3時間目 社会・課外授業 後③
老人の右肩に手を添えて立つ少女に、幼いながらも妙な気迫を感じたイサミは、返す言葉を探すように目玉を動かしていた。
「あらあら」
場の緊張感にそぐわぬ飄々とした声を出したのはアイサだった。
「イサミ君」
と呼びかけてくるのでイサミは振り返る。
「なんだよ――うわっ」
アイサの向こう――引き返してきた道まで村の人たちにぐるりと囲まれていて、もはや逃げることなどできなかった。
いずれの村人も痩せこけており、骨ばっている。身ぎれいにしているようにはみえず、顔の判別は難しかった。
力で組み伏せられるとは思えないが、訝しげに睨み、一歩も引こうとしないある意味で勇猛とも言える姿勢に息を飲む。
ましてまだ何もされていないのに、王国の兵士でもない彼らに刀を向けることなどイサミにはできなかった。
「答えなさい」
その声に再び長老と呼ばれた老翁へと向き直る。声の主は少女だったが。
「あなたたちは何者ですか。そのお姿……エスポフィリア王国の貴族か縁者ですか」
「へ? いや、全然違うけど」
鼻を摘ままれたような感覚を覚えたイサミだったが、ふとレニにも似たようなことを言われたことを思い出した。
「イサミ君」
アイサがひっそりと耳打ちする。「余計な言い争いする必要もないわ。素直に答えておきましょう」
「……そうだな」
「それともいっそのことやってしまう? あなたがそう言うなら従うわ」
アイサはブレザーの袖をまくった。
「私も、イサミさんがそう言うなら」
セイマも指を組み、何かを唱えるポーズを見せる。
「おい、なんだかんだで俺に責任なすりつけるのやめろよ……!」
こそこそと揉めていると少女の眉間の皺が深くなっていた。輝く銅色の髪は見慣れない色だった。こちらの世界は黒髪以外の人も当然多く、茶髪やレニのように金髪も珍しくはなかったが、ゴールドと赤が混ざったような銅色は他に見なかった。
「えっと、とにかく落ち着いてほしいんすけど」
イサミが取り繕う様な愛想笑いを浮かべて続ける。
「俺たち別に貴族とか王族とか関係ないんです」
隣にいたセイマがしっかりと首を縦に振る。
「それに、別に変なことをしようとも思ってませんから」
二人の言葉を受けて、少女は老人へと目を向ける。他の村人たちも老人に注目した。
少しの間を置いて、また少女が口を動かした。
「それならどういう理由でこの辺境……ルインズ地区へ来たのですか? 外国の方?」
「え?……そ、それは……?」
どうしよう?――そんな意味を込めた目線をアイサに向ける。
「素直に言えばいいんじゃない?」
アイサは声を潜めなかった。
「素直って?」
セイマが訊き返す。
「この国を滅ぼしに来たって」
「「うわ!?」」
イサミとセイマが慌ててアイサの口を封じるが、そんなことをしても間に合うはずもなかった。
ここまでじっと黙して睨み続けていた多くのルインズの人たちが表情を崩し、ざわめく。
イサミとセイマは顔を青くして「あははは」とぎこちない笑い声を吠える。
「じょ、ジョーダンっすよぉ! 全然おもしろくないけど」
「そそそ、そうですそうです! そんなこと本気で言うわけないじゃないですかぁ」
しかし、騒ぎは収まらない。
収まらないが、怒りなどの感情を向けてくる人もいなかった。
「本気か?」
「そんなことが耳に入ったら……」
「でも今この状況だと……」
ルインズの人たちは恐怖に怯えていた。
長老も、その濁った瞳を輝かせることはなかったが、大きく見開いていた。
そして、隣の少女もまた、眉を大きく持ち上げている。驚きの中に何か別の感情があることを伝えようとしているのか、口が小さく開閉を繰り返した。
どう収拾させるか冷や汗をかいていたイサミだったが、その覚束ない場の空気を沈めたのは、はるか後方より届いた叫び声だった。
「おーい! きたぞー!」
他の村人たちにもれず、その痩せた中年の男はよたよたと走ってやってきた。
必死の形相に感化されるように村人たちは慌て始める。
取り囲む陣形を崩し、めいめいが家の中へと隠れるように飛び込んでいった。
「あなたたちも!」
突然のことに何が起こったかさっぱりわからず、ぼけっと突っ立っていたイサミの腕を少女が引き、村の奥へと走る。アイサとセイマもそれに続いた。
「――ここに隠れてて!」
やがて押し込まれたそこは、藁が積まれただけの小屋の中だった。
かなり狭く、扉と山積みになった藁の間は人一人がようやく立てるだけの幅しかなかった。
そこに押し込められるので三人は否応にもぎゅうぎゅうに密着している。
「な、なんなんですか一体……」
「わかんねぇけど、ちょっと異常だったな」
「イサミ君、少しでも動いたら殺すわよ」
特に身長差のないイサミとアイサは互いの吐息がかかる距離だ。少しでも動けば、イサミの腕がアイサやセイマの体を突きまわし、撫でまわすような形になっているのである。
「ちょ、俺だって好きで入ってるわけじゃねえんだぞ!?」
「イサミさん、声が大きいです!」
外の様子は目には見えないが、人々の騒々しい気配が静まったことは隙間だらけの小屋の中にも届いて来た。
入れ替わりに、馬の蹄が軽快なリズムでやってくるのもわかる。
「なんだ……」
「しっ」
アイサが指を立てた。
馬が嘶きを上げると、蹄の音が止まった。
「村長、こんなところでなにをしておる」
「散歩でございます」
うん……? 今の声って……。
「はっ。いいご身分だな。貴様らのようなゴミどもが呑気に散歩など」
「申し訳ございませぬ」
「よいか。王都より伝令である。現在この国に悪逆非道の者が二人、逃亡中とのことだ」
「あ、悪逆非道……? 一体どのようなことを……」
「まだ私が話しておるだろうが!」
鈍い音がした。何かが何かを殴るようなその鈍い音は、聴く者の心を握るように痛めさせた。
「も、申し訳ございません!」
「貴様らは知る必要はないことだ。とにかく、これが手配書だ。この者たちを見つけ次第、我らに報告せよ。まぁこのような地に逃げ込むことはないだろうがな。チュートの村から離れすぎておる」
俺たちのことか!?――イサミとセイマは漏れ出そうな声を必死に飲み込みつつ顔を見合わせた。イサミのその眼を見開き、口を歪ませた顔につい笑い出しそうになるのを必死にこらえるセイマだった。
「……か、かしこまりました」
「全く、お前たちはずるいものだ。他の町や村では襲撃に備えて兵役も課せられるというのに、このような廃村ではそれもままならぬ。その分租税の徴収は例年の倍になるだろうがな。アッハッハッ!」
「そ、そんな……ただでさえ食べる物もなく、皆飢えて死ぬばかりなのに」
「王のご命令に背く気か!? 貴様らがどこで野垂れ死にしようが知ったことではないわ!」
またしても鈍い音がする。
「きゃああ!」
甲高い悲鳴と、地面を擦る音が聞こえてきた。
口の端を噛みしめ、腕を震わせていたイサミだったが、彼の腕をアイサが掴む。
はっと顔を向けるとアイサは小さく左右に頭を振り、
「ここは我慢して」
と吐息混じりに言った。
「けどよ――」
「情報が得られる。それに隠してくれた人たちの心意気を無駄にするの?」
「ぐっ……」
イサミは自分の膝を殴った。
「――よいな! 見つけたら即時報告せよ。捕らえたものには報酬もあるぞ。まぁ貴様らにもあるかはわからぬがな。余計な期待をして隠しだてするような真似はするなよ!」
どういう意味だ……?
眉間を皺寄せている間に、その兵士は手綱を引いたのか、再び馬が嘶き、蹄の音がやがて去って行った。
「……行ったのか?」
「みたいね」
「な、なんだか妙な感じがしますね?」
「そうね、まぁこの異世界とやらにも当然、深い歴史があるみたいね」
アイサは隙間の向こうの世界を睨んでいたのだった。
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