女に向けて流す。


「うわあすごい! はなのにおいね!」


 両手を大袈裟に振り上げて、身体全体で香りの良さを表現する少女。


「喜んでもらえたなら、何よりだ」


 俺がイメージして作り上げた香りは、前世の洗濯用洗剤や柔軟剤だったのだが、少女はその匂いを花の香りと取ったらしい。


「……でも、どうしてまじゅつのれんしゅうを、いましてるの?」


 俺の今取っている行動に、疑問符が浮かぶ少女。


 中央広場に向けて歩を進めながら、掌で魔術を行使している理由はいくつかある。

 

「少女と歩く道中の気まずさを、どうにかやり過ごすため」というのも多少はあるものの、一番の理由は――


「バイトのためだ」


「バイト? バイトってなに?」


 初めての言葉を前に、少女は俺に再び尋ねる。 


「働くことだな」


「おしごととはちがうの?」


「うーん、そうだな……俺の父の仕事を知っているか?」


「うん! のうぎょうでしょ?」


「君のお父さんは?」


「そんちょう!」


「そうだ。よく知っているじゃないか」


「ふふん! すごいでしょ!」


 褒めると、少女も喜ぶ。


 ……子どもと接するのは、こんな感じで良いのか?


 探り探りで少女と接する。


 相手が何を考えているか分からない中、こちらの考えが伝わる様に話す。


 コミュニケーションの基本ではあるはずだが。

 簡単なようでいて、難しい。


「……でも、父も農業だけやってるわけではない。

 狩りをしたり、君の父――村長を手伝ったりしてるだろう?」


 ……狩りは多少、父さんの趣味も入っている気がするが。


「うーん、そうだっけ?

 ツーリンダーのおじさんは、そんなに……」


 ……確かに。

 

 父は、あまり村長の手伝いをしていない気がする。

 むしろ必要な報告を欠いて、村長に叱られている姿の方が頻繁に見られる。


「……いつも、うちの父がすまない」


「なんで、あやまってるの?」


 俺の所為ではないはずだが、強いて言うなら息子としての責任感が謝罪の理由だ。


「まあ、うちの父でなくても、村長の仕事を誰かが手伝ったりするだろう?

 それで働き終わったら、働いた分の報酬として、食材を分けたり」


「そういえばしてるわね。

 わけすぎて、おおきかったおにくが、こんなにちいさくなったり」


 少女が人差し指と親指で、小さい隙間を作る。

 

 ……いや、いくら村長がお人好しとはいえ、そんなことはない……はず。


 途中から自信が無くなる。


 村長ならやりかねない。

 そう思ってしまう程に、村長のお人好し具合を知っているからだ。


「まあ、とりあえずそれだ。

 普段の仕事でなくても、時間が短くても、働いた時間の分だけ報酬を貰う。

 それをバイトというんだ」


 ……大枠は外していないはずだが、この説明で合っているのか?


 当然の様に扱っている言葉や概念も、子どもに1から説明するとなると、また難しい。


「うーん?」


 少女も理解しているのかいないのか、曖昧な表情を浮かべている。


「とりあえず……今から俺はバイトで働くんだ。

 だから、それの練習をしている」

 

 その言葉を聞いて、少女の顔は驚きの表情を取る。


「ええ⁉ ルング、はたらいてるの⁉ おてつだいじゃなくて⁉」


 力強い瞳が真ん丸になると、本当に村長にそっくりだ。


「ああ。長い時間ではないが、働いてその分の報酬を貰っている」


「いいなあ! おにくとかもらえるの?」


「たまにな」


 イメージで話すよりも、同い年の俺が働いているという話の方が、少女としては飲み込みやすかったらしい。


 なんとなく理解できたようだ。


「わたしもできる?」


 そして、同級生の俺ができるのなら、自身もできるかもしれないと考えたのだろう。

 俺にお願いするかのように尋ねる。


 だが、先程も言った様に残念ながら――


「俺のしていることは、魔術が重要だからな……できないことはないはずだが」


 正確には魔術が無くてもできるが、魔術でした方が効率が良く、仕上がりも良い。


「ええ、そうなんだ……ざんねん。

 それで、なにするの? なにしてるの?」


 俺がバイトで何をするのか、少女は楽しみのようで、声と足を弾ませる。


「まあ……見てたらわかる。付いて来い」


「うん!」


 俺たちは歩き出す。


 ……不思議だ。


 未だに、子どもへの苦手意識は残っている。


 だが――


 ……少女の期待に応えられたらいいなと。


 そう考えてしまう自分自身が、心底意外だった。

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