3時間目 社会・座学 ③
『――イサミ、セイマ! 聞こえるか!?』
緊迫した野太い声がシルク湖の静寂を破る。
しかし、イサミたちはその聞き覚えのある声にぱっと目を丸くして顔を見合わせた。
「この声って」
「デューク先生……ですよね!?」
『一度しか言わないからよく聞け』
「なんでいっつもそんな切羽詰まってんだよ」
『その近くにある湖の中に飛び込むんだ!』
「ええ!?」
『安心しろ。
「ほ、本当ですか?」
湖面は仄かにクリーム色に彩られ、銀色の月光とも混ざりシルク地を彷彿とさせる。
『俺がかつて嘘をついたことがあるか? ないだろう』
「いやそんな付き合い長くないから知らねーけど……」
『やつらに勘付かれるわけにはいかない。あと十秒以内に飛び込め!』
「ええ!?」
デュークの言うやつらとは誰のことなのか、確証はないが先のミラーロたちのことを指しているのかもしれないと自ずと考えてしまう。
「イサミさん!」
というセイマの声の向こう側で野太い声が『八……七……』とカウントダウンしていた。
「よしっ!――あ、グライフ。ここって通り抜けられるのか?」
『え、えぇ。こちらから出るのはどこからでも問題ありませんが……。あの……お二人は今一体誰とお話を?』
「へ?」
どうやらデュークの声はグライフには届いていなかったようだ。しかし説明している暇はない。
「ま、また今度説明するから!」
イサミが先に駆けだす。セイマも続いて走り出そうとした。
『セイマさん。何かありましたらそちらの笛を吹いてください。すぐに駆けつけます』
「は、はい! ありがとうございました!」
ぺこりと小さくお辞儀をしてすぐにセイマも駆け出した。
防御壁をぬるりと飛び出た二人はすぐさま湖の中へと飛びこむ。
障壁の中、二人の背中を見守っていたグライフは驚きのあまりきゅっと小鳥のような声を漏らしたのだった。
「――うおっ!?」
教室前方の扉に展開された特別な門より、イサミは飛び出した。
背中を地面に向けて、体を丸めた姿勢――水にでも飛び込んだかのようだ。
当然背中から落下する。「いでえぇ!!」
「きゃあ!」
そして間髪入れず似たような姿勢でセイマが門から飛び出した。
もちろん彼女もまた、背中を地面に――寝転がっているイサミの腹部に落下する。
「ぐええ!」
腹部を臀部で思い切り殴られる形になったイサミは口の中に酸味が広がる。
「きゃああ!」
イサミの上から転がり落ちたセイマは、結局腰を強打する。「いたた……」
二人はそれぞれ痛みをさすりながらふらりと立ち上がった。
「おいセイマ……今の悲鳴、なんか違くね? なんか汚ぇものでも踏んだみたいなカンジじゃね? うえぇっぷ」
「そ、そっちだって失礼じゃないですか? 人のこと見て嗚咽するなんて」
「し、仕方ねえだろ。それにしても濡れてない――げっ! り、理事長」
教壇側には腰を降ろしたホーム理事長がいた。不良のように足を開いてその膝に腕を乗せている。
「へ? 理事長?」
セイマは小首を傾げる。
「先生も……ん?」
その左右には速水とデューク先生が居並ぶ。その姿を捉えて、イサミはふと眉間を寄せる。衣服や、肌の露出した部分に所々線状の傷が見えた。
速水の濃いベージュのパンストも裂けていた。デュークの腕にも傷ができていた。
そして崩落した天井、破られた窓、転がる机。
「な、ど、どうしたん――」
固唾を飲むイサミの隣で、セイマが金切り声を上げる。
「アイサさん!?」
理事長たちの反対側には、アイサが静かに床に倒れていた。
「アイサ!?」
思わず一歩踏み出した二人に、声がかかる。
「おちちゅけ」
舌足らずな声は、場の悲壮感に不似合いだった。およそ抑止力を持っているとは想像できない声だがそれでも不自然なほど二人の足は止まる。デューク先生の目の端が銃口のように光っていたことにイサミたちは気づかなかった。
えへんと咳ばらいを入れると、理事長は再度「落ち着け」と言い放った。そこで固まった足は解放された。
「理事長……」
「あの、イサミさん?」
セイマは小首を傾げる。
「さっきから『理事長』って呼んでるけど……理事長はもっと背が高くてかっこいい大人の女性でしたよ? こんな小さな子どもでは――んぐっ!?」
イサミは慌ててセイマの口を押える。
「ば、バカ! 気を付けろ!」
「ふぇ?」
「おいおい、おちちゅけイサミ」
ホーム理事長は子供らしい愛くるしい笑顔でそう言った。
「セイマはわたちの真の姿しかちらないんだから。なぁ?」
理事長は更に笑顔を強めるように口角を吊り上げて、セイマと視線を交わす。
イサミがたまらず手を緩めると、セイマはぷはっと小さく息を吐き、
「そ、そうです。真の、っていうか、え、本当に理事長さんなんですか?」
「あぁ。だから次にお子様なんて言ってみろ。二度と目が覚めないようにちてやるからな」
「うひいいいいい!? おお、お子様なんて言ってませんからあ!」
セイマが涙ぐむ。
「おいおい、別にそこまで悪い意味で言ってないだろ。知らないんだから仕方ねぇって」
「そうだな、お前と違ってな。なぁ? イサミ」
「うっ……まぁ、あの時は俺も知らなかったわけだし。はは……」
「そ、それより、真の姿ってどういう意味ですか? あ、いやその前に、アイサさん倒れてるのに放っておくんですか?」
「ていうかこの教室もなんだよ。爆発でもあったのか?」
堰を切ったように二人に詰め寄られ、それまでどうにか感情を抑えていた理事長は、
「……やかましい! 順を追って説明するから黙ってろ!」
その短い手足をじたばたさせた。
その様子を見て、イサミとセイマはたまらず口元が緩む。はたから見れば、小さな子どもが駄々をこねているようにしか見えなかったからだろう。
顔を紅潮させ、薄っすらと目を潤ませながら理事長は言う。
「アイサは別に死んではいない。寝ているだけだ」
「「え?」」
イサミとセイマは顔を見合わせると、そーっと忍び足でアイサのそばに近づく。
「さらに言えば、私はもう目が覚めてるわよ」
うつ伏せていたアイサが首だけを動かし、イサミたちを見上げた。
「「うわああ!?」」
単純にそのタイミングに驚いた。まるで理事長とアイサが手を組んでドッキリでも仕掛けていたかのようだった。
が、アイサの姿を見て、それが本当にドッキリだったならよかったと惜しむようになる。
ボロボロになった制服。破れたブラウスやスカートの向こう側にアイサの肌が見えるのだが、血に赤黒く染まっている。
顔の半分も血に塗れていて、もはや生きる屍状態だ。
「人の顔を見て悲鳴を上げるなんて失礼ね」
相変わらず冷めた調子で淡々と話す。余計に死霊臭い。
「無理もないだろ! おま、大丈夫かよ」
「元気だからこうして休日のダメ親父みたいに寝転がって話してるでしょ」
「顔の半分血に汚れて倒れたままのやつに元気の要素感じないんだけど……ていうかなんだよその例え」
可愛げのない返事はいつも通りだと、イサミは苛立ちよりもどこか安心を覚えた。
「アイサさん……」
セイマがアイサのそばに膝をつくと体に覆いかぶさり、泣きじゃくる。
アイサはセイマの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「おちおち寝てられないわ。私も訊きたいことがあるし、理事長がこれから語ってくれるんでしょう?」
「そうだ。一度しか言わないからよく聞け」
理事長が指を鳴らす。――いや、『パチン!』と鳴らしたつもり、だろう。
小さな手や指では、『へしょり』としなびた音しかならなかった。
しかしそれでも瓦礫の中に紛れていた机と椅子がふわりと浮かび上がり、いつもの位置に戻る。
三組あった机と椅子も、今無事なのは1組分だけだったようだ。
セイマが椅子を引いてアイサに座るよう差し出したが、アイサは机の上に尻を乗せるとその長い足を組んだ。そちらの方が性に合っているのか椅子はセイマが使うように促す。
そして何もないイサミはその近くで床に胡坐をかいた。奇しくも二人の間、中心に位置する。
三人が聴く姿勢を取ると、理事長は一つ息を吐いた。
そして、息を吸うのに合わせるように体を光らせる。
瞬く間に、霧にも似た光に体を包み、理事長は成人形態へと変化する。
「わあ……」
セイマだけが驚嘆の声を漏らした。
アイサは無反応だったことを踏まえると、彼女もどうやら理事長の秘密を知っていたのだろうとイサミは考えた。
「これが私の本来の姿だ」
理事長はほくそ笑む。
「はぁ」
「知ってるわ」
イサミとアイサが連続で冷めた返事をするので、得意げだった理事長のこめかみがヒクついた。
「な……き、貴様たち、もう少し驚いてみせてもよいのだぞ」
「いやだって……なぁ?」
イサミが左に頭を振り向かせた。その先で足を組むままのアイサがヘアクリップを解きながら言う。
「そこは別に。これで正体が白クマだったら驚くけど。今そこはもういいから次を話してほしいんですけど」
「ぐっ……あぁそうか。ならば聞いて驚け。私は力を奪われてしまったのだ。だから、この姿を保っていられるのは5分が限界なのだ」
「ええ!?」
と驚くセイマ。
「なるほど」
と静かに頷くイサミ。
「でしょうね」
と再び冷めた反応を示すアイサ。
「え、アイサさん、ご存知だったんですか?」
「詳細な時間は知らなかったわ。でも消去方で考えたらそれしかないじゃない?」
「あー、俺はてっきり、カッコつけるために逆に大人の姿になってたんだと思ってたぜ」
テレビでも観ているかの如く、おのおの好き勝手に感想を述べる。
「ぐぬぬぬ……貴様らぁ……」
「それより肝心なのは、どこの誰に、何のためにその力を奪われたのかって点だわ。……半分は説明できそうだけど」
「な、なんで? アイサ、何か知ってるのか?」
「だってさっき、あなたたちも襲われていたでしょう。王国軍の刺客に。こっちもそうだったのよ」
「そうなんですか!?」
「そうか、それで教室がこんな風に……」
「でも、アイサさんが生きてるってことは、倒したということですか?」
「そりゃそうだろ。先生たちだっているわけだし。なぁ?」
「……」
教師陣は誰も答えない。良くしゃべる印象があった速水とデュークだが、イサミたちが教室に戻ってきてからは何一つ喋ろうとしない。理事長を前に無駄口を叩かないようにしているみたいだ。
代わりに答えるのはアイサだった。
「ええ。あなたたちと入れ替わりにあの世界へ投げ捨てたから、もうここにはいないけど」
「捨てたってお前……」
イサミが苦い顔を浮かべる。
「あんな奴がどうなろうと知ったことではないわ」
アイサが冷淡に言い放つ。その理屈を理解できないイサミではなかったが、あまりにぞんざいな表現に嫌悪感を抱いてしまった。
「それにしたって言い方があるだろ」
「あら? そんな同情が沸くような関係性ではないし、問題ないと思うけど?」
不意に訪れた緊張感に、セイマが「え、あの?……え?」と一人どぎまぎして冷や汗を流す。
「……すまん」
と詫びの言葉を手向けたのは、理事長だった。
「あれ? 理事長、元に戻ってね?」
体のサイズが幼女型に戻ってしまっている。
「おまえたちがダラダラ喋ってるからだろ」
「別に謝らなくていいわ。あなたたちは命を取り扱う立場。いわば魂の監督者。たとえどんな理由であれ、殺生するわけにはいかない……。でしょう?」
アイサの静かな言葉に、理事長は細く短い首をかくりと縦に動かした。
――あの聖獣や小娘に色々聞かされただろうから、わたちから説明することはただ一つ。
「小娘……あぁ、レニのことか」
イサミが苦笑を浮かべつつも、窓の向こうに遠い目を向ける。レニは今頃うろたえているだろうか、それとも元通りただの村娘として元気に――
「レニってだれ?」
アイサがセイマに尋ねる。
「い、イサミさんが生物の課題として狩った……お、女の子なんです」
「はぁ? あんたこのくそ忙しい時に何考えてんのよ」
「だから違うっての。おいセイマ!」
――聞けっての! いいか、お前たちの敵は、あのエスポフィリア王国そのものなんだ!
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