4時間目  体育・課外授業 前②

 トリヒスの剣が謎の兵士の槍の穂先を打ち払う甲高い金属音が響く。

「ふむ。我が槍を迎え打つとは敵ながらあっぱれであるな」

 間合いを取り、居丈高に構えたその男は言った。

 トリヒスの奥で、転ぶ結果となったアイサが砂を払いながら立ち上がる。

「大丈夫ですかアイサ殿」

 トリヒスは剣を構え、兵士に向かいながら言った。

「ええ、お気になさらず。むしろ助かりましたわ」

「私が引きつけておきます。アイサ殿は今のうちに……」

 トリヒスは背を向けたまま声を潜める。

「わかったわ」

 アイサはこくりと肯いたが、彼には見えていない。

「和が名はシセリー・シワンプである!」

 特に尋ねてはいないが、襲撃してきた兵士は槍の石付で地面を打ち、名乗った。

「その目つき、剣捌き……貴様、トリヒス・マージャルか?」

「……そうだ。久しいな、シセリー」

 シセリーもおおよそ年のころ三十相当に見えるので若くはないが、口ぶりや嗄れた声、頭髪に混じる白髪なども踏まえれば、トリヒスの方が年は上のようである。

「はん」

 シセリーは鼻息であしらった。「王家に背く罪人どもに軽々しく名を呼ばれたくはない」

「随分と成長したようだな。今は私の後釜だったか?」

「いつまでも人を若手と思うな。王からのご命令でそちらの女を殺しに参ったのだが……もう一人の男とは貴様のことだったのか」

「王だと? そちらの方が悪人ではないか」

 シセリーの瞼がぴくりと動いた。

 次の瞬間には、シセリーは間合いを一歩詰め、長い槍を突き出した。

「貴様! いうに事欠いて王を愚弄するか!」

 トリヒスの剣がそれを受ける。黄色い火花が散った。

 ぎりぎりと押し合いながら両者はにらみ合う。

「王だと? 血統もない、玉座を強奪した今の王に、どうして膝をつけられようか!」

「どのような形であれ、元来王とは国を統べる力あるべきものが名乗るもの!」

「そこに確たる信念もなく、野蛮な思想に侵された者たちには何を言っても無駄そうだな」

 トリヒスが手首を返し、槍をいなすと、詰め寄り剣を振り下ろす。

 シセリーは右腕を上げ、石突で半円を描くように剣を弾き、トリヒスの腹に蹴りを入れる。

 ――が、トリヒスはそれを読んで後ろに飛び下がって回避した。

 隙のできたシセリーへと再び剣を振り下ろす。

 左腕のガントレットでそれを受け、右腕一本で振り回した槍の柄でトリヒスの横腹を殴った。

「ぐっ……!」

 かつてはそれなりの体つきだったのだろうが、鎧もなく、痩せた腹には多少の殴打でも重く響く。

 トリヒスの体が転がり、あわや『王家のあやまち』という名の穴に転がり落ちかける。

 追撃されては一貫の終わりだ。

 シセリーが振り下ろした穂先を寸前で首を折って躱す。

 地面を突き刺した刃は朝陽を受けて眩しくぎらつく。

 トリヒスは砂を握り、シセリーの顔に投げつけた。

「ぐっ! 卑怯なっ」

 一瞬のひるみだったが、トリヒスが間合いを取るのには十分だった。

 肩で息をし始める。己の体力の低下に、トリヒスは自嘲した。

「どうしたトリヒス。その老いた体ではもはや満足に戦うこともできぬか」

「私は自分の命など惜しくはない。……あの日、皆と共に姫様を王城から逃がした時から、この命は姫様に捧げたのだ」

「姫……ルミナーラ様のことか?」

 シセリーは瞳孔を開いた。「このルインズに逃げたと言うのか。ますます王を馬鹿にしているような真似を……!」

 柄を握る手に力が籠り、擦れる音が鳴った。

「他意はない。一番安全だと判断したまでだ」

「命を捧げる……まさか、そこの娘がルミナーラ様とでもいうのではあるまいな?」

 シセリーは槍でトリヒスの背後を指した。

 え?――とばかりに顔を開き、トリヒスは振り返った。

 そこにはまだ、アイサがいた。

「あ、アイサ殿!?」

「なに?」

 あっさりと返事をするアイサ。

「なっ……先程逃げろと申したはずですぞ!」

「言ってないわよ。『今のうちに』って言っただけでしょ?」

「そ、それはそうですが……」

 状況的に、『今のうちに「逃げろ」』と解釈してほしかったのだろう。トリヒスは語尾を濁した。

 気を取り直すばかりにトリヒスは頭を振って、改めてアイサを見つめる。

「そ、それよりアイサ殿、その格好は……魔術師のローブか何かですか?」

「これ?」

 とアイサは襟を摘まむ。「私たちの白衣って言うのよ」

「は、はくい……?」

 アイサは制服の上に白衣を着ていた。裾が長く、確かに造りはローブと誤解されてしまうかもしれない。

 ただ白衣というには、妙な色だった。肩から腰辺りまでが薄く桃色のグラデーションを呈していた。広がる裾には桃色の水玉模様がぽつぽつと無秩序に塗られていた。

 そして、レンズの大きな四角い眼鏡をかけている。フレームは空のような海のような深い青色だった。

 ヘアゴムを口にくわえながら、悠然と後ろ髪をまとめていた彼女を、トリヒスと、そしてシセリーは呆然と眺めていた。

「……ふう。おかげで準備できたわ」

 最後に、右手に長い手袋をはめて、アイサは言った。

「じゅ、準備ですか?」

「ええ。今のうちにって言うから、準備したんです」

「何の準備をしたと言うのだ!」

 シセリーは苛立って訊ねた。

 アイサは腕を組み、そして左手の親指を長い舌で舐めた。

「貴方を殺して、私を守る準備よ」



「――それにしても、良かったんですか? イサミさん」

 旧ルインズの村ではイサミたちは、アイサとトリヒスが戻ってくるまでに、旅立ちの準備を整えていた。

 長老に扮していたエッジの指示の下、ルミナーラの配下の臣たちがはりきってその準備に取り掛かっている間、イサミとセイマは待機――ぶっちゃけると手持ち無沙汰となっていた。

 一応、ルミナーラの護衛ということで、そばにはいるが、昨日の今日で王国軍の兵士がまた訪れるということはないだろうと考えている。

 しかし、臣下たちの間では、アイサとトリヒスが出発したのと同時に、臣下の一人・レイトが行方不明となっていることに気付き、否応にも緊張感が張り詰めてはいた。

「なにがだよ?」

 だが、イサミは欠伸混じりに答えた。

「アイサさんたちと一緒に行かなくても」

「セイマがそれ言う? 『私一人になるの嫌です!』とか言い出したのセイマだろ」

 本来はイサミも同行する予定だった。彼も石碑のことは気になっていたようだ。



 ――昨日洞窟から出てきた後、アイサと合流したのだが、その時イサミは「どうだった?」と好奇心剥き出しでいの一番に尋ねていたのである。

「石碑の文字が読めなかったわ。これがあっても字は読めないのね」

 とアイサがイヤリングをぴんと指先で弾いた。

「それなら、誰か一緒に行ってあげましょうか?」

 ルミナーラのそばで控えていた女性――どうやらルミナーラの乳母だったらしいフーリィが提案した。

「それならばトリヒスがよかろう」

 とエッジが推薦する。長老、という肩書は偽装だったが、彼が仲間内の中でも一番の権力を有していることは、周囲のエッジに対する態度でイサミたちにもわかった。

「はっ」

 トリヒスが一歩前に出る。

「こやつは聡明な上、武芸の腕も確かじゃ。共に行けば心強いだろう」

 トリヒスは得意げになることも、やたらに謙遜することもなく、黙していた。

「へー」

 イサミは石碑以上に、トリヒスの腕前の方が興味があると目を輝かせる。

「俺も一緒に行ってみたいなぁ。なぁ、俺もいい?」

「ええ。構わないわ」

 アイサはすんなり肯いた。

「今日はもう暗い。明日の朝にでも出たらどうだ?」

 ルミナーラが提案する。

「そうね……。それじゃあ、私がいなかった間のこと、教えてもらえるかしら?」

 とアイサが尋ねたところで話はひと段落ついた。

 その後はルインズという地区はかつて村だったが、一度滅びたことを聞き、空いてる家を自由に使って良いと言われたので、各々空き家で一晩を過ごした。

 ちなみに、エッジたちは生き残り、というフリをしてこの地区に身を隠していたらしい。ルミナーラだけは表にはその存在を知られないように注意していた。

 11人以外の村人は本当に生き残りのものもいれば、ここ数年で今の王国への不満を持った同胞として各地の水面下で募兵した者たちの一部らしい。

 空き家の中は意外と快適――とまではいかないものの、寝具は一通りそろっていた。隠れ家にしていただけのことはあり、野宿よりは何倍もマシだった。

 夜明け前には起こされ、イサミは、アイサとトリヒスと共に旧ルインズの村を出発――しようとしたのだが。

「――ちょ、ちょっと待ってください!」

 と直前になってセイマが叫んだ。

「わわ、私一人ってことです……よね?」

 セイマが慌てだす。

「そうだよ。なんだよ今更」

「な、なんか夜寝る前に考えてたら不安になって……」

「仕方ないだろ。誰かはここに残らないと。あいつらまた来たらどうするんだよ」

「そ、それはそうですけど……私一人は嫌です! イサミさんもやっぱり残ってください!」

 セイマは半べそをかいてイサミにしがみつく。

「なんでだよ!」

「仕方ないわね。私とトリヒスさんの二人で行くわ」

「だからなんでだよ!? 俺の意思は?」



 ――と、結局イサミは残る羽目になった。

「ま、まぁ。すぎたことはいいじゃないですか」

 セイマは困ったように笑った。

「ほんの数時間前のことだけど!? いくらなんでも――」

「しっ」

 と声を潜めてはいたが鋭く、緩んだ空気を切り裂くように諫めたのはフーリィだった。

 ぴたりとイサミたちが動きを止める。

「そのまま、」フーリィは周囲を鋭く睨みながら、「私に注意せず、自然なまま聞いてください」

「な、なんっすか?」

 そう言われてすぐに自然体にはなれず、イサミはぎこちなく体を動かす。

「どこかから見られています」

 ざわりと周囲の空気が色を変えた。

「そ、そんなことわかるんですか?」

 セイマが言った。

「ええ、気配で……垂れ流しているようなので、それほどの使い手ではないでしょうけど。一度触れた相手の気配はおおよそ」

 フーリィは言葉こそ穏やかだったが、その声音に静かな怒りを込めていた。

「……昨日のやつらか?」

 ルミナーラがぽつりとこぼした。

 フーリィは黙って頷く。

 イサミは固唾を飲むしかなかった。

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