第9話 父との約束。

「――」


 パチリ


 目を開く。

 少し慣れ始めた藁葺の屋根が、俺の起床を迎える。


 いつもよりも家は薄暗く、室内に静寂が満ちていた。


 見ているものはいつもと変わらないはずなのに、元気な家族の物音が聞こえないだけで、言い知れない不安に駆られる。


 ……そうだ! 姉は?


 姉は無事だろうか。


 肩についた火は消せたはずだが、それでも火傷くらいはしてしまったかもしれない。

 冷たい水をかぶったことで、体調を崩してしまったかもしれない。

 

 ……心配だ。

 

 考えれば考えるほど不安になる。

 辺りを見回そうと身動きをすると、野性味のある顔がひょっこりと顔を出した。


 父だ。


『ルング、起きたか?』


 いつもとは違う静かな声。

 落ち着いた声色は、知っているものより小さく低い。


 ……いつもこれなら、もっと格好良いのに。


 その端正な顔には、どこか安堵したかのような表情が浮かんでいる。



 父がいるということは、今日の仕事はもう終ったということだ。


 ひょっとすると、夜になっているのかもしれない。


 ……姉と母はどこに?


 父がいるからこそ、尚更2人がどこにいるのか気になる。


 じっと父を見つめると、彼は俺の意を汲んだかのように、


『静かにな』


 伸ばした人差し指を口元に当てながら、俺を抱き上げる。


 華奢な母と比べて、ずっと筋肉質な身体。

 優男風の顔でありながら、よく鍛えられている。


『どうだ、俺の筋肉。格好良いだろう?』


 冗談めかしながら、力こぶを作る。

 細く引き締まった良い筋肉。

 憧れずにはいられない肉体である。


『安心しろ、ルング。お前は俺の息子だ。

 ちゃんと鍛えれば、すぐ俺みたいになるさ』


 父が俺の頭を撫でる。

 相変わらず大きくて硬い手だ。


『ほらよ。確認したかったのはこれだろ?』


 俺を大事そうに抱きかかえると、父は俺の寝ていた場所を見せてくれる。


 するとそこには俺の寝床を囲んで、寝ている2人の姿。

 俺を見守るためか、寝ているにも関わらず、2人の顔は俺の寝床へと向いている。


 母と姉。

 似たり寄ったりの母娘だ。


『ったく。大変だったんだぜ?

 お前の意識が無くなって、今日で3日目だ。

 ゾーレもクーグルンも心配で、ずっと看てたんだぞ?

 村医者のアーツトに診てもらっても、特に異常はないって言うしな』


 母娘を愛しそうに眺める父。

 その表情は柔らかい。

 そしてどこか、妻と娘を自慢しているようにも見える。


 涎を垂らして寝ている姉を、集中して見る。


 服は修繕中なのか処分したのかわからないが、火のついたものとは異なる服を着ている。


 そして何よりも――怪我をしている様子はない。


 ……良かった。

 

 安らかな姉の寝顔を見て、ようやく安心する。


『男同士ちょっくら、外にでも出るか』


 父は俺の様子に満足したように頷きながら、俺を外へと連れ出す。


 夜の帳はすっかり降りていて、少し冷たい風が頬を撫でた。


『まだ夜は冷えるな』


 父は俺を抱えながら、家の裏手へと足を運ぶ。


 裏手は、父の仕事場・・・・・

 我が家の農地・・だ。


 畑にはまだ成長途中の作物が並び、青々と伸び始めている。


 風の中に混ざる草と土の匂い。

 俺はこの匂いが嫌いじゃない。


『にしてもまさか、盛大なお漏らしで村医者を呼ぶことになるなんてな』


 声色に含まれた、からかいのニュアンス。


 声を発した父を見ると、いたずらした時の姉とそっくりの笑みを浮かべていて、その瞳には親愛の色が浮かんでいる。


 抗議の声を言葉にはまだできないが、父に俺のそのニュアンスは伝わったらしい。


『……冗談だよ。見たぜ? クーグルンの服。

 肩の部分が焦げてやがった。

 ルング、お前が助けてやったんだろ? ありがとな』


『お漏らしと魔術、どっちで助けたかは分からないけどよ』と、なにか冗談めかして言う父。


 言葉は伝わらなくとも、父の想いは伝わる。

 生まれ落ちてほんの数ヶ月ではあるが、父との付き合いも毎日なのだ。

 だから、彼の仕草や表情だけで、何を考えているのかくらいはわかる。


 ……この人はきっと、俺を信じてくれている。


 まだ赤ん坊で、言葉も話せないのに。

 既に全幅の信頼を置いてくれているのだろう。


 それがどれだけ幸せなことか、今の転生した俺はよく分かっている。


『なあ、ルング』


 父の真剣な声色に、赤ん坊ながら身を正す。


 その横顔がいつもの気さくな表情から、精悍な凛々しい表情へと変わる。


『もし今回みたいに俺が居なくて、ゾーレ母ちゃんクーグルン姉ちゃんが危ない時は……お前が守ってくれよな』 


 力強い声。

 おそらくは約束だ。

 男同士の約束――誓いといっても良い。


 ……守るよ。必ず。


 内容は分からなくても、この父は理不尽な約束は決してしないはずだから。


 ……だから守るよ。父さん。


 この家族の幸せを・・・・・・・・俺は絶対に守る・・・・・・・



『ああ! おかあさん、ルンちゃんがいない!』


『ええっ⁉ ルンちゃん⁉ 

 あなたぁぁぁぁぁ! ルンちゃんがぁぁぁぁぁ!』


 そんな父と息子の空気を緩ませる、女性陣の声。


 どうやら2人が目を覚ましたようだ。

 家の中が一気に騒がしくなる。


 母と姉。


 2人の心配する声が響く。


『こりゃあ……怒られそうだな』


 ばつが悪そうに、父は俺を抱えて歩を進め始める。


 夜だけど、少し騒がしい家。

 家族4人の温かい家。


 約束を胸に、父と俺は2人の待つ家へと帰っていくのであった。

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