3時間目 社会・課外授業 前②
振り下ろされた炎の刃はレニの背中に一筋の赤い線を作る。
夜の闇を染める紅い飛沫が倒れゆくレニの小さな背から吹き出す。
更に切断部に引火し、彼女の背中から炎が沸き上がった。
「ああああああっ!」
痛みと恐怖から混乱し、レニはイサミの体から逃げるように地面に転がった。
「レニっ!」
押し倒された形となっていたイサミはがむしゃらに立ち上がると、転がり悶える彼女の体を、拾い上げた上着で叩いて火消しにかかる。
叩く力の加減に一瞬迷ったが、生半可なことをすればレニが苦しむだけだ――。イサミは「レニごめん」と小さく呟きながら何度も彼女の背を激しく叩いた。
掘り起こされていた地面は夜の霜が湿っていたのか、レニが何度か背中を付けたことも手伝って、どうにか火は消えた。
焼ける繊維と皮脂の臭いを、呼吸を乱すイサミは否応なしに吸い込み、鼻の奥に不快を感じてしまう。
「ンヒッヒッヒッ!」
ミラーロは歯を閉じながら笑っていた。
「おサルが二匹、必死すぎて愉快ザンス! ンヒヒヒヒャハハハッ! あーお腹痛いー!」
「うう、あうう……!!」
泣き、震える彼女の瞳は、目の前のイサミも見ていない。ただ痛みと恐怖に襲われて意識を奪われていた。
赤黒く焼けて爛れた皮膚、その残火のごとき熱が、流れる血を焼き、紅い煙をくゆらせていた。裂創は右の肩甲骨の下から左の脇腹にかけて、傷を負う時に倒れながらの形になっていたことが幸いし、短く浅い。
しかし、そんなことは何の気休めにもならなかった。
「レニ、大丈夫か!?」
イサミがどうにか肩に手を回し、レニの上半身を起こす。
「い、イサミさん……」
そこでようやく、レニの目の焦点が自分と合い、イサミは小さく安堵の息を漏らす。
「レニ……」
レニは弱々しく微笑みながら、震える手をイサミの頬に添えて、言った。
「イサミさん……お怪我は……?」
「……っ!」
短く息を飲んだイサミの瞳孔が広がる。
心臓がやおら強く脈を打つのが分かった。
「……大丈夫だ、レニ。ありがとう、俺を守ってくれて」
イサミはそっと抱き締める。レニは微笑を浮かべ、何も答えず、ただ泣いていた。
何が人を助けたいだよ……人に助けられてばかりじゃねえか、俺……情けねえ……。
「……もうちょっとだけ、我慢してくれ」
そのままイサミはレニをゆっくりと地面に寝かせた。
手のひらについたレニの赤い血を見つめていた。
「ちいっ! 悪運の強いやつらザンスね~!」
やたらに明るくそうミラーロが言う。「邪魔者はさっさと死ねザンス」
イサミは鈍く首を動かし、そして眼球をミラーロに向ける。目じりには小さな涙を浮かべていた。
「てめぇ……!」
着いていた膝を、ゆっくりと立たせた。
「何ザンスその生意気な目つきは? あーしを誰だと思っているザンス。王国軍第二師団師団長であり先の――」
「知らねえよ」
明らかに声量ではミラーロが勝っているのに、イサミのその短い一言が、ミラーロをたじろがせてしまう。
「おいオッサン。念のため確認しておくけど。今、レニのこと、殺そうとしたよな?」
「当たり前ザンス。あーたとあーちの娘以外の命はどうなろうと知ったこっちゃないザンス。こっちは王国軍ザンスから」
「そうか。俺もあんたの命なんてもうどうでもいいけどな」
イサミは、木刀を静かに構えた。
「む……ムキー! 生意気ザンス。それにさっきから何ザンス、その汚い棒は。そんなものであーしを倒せると思っているのザンスか!?」
「さぁな」
イサミは木刀を、手首を捩じって半回転させると、地面に垂直に突き刺した。
「だけど、負けないとは思ってるぜ」
彼の左手首にぶら下がっていた数珠が滑り落ち、木刀を軸として地面に落下する。
その瞬間、剣先と数珠とが共鳴し、衝撃波にも似た突風と、閃光を生み出した。
「う! なっ!?」
ミラーロはたまらず手で顔を庇う。
眩い浅葱色の光があふれ出し、辺りの景色を染めてしまう。月の蒼い光も手伝って、周囲はまるで海に沈んだように青くなった。
光に照らされた聖獣グライフは、身をよじらせることをやめて、ただイサミへと視線を向けた。
同じくセイマも、聖獣を抑えようと額に汗を幾筋も流しながら、構えを解くことができず、目が汗に染みるのを誤魔化すように目を閉じていたのだが、隙間から届いたその光に思わず息を飲んで目を見開いた。
「イサミさん……?」
下から照らされ夜闇に浮かぶイサミの表情は酷く静かだった。
その光に持ち上げられるようにして数珠が今度は木刀を昇っていく。
数珠が通り過ぎると、木刀は、鋼の刃へと変化していき、やがて数珠は柄と刃の境で留まり光を落ち着かせると、鍔と成した。
青黒い
イサミが構えを取ると、刀の誕生を締めくくるように
刀の見せる妖しい魅力にミラーロは目を奪われてしまい、最後まで見届けると歯を食いしばって喉を縦に動かす。
「な……何ザンス? そ、そんなもの、ただの細い
「あんたは初めて見るだろうから今回だけは許してやるよ」
イサミは一歩ずつ着実にミラーロへと歩み寄りながら口の端を歪ませた。
ミラーロは薄気味悪さを覚える。
「
そして改めて腰を落として構える。
中段の構え。イサミの持つ太刀の反りが美しく、そして鋼ながら生ある物の如き柔軟性を感じさせた。
薄い刃を正面に向けられ、ミラーロはイサミの体と重なったそれを、夜の月明かりの中では一瞬見失いそうになった。
しかし、月光を反射する鋼色の光のおかげでその形状を見失わずに済んだ。
そのおかげで、ミラーロは眼前に小さな三日月を捉えた。
「へっ?」
つい今の瞬間までイサミは刀を中段に構えていたはずなのに、気がづけば振り下ろした状態になっていた。
情報の処理が追い付かずどういうことかわからないと、間抜けな声を漏らした瞬間――。
鎧の紋章が斜めに斬り裂かれ、赤い煙が噴き出した。遅れて胸に鋭く冷めた痛みを覚える。
瞬きをするたびに、イサミの構えが、刀の位置が変わっていく。
振り下ろしたイサミは返す刀で今度は左肩の上に剣先を構える。
「うひいっ!」
ミラーロは痛みも忘れて慌てて一歩跳びはねるように後退すると杖を構える。
そしてイサミとの間合いにある空間に、紅蓮の炎に焼かれた盾も生み出す。
しかし、イサミの刀はそのいずれも真っ二つにする。
炎という現象が斜めに切り裂かれ、ずれるのに合わせ、ミラーロが両手で無作為に構えた杖もまた、滑らかな断面を作られて二本になってしまった。
しかし、盾を生み出したことは、イサミの踏み込みを甘くさせたのか、
「な、生意気なサルザンス!」
痛みをこらえてかミラーロは玉のような脂汗を浮かばせた顔を醜く歪ませ、悲鳴を誤魔化すように怒鳴り声を上げる。
「ええい、もう構わないザンス! あーしの本来の力は炎ではなくこの雷の力!」
ミラーロは両手のひらに青白い光の半球を生み出した。
それぞれの雷の弾から、広げた両腕を繋げるように雷光が走る。
『大いなる天よ。この悪しき御霊の主を、その――』
――のちにレニは言う。この時ミラーロが唱えていたのは古代文字からなる魔術の詠唱。レニ自身には何を言っているのかがわからなかった。
そして、イサミがそれをいとも簡単に唱えていた、と――。
「『清き光を以て彼のものを罰せよ』」
イサミは唱えると同時に鋒をミラーロに向ける。血と皮膚の脂が混じった血のりが、ミラーロの体へ飛び散った。
「なに!? 反転魔術ザン――」
「
「――ぐあああああああああああ………………!」
ミラーロが生み出したその手と手を繋ぐ鎖のような雷光は、ミラーロ自身の体を拘束してしまうと、瞬く間にその体を雷で焼いてしまった。
雷光の明滅の中続けた断末魔を終えると、ミラーロはその体から煙を昇らせながらゆっくりとその場に頽れたのだった……。
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