3時間目
3時間目 社会・課外授業 前
「それはそれは、楽しみザンスねぇ」
聖獣グライフから届いてきたのは、なんとも粘着質で薄気味悪い声だった。
イサミの背筋に悪寒が走り、肩が震える。
「え、聖獣様喋れんの? あ、ヘルメスの力か」
蛍の光のように緑色の光がじんわりと灯っている。
「すげーな……。でもちょっとイメージと違うなぁ。もう少しこう、低い渋い感じの腹に響く声かと思ったのにそんなネズミみたいな気持ち悪ぃ甲高い声――」
「違うザンス! あーた一人で何を言ってるザンスか!」
と、表情一つ変えない聖獣の背中から一つの影が飛び上がった。
月光を背中に預けて現れた影の正体が浮かび上がったのは、イサミの目の前に着地した時だった。イサミは慌てて数歩後ろに飛び下がる。
えんとつ型のシルクハットに、マント、そして上半身だけ鎧を着ていた。鼠色の薄いプレートを幾つか重ねて繋ぎ合わせた鎧は、頑丈さよりも格好だけという代物に見える。一応最低限という装備だ。
その鎧の胸部には何かの模様が描かれている。剣と盾、それらを巡るように星が流れる絵が、いわゆる盾の形である五角形の枠内に収められている。
二本の足で立つことから人間であるとイサミは判断した。
その人物は、己と同じ程の丈の杖を持っており、先端に赤い宝石が埋め込まれていた。
「だ、誰だ……?」
イサミは手にしていた木刀を下段に構えてみせる。
「おや、礼儀はご存知ザンスか。随分と田舎くさい顔をしているから何も知らないおサルかと思ってましたが……ほほほ」
胡散臭い口髭の先端は蝶の口吻のごとくくるりと巻かれていた。
ぎょろついた大きな目が特徴的だった。
「アタケシ、名をミラーロと申します。ミラーロ・ギーハ。おサルの貴方に覚えられるかはわかりませんが、以後お見知りおきを」
どうやらこの世界の礼儀は、イサミの知る礼儀とは少し違うようだ。相手の方から名を名乗るらしい。
仰々しく腰を折るがその濃厚な顔はイサミに向けたままだった。薄い唇を横に広げて常に歯を見せつけている。歯並びだけは悪くない。
登場の仕方、容姿、いずれをとっても警戒こそすれ覚えたくもないが、名を尋ねて答えられた以上、じゃあそれでとは言えないイサミだった。
「はぁ……えーっと、イサミっす」
「あらまっ! イサミって言った? なんたる偶然!」
体を仰け反らせてみたり、両手を広げてみせたり――と、言葉に合わせた一挙手一投足がいちいち大げさで、鼻についたのかイサミは白い目を向けていた。
「日が沈むころに王都を経って、はるばる田舎な南部にやってきては夜通し探さなくちゃと嫌気がさしていたザンスのに、これもアタケシの日頃の行いが最高だからザンス! 神なんて祈るもんじゃないザンスね。ま、アタケシは
ンヒヒヒと気味の悪い笑い声を、歯茎をむき出しにしてイサミに突きつけてくる。
王都までの距離など土地勘のないイサミにはわからないことだが、それでも日没後から今までにそれほど時間の経過がないことはわかる。聖獣で空を駆ることでミラーロの移動は簡便なものなのだろう。
目まぐるしく新たな情報が溢れ、それが思考を止め、言い知れぬ不安を生み出す。そのことに抗うようにイサミはますます木刀を握る手に力が入った。
ミラーロは、イサミの仕草を目ざとく察したのか、
「なーに、あーた。そんなおもちゃでこのアタケシに何かしようとか考えてるザンス?」
オホホホと気味悪く高笑いをしていた――かと思えば、
「目、震えてるザンスよ?」
と凄みを効かせてくる。
動揺からか、イサミは露骨に肩を弾ませてしまう。
――できるのか、俺に……。ど、動物だって殴れないのに、人……え、人だよな? ていうか、何者なんだ?
わからない。だけど、なんだろ、味方ではない、そんな気がする。
「それに、探す手間が省けたザンス。おサルの方からバカみたいにやってくるザンスからンヒヒヒ!」
なかば呆然と立ち尽くすイサミにかまうことなく、ミラーロは一人腹を抱えて不気味に笑う。
「探す……?」
その言葉に我に返り、イサミは渋面を浮かべて訊き返す。「俺をか?」
「当然じゃない? あーたの他にはここ、だぁーれもいないじゃない!」
夜を憂う鳥さえもいない。
ここにあるのは静寂、イサミとミラーロ、そして聖獣だけだった。
「ちょーっと考えたらおさるでもわかるザンス。あーたもしかして、相当おばか?」
「なんだよあんた、口悪いな!……おまけにちょっと気味悪いんだけど。何の用だよ」
「ンマー! このアタケシに向かって口が悪い? 気持ち悪い!? 聞き捨てならないザンス!!」
いちいち口を大きく開けたり、地団太を踏んだり、反応に品性はあまり感じられないとイサミは視線を鋭くする。
「本当ならあーたみたいなおサル、ボッキボキにして差し上げたいところザンスが、王からの命令でもあるザンスから、命だけは見逃してやるザンス」
「おう……?」
「さぁグライフちゃん!」
ミラーロは掴んだマントをたなびかせ、後ろで鎮座していたグライフを煽る。
「このおまぬけサルを潰しておしまい!」
「はぁ!? いやちょ、なんでだよ! ていうか結局ボキボキ――」
イサミの声を遮ったのは、グライフの鳴き声――――ではなく、柔らかくこもった音色。
ミラーロはどこかから取り出した、羽の生えた角笛を吹いていた。
その奏でられる音色に合わせてグライフの咆哮が空気を震わせる。
およそ鳥の鳴き声には似ても似つかない、声帯を震わせた重低音。皮肉にもイサミが期待していた通りの声だった。
足を伸ばすだけで地面が揺れ、翼を広げるだけで突風が生まれる。
「ぐっ……!」
イサミは姿勢を保つだけでも精一杯だった。
「ど、どうザンス? に……逃げられ……まいザンス」
それはミラーロも同じだったようだ。地面に這いつくばっている。
「あんたもかよ……っ!」
だがこのままでは、少なくとも狙われるのは自分だ――どうにか……。
『――』
イサミが聖獣グライフを睨んだ時だった。
誰かの声のようなものがイサミたちの周辺に届く。ミラーロなのかと一瞬だけ疑ったイサミだったが、視線の先にいるミラーロも同じように眉間に皺寄せ戸惑っていたのだ。
誰かが何かを歌う――いや、何かを唱える鈴の音のような澄んだ声が耳に届いた。
「な、なんだ今の……。ん?」
遥か上空の星が瞬きを強めたように見えた。暗闇の海の中陸地を知らせる灯台の灯りのように、瞬いた。
すると次の瞬間、グライフの元へ光の筋が、天空で輝く星たちより降り注ぐ。
硝子を割るような音を立てながら大地へと飛来する。
流れ星がそのまま落下してきたかのようで、イサミはただそれを眺めていることしかできなかったが、恐れの中に美しささえ感じていた。
六本の光の矢が地面に突き刺さると、それぞれが光の枝を伸ばし、互いに繋がっていく。
瞬く間にグライフを囲んだ光の柵はグライフの上空で絡み合い、籠と成した。
不思議な力が働き、グライフが足で払おうとすると、光の紐はまとわりつき、網のように聖獣を捕獲してしまう。暴れもがいていたグライフは瞬く間に大人しくなった。
「グライフちゃん!? キー! 一体何がどうなってるザンス!」
じたばたと駄々をこねる様なミラーロの言葉に、イサミも内心頷いてしまう。
「イサミさん!」
その声に振り返ると、少し離れた場所で村の家々を背中に背負いながら、セイマが立っていた。
両腕を前に突き出し、手と手を重ねている。
何かを生み出し、操るような姿勢だった。
「セイマ!」
「早く逃げてください! 抑えるだけでもう……!」
「イサミさーん!」
とセイマの脇を抜けて駆け寄ってくるのはレニだった。
「レニ!? バカ、戻れ!」
そう言われたレニは――より一層駆け寄ってくる速度を速めて、あっという間にイサミの元にたどり着いた。
「私から離れようったってそうはいきませんよ!」
息を切らせて不敵に笑う。
「違うっての!」
イサミの必死な険相に、レニは初めて目を丸くしていた。
「何ザンスか!? その小娘たちは……! こやつらがあーしの邪魔をしたザンスね!?」
ミラーロが左右の目の大きさを不揃いにさせながらレニを睨む。
レニはイサミの前に勇み足で飛び出した。
「イサミさんをいじめる悪い人は許しません――……はっ!?」
レニは、ミラーロの胸に輝く模様に気付いた。
「あ、あれは……王家の紋章!? ということは、王族様か貴族様……」
「なに?」
「一般庶民があーしに生意気な口をきいたザンスね!」
怒りに顔を歪め、どこかうすら寒く笑っているように見えるミラーロが、杖を振る。杖の先端の赤い宝石が内側から光を燈していた。
すると、杖の先端の軌跡を描くように、炎の刃が、何もない空間に突如生まれ斬撃となる。
「――っ!! イサミさ――」
レニは咄嗟にイサミを庇って抱き着き押し倒す。
その背中は、炎の刃の前で無防備になってしまった。
「いあああああああああああああああああああ!!」
「レニ!!」
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