3時間目 休み時間 後
「どうしたの? 名前を聞いてるだけだけど」
アイサが首を傾げる。まとめていない長いウェーブのかかった彼女の髪が揺れた。
少女は、そばに控える老人と、先程兵士に何かしらの攻撃を受けたであろう、中年の女性に目で訊ねた。
二人が静かに肯いたのを見届けると、瞳を閉じた。
その間に、退屈しのぎとばかりにアイサは髪をクリップで留めようとまとめていたが、それもすっかり終わった頃だった。
少女がゆっくりと唇を動かしたのは。
「私の名は、ルミナーラ……。ルミナーラ・エスポフィリアだ」
「……なんかどこかで聞いたことある感じするな。これがデジャヴってやつ?」
イサミは下唇を持ち上げて唸った。
「多分、王国の名前じゃないですか」
セイマが答えながら、自分で自分の言葉に驚く。
「……え?」
ルミナーラと名乗った少女も含め、村人たちの視線が落ち着きをはらう。まっすぐに伸ばした背筋を少しだけ傾けて敬意を露にした。
「お、王国の名前って……え、えっと、るみなあら……だっけ? き、君はこの王国の、その……王族って言えばいいのか? そういう関係の人?」
一方でイサミは動揺からしどろもどろに言葉を並べる。
誰一人肯こうとはしないが、また否定もしない。ただ静かに構えるルミナーラを、人々は見守っていた。
イサミとセイマは答えを求めるようにアイサを覗く。
「……多少は思うことはあったけど、さすがに王族とは想像もしてなかったわ……」
アイサもまた、多少は動揺しているようだ。いつも感情の動きが読みにくい彼女だったが、語尾に力がなく自嘲的に口角を吊り上げていた。
「……訊かないのか? 私がどうしてこんなところにいるのかということを」
ルミナーラが不安げに眉尻を下げる。
「え?」
と反射的に答えたイサミだったが、その後は彼もまたしばらく沈黙を貫いたのち、左右に並ぶセイマとアイサに視線を泳がせながら言う。
「そ、それは正直なんとなくわかってるっていうか……」
「わ、わかっていたのか?」
ルミナーラは幼さ残る目を真ん丸にして驚く。
「あ、いやその、君が王族なのは知らなかったけど、そんな君がここにいるという理由は分かるってこと」
「ど、どういう……」
ルミナーラが戸惑う。不意を突かれると、年相応の幼さが姿を見せた。
それを受けて薄く笑うアイサに、イサミとセイマはいつもの彼女に戻ったと目線で会話した。
「あなたたちとは視点が違うのよ」
「視点?」
ますます混乱したルミナーラをみて、周囲の村人たちが目玉だけをアイサに向ける。嫌悪や怒りの色が滲んでいた。
しかし素知らぬ顔でアイサは続ける。
「そして私たちは、あなたがどうして追いやられたのかではなく、何故今の王室があなたを追いやったのか、を知りたいってことよ」
アイサに続き、イサミとセイマも鋭く視線をルミナーラに集める。
きゅっと喉を鳴らすように顎を引いたルミナーラは、目をしばたかせた。長い睫毛が洞窟という環境下の陰湿な空気を撫でるようだった。
鼻から大きく息を吸い、口から長く息を吐き終えると、ルミナーラは言った。
「……それならば石碑を見ればわかることであろう」
突き放した言い方は、自分の心を守るようでもあった。
「そう……じゃあ行ってみるわ」
とあっさりアイサが立ち上がる。
え? と驚いている間には、アイサは村人たちの視線に見送られて洞窟の出入り口へと向かって闇に隠れていった。
立ち上がるタイミングを逃したイサミは、どうしたものかと視線を泳がせる。
村人たちが体を向けてじっと見てくる。息一つ、瞬き一つさえやり辛いという息苦しさから逃れるように、イサミは尋ねる。
「ルミナーラは……俺たちを売らないのか? その、さっきの兵士みたいなのに」
売るよ。――とでも言われる未来を瞬時に想像したのか、セイマが顔を蒼くした。
しかし、ルミナーラは静かに首を左右に振る。
「ほ、ホントですか?」
セイマが詰め寄る。「だって私たち、懸賞金がかかってるんですよね?」
冷静に考えれば、ここまでは状況証拠しかなかったのに、そこへ当人の自白が重なったようなものだ。
もはや人違いという言い訳は通用しない。
しかし、ルミナーラはこくりと細い首を縦に振ると、「本当だ」と静かに告げる。
ほっと胸に手を当てたセイマとイサミの後ろで、村人たちがその背中に視線を向ける。そのすべてが好意的なものだったのかは二人にはわからなかった。
だがルミナーラは瞳の中に蝋の炎をたたえて言った。
「その実力を見込んで頼みがある」
その夜――。
ルインズ地区より4里ほど離れた小さな宿場町にある王国軍の詰所に、急報が届く。
王都からの使者を仰せつかったタウカン少尉は、長い王都への道のりは明日の朝からということで、今夜はここに泊まるらしい。
本来の駐在兵を、「王都」に配属されているというだけで、顎で使っていた。そして、本来なら禁止とされている酒類を持ち込み、付き添ってきた直属の部下数名と酒盛りを始めている。
駐在兵は、そこが宿場町でもあることから宿をすすめたが、王都に住む者からすれば「ビンボーくさい」ということらしく、また、
「王都からの使者ということ、王様のご命令を携えておるのだぞ。我を王と同様に扱えぬというのであればそれは不敬罪に処されても文句は言えぬよな?」
と屁理屈を抱えておどしつけ、強引に詰所の主権を奪ったのだ。
厳格な兵士が控える詰所に似合わぬ下卑た馬鹿笑いの声を町中に響かせていたのだが、夜も更けた頃、表で控えていた駐在兵が飛び込んでくる。
「タウカン少尉!」
本来ならばその血相に身を正しても良かったが、すっかり酒の進んだタウカン少尉は目を座らせ、露骨に白けた。
「なんだ」
その器の小ささを隠そうともせず、一方的に睨みつける。
「そ、その! ルインズ地区より参った者が、例の懸賞首を見つけたと申しております」
若き駐在兵はすっかり怯えてしまい、声を裏返す。
「なに? バカもん、それを早く言え」
タウカン少尉はにたりと吊り上げた口角から漏れ出た酒を革の手袋で拭うのだった。
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