3時間目 社会・課外授業 前③
できるのか……俺。
いや、やるしかねえ……!
手が痛ぇ。力、入り過ぎだな……。でも加減がわかんねぇや。
殺さなくてもいい。戦う気さえ失わせれば。
それに、レニの感じた痛みはこんなもんじゃねえ!
二度目にイサミが太刀を振り下ろした時、ミラーロの持つ杖が分断される。
しかし、ミラーロもただの間抜けならこんなところには来ない。
一度目には怯えていたその不気味な顔を険しくし、その手のひらに雷をたたえ、
――その瞬間、イサミの刀の鍔が光った。
厳密には、鍔に装飾品のように埋め込まれた数珠の珠のうち、緑色の珠だ。
そして、不思議なことが起きる。
――なんだ……言葉が頭の中に流れてくる……!? 歌を聴いているなんて生易しいもんじゃない。はっきりと俺の頭の中に存在してる……!
気が付けばイサミは、ミラーロの唱える呪文を同じように口にしていた。
「
「それは反転魔術!? ぎやあああああああああ!」
ミラーロがイサミに向けようとしていた雷は、ミラーロ自身を襲っていたのだった。
ミラーロがその焦げた体をどさりと倒した音と共に、イサミはふっと体の力が抜けるのがわかった。
乱れる呼吸、激しく上下する肩、滴る汗。
鼓動が体の中で響き、頭蓋の中で反響する。その音がやたらに聞こえるほど、周囲は静まり返っており、自分の呼吸と、虫なのかは不明だがちりちりとした鳴き声が聞こえるだけだった。
地に伏したミラーロの体を眺めていても、何も言葉が浮かんでこなかった。
ただ、倒れた背中が微かに上下していることからまだ死んではいないことが分かり、イサミはふぅと安堵のような息を漏らした。
「――え、何かしら?」
イサミを正気に戻したのは、セイマの声だった。吸えば肺に滲みる冷たさを持った夜風に運ばれて届いたその声に振り返る。
振り返った先のセイマの視線を追うと、彼女が拘束していた聖獣へとたどり着く。
聖獣グライフの体から赤い球が浮かびあがり、そして割れるように弾けてしまった。輝く粒子は、砂時計が時を進めるように音もなく地面に零れていく。いくつかはさらさらと風に舞い、夜空の星屑たちに紛れてしまった。
すると、グライフの体がみるみる縮んでいく。
やがてその胎動にも似た動きが止まった頃には、セイマも力を発揮することをやめたのか、星の光で造られた檻は、静かに夜の闇に溶けていった。
「……めちゃくちゃ小さくなったな」
力の抜けたイサミは、言葉に抑揚をつけられなかった。
「でも、大きいのは大きいですよね」
ゆっくりと彼の元へたどり着いたセイマもなかば呆然としていた。
周囲の木々たちより小さくなったとはいえ、大型犬よりはもちろん大きい。馬の様に長く太い首もあって全長はイサミの身長より長い。イサミとセイマをいっぺんに乗せて走ることも余裕でできるだろう。
今は眠っているのか、目を閉じて静かに横たわり、腹部を膨らませたり萎ませたりを繰り返していた。
「――そうだ、レニ!」
不意に思い出し目をこぼさんばかりに見開くので、セイマは驚き体を弾ませた。
イサミとセイマはレニの元へ駆け寄る。
額に汗を浮かべながら、レニは小さく呻きつつ目を閉じていた。
赤黒く爛れた皮膚は未だに血を流している。
「まずい、俺チュートの村に行ってくる。医者か何かいれば――」
「あ、イサミさん。私がどうにか――」
「「――ん? 」」
二人が同時に顎を上にあげたのは、ふと自分たちと月の間に何かが割り込み影を落としたからだ。
「「うわあああああああああああああああああ!?」」
そして二人が同時に絶叫したのは、その影を作ったのは、他ならぬ聖獣グライフが、いつの間にかそばまでやってきて上から覗き込んでいたからだ。
「いいい、イサミさん、どうするんですか!?」
セイマはイサミの腕を掴んでガクガクと揺さぶる。
「んなこと言われても――あ、そうだ!」
イサミはミラーロが羽の生えた角笛を拭いていたことを思い出し、ミラーロのそばに駆け寄る。
こちらも小さな呻きを漏らしていたが、それを心配することはなかった。
その体を探るために鋒を――。
「って、いけね。そうだった」
イサミは刀の鍔に手をかけて、ぐっと力を込める。鍔が鞘から外れ、ただの数珠に戻ると、刃もまたただの木刀に簡単に戻った。もし刀の状態のまま突きまわせば死体を辱めたようになり、また血の海になっていたことだろう。
木刀の先端でミラーロの体をつつきまわり、角笛を探し当てると、まさぐってそれを奪った。手にした角笛はほんのり熱く焦げ臭かった。
「――ん?」
ミラーロの分断されたあげく焦げてしまい、もはや炭に近い杖のうち、宝石が埋め込まれた方を睨む。紅の宝石の方は、全くと言っていいほど無傷であり、それを主張せんばかりに月明りを何倍にも反射しているように輝いていた。
「これも何かの力か? ちょっと気になるし……先生に見せてみようっと」
とイサミは先端から宝石をつかみ取った。存外簡単に剥がれた。
「――おい、グライフさまとやら!」
イサミは得意げにほくそ笑んで振り返りながら角笛を口へ運び、
「これでも聴いて大人しくなってくれ!」
息を吸い、胸を大きく膨らませてから力いっぱい笛を吹いた。
「え……い、イサミさん、まざが……」
鼻を摘まんだセイマが言った。
「ち、違うわ! おならなわけないだろ! 笛だよ笛。くそ、よくよく考えたら俺角笛なんて吹いたことないし……ってあ!」
そうこうしている間に、グライフがレニの背中へと頭を伸ばして、その背中の傷口を舐めた。
「ああああ! 待ってくれ食べないでくれ!」
そんなイサミの忠告など気にすることもなく、グライフはせっせと背中を舐める。
「うそ……?」
そばで見ていたセイマは驚嘆の声を漏らす。
グライフの舌が這った場所からレニの背中が、綺麗になっていくのだ。
文字通り血が舐めとられるだけではない。傷口が塞がっていくのだ。
「――ど、どうなってんだ……?」
駆けつけたイサミも目を見張ることしかできなかった。
瞬く間に回復したレニは、気づけばその顔色も落ち着いて、今は安らかに眠っているように見えた。
「れ、冷静に考えれば、聖獣が人の肉なんて食うわけないか……」
何かに気遣うように苦笑を浮かべるイサミだった。
「そ、そうですよ。イサミさんったら大げさに騒いじゃって」
セイマは誤魔化すように頬を膨らませてつんけんどんとした物言いをする。
「あー! それはずるくねえかセイマよぉ」
『落ち着いてください』
「落ち着いてるっての」
「……え? い、今、私何も言ってませんよ」
「……」
「……」
「「………………へ?」」
イサミとセイマは互いに目を合わせて、何かを確認するように頷くと、ゆっくりとグライフの方へと首を回す。
『そうです。話したのは私です』
「「喋った!?」」
グライフは小さく肯く。
『ヘルメスの涙の力でしょう』
「え、でもさっきは何もわかりませんでしたよ!? ぐわあああって鳴いてる声しか聞こえませんでしたもん」
と疑問を呈するが、セイマはどこか嬉しそうに興奮して鼻息が荒い。
『先ほどは、ミラーロたちに操られていましたから。私も自我を奪われ、正常な状態ではなかったのです』
「なるほど……」
――操られる……邪神官がどうのって確かレニが言ってたような……。つーかこの人……じゃねえや、この聖獣様の声、なんか不思議な感じだ。頭に響いてくる感じだな。
『少しお話がしたいのですが、いつまでもここにいるわけにはいきません。村の人たちが気づいてしまうと騒ぎになりますし、この娘も、』
と指さすようにグライフの頭部がレニに向けられる。
『もう少し休ませてあげる必要があります。私の棲み処に連れていきますがよろしいですね』
「棲み処?」
とセイマが首を傾げる。
「あぁ、シルク湖、だったっけ?」
と、ちょっと得意げに鼻の下をこするイサミだった。
『ええ。明日の日没後に、また』
「わかった。――あ、これはどうすればいい?」
とイサミが角笛を提示する。
まさか羽笛と聞いて、本当に笛に羽が生えているとは思わなかったイサミだった。
『あなた方がお持ちになっていてください。シルク湖にたどり着いたら、そちらを。さすれば私が姿を現しますから』
「無事に終わったか」
「ええ。ですが、どうされるのです、ボス」
「どうしゅるも――えへん。どうするもこうしゅるもないだろ。戻ってきたら嫌でもわかることだ」
「そうです。だから早く言った方が良いと何度も申していたのに」
「ま、過ぎたことをとやかく言うつもりはない。問題は受け入れられるか、だな」
「安心ちろ。わたちが責任もって、授業してやる。なぁ、アイサ」
崩壊した教室の中心で倒れていたアイサは、何も返事をしなかった。
「む? ボス! あれは!」
「――――くっ……お、おのれ……イサミ……」
よれよれになりながらも、どうにか二本の短い杖を支えに立ち上がったミラーロ。
「これで終わりと思わないことザンス……次は必ず捕らえて……いや、殺してやるザン――…………はっ――!」
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