3時間目  社会・課外授業 後②

「そう上手くいけばいいけどな」

 薄く広がり始めた曇り空の下、広がる大地を眺めるイサミは目を細めた。

「でも、倒すまで帰れないんですよね?」

 セイマは酷く項垂れた様子で言った。

「やつらがゲートの存在に気付いている以上、これ以上は開けないって意味だろ?」

 イサミがセイマの落とした肩を持ち上げようとするが、

「結局は同じじゃないですか……」

 はぁ……。――セイマの陰鬱なため息が漏れ出る。

「だったら倒せばいいだけでしょ」

 アイサは怒るわけでもなく、ひがむわけでもなく、ただ冷静に事実を述べた。

「アイサは動揺って言うか、不安とかはないのか?」

 イサミが言った。彼女は「ええ」と肯く。

「それが、私たちが今ここに立っている意味なら、それに従うまでよ」

 アイサは小さく口角を吊り上げた。自嘲のようなものを浮かべたあと、イサミへと顔を向ける。

「そういうイサミ君は、覚悟できてるのかしら?」

「俺は……」

 イサミは言葉を続けられなかった。

 ――倒すって言っても、要するに理事長の力を奪い返せばいいだけだろ? それなら…………。でも、最悪の場合、殺す必要もあるんだよな……。そんなこと、俺に出来るのか?――

「――一先ず、あの村みたいなところに行ってみる?」

 イサミの逡巡を払いのける様なアイサの提案を受けて、セイマは青い顔をしてツバを飲んだ。

「だ、大丈夫なんですか? そんな、に近づいたりしても……」

「さぁ、どうかしら?」

「そ、そんな! い、イサミさぁん……」

 アイサの無責任な態度に打つ手がないと思ったのか、セイマはイサミにすがる。

 「おいアイサ、そう脅かすなよ」

「別にそんなつもりはないわ。予測を立てただけよ。私が王国側の人間ならそうするってだけ。その代わりあまり大々的にはやらないかもしれないけど」

「どうして?」

「権力がある人間は、舐められるわけにはいかないのよ」


 丘を下っていくと黄土色に枯れた草たちに隠れて人の踏み均した道のようなものを見つけた。

 視界が少し変化し、新しく気付いたものがあった。

「うわっ……え、あれって……穴?」

 家々が点在しているあたりから少し離れたあたりに、巨大なクレーターのようなものが見える。

「今頃気付いたんですか……?」

 セイマが驚きを隠せないでいた。どうやら気づいていなかったのはイサミだけだったようである。

「行けばわかるでしょ。いつまでもここから眺めてるだけでは何も始まらないわ」

「王国の兵士さんが来たら、アイサさん対応してくださいね?」

 気付けばセイマも気持ちを落ち着かせたようで、イサミの背後から届く声は震えていなかった。

「わかったわ、ぶっ飛ばせばいいのね?」

 三人の先頭を歩くアイサが当然のように答える。

「なんで騒ぎを大きくするんだよ」



 丘の向こうの平野は、遠目には気付かなかったが、近づいていくとその様子がこれまでの村々とは違うことに、否応にも気付けた。

 村という単位を示し表すような柵の類は無かった。獣の侵入がないから必要ないのか否かは不明だが、確認しようがなかった。

 また、家のような、小屋のようなものがまばらに建っているが、半壊した建物も多い。

 屋根がないのはざらで、それでも柱や梁が、まるで「十」や「丁」という字を表すように自立しているのならましだった。

 全て崩れてしまっているのも珍しくはない。

 一応家屋と認識できた建物でさえ、壁板の一部が剥がれていたり、屋根に穴が開いていて、板を乗せただけの形で修復していたりと、およそ万全と呼ばれるようなものは何一つなかった。

「うっ……」

 温い空気にイサミは顔を顰めて、鼻を手で隠す。「くせぇ……なんだこれ?」

 異臭をかぎつけたのはセイマも同じだったようで、目に滲みたのか涙目になっている。

「な、生ゴミ……? でも痛いくらいです……?」

 鼻の奥に刺さるような刺激的な異臭だった。

 やけに湿っぽい足下だが、雑草もなく、苔もない。

 歩く度に、足の裏がねちゃりと音を立てた。

 アイサは地面の黒ずんだ土を指先に掬うと、ぺろりと舐めた。

「うわっ!」

 驚いたのは隣に並んでいたイサミである。

「おま、なにやってんだよ!」

「見たらわかるでしょ? 土を舐めてみたのよ」

 アイサは顔を顰めるでもなく、もちろん恍惚としているわけでもなかった。ただ吟味している。

「そ、そうじゃなくって、止めた方がいいですよアイサさん」

 セイマがどこかから取り出した黄色のハンカチでアイサの指先を拭う。「絶対お腹壊しますよ!」

「あまり騒がない方がいいわよ」

 アイサが左右にゆっくりと視線を動かす。「わかってるでしょ?」

 家の窓の中は薄暗い。しかし、この村――果たして政治的な意味での村を成しているかは不明だが――の領土内に踏み入れてからというもの、そこかしこから視線を感じているからだ。生暖かい息遣いが耳元に届いている気さえした。

「あ、ああ。そ、そうだけど……」

 イサミも声を潜めた。

 自分たちの存在を恐れているのか、単に出迎える様な気力が残されていないのか、いずれにしても嫌われているのだろうことはわかっていた。

「それなら大人しくしててくださいよ……」

 二人の後ろでセイマがため息混じりに言う。

「……どう思う?」

 イサミがアイサに尋ねる。

「さぁ。少なくともどこか泊めてくれるようなお家はなさそうね。泊まりたくもないけど」

「だな。この村にも王国から派遣された兵士みたいなのはいるのか……?」

「丘からは見えなかったけど、山の向こうに隠されていたらわからないわね」



 村の途中から枝毛の様にゆるりと別れた道のうち、イサミたちが選んだのは、丘から見えたへと続く方だった。

「うわっ」

 道中には白骨が転がっていた。

 それが一体何の、どの部位の骨なのかは不明だった。

 時折、微かに残る肉片や毛皮、肉だけを食いつくされ半ば標本と化している白骨死体まであった。

「うっ……」

 先程から一人目を背け、鼻を覆うイサミは、吐きだすのだけは必死にこらえていた。

「わあぁ……」

 先を言っていたセイマが嘆息を漏らす。イサミの呻きとは明らかに毛色の違う声だった。

「思いのほか大きいわね」

 彼女の隣で腰に手を当てて立つアイサが呟く。

 イサミはよろめきながら二人の背中に追いつくと、セイマの頭越しにその光景を見る。

「うっわ……、まじか?」

 そこはやはり巨大なクレーターだった。丘の上からでもわかった窪みだったので、当然それなりの大きさとは思っていたが、間近に捉えるとその巨大さは壮観だったようで、空で蠢く灰色の雲が形を変える間、三人は黙っていた。

 ごっそりと地面が凹んでいる状況は、まるで突如消失したかのよう。掘り返した土が輪郭を作るように積み重ねられていることはなかった。

 くぼみを囲む林は手前の方はいくつかなぎ倒されて、太い幹が折れていた。対岸の林は霞んでいるが、林の中に岩のような灰色の何かが見えたが、遠すぎてそれを詳しく視認することはできなかった。

 すり鉢状のそこは、一度転がり落ちると、自力で這い上がるには相当の労力を要するだろう。

 巨大な隕石でも落下し、その隕石が消えたような半球状だった。

「一体何があったんだよ……」

「やっぱり、その邪神官とかとの争乱がどうのって話と関係……ありますよね?」

「争乱?」

 訊き返したのはアイサだった。

「かつてこの世界は、邪神官が呼び覚ました闇の眷族に襲われて……それを勇者が救ったんだって……よっ」

 イサミは足元の小石を拾いながらぞんざいに答えた。

 クレーターの中に投げ入れた石は、落下を初めてすぐにくぼみの土色に混ざってしまい、地面に落ちた音は届いてこなかった。

「……この道はここで途絶えてるわね。ぐるりと回れば行けないこともないでしょうけど」

 アイサが腕を組んで空を見上げた。

「到着する頃には日が暮れそうだわ。それに、雨も降り出しそうだし」

「こっちの世界も雨があるんだな」

「どうするのイサミ君? 戻る?」

「あの村に? それはちょっとなぁ」

「でも、キャンプできるような道具も何もないわよ」

「……どこかに洞穴でもないか?」



 結局、村に戻るほかなかった三人は引き返したのだが、村の通り道に一瞬だけ人影を見つけた。

 しかし、三人の姿を見て、やはり逃げるように隠れてしまった。

「なんだよ……」

「変ね。襲ってくるならわかるけど、隠れるなんて……よっぽど怖いのかしら。あなたたち暴れすぎたんじゃない?」

「え、私もですか!?」

 セイマが少し論点のずれたところで驚く。

「あなたが一番怖いに決まってるでしょ」

 アイサはあっさり告げた。

「えー、でも私お二人みたいに王国の兵士さんを倒したりしてないですもん」

 ぷくりと頬を膨らませて幼く反論するセイマだった。

「あの巨体の聖獣を押さえつける奴が何言ってんだよ……」

 村に流れる不気味な雰囲気とはかけ離れた緩い騒ぎを、再び緊張の糸で張り巡らせたのは、半壊した家屋の影からのそりと姿を見せた老人だった。

 数えようと思えば数えられるほどしか生えていない白髪を頭に生やした老人は、酷く腰が曲がっていたが、その体を支えるのは杖などという上等なものではなく、その辺りに落ちていた木材の折れたものだった。

 道の真ん中に立つと、その濁った瞳でまっすぐに自分たちを見つめてきたので、イサミたちは自ずと足を止めてしまった。

「な、なんでしょうか……?」

 イサミとアイサにしか聞こえない声量でセイマが声を震わせる。

「追手かしら? 刺客ってやつ?」

「からかってやるなよ……」

 だが、その可能性は拭えないとイサミは身構えてしまう。

 しかし、とても老人の体の揺れがこちらを油断させる演技には思えなかった。

「な、なんだ……ん?」

 子どもが現れた。

 中年の男女も現れた。

 気付けば物陰や暗い家屋の中から次々と老人の背後に姿を現した。

「えっ……」

 イサミは怯んでしまった。

 それは、数の暴力に怯えたのではなく、いずれの人間も、着ているものはボロキレ一枚で、瘦せこけた体つきは違う意味での恐怖を与えてきたからだった。

 老人の隣に、セイマよりもさらに背丈の低い女の子が立った。

 その少女に、思わず三人は目を奪われる。目つきの鋭さがそうさせたのだろうか。


「『あなたたちは何者ですか?』……と長老様は仰ってます」

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