第7話 回想
戦場の武神アレクサンドロス大王が登場する以前、マケドニアには一人の偉大なる王の存在があった。
立志伝中に名高き彼の名を人はフィリッポス二世とそう呼んだ。
紀元前368年、マケドニアが、いまだ内乱と対外戦に明け暮れた弱小国であったころ、彼は小国の第三王子としてテーバイで人質生活を送っていた。
このころのマケドニア王国といえば、吹けば飛ぶような辺境の弱小国であり、イリュリアやテーバイといった強国に挟まれてその独立に汲々としている有様であったのである。
フィリッポスの父アミンタス三世の存命中は彼の老練な政治力によって、なんとか国難の波を泳ぎきってきたマケドニアは、その死とともに未曾有の混乱に直面した。
まずフィリッポスの兄が摂政によって暗殺されたばかりか、次兄がようやく即位したのもつかの間今度は隣国イリュリアとの戦役で次兄もまた戦死してしまう。
領土は大幅にイリュリアに奪われもとより山岳が多く耕作面積の少ないマケドニアはさらに窮乏の一途をたどっていた。
小国の興亡の歴史を考えればいつ滅んでもおかしくない状態に当時のマケドニア王国はあったのだ。
そして紀元前359年、兄の子の死に伴い自ら即位したフィリッポスはテーバイでの人質生活で得た先進知識を最大限に活用して国家の再興を着々と実現していく。
為政者としての、とりわけ組織者としての彼は空前絶後の天才であったといっていい。
即位後たちまちのうちに国内の反動勢力を一掃したフィリッポスはまずマケドニアの軍事基盤の改革に乗り出した。
フィリッポスが志向したこの改革はおそらくは世界史上でも特筆すべき軍事革命ともういべきものである。
まず彼は貧しい国民に土地を与えて自立を促し、土地所有権をもった自営農民から兵士を選抜することで、国家への忠誠心の厚い常備軍を手にすることに成功した。
この事実は彼がテーバイでの人質生活で、ヘラス――ギリシャ系ポリス社会のバックボーンが、参政権をもった自由市民層に依っていることを見抜いたことを明瞭に示している。
歩兵戦力に乏しかったマケドニアは、この政策によってヘラスでも有数の歩兵戦力を獲得したのである。
さらにフィリッポスはギリシャ式のファランクスに飽き足らず、歩兵の機動力と打撃力を向上させるため槍の長さを伸ばすかわりに円形の大盾を廃した。
これによりマケドニア式の密集歩兵は陣形を保ったまま駆け足が可能なほどの機動力と、全長5メートルにも及ぶ槍を両手で扱うことによる強大な打撃力を持つに至ったのだ。
もとよりマケドニアは騎兵戦力に優れた辺境地域であったために騎兵の拡充には手間はかからなかった。
ただし、主武装は全長三メートルのサリッサに改められ彼らはヘタイロイ ―友― と呼ばれる美称を与えられ王との親和性を高められる存在となった。
またヘラス伝統の四角型陣形を廃し、楔形陣形を採用することで、指揮官先頭による柔軟な運用が可能となり戦力としての実質は長年の宿敵であるイリュリアを大きく引き離すものとなったのである。
だがフィリッポスの改革の最たるものはそんな瑣末なところにはない。
彼は重騎兵を槌とし、密集歩兵を床に見立てた諸兵科合同 ―コンバインドアームズ― による総力戦を志向したのである。
理由はわからないが、ヘラス世界では騎兵を戦力として当てにしておらず、またペルシャ世界には密集歩兵そのものが存在しなかった。
わずかにペルシャ軍に諸兵科合同の萌芽が見られたものの、砲兵や偵察兵までをも加えた諸兵科を戦術として完全に統合したのはフィリッポスが世界で初めての存在であった。
驚くべきことに、この当時のマケドニア軍が最大の威力を発揮したときの戦闘力は、最盛期のローマをも上回りおそらくは火砲が出現した近代の国家軍が登場するまで彼らに匹敵する存在は現れなかったのである。
後年アレクサンドロスに引き継がれたマケドニア王国軍の精強さは、間違いなくフィリッポスによって築き上げられたものであった。
さらにこれだけの突出した軍事力を所有しながら、フィリッポスはいたずらに軍事力に頼ろうとはしなかった。
ペルシャ軍が圧倒的な戦力をもちながらも遠征に失敗し、その後外交と金惜しみしない政治工作によって結局東エーゲ海の支配権を奪い取ったことをフィリッポスはよく承知していた。
優れた軍事力を持たない国が覇を唱えることはありえないが、軍事力を行使しなくても目的を達成することは可能であり、そのほうが逆に経済的でもあるのだ。
武力に頼ったテーバイの英雄エパミノンダスが最終的に何をもたらしたのか。
フィリッポスも親交のあったエパミノンダスは高潔無私のまさに絵に描いたような英雄だったが、その死により築き上げてきた全てを失わせたのである。
同じ愚を犯すつもりはフィリッポスにはなかった。
彼がこれほどに突出した政治センスを持ちえた理由は諸説あるが、兄たちの死とエパミノンダスの死が彼に与えた影響は確実である。
フィリッポスは兄ペルディッカス三世がイリュリアとの戦役で戦死し、エパミノンダスがスパルタとの戦いで戦死した事実から、総指揮官が最前線に出るべきではないという結論にいたった。
幸い彼にはパルメニオンやアンティゴノスといった宿将がおり、また息子であるアレクサンドロスもまた人並みはずれた将才を見せつつあったために危険を冒してまで指揮官先頭を実践する必要はなかったのだ。
それどころか有用な武将を数多く見出し、王たるものは軍事・外交・謀略を統括する大戦略にのみ専念すべきと考えていた節すらある。
戦場でも有能な将帥であったフィリッポスは、マケドニアの土台が出来上がってくるのと期を同じくして明らかに戦場から遠ざかっているからだ。
また彼によって見出された将帥は、パルメニオンをはじめとしてアンティゴノス、ポリュペルコンといった宿将ばかりかペルディッカス、ネアルコス、プトレマイオス、エウメネスといった後のアレクサンドロスの側近にまで及んだ。
後年アレクサンドロス大王のもとで勇名を馳せる武将のほとんどは実際のところフィリッポスによってすでに見出されていたのである。
亡国の危機にさらされた辺境の小国から、人材を育成し行政機関を整え、全く新たなソフトウェアを使用する最強の軍隊を手に入れた。
さらにその力に驕ることなく外交と謀略を縦横無尽に使いこなし、最小限の力で最大限の果実を得るその万能ぶりは世界史上でも特筆に価するものだ。
だがその彼にもわずかではあるが致命的な欠点が存在した。
すなわち女性問題や派閥問題を抱えていたとはいえ、後継者問題を不確定なままにしすぎたのである。
フィリッポスにはふたりの男子に恵まれていた。
一人はアレクサンドロス、もう一人はアリダイオスという。ところがアリダイオスのほうは言語性の疾患を患っていたために早々に後継者レースからは脱落したと考えられていた。
だからといってアレクサンドロスが後継者に確定して安閑としていられたかというとそうではない。
むしろ幾度もの危機に陥っていると言ったほうがいいだろう。
アリダイオスも完全に後継者レースから脱落したというわけではないのは、婚姻政策でアリダイオスが隣国の王女を娶る話が出たときに、アレクサンドロスがこれをむきになって破談にもちこもうとしたことでも明らかだ。
さらにフィリッポス二世は兄ペルディッカス三世とその子の後を受けているだけに、ペルディッカス三世の系譜に王権を返すべきであるという勢力も存在した。
何よりも問題なのは、事実上の後継者たりつつもアレクサンドロスを後継者とするというフィリッポス二世の明確な意思表示がなかったことである。
現状ではアレクサンドロスが後継者候補最有力なのは疑いないが、新たに第三子が誕生した場合になおアレクサンドロスが後継者たりうる保障はどこにもないのであった。
紀元前337年、アレクサンドロスにとって極めて不都合な事態が発生する。
フィリッポス二世がマケドニアの有力貴族エウリュディケと結婚する意志を明らかにしたのである。
この結婚がマケドニアに与えた衝撃は甚大だった。
フィリッポスは政略的な観点から6人全ての妻を諸外国から娶っていたが、エウリュディケは初めてのマケドニア貴族からの妻であり、慣例を侵そうとするほどにフィリポスがエウリュディケに多大な恋情を抱いていたからである。
結果から言えば人間としてはともかく為政者としてこの結婚は大失敗だった。
天才フィリッポス二世によって急速に発展し巨大化したマケドニアではあるが、いかに彼がバランス感覚の優れた政治家であったとはいえ、その実は様々な軋轢を抱え込んでいたのだ。
リュンケスティスのような小国を併呑したことや、王家への中央集権化、行政機構の刷新による既得権益を失った貴族たちの不満は潜在的にずっと以前からくすぶり続けていた。
王の結婚はこれらの不満に油を注いだに等しかったのである。
エウリュディケの結婚に抗議する形でオリンピュアスとアレクサンドロスは出奔。
隣国でありオリンピュアスの生家でもあるエペイロス王国に身を寄せる。
もともとマケドニアは異国人に対して排他的な風土にあり、エペイロス王家の血よりマケドニア人の血を歓迎する貴族たちはアッタロスを中心に無視できぬ勢力を築きつつあった。
ここでエウリュディケが男子を出産するようなことがあればアレクサンドロスの運命はここで終わっていたかもしれない。
合理性を好み、清濁を併せ呑むフィリッポスにとって、アレクサンドロスの浪漫チシズムと母に似た激情ぶりは為政者として懸念を示さずにいられないことも大きかった。
東方遠征を企図していたフィリッポスにとってここでエペイロス王国と外交問題を引き起こすわけにはいかなかったために、比較的短期間で両者の仲は修復された。
だからといって両者の間に生まれた溝が完全に塞がるはずもなかった。
結局のところフィリッポスはエウリュディケと蜜月を楽しんでおり、アレクサンドロスを正式に後継者に指名したわけではなかったのだから。
アレクサンドロスたちの懸念をよそに、エウリュディケの懐妊が明らかになったのはそれからしばらくしてのことであった。
そして紀元前336年夏、運命の日は訪れたのである。
マケドニアの古都アイガイの劇場はエペイロス王アレクサンドロスとフィリッポスの娘クレオパトラとの結婚に沸きに沸いていた。
何かとプライドの高いヘラスを後方に抱えるマケドニアとしては、ここでエペイロスとの盟約を新たにしておく必要性があったのである。
遡ること数ヶ月前に、遂にフィリッポスは小アジアへパルメニオン率いる先遣隊を進めペルシャとの対決に臨む姿勢を明らかにしていたからであった。
コリントス同盟の盟主としてヘラスを指導する地位を得たフィリッポスは、この機会に東エーゲ海沿岸の植民市を獲得してエーゲ海貿易の独占を図るつもりでいた。
なぜなら強大な常備軍や鉱山の開発などへの投資は、本来健全であったはずのマケドニア財政を再び赤字へ追いやろうとしていたからだ。
また耕作面積あたりの人口が過剰になりつつあるのも原因のひとつであった。
マケドニアは耕作面積が他国に比べて少ないうえに、この時代の人間一人あたりを養うために必要な耕作面積は現代とは比較するのもバカらしいほどに巨大なものであったのである。
エペイロス王アレクサンドロスと、花嫁クレオパトラは叔父と姪の関係にある。
母親のオリンピュアスに似て大輪の華を思わせるクレオパトラの美貌にアレクサンドロスもいたく満足していた。
両者の結婚披露宴は諸外国の使節が見守るなか大成功のうちに幕を降ろそうとしていた。
そんな和やかなムードの中、古都アイガイの中央に位置する劇場に向けて行進する王の背中を思いつめた瞳で凝視する青年がいる。
青年の名をパウサニアスと言った。
マケドニアの中堅貴族である彼は寡黙で武勇に優れ、王の側近護衛官に抜擢されるほどの実力を有していたが胸中には抑えきれぬ憤懣が渦巻いていた。
その憤懣の理由は先日ラバ追いの集団に公衆の面前で辱かしめられたことによる。
武勇に優れるといえども、泥酔中に集団で襲い掛かられてはさすがのパウサニアスもどうすることもできなかったのだ。
このことがパウサニアスの武人としての誇りを著しく傷つけたのは想像に難くない。
ラバ追いたちはアッタロスの家人であることが判明し、ただちにパウサニアスはアッタロスの処罰を王に求めたが王の動きは歯がゆいほどに鈍いものだった。
妻であるエウリュディケに遠慮して父であるアッタロスを庇っているようにしかパウサニアスには思えなかった。
ところが事実はパウサニアスの推測とは異なる。
確かにアッタロスの家人が暴行を働いたのは事実だが、実は前の日の晩にラバ泥棒があり、何者かが「ラバ泥棒がいたぞ!」と叫んだのが騒動の発端であるらしい。
不思議なことにアッタロスの家人にそんなことを叫んだものが見当たらないというのも不審であった。
フィリッポスのアッタロスに対する配慮を抜きにしても、これではアッタロスに叱責以上の処分をするわけにはいかなかったのである。
だがそれが宮廷でどのように見られるかは別の問題であった。
口さがないものは今後生まれるエウリュディケの子供が男であったならば、王位はその子供に譲られることになるだろうと噂した。
そんなことは認められない。
アッタロスの勝ち誇ったような得意顔がパウサニアスの脳裏に浮かんでは消える。
マケドニアの誇りを汚すアッタロスとその一党が王位をおそうようなことがあってはならないのだ。
固い決意とともに懐の短剣に手を伸ばすパウサニアスのもとにフィリッポスの鷹揚な声がかけられた。
「側近護衛官はしばし下がれ」
警護についていた側近護衛官の精鋭が劇場のホールにつくと同時に主賓たちを残してホールの外側へと離れていく。
目の前には二人のアレクサンドロスとフィリッポス二世が、その無防備な姿をさらしていた。
フィリッポスなどは早くも酒が入っているようで足取りまでおぼつかない。
やはりこの男がマケドニアの神聖な王位にいるのは何かが間違っている気がした。
………あのお人の言っていたことはやはり正しかった。
フィリッポスの生命はもはや完全にパウサニアスの掌中のうちである。
武装していないアレクサンドロスたちには自分を止める術はない。
この機会が必ず訪れることを、あのお人は何日も前に予言していた。
そしてまた、アッタロスとその一党を一人残さずマケドニアの地から排除することも誓約してくれているのだ。
逡巡する理由は何もない。
今こそマケドニア貴族の誇りを全うし、マケドニアに正統な王を迎え入れる時なくてはならぬ。
色ボケの老人に国を託せる余裕などこの国にはないのだから。
劇場の中央にはギリシャ十二神と並ぶようにして、フィリッポスの像が飾られている。
ヘラスを支配する者という意味ではこれ以上ないデモンストレーションであった。
辺境の蛮族にすぎなかったマケドニア王家は、これ以後ヘラスでもっとも高貴な血脈となるのだ。
王権の強化と存続の観点からも、王家の神聖化は急がなくてはならない命題なのである。
全長二メートルを超える自身の彫像を目の前にして、フィリッポスはこのうえなく上機嫌であった。
――そしてニンマリをした笑みを貼りつけたまま、一代の梟雄は凶刃に倒れた。
己の死すら自覚できぬあまりにあっさりした天才の死であった。
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