3時間目  社会・課外授業 後

 イサミたちが校舎等のある世界に戻る少し前、エスポフィリア王国の領土内、王都より北西部に位置するとある海岸線にて、朝焼けに照らされた瀕死状態で倒れている人物が発見される。

 近くの沖合で漁を行っていた漁村の中年男性は、最初は大きな流木かと思い、何気なく近づいたところ、その人物が身に纏っていた鎧に刻印されていた王家の紋章を確認する。紋章部分である胸の中心は大きく凹んでおり、相当量の質量で殴打されたと推測できたとのこと。また、その鎧のデザインから兵士は王国軍直属の兵士であることも判明した。

 漁師の男はすぐに村の駐屯兵のもとを訪れることになった。

 駐屯兵も最初は漁師の見間違いかと考えていた。このような田舎村に聴く限りの情報で推測されうる王国軍の兵士がしかも一人でいることなど考えられなかったからだ。

 だが、その姿を確認し、駐屯兵は否応にも慌てることとなった。

 まず一つは、駐屯兵はその王国軍の兵士の顔に見覚えがあった。場末の駐屯兵でも顔と名前を覚えているほどの有名な人物――王国軍第1師団師団長だった。

 そして次に、口からは血が流れており、微かにだが泡立っていることが慌てさせた。

 瞳孔は開ききっており、すでに手遅れの可能性もあるが、このままその臨終を見守るだけというわけにもいかない。

 駐屯兵たちは一度村に戻り、魔術に覚えのある少女を連れてきた。大婆様の孫娘の彼女なら何か治癒術を使えるかもしれない。と。

 しかし、その期待は裏切られる。

 戻ってきた時にはその兵士は、忽然と姿を消していたのだった。


 そして、再度村へ戻ると、時を同じくして急ぎの伝令が王都よりやってくる。

「王都からの伝令であるぞ!」

 駐屯兵とは質の違う鎧は、朝陽を反射させ見るものの目を傷める。その名も知らぬ兵士は2本の親書を携えていたのだった。



「――国王様」

 エスポフィリア王国の王城、玉座の間に鎮座する現王の右手に控えていた男が一歩前に出る。マントを羽織った体躯はやけに角張っていたがそれは鎧を身に着けていたからに他ならない。

 整った目鼻立ちは甘美であったが、鋭い目つきと隙のない身のこなしから、彼が王国における軍事部門に関わる人物であることを初めて相対した人間にも直感させる。

 それを裏付けるように広い玉座の間に居並ぶ文官武官のいずれもが、背筋を伸ばし、耳を傾けた。

「十日前、チューバの村にてリノーケス第1師団長が瀕死の状態で発見されたと報告がありました。先の伝令が早速功を奏した形になりましたね」

 淡々と告げるその言葉に反して、臣下の者たちはざわめきを抑えることができなかった。

「……」

 王は何も発言しない。肘をつき、足を組み、気だるげな態度は尊大ながら礼儀は無かった。

 その気配を察して、次第に臣下たちは言葉尻を窄めていく。

 沈黙が訪れたのを確認して、王は言った。

「そうか」

 その一言だった。何事もなかったかのようにそうとだけ告げる。驚き立ち上がることや、声を荒げるようなこともない。その代わりのように臣下たちは眉を持ち上げたり、息を飲んだりするも、声だけは出さないように息を殺していた。

 ――先日のミラーロ様と同様だぞ……?

 ――うむ。しかし彼らはかつての……。

 小声で話すも、それで聞こえていないと信じ込んでいるのは当人たちだけ。

 自分たちに視線が集まったことに気付いた文官二人はすぐに耳打ちを止め背筋をただした。

 側近の男もまた、二人が話を止めたことを見届けると、再び国王へ進言する。

「また、例の門が開く気力を察知したと、第二師団より報告がありました」

 再び臣下たちがざわめく。先のリノーケス師団長の時よりも、寒々しい悲鳴のような声だった。

「こちらは現在その発生地点を調査させているところです。が、凡その地域は予測できておりますので、そう時間は頂きません」

 報告は以上です――男は場の緊張感に似つかわしくない微笑を浮かべると、王の右手の椅子へと着座した。

「……イノス」

「はい、何でしょう国王様」

 右手に座った男――軍師イノスは飄々と答える。

どもを捕らえよ」

 王はイノスの方へ顔も向けずにぞんざいに言った。

 イノスはにこりと口元を微笑ませる。

「そう仰ると思いまして、すでに刺客は整えております。先の二人のような役立たずとは違うので心配は無用かと」

「……そうか」

 王は小さく肯くと、自身の左頬についた十字の傷を撫でる。

 臣下の者たちが息を飲む中、王は左隣の空席を見つめていたのだった。


「――や、役立たずとは……」

 参列していた臣下のうち、玉座より一番離れた端に立つ武官が声を漏らす。ミラーロと同じ紋章の彫られた鎧を纏った女騎士は、戦慄かせた口元を噛みしめる。

「お二人とも、先の争乱を戦い抜いた歴戦の兵であらせられるのに……!」

「これっ」

 隣に立つ老文官が、白い髭に隠された口を微かに上下させて目だけを彼女に向ける。

「王の御前じゃ。控えよ」

「す、すみません……」

 ですが――と言葉を続けてしまいそうになるのを必死でこらえた彼女の口の端からは血が滲み始めていたのだった。



「――いや、ここどこだよ」

 イサミ、セイマ、そしてアイサの三人は再びエスポフィリア王国の領土内へと舞い降りたのだが、そこはまたしても果てしない草原の真っただ中だった。

「大丈夫よ、先生が地図を渡してくれたわ」

 アイサが手にしていたA4サイズの地図を、イサミとセイマは左右から覗き込む。

 大陸の北西部に赤い丸印が点いていて『現在地はココと何度も言いました』とメモ書きがされている。もちろん初耳だがこの地図を用意したのが誰なのかはすぐに分かった二人だった。

「この中心部あたりが王都ということですよね……」

 セイマが不安そうにつぶやく。「どっちなんだろ?」

「太陽の位置で判断したいところだけど、この世界の方角はどうなっているのかしらね」

 と言いつつ、アイサは空の太陽を見上げると、すぐに目線を落として首を左右に振った。

「あっちの方、視界が開けてるわね」


 どうやら舞い降りたそこは小高い丘になっていたようだ。

 眼下には村のような人工物が居並ぶ開けた平原が見えた。

「一先ずあそこでお話を聞いてみましょうか?」

 セイマが言った。

「そうね。……ちょっと賭けになるかもしれないけど」

 アイサは目を細めて村を見降ろした。

「賭け?」

 遅れて追いついたイサミが眉間に皺寄せ訊き返す。風に揺れる草花の乾いた音がイサミを囲んだ。

「私たち、というか主にセイマとイサミくんだけど、もう有名人かもしれないわよ」

 アイサはにべもなく言った。

「ゆ、有名人、ですか?」

 セイマは困惑して首を傾げた。

「ええ。この顔にピンと来たら、みたいに」

「指名手配犯かよ!」

「そうよ」

「ええ!?」

 冗談半分で言ったイサミだったが、アイサはあっさりと首肯する。

「王国の兵士を倒したんでしょう? お咎めなしなわけがないと思うけど」

「そ、そりゃあそうかもしれないけど……こ、殺してはないぜ?」

「そうですよ。それにあの人たちが悪い人だったら……」

 と言いながらも自信を失ったのか、セイマの声は最後には風の音にかき消された。

「まぁいいんじゃない? いずれにしろ、この国が私たちの敵なんだから」

 アイサは腕を組み、ため息混じりに言った。

「……そうだな」

 イサミは固唾を飲んで、村の向こうに広がるエスポフィリア王国を睨むのだった。

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