3時間目 休み時間 前
馬の気配が遠ざかると、イサミは急いで小屋を出た。セイマも後に続く。
灰色の空の下広がる村の気配は耳が痛いほど静かだった。
ものの数分前までイサミたちが立っていた場所に、件の老人と女性がいた。どちらもこの腐敗したような泥の道に倒れていた。
「あれは……」
「おじいさんっ」
イサミとセイマが駆け寄る。
倒れた老人と女性を支えながら立ち上がらせた。その女性はもしかしたら先程囲まれた時にはいたのかもしれないがイサミの記憶には無かった。
「あれ、あの子は……?」
「――こちらです」
声のする方を振り返る。
小屋の前から動いていなかったアイサの、さらに後ろから少女がひょこりと顔をのぞかせたのだった。
「――いでっ」
「気をつけてください。かなり狭い通路なので」
額を抑えてうずくまるイサミに、少女は振り返って言った。
「もう少し早く言ってほしかったぜ……」
「こんな地下の通路に来たら当然気を付けるべきことでしょ」
イサミの小さくなった背中に冷たく言い残して、頭を低くしたアイサが先に行く。
「背が高くていいなぁ、とは思ってませんからねっ」
続いてセイマが一人ぷんぷんと怒りながら、よくわからない負け惜しみをイサミの背中にぶつけて進んでいった。
村の奥――イサミたちが下ってきた丘の麓に、木々や雑草に囲まれて小さな洞穴があった。
長老と少女、そして数名の村人に招かれてイサミたち三人はその洞穴の奥を進む。
村から洞窟まで、村人たちはひそひそと声を潜めて何か会話をしていたが、イサミにはそれが聞こえなかった。油断はできないと数珠を握りしめていた。
「――うわぁ」
セイマがわかりやすく感動の声を漏らした。地下特有の冷えた空気に微かにこだまする。
地下通路を抜けた先には、明らかに人工の空間が存在していた。
土や岩を削り、綺麗な直方体の空間がそこにはあった。横長の空間ではあるが、イサミやアイサが真っすぐ立っても頭を打つ心配をしなくてもよいほど縦にも広い。
藁のような枯草で編まれた円い座布団がいくつか雑多に置かれていたが、奥の壁の前に置かれたものだけは異彩を放っている。
そう感じさせるのは左右に控える燭台の等間隔の位置に置かれていたことが理由だった。染色もされている物はその座布団だけ。
更には背後の壁には見慣れぬ壁画があった。
何かの紋章にも見える。
四方の岩壁に備えられた
最奥の席に長老が座る。
――三人はそう考えていた。実際道中も長老が先頭を歩き、今もその席に向かっていたが、彼は直前になって手前の何でもない藁座布団に座った。
そして、一番奥の席には、少女が座った。
他の村人たちが壁際へとそれらを引っ張りながら向かう。
気付けば少女と長老の正面にイサミたち三人が並んで座るように整えられていた。
「……す、座ったら良いのか?」
イサミが独り言のような疑問を口にすると、少女が静かに頷いたので、三人はそれぞれ座布団に座る。イサミは真ん中で胡坐をかいた。
彼の左右に、セイマは体育座り、アイサはスカートのお尻を抑えながら正座する。
「突然のことに戸惑われただろう」
見計らって少女が話しかけた。
「まぁ、正直……」
イサミは苦笑を浮かべてそういう他なかった。「……ん?」
「なんだ?」
「い、いやぁ……」
ヘルメスの涙がまたおかしいのか? イサミは左手に握っていた数珠を確認するが、緑の光は蛍のようにほんのり灯っている。赤い珠は何も反応を示していない。
「で、一体何の用なの?」
アイサが無遠慮に尋ねる。「仰々しくこんな土臭い場所に連れてきて」
「アイサさん、失礼ですよ……。さっきの小屋より全然マシですし、怒らせて襲ってきたらどうするんですか」
その発言もこの空間ではどんなに声を潜めても、アイサに届けば相手にも聞こえているのだが、セイマは気づいていなかった。
「……襲うならさっき襲ってるだろうし、あの王国の兵士から私たちを隠す理由がないわ」
アイサは少女をその眼に捉えて放さない。
「……あぁ、そうだ」
やはり少女の話し方が尊大な物言いに変わっていた。よく見ると吊り上がった眼つきは勇ましさを見る者に感じさせる。しかし、長い睫毛がその強さを幾分か淑やかにしていた。
「お主たちは、先程の兵士が届けてきた手配書に書かれていた者たちだろう」
「「うぇ!?」」
イサミとセイマが、もはや「そうです」と言ったも同然のリアクションをみせる。寒いくらい涼しい地下の空間で冷や汗が流れる。
すがるような二人の視線がアイサに集まった。
「……私は違うわよ」
「あ、アイサさん!?」
「おま、それもうほとんど肯定してるようなもんじゃねえか!」
「あなたたちの反応も同じでしょ」
村人たちが呼吸を乱しはじめた。どのみちもうバレているのだとわかり、イサミは一度大きく胸を膨らませて、息を吐きだした。
「……あぁ。そうだけど」
村人たちのざわめきが一層強くなる。蠟燭の火がゆらりと揺れた。
少女もまた、口を堅く閉じているのは驚きを表に出さないように堪えているからかもしれないが、目は大きく見開かれている。
「……そうか」
蝋の火に照らされ、少女の髪は一層強い銅色を放っていた。
「ならば、あのミラーロを倒したというのも本当だというのだな?」
「うん。まぁ夢中だったからあんまり覚えてないけど」
「リノーケスもか?」
「へ? 誰それ?」
イサミが鼻でも垂らしそうなほど間抜けな声を出す。
「それは私よ」
と名乗り出たのはアイサだった。
「倒したなんて大げさよ。ちょっと瀕死になってもらっただけだから」
「いや……より酷くなってないかそれ?」
「改めて訊くがお主たちは、エスポフィリア王国を……その……、滅ぼそうと言うのか?」
突如尊大な口調になった少女は、村で出会った時から一つも臆する気配を見せないどこか覚悟のようなものを持ってイサミたちに向き合っていたが、今初めてその声が微かに震えているのがわかり、イサミは小さく息を飲んだ。
肩に力が入り持ち上がっていた。黄色の瞳はかすかに動くこともない。
意を決した少女の問いに、村人たちも同調し視線を集めてくる。
「……別に王国には興味はない」
イサミも、真面目に答えた。
「けど、結果としてはそうなるかもしれないわね」
アイサが続くと、一同は「おお」と、悲鳴ではなく感嘆の声を漏らした。
「あ、あれ……? み、みなさん、喜んでません?」
セイマがきょろきょろと振り返る。しかし、村人たちはそのどよめきを納めようとはしない。
「そろそろこちらも尋ねていいかしら?」
アイサが言った。
少女はそばにいた長老と女性にそれぞれ目線を向けた。いずれもが深く肯いたのを見届けると彼女もまた一度肯き、イサミたちに向き合った。
「……うむ。いいだろう」
「それじゃあとりあえず……あなたの名前は?」
アイサの切れ長の瞼の中、ぎょろりと黒目が動く。
少女はきゅっと喉を鳴らして背を弓のように反らしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます