0歳
第3話 幸せな笑顔の意味。
枯れ葉のような匂いと、チクチク背中を刺す感覚に目を覚ます。
……ここはどこだろう?
目に入って来たのは、枯草で出来た天井。
その段階で、見慣れた我が家ではなかった。
偶々人を助けて事故に遭ったかと思えば、次は謎の闇空間。
そこに差し込んだ光に吸い込まれたことまでは覚えているが、気が付けばまた初めての場所にいる。
様々な場所へ、意識のない内に移動していることを考えると――
……夢だったのかもしれないな。
問題は、どこまでが夢だったのかだが。
身体に力を入れる。
……うん。
手足に問題はない。
痛みも感じない。
しかしそうなると、車に轢かれたこと――学生を助けたこと――すら夢だった可能性がある。
だとすると、少し恥ずかしいのだが。
……とりあえず起きるか。
背中のむず痒さに、身体を起こそうとして――
……起きられない⁉ どうして⁉
チクチクとする寝床に手をつこうとしても、力が思うように入らない。
ただ、カサカサと乾いた音が、室内へと広がるだけだ。
望み通りに動けないもどかしさから身をよじっていると、茶髪の男が顔を出す。
端正な顔立ち。
しかし目つきは鋭く、どこか野性味あふれる男だ。
その男が、俺を見下ろしながら話し出す。
『ルングが起きたぞ! おいルング! わかるか? パパだぞおぉぉぉぉ!』
……日本語じゃない⁉
何を言っているのかは、残念ながら
しかしその表情。
端正な顔が取った表情は、彼がどのような感情を抱いているのかを、雄弁に物語っている。
笑顔。
それも満面の笑顔だ。
彼の端正な顔は今、崩れに崩れている。
ドロドロだ。
ヘドロといってもいい。
興奮して息が上がっているその様は、イケメンといえども変質者のようだ。
その男から、ゆっくりと大きな手が差し出され、俺の頬に触れる。
……なぜ俺は今、成人男性に頬を触られているのだろうか。
新手の痴漢なのかもしれない。
『はああぁぁぁぁぁ! 柔らかいいぃぃぃ! 可愛いいぃぃぃ!』
それにしても、端正な顔に似合わない武骨な手だ。
豆の上から更に豆が出来て、それを何度も潰してできた手。
努力の手。
苦労の結晶のような手である。
撫でられる硬い感触は少し痛いが、悪くない。
『おとうさん! わたしもルンちゃんにさわっていい?』
にょきっと男の隣から、更にもう1つ顔が出てくる。
女の子だ。
案の定、彼女の話している言葉もわからない。
年の頃は3、4歳くらいだろうか。
とろけ男によく似た茶色の長い髪。
柔らかそうなその髪は、緩やかなウェーブを描いて、俺の目の前まで垂れ下がっている。
男の鋭く茶色い目に対して、垂れた黒色の目の優しそうな子だ。
その黒色は今、爛々と好奇心で輝いている。
『いいぞ、クーグルン! 可愛い弟をたっぷり可愛がってやれ!』
男が発する言葉に対して、男とも少女とも異なるもう一人の声が割り込む。
『クーちゃん? ちゃんと汚れは落としてからね』
少女に似た――しかし落ち着いた声色。
『はあい、おかあさん!』
少女は言葉の後に、とたとたと音を立てて遠ざかっていく。
水の流れる音の後に、再び少女は顔を出し、その隣から新たな顔が出てくる。
『ルンちゃん。起きたのね』
女性だ。
少女によく似た顔立ち。
少女の将来の姿だと言っても差支えがないくらいには、よく似ている。
柔らかい髪質もそっくりだが、女性の髪色は黒。
長さは少女のそれよりも、ずっと長いだろうか。
これほどまでに顔立ちは似ているというのに、受ける印象は随分と異なる。
理知的な瞳。
穏やかな微笑み。
……多分、お淑やかな人なのだろう。
そんな三人が共通して浮かべているのは、幸せそうな笑顔だ。
『ふふふ……ほら、おいで』
女性が、両の手を俺のわきの下に差し入れる。
おそらく、抱き上げるつもりだ。
……本来なら。
不可能に近い。
瘦せ型だったとはいえ、俺は一応成人男性だ。
目前の華奢な腕に、成人男性を持ち上げる腕力があるとは、とても思えない。
それ以前に――
……そもそも壮年のおっさんを、俺よりも明らかに若い女性が抱きかかえようとする状況がおかしい。
仮にあったとしても恥ずかしいし、絶対に嫌だ。
そんなことを不満気に考えたところで、
自身の置かれた不自然な状況。
そして、男性と女性、それに少女から満面の笑顔を向けられている意味を。
……やっぱり
生きている意味について考えていたことも。
車に轢かれたことも。
高校生を助けたことも。
むせかえるような血の匂いも。
叫びたくなるほどの痛みも。
息を吸えない苦しさも。
流れ出す血の熱さも。
全て夢ではなかった。
俺はあの冬の夜に、確かに死んだのだ。
そして何が起きたのか分からないが、どうやら俺は
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